第9話 転生先のアパート

「余計なことはするな、か……」

 地図アプリでアパートへの道を調べながら歩く。原作通り、地方都市らしい程よく栄えた街並みだ。

 ――あのメッセージの意味を考えてみる。いや、考えるも何にも、そのままの意味なんだろうが。

 俺がこの世界でした余計なことといえば、ただ一つだけ。NTR展開を防いだことだ。あの手紙は、それをやめろと言っている。大人しく、この世界がこの世界であるままに、黒木屋瑠美を寝取らせろと命じている。

 わからないのは、あの手紙が誰によって書かれたのか、ということだ。俺と京子のことを転生者だと気付いている……そうである以上、候補は絞られるはず。

 まずは、この世界に、俺たち以外の転生者がいるという線。俺たちはこの同人誌にぶつかって死んだ(?)ことで転生してきたと思い込んでいたが、そんなのは憶測の域を出ないし、他の方法もあったのかもしれない。他の原因で入り込んでしまった人間がいる可能性を俺は否定できない。

 ただ少なくとも、俺と同様、NTR同人誌『黒木屋さんは寝○○れて○○フリをしたい』を持っていたと考えるのが自然だろう。つまりはそいつもNTR好きの変態。さながら黒オタの世界に入ってしまったと勘違いして舞い上がる京子のように、そいつも黒木屋瑠美のNTRシーンを生で見られることに歓喜していたはずだ。NTR展開を防ごうとする俺と敵対する動機は確かに存在している。

 そして、もう一つ考えられるのは。この世界の神――もっちり嫁粉パン先生自身からの警告だという可能性。

 どんな仕組みに、そしてどんな流れになっているのかは全くわからない。同人誌として既に発表された作品が、俺の存在によってこうやって改変されていくとして、作者はそれに気付くものなのだろうか。そもそもその変化は、俺の前世、嫁粉パン先生側がいる世界の冊子上にまで、視認できる形で反映されているものなのか。そうだとして、俺が持っていた一冊だけでなく、他の何千冊という全ての存在にまで波及してしまうというのだろうか。しかし、そうでなければ、嫁粉パン先生もこの変化には気付けないわけであって。

 また、気付けたとしても、この世界に干渉できるかどうかは別問題だ。刊行済みの作品に新たに手を加えたとでも? それこそ、俺が購入して、俺が持ち帰って、俺が入ってしまったこの一冊にまで、それが波及するのは不自然な気がする。そんなことが可能ならもはや何だってできてしまう。まさに全知全能の神だ。手紙を書き込んで警告を送るなんて回りくどいことしなくても、もっと直接的なやり方がある。俺を消してしまえばいいのだ。

 やはり、この可能性は考えづらい。となると、前者の仮定――俺以外の別の読者が、転生してきていると考えるのが妥当だが……

 それか、もしかしたら。転生者でも何でもない、純粋なこの世界のキャラクターが、何かのきっかけでこの世界が漫画だと気付き、俺たちが転生者だと思い当たってしまったのかもしれない。そんな中二病的発想をしてしまうキャラは黒オタにいなかったと思うが……。そうだとしても、真っ先に送ってくるメッセージが『余計なことをするな』というのもあまりしっくり来ないし……。

 ともかく、今言えるのは。あの手紙を書いた「犯人」が、俺の行動を妨害してくるかもしれないということ。

 しかし敵の姿が見えないのは厄介だ。並行して犯人探しもしなければならない。そうでなければ、俺の行く末はさらに困難を極めていくことになるだろう。

 無論、大人しく従うつもりなどない。この世界での俺の使命は、NTR展開を防ぐことなのだから。たとえそれが世界の理に反することだったとしても、だ。俺は大切な妹の大好きなセカイを守るため、世界に反逆する。何だこの世界一汚いセカイ系。

「あれ? 京子、先に帰ってたんか」

 目的地である俺たちの住居、四階建てのアパートに着くと、共用エントランス前で制服姿の白ギャル――京子が落ち着かない様子でウロウロとしていた。ん? こいつも鍵持ってたはずだよな……?

