第2話 NTR同人誌転生

 ――お兄っ、起きて、お兄!

「んあ……?」

 妹の声で目が覚める。いつの間にか机に突っ伏して眠っていたようだ。

 なぜかクラクラする頭を押さえながら顔を上げると、緊張感に満ち溢れた表情の京子が俺の顔を覗き込んでいた。何だこの状況。謎すぎる。いや、それ以上に謎なのは、

「京子……何だお前その格好」

 大学一年生の妹は、妙に凝ったデザインのスクールブレザー(夏服)を着こなしていた。何かいつもと雰囲気違う気もするし。メイク変えた的なあれか?

「お兄こそ、自分が着てるもんと自分が座ってる場所ちゃんと認識しろ」

「は? …………はぁ!?」

 潜められた妹の声に促されるまま、自らの置かれている状況を再確認すると――俺はオーソドックスな紺色スクールブレザー姿で、学校教室用の椅子に座り、木目のあの懐かしき机に肘をついていた。加えて周りには、二十数人の少年少女。みんな俺たちと同じ制服を着て、マスクも付けずにガヤガヤと騒いでいる。

「な、何だこれ? コスプレオフ会? 教室風の撮影スタジオ? あっ、そういやよく見ればこれ……黒オタの制服だよな? 何だよ、京子。お前あんなこと言っといて自分もコスプレしたかったのかよ」

 確かにこう見ると、京子にはまるで漫画の中から出てきたような雰囲気がある。制服にも、アニメ原作の実写版みたいな作り物感がない。冷静に考えれば奇抜なデザインのはずなのに、普通にそこら辺の高校が採用していても違和感を覚えない質感があるというか。

 でも、白ギャルって……何となく雰囲気違うとは言っても、基本いつもの京子のまんまじゃねーか。そんなキャラ、黒オタで見たことねーぞ。原作リスペクトはどうしたんだよ、おい。アニメ制服着てハシャぎたいだけのパリピじゃねーか。

「お兄……違う。一旦落ち着いて。落ち着いた上で、こっそりアレを見て」

「あん? 何だよ、いった――」

 目線で促されるままに斜め後ろを振り返って――呼吸が止まる。それほどまでに衝撃的な光景が、この部屋の最後列窓際では繰り広げられていた。

「……京子、あれって……」

「うん。間違いない。間違いないよ……! 私にはわかる。コスプレなんかじゃない……!」

 そして思い出す、これまでの経緯を。俺たちがこんな場所に来ることになってしまったきっかけを。

 俺と京子は見開いた目を合わせ、そして打ち合わせることもなく、二人一緒に「教室」を飛び出した。


     *


「この校舎、校庭……やっぱり……っ」

 地上十メートルの高さから見下ろした景色に、ゴクリと喉を鳴らす京子。

 教室から逃れた俺たちは、何かに導かれるままに建物の階段を駆け上り、開けた屋上に出ていた。

 三階建て鉄筋コンクリート制の大型施設。建物の外には土の野球場にサッカー場、陸上グラウンドに二十五メートルプールまである。外からも建物内からも思春期特有の若々しい声音が立ち上ってきて――まぁつまりは。要するに。

「学校だな。高校だな、ここ。スタジオとかじゃなく、実際に運営されてる本物の高校の校舎だ」

「そんなこと一目でわかってるから! もはやそこじゃないっしょ、大事なのは!」

「…………っ」

 やはり、全て気付いてしまったか、京子も……。ここまで来たらもう、言い逃れはできないのかもしれない……。

「お兄もオタクならもう理解してるっしょ! 私たち、あの本屋の前で一緒に転倒して……死んじゃったか、意識不明か……そんで、転生してきたんだ、この世界に……っ」

「ああ、そうみたいだな……」

 柵から身を乗り出すように校庭を眺めるその背中は、そしてその声は、小刻みに震えている。当然だ。だって、

「俺はあの瞬間を微かに覚えている。倒れた方向に、その、な? 書籍が飛んでいってたからな、ワンチャンあれがクッションになって余裕で助かるかもとか思ったりもしたんだが……」

 なにぶん薄かったからな、あれ。でも、とにかくそれが原因で俺たちは……

「そうだっ、それだよ、お兄! たぶん書籍にぶつかって逝ったからこそ、その世界の中に入ってこられたんだよ! 良かった……紙の本にこだわってきた甲斐があった!」

 ああ、もう完全にバレたな。ここから突き落とされて終わりだ。くそぉ。転生早々また死ぬのかよ、俺。

「そうなんだ、京子。でもな、頼む、聞いてくれ。あれは確かに俺が買った寝取ら――……え? お前いま何て言った? 良かった? 紙の本にこだわってきて? だ、誰が?」

「なに言ってんのバカお兄っ!」

 京子は何故か森で妖精さんに出会った少女のようにキラキラとした笑顔で振り返り、

「って、何で土下座してんの、あんた!?」

「え、え、え、だって、俺はお前をこんな世界に連れてきちまったわけだから……」

 何だこれ? 何が起こってる? 京子は今すぐ俺を殺してなきゃおかしいはずだよな? なのに何でこんな、喜びを爆発させる寸前のように、ピョンピョンと飛び跳ねていやがるんだ?

「ちょっとお兄、勝手に自分の手柄にしないでよっ。確かに私を押し倒したお兄のおかげでもあるけど、この世界を――『黒木屋くろぎやさんはオタクに優しいフリをしたい』の単行本を持ってたのは私じゃん! 私のおかげでお兄も神ラブコメの世界に入ってこられたんだよ? 感謝してよね!」

「へ……――あっ。あっ、ああ、そうだなっ! マジでありがとう、妹よ。お前のおかげで俺たちは黒オタの世界に転生できたんだ……!」

 ――――あっっっぶねーー!! こいつ、何か勝手に勘違いしてくれてる! ここが『黒木屋さんはオタクに優しいフリをしたい』の原作の世界だと思い込んでくれてる!

「やばいよ、私もう……幸せすぎて叫んじゃいそう……ねぇ、だって、あの窓際最後列の四人組、見たっしょ!? 黒木屋くろぎや瑠美るみちゃん、飯尾いいお拓斗たくと君、佐分さぶ姫歌ひめかちゃんに、持田もちだ友利ゆうり君! メインキャラ四人グループ!」

「ああ、そうだな、ガチでいたな、俺たちの目の前に……」

「そうそうそう、リアル瑠美ちゃんに姫歌ちゃん! 可愛すぎっしょー! あのダブルヒロインは反則っしょー! もうあの四人見た瞬間に確信したよね。私、白井しらい知然ちぜん先生の漫画の世界に入り込んじゃったんだって! だってもう、生き生きし過ぎだもん! 完全に生きた存在だもん! まぁでもさすがにちょっと漫画やアニメで見てるのとは雰囲気違うなーとは思ったけど。拓斗君とか友利君とか」

「そりゃそうだろ。俺たち二次元の世界に入ったはずなのに、今の俺たちの脳には元の世界と同じような三次元の世界観に変換されて映ってるんだから。その認識の差が出ちゃったりするんだろ。今のお前だって黒オタのキャラと同じ絵柄のキャラクターになってるはずなのに、俺には今まで通り三次元の存在としか認識できてないんだ。でもやっぱりその変換時に歪みが生じてるのかな。前の世界のお前とは何となく雰囲気違ってる気がするぞ。より可愛くなってる」

「まーそれもそだね。お兄も何となくちょっとだけマシになってる気がする。うん、これも神である白井知然先生のおかげだね!」

 めちゃくちゃ口から出まかせ言っただけなのに、納得してくれたようだ。ていうかもう、どうでもいいのだろう、細かいことは。大抵の人間は自分が信じたいことを頑なに信じ続けるものだ。多少の矛盾や違和感はその『真実』に都合が良い形で勝手に解釈してくれる。こいつにとってのそれは、大好きなラブコメ漫画の中に入ってしまったという結論であって。

 だから、たぶんバレない。俺が下手こかない限りは、京子は真実を知らぬまま、この世界を『黒木屋さんはオタクに優しいフリをしたい』の原作だと思って生き続けることになる。

 バレない。バレないはずなんだ。だって、バレたりしたら終わっちゃうもん! 俺の兄としての威厳が! ていうか俺の人生が! 絶対嫌われちゃうもん! 殺されちゃうもん! バレっちゃったら!


 この世界が本当は――――二次創作NTR同人誌だなんて!

 この世で一番NTR二次創作が大嫌いで、この世で一番『黒オタ』が大好きな妹に、バレちまったら! 

 殺されちゃう!

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