祠
「ではでは、早速みましょうか」
あれから放課後、飛鳥は夏帆の自宅にいた。
暗い部屋の中でテレビの画面だけが青白く光っている。
夏帆は興奮した顔を隠しきれない表情で飛鳥に目をおくると、ゲーム機の中にビデオをそっと吸い込ませた。
いよいよ始まる。そう思うと心臓の鼓動が急に早まるのを飛鳥は感じた。
「ん?画面が真っ暗だぞ」
夏帆が不思議そうに画面に顔を寄せる。
「大丈夫。もう始まるよ」
「え?」
夏帆が自分の方に振り返ると同時に、映像に変化が現れた。
宵の口、林の中を急ぎ足で歩く人。
ザ、ザ、ザと枯葉を踏みつける音と焦りを滲ませた男性の小言が聞こえてくる。
時折、何かに突然声を掛けられたように左右、後ろへ振り向き手ブレが酷い。
男性の歩みが止まった。辺りは静寂に包まれ画面越しでも分かるほど空気が一変する。
「あの奥にあるもの何かな」
張り詰めた声で夏帆が呟いた。それが何であるのか飛鳥には視えていたけれど答えることが出来ない。額の中心に鈍痛のようなものが広がっていたからだ。
徐々にそして慎重に歩を進めるその足音は、男性の緊張感がこちらにまで冷たく伝わってくる。
「何でだよ」絶望を纏った男性の声。
きっとこれを見て発した言葉であるに違いないとおもった。
「祠…」
夏帆の声は震えていた。奥にあったもの、それは古びた小さな祠であったが飛鳥には画面を覆い尽くすほどに大きく感じていた。異質なまでのオーラがそこにはあった。
カメラが左を捉える。そこには林しか映っていない。だが飛鳥は直ぐに異変に気づいた。すぐ側に誰かがいる。
予想通りとも言うべきか、飛鳥が感じていた位置から薄く黒いモヤが浮かび上がる。やがてそれは人のような形を成し、私達を見ていた。
画面が激しく揺れ、映像はそこで途切れた。
「ごめん飛鳥、ちょっと吐きそう。トイレ行ってくる」
「大丈夫? 気にやられたのかも。一人でいけそう?」
右の掌をこちらに向け大丈夫だと合図をしているが、左手は口元を押さえており表情は少し苦しそうだった。
一人になった部屋で飛鳥は先ほど観た映像を思い返していた。
あの祠は何だったのか、どこにあるのか、そもそも何故、男性はあの祠の場所を知っていたのか。
謎が多過ぎるばかりであった。
程なくして夏帆が部屋に戻ってきた。顔は少し青白く辛そうである。
夏帆をベットに横になるよう促し、持っていた機能色ゼリーを渡した。
「今日はこれを飲んでよく寝るように。くれぐれもさっき見たビデオをまた見るなんて馬鹿なことしたらいけないからね」
「わかってるよ。あんな危険な物もう二度と見たくないに決まってるでしょ。いつもは私が飛鳥の面倒を見てあげてるのにね」
そう言って笑う夏帆の顔を見て、安心するのと同時に一瞬どこか嫌な予感を覚えた。
「じゃあ今日はもう帰るね。また明日学校で……体調悪そうだったら学校無理したらだめだよ」
「うん。ありがとう飛鳥。今日つき合わせて悪かったね。また、明日ね」
帰り道、顔に触れる空気が冷たくきりつけ、飛鳥はマフラーで口元を隠した。
これから何か起こるような気がする。言いようのない畏れが飛鳥の胸を支配した。
三十分ほど歩くと飛鳥の自宅が見えてくる。家の中から漏れる灯りにともされたオートバイがおかえり、と出迎えてくれる。
「ただいま。週末走ろうね」
ドアを開くと飛鳥の父親が玄関にいた。どうやら今日は仕事が定時で終わったらしい。
「おかえり。寒かっただろ」
「ただいま。今日は早かったんだね。ご飯いまから作るから待ってて」
そう言うと、父がじっと飛鳥の顔を黙って見つめる。
「どうしたの?」
「いや……今日はそうだな。あそこのラーメンでも食べにいくか」
「え! 本当に!?」
京都の中では有名ではないかもしれないが、地元では隠れた名店のラーメン屋。母との思い出の店であり味だ。
父と並んで歩きながら飛鳥は突然フッと笑みをこぼした。
「どうした?」
父がこちらを向きながら不思議そうに聞いてくる。
「お母さんとのこと思い出してさ。よくお母さん、剣道の稽古の帰り道で険しい顔になってさ。どうしたの?って聞くとラーメン食いにいくよって言いだして」
お腹が空くとわかりやすいくらい顔にでる母の顔が鮮明に浮かび、先ほどまであった怖さが柔らいでいた。
「ああ。それで飛鳥はお腹一杯で晩御飯たべれないのに、お母さんは俺より食べてたもんなあ。剣道しているとはいえ、それであのスタイルを維持するのは反則だよ」
遠い目で懐かしそうにする父。その声には幸せと悲しみの音が入り混ざっていた。
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