 改めて鉄筋コンクリートの建物を見上げる。それなりに築年数も経っていそうだし、お世辞にも高級そうとは言えない物件だが、高校生の二人暮らし先としては充分贅沢の範疇に入るだろう。何てったって、エントランスがオートロック式だ。まぁ部屋の中を見てみないとはっきりとは言い切れないが、少なくとも前世よりはマシな居住環境になるはず。前世は有明最安値クラスの1DKで、俺の寝室は当然のようにダイニングキッチンとの兼用。NTR同人誌を隠すのには相当苦労したからな。

「えっ、お兄まで来たの? 何で?」

「お前……っ、俺を部屋に入れないつもりなのか……? 俺だけ異世界で路上生活しろと……?」

「は? お兄、何言って――やばい、隠れてっ」

「え、おい、ちょっ」

 突然京子に腕をつかまれ、近くにあった自販機の陰まで引っ張られてしまう。

「何なんだよ、一体」

「しっ! 声デカい! ほら、あれ見て」

 京子に促されるまま、陰からコソっと顔を出し、先ほどまで俺たちが立っていた方を見遣る。

 すると、そこには、

「え……は? な、何で黒木屋さんがここに?」

 俺たちの住居であるはずのアパート、そのエントランスに金髪ウェーブの黒ギャル美少女――この世界のメインヒロインである黒木屋瑠美が、当たり前のように入っていったのだ。

「さっきからずっと何言ってんのお兄。そりゃ、瑠美ちゃんは帰ってくるっしょ。瑠美ちゃんが住んでるアパートなんだから」

「は? 生まれてからずっと何言ってんだお前。ここは俺たち後藤兄妹のアパートだろ。だからお前もここまで来たわけで。……なぁ、そうだよな? 頼むからそうだと言ってくれ」

 何だ……何だこれ……何でこいつは本気で不思議そうな顔してやがるんだ? 何なんだ、この話の噛み合わなさは? 猛烈に嫌な予感がする……。

「いやいやいや、私はただシンプルに瑠美ちゃんのストーキングしてただけなんですけど。聖典(原作漫画)での描写から得た情報と、屋上から見たこの町の景色を照らし合わせて瑠美ちゃんのアパートの場所を割り出して、張り込みしてただけなんですけど。何か文句でもあるんですか?」

 文句しかねーよ。ふざけんな、このクソストーカーが。

 ……いや、残念なことに。こと今の京子に関してだけは、ストーカー認定するのも難しいのかもしれない。

 だって――

「……ちなみに、京子。黒木屋さんが一人暮らししてる部屋が何号室かって描写、聖典の中にあったっけ」

「は? お兄、世が世なら冒涜罪で死刑だよ? 102号室に決まってんじゃん。デジ研部室に次ぐ、メインキャラの溜まり場っしょ。重要な舞台の一つっしょ。何しろ、他のモブキャラも入り込む校内と違って、瑠美ちゃんの部屋ではメインキャラ四人以外が映り込むことは一切ないわけだからね。例えば、40話の友利君の誕生日回なんかはファンの間でギャグ回として最高の評価を得ているわけだけど、翻って考えてみれば、白井先生がその舞台として敢えて瑠美ちゃんの部屋を選んだのには深い理由があって、」

「翻って考えなくてよろしい。そんなことよりな、京子。俺たちのアパートの部屋、何号室だったか覚えてるか?」

「は? えーと、103じゃなかったっけ。それが何? 言っとくけど私まだ帰るつもりないからね。自分らの家なんかより、瑠美ちゃんのアパートの方をもっと観察・分析しときたい。さすがにアパート内の設備までは諦めるけど……。はぁ……口惜しいよねぇ、せっかく目の前にあるってのにさ」

「……朗報だ、京子。お前は堂々と、自由自在にこのエントランスをくぐれる。だってここ、俺たちのアパートでもあるからな。俺たち、黒木屋さんのお隣さんだったみてーだ」

 あー朗報朗報。間男連れ込んだりなんかしたら、一瞬で京子さんにバレますね。

 はい、詰んだ。

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