第7話 神への反逆
そんな、いつの間にか後ろから俺の肩に顎を乗せてきていた京子は、部室の方を眺めて、
「やっぱどうしてもメインキャラの方を目が追っちゃうみたいなんだよねー。こう、何てゆーかさ、私の中の推しセンサーが勝手に反応しちゃうってゆーのかな、意識して探してたわけじゃないのに、拓斗君の姿見つけちゃってさー。もちろん話しかけたりなんてせずに、ちゃんとジーッと見送ってきたよ?」
相変わらず、しれっとヤベェこと言いやがって……くそっ! こいつのストーキング能力を甘く見てた!
「ち、ちなみに京子、その教室の方に走ってった拓斗君がこれから何するのかは、週刊誌の方で読んでたお前は知ってるんだよな?」
「ううん、知らない。170話はさっきの押し倒しシーンを目撃されたところで、担当編集Sさんの次号煽り文が入って終わり。171話ではもう次の日のシーンに入ってるから。つまり今は170話と171話の合間。この時間に起きてることは全部物語の裏側のシーンってことになるね」
「そ、そうか……」
つまりは、嫁粉パン先生。これまで通り、原作に描かれたメインストーリーの方を壊すつもりはないということですね。ヒロインが寝取られるのは、主人公目線――つまり原作読者目線からは隠れた裏側で。その矜持は、今作でも守っていくわけだ。
今作であなたが破ってしまうのは、とあるモブキャラのキャラクター性。
ヒロインに危害なんて与えるような腐ったキャラではまるでない人畜無害の男で。そもそも興味の対象はサブヒロインの姫歌の方にあるはずの男に。あなたはとんでもない役目を与えてしまうおつもりなのですね。
そう、間違いない。この二次創作NTR同人誌で、黒木屋瑠美を寝取る間男は――あのモブデブ先輩なのだ。
部室で拓斗とエロいことをしていたという弱みを握った彼が黒木屋さんにエロいことを強要するのだ。噂を広めて、拓斗を停学に追い込むぞ的な感じで脅すつもりなのだ。そもそもそんな噂が広まったところで原作では停学云々なんて展開にはならないはずだからそんな脅しが成立するのはおかしいのだが、それが同人誌なのだ。
これまでの嫁粉パン作品においてはそんな粗はなかったはずなのだが……今回は何か俺には思いもよらぬ意図があるのかもしれない。黒ギャルなのに実は思慮深く聡明というギャップが魅力的な黒木屋瑠美が、そんな手口に騙されるという一種のキャラ崩壊も嫁粉パン先生らしくないし。
百歩譲って、このシチュエーションをNTRに使うというのであれば。例えば、あの生活指導教諭の山下とかいうゲスキャラを目撃者=間男にすれば、嫁粉パン先生なら、原作キャラ崩壊なしに、黒ギャルを手籠めにしようとするクズ教師を描けたはず。にもかかわらず、先生はその道を選ばなかった。
やはりこれは、先生の新たな挑戦なのかもしれない。そうであれば、俺ももっちり信者として、意地でもこの目で確かめなければならない。信者と言えど、厳しい目で判断しなくてはならない、彼の新境地が、芸術と呼ぶに足るのかどうかを。決してエロ目的とかそういうのではない。これはファンとしての使命だ。
だが、今の俺にそんな贅沢はとてもままならない。そんなことを、している場合じゃない!
「でもそっか、じゃあ、今あの部室には瑠美ちゃん一人きりなんだ。ふーん…………ドアの隙間から漏れる空気を共有することぐらい、許されるよね?」
こいつがいるからだ!
もうわかった、さすがに理解した!
黒木屋瑠美が寝取られるなんて事件を、京子に勘付かれずに済ますなんてまず不可能だ! だって、こいつ、根っからのストーカーだもん! 結局常にメインキャラの動向、観察してんだもん!
実際にエロいことされてる現場を押さえられないようにすることぐらいなら可能だろうが、永遠に隠し通すなんてことは現実的じゃない。たぶん、ヒロインが寝取られたということに、主人公よりも先にモブキャラの京子が気付く。そして俺が殺される。
終わりなのだ、黒木屋瑠美が寝取られた時点で。この世界が、俺がコミケで買ってきた二次創作NTR同人誌であることに気付かれるのなんて時間の問題なのだ。
どうすりゃいい……どうすりゃいいんだ!? 寝取られ同人誌でヒロインが寝取られたら殺されるってもう初めから詰んでんじゃねぇか!
……いや、わかってる……助かる方法が一つだけ残されていることには。ただ、それは、とんでもなく茨の道になる。いっそのこと、全てを諦めてさっさと殺されてしまった方が楽かもしれないほどに。
でも、やるしかない、か。どうせ、一度は終わった人生だ。ガムシャラに突き進んでいくのも悪くねぇ。もしかしたら、そうやって生き延びているうちに、また新たな方法が見つかることだってあるかもしれねぇんだ!
よっし、決めた! やる……俺はやる、やってやんぞ、もっちり嫁粉パン先生よぉ!
