必然

 半球状のフォルムを中心に左右に伸びていく白い校舎。あえて真っ直ぐに作らず緩いカーブを描く玄関までの階段。

 飛鳥は校門の前に立ちつくし、呆気にとられたかのようにしばしそれを眺めていた。京都学園宮ヶ尾高等学校、偏差値七三の進学校であり相当な覚悟、もしくは学問のセンスがなければ授業についていけないと有名である。

 (さて、どうしたものか)

 勢いで来たのはいいものの肝心の藤島をどう見つけるか、それが問題であった。職員に言ったとしても呼んではもらえないだろうし、かといって校舎に入れば見つける前に職員につかまるだろう。

 飛鳥は首すじを伸ばすように顔を天に向け大きく息をはいた。夏帆は無事なのか、いったい何をしているのか、考えたくもない最悪の事態がうかび不快にまとわりつく。

 ––リン、リン––

 頭のなかに透みわたるように広がる、この世のものとは思えない綺麗な鈴の音。それがどこからともなく聞こえてくる。突然のことに飛鳥は目を見ひらき顔をおろす。

 すると五メートルほど先に、半透明に淡く輝く馬が気品ある佇まいでこちらをみていた。

 あれはなんだ、そもそも馬なのか。蜃気楼のように型を留めずゆらめくその姿に飛鳥は混乱していた。

 馬は踵をかえし右に続く道へと歩いていく。どこへ向かうのかと考えていると、馬はそっと立ちどまり振りかえる。飛鳥を確認するかのように。

「ついてこいってこと……」

 地面から離れたような感覚におそわれている両足を左から踏みだし馬の方へと向かっていく。馬はまた前を向いて音のしない足を運んでいき、馬と飛鳥の距離は絶妙なまでに一定を保っていた。

 体育館を横目に通りぬけその奥にある運動場へと進んでいく。飛鳥はどこか懐かしい感情を覚えていた。今まで視たこともない類の者であったが、優美なその後ろ姿に涙が込みあげてきそうになる。

 しばらく歩くと馬は急に右へと向いた。飛鳥は馬に近づき同じ方向を見ると、部活動の更衣室が並んでいた。その前で一人の制服をきた女子が地面にしゃがみ込み何かを探すように首を動かしている。

 ––リン––

 馬は飛鳥をみつめ、前に向き直したあと顔を僅かに上げながら幾重もの光の玉となるように静かに消えていった。

「ありがとう」その言葉が自然と口から出ていた。

 しゃがみ込んでいる女子に近づいていくと、飛鳥はまだ頭では整理しきれていないような声で「藤島さん」と呼んだ。女子はこちらを向き二間おいてハッとした表情をみせた。

「飛鳥さん、飛鳥さんじゃないですか! え、なぜここにいるのですか」

 至極とうぜんの疑問だと思った。

「いきなりごめんね。少し長くなる話しかもしれない。時間は大丈夫かな」

「もちろんですよ。しかし、ここでは先生に見つかってしまうかもしれません。飛鳥さん、あっちにある倉庫の裏にいきましょう」

 藤島の目を見すえ頷く飛鳥。

「それにしてもよく私がここにいると分かりましたね」

 眼鏡の下から覗き込むように藤島はいった。

「うん。どうしようかと適当に歩いていたらたまたま藤島さんがいてね。運が良かったよ」

「ほう。それはそれは」

 好奇心のかたまりのような目で微笑む藤島。

「藤島さんは何か探しものでもしてたの」

「あ、そうなんですよ。じつは大切なネックレスを無くしまして。多分ですが、あの辺りなんですよ。落ちた音がしたので。その時にもすぐに探したのですが、どこにもないんです」

 悲しそうな声に飛鳥は優しく応えた。

「後で私も一緒にさがすよ。もし職員の人にみつかっても上手く私が言うから」

「え、でも悪いですよ。それに見つかるかもわかりませんし」

 藤島は眉を落とし申しわけなさそうにした。

「私がしたいからそうするの。藤島さんの大事な時間だっていただいているし」

「やはり飛鳥さんは美人で優しい方です。夏帆もよくそういっています」

 倉庫の裏につくと先ほどよりも低い声で藤島は口を開いた。

「それでお話しというのは?」

前置きはいらないと思い、飛鳥ははっきりとした声で言う。

「夏帆が今朝、行方不明になったの。原因はおそらくあの祠の映像。藤島さんのお姉さんがその人と友達だと聞いたんだけれど」

 飛鳥は少しだけ嘘をついた。夏帆から藤島の名前は出ていなかった。

「夏帆が……行方不明に?」

 まるで口を閉じようとも閉じれないかのように震わせ、耳と後頭部を手で掴んだ。

「それでね、教えて欲しいの。あの場所が一体どこなのか。なぜあの男性は一人であの場所へと行ったのか」

 風でゆらされる木々の音が一瞬大きくなった。藤島は息を整えるように目を閉じ鼻水を啜った。

「ごめんなさい、あれを撮った場所がどこだかは、誰もわからないんです。ただ……」甲高く鳴る校旗の金属部の音がやむと藤島はつづけた。

「あの男性は木山さんという方で、その木山さんはよくお一人で心霊スポットに行っていたそうです。周りからはそんな行為をよく馬鹿にされていました。姉の話しによると、木山さんは占い師のお婆さんに聞いたそうです」

 怪訝そうな声で飛鳥は聞いた。

「占い師のお婆さん?」

「はい。どこの占い師かは知りませんが、路上で占いをしているお婆さんだそうです。その方に木山さんは聞いたそうなんです。霊が確実に撮れる場所は知らないかと」

 藤島はスカートに飛んできた枯れ葉を指先で掴み、飛鳥の目を見ていった。

「その方は、笑いながらこう言ったみたいなんです。本当に危険なところはそこから少し外れていると」

 飛鳥は息が詰まったような声にもならない声をだした。夏帆と観てきた小さな画面から感じていた違和感の正体はこれだったのか。

「じゃあ、その木山さんはそれであの場所に……」

 藤島はゆっくりと頷いた。

「しかし、あの映像を周りの友人に持ってきた時から木山さんの様子はおかしかったそうです。目は虚ろで、何を聞いても曖昧な返事ばかりだったと姉は言っていました」指先で摘んでいた枯れ葉を藤島は離した。

「もしかして、夏帆の様子も?」

「うん。いなくなる前日から様子は変だったの。不気味な絵を描いたり、夏帆と話しているのに夏帆ではないような奇妙な感覚」

 藤島は身を乗り出すように距離を近づけ言った。

「その絵はあるのですか」

 飛鳥は胸ポケットにしまっていた絵を差し出すと、彼女は前髪を掻き分け震える手で慎重に絵を受けとった。

「間違いなく夏帆の絵です。美術部で一緒だった私にはわかります。でも、このような絵を夏帆は描かない……」

 涙が頬を流れるように伝い、絵の橋らしきところに一粒それは落ちた。

「私のせいだ。私があんなものを夏帆にわたしたから」

飛鳥は藤島の肩に手をおいて、力強くいった。

「藤島さんのせいではないよ。危険だとわかっていて観た私と夏帆の責任。安心して。必ずわたしが夏帆を見つけるから」

 涙を流し続ける彼女は言葉にもならない声で「ありがとうございます、わたしも」と呟いた。

「あと少ししか時間ないけれども、落としたネックレス探そうよ」

 できるだけ明るく努めていうと、藤島は徐々に泣きやみ歩きだす。飛鳥は先ほどの情報を整理するように頭の中で自問自答をしていた。すると、とつぜん藤島が唖然としたような声と共に固まった。

「どうしたの?」

 返事をすることなく藤島はその場に屈みこみ、何かを拾いあげ狼狽えたように言った。

「あ、ありました。落としたネックレスが」

 その言葉に飛鳥は五感をうばわれたかのような時が狂う感覚を憶えた。

「ありえません。だって私は今日ここにきておりません。本当に、ありえないんです」

 偶然なんてこの世にはない。全ては必然。

 母のぬくもりに寄りそい見上げた月が満ちた冬の空。大気の濃度が薄くなった無の匂いと言葉が飛鳥の記憶に蘇った。




 



 








 

 

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