「待て待て、京子。そんなことしてるうちに黒木屋さんが部室から出てきたりとかしたら入部希望者か何かと勘違いされちまうかもしんねーぞ?」
「……それはアウトだね」
「だろ? そんならさ、中を覗くことも出来ないこんなとこいるより、やっぱり拓斗君の方ストーキングでもしてきた方が有意義なんじゃねーか。教室の方行ったんだろ?」
「うん、まぁ、おそらく姫歌ちゃんに呼び出されたんだと思うよ。まだ友利君と会議してるだろうから。文化祭本番では拓斗君も結構クラス企画でこき使われることになるし、たぶん裏設定ではこの段階からコスプレ喫茶運営に関わってたんでしょ。それ関係だろね」
「なるほど! 実際に描かれていない場面までそうやって推測できちまうのか、お前は! さすが世界一の黒オタファンだぜ!」
「まぁね。ほら、私って、自慢じゃないけど白井知然先生に認知されてるくらいだから。自慢じゃないけどさ」
「そんなファンランキングナンバーワンのお前が、このチャンスを無駄にしていいのか!? 何十万という読者の中でただ一人、お前だけが見ることができる、メインキャラ三人の裏シーンを見に行かなくていいのか!?」
「それはわかってるけど、でも何か……今は瑠美ちゃんのストーキングをするべきだって本能が言ってる……あーもうっ、耳と目が足りない! やっぱり小型カメラと盗聴器は買い揃えなきゃダメかぁ!」
「それはダメだ! 一線越えてるぞ! あ、そうだ! そういやさっき拓斗君がそこから出てくときに『姫歌、か……』とか呟いてた気が……。友利君が彼女を呼び捨てし始めたことに関して、まだ何か思うところがありそうな表情だったような……」
「…………っ! マジか……つまりこの後、二人の関係をさり気なく観察する拓斗君と、探られていることを察していながらそこには触れない二人、という微妙な人間模様が繰り広げられるってこと!? 確かに拓斗君は二人の関係の変化を明らかに認識していながら明確にセリフに出すってことなかったし、そーゆーとこが拓斗君と友利君らしい友情関係だとは思うけど、私的な考察だと実は88話時点で、」
「わかったから早く行くんだ、京子! 機を逃すぞ!」
「うん! 待っててね、拓斗君、友利君、姫歌ちゃん!」
俺に(物理的に)背中を押されて、やっと京子はこの場から立ち去ってくれた。くそぉ、こうやって短期間あいつの目を逸らさせるだけでも一苦労だ。メインヒロインのNTRを隠し通すなんて、やはり百パーセント無理。さんざん思い知らされた。
だから俺は覚悟を決め、これから凶悪なNTRシーンが展開されるであろう部室の前へと立ち、脱いだワイシャツを顔に巻きつけて目以外を隠し――――勢いよく扉を開け放って、間男へ殴りかかった。
「そこまでだぁ! このモブデブ野郎が! 俺たちのメインヒロインに手ぇ出してんじゃねぇ!!」
「なっ、何だい、君は!? ぐほぉっ!?」
「えええええええええええ!? 何か半裸の変態飛び込んできた!?」
椅子に座る金髪黒ギャルの前に佇んでいた間男。その肥えた脇腹に一発――完璧に入った。助けてやったはずの黒ギャルは何故か驚愕した様子で椅子から転げ落ちていた。何故だ。俺が半裸だからだ。
まぁ、俺のボディに注目してくれてるというなら、むしろ都合がよい。正体バレる前に、この崩れ落ちたデブを回収して立ち去ろう。
すまんな、モブ先輩。あんたは間男として自分の役割を果たそうとしただけだってのに。別の出会い方(読者と竿役キャラ)をしていればきっと俺たちは最高のパートナー(意味深)になれたはず……!
でもダメなんだ、今の俺にはやらなきゃいけないことがある。すなわち――
――この世界における、黒木屋瑠美のNTRを防ぐこと。
それしかないのだ。NTRが発生した時点で、ここがNTR同人誌の世界だと、京子に隠し通すことはできなくなる。ならばもう、NTR自体を防ぐしか、俺が生き残る方法はないのだ。
めちゃくちゃである。あまりにも畏れ多い。だって俺はNTR同人誌の世界でNTRを殲滅しようとしているのだ。NTRこそがこの世界の存在価値であるというのに、その恩恵を享受してきた張本人の俺が、それをぶっ壊そうと刃を向けている。
これはまさに、神への反逆。神が創りし世界への、無謀極まる宣戦布告。
俺は、腹を押さえて悶絶中の神の使者=間男の両脇に、後ろから腕を差し入れてしっかりホールド、傷病者を運ぶ救助隊員のように、出口へと引きずっていく。
「ちょ、ちょ、ちょ、え? 何なの、この状況っ!? あーし、今なにを見せられてんの!? 変態さん、あなたはいったい……っ」
こちらも腰を抜かしたように、床にお尻をついて後ずさりする巨乳黒ギャル黒木屋さん。スカート短っ。パンツ丸見えである。もちろん黒である。もちろん一人称は「あーし」である。
だが、そんなものに目を奪われてる暇はない。あとは颯爽と立ち去るのみ。
「安心しろ、黒木屋さん! 君のラブコメは、絶対俺が守ってみせる!」
「…………っ!」
俺は無駄にカッコつけながら、打ち倒した強敵の死体と共に、部室を後にした。重い。肉体的にも精神的にも……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます