いつの日かきっと

「はーい。それでは皆今日も頑張るようにー。先生は親知らずを抜いて痛いからボチボチ頑張ります」

 飛鳥のクラスの担任である山口藤男が、楽観した口調でいつものように朝礼を済ませる。それを聞いて突っ込みを入れる男子や女子の一部。いつもの光景であった。

 しかし、今日はひとつ違うことがある。

「あっ、大友は今日は体調不良でお休みだから。皆も寒いから風邪には気をつけるように」

 そう、夏帆が教室にいないのである。昨日のこともあり心配な上、嫌な予感も付き纏っている。

 飛鳥はメールを送り返事が来るのを待った。

 授業中、何度も机の下で既読がついているかの確認をしたが、それさえもない。遂には昼休みになろうとも変わりはなかった。

 昨日から続く嫌な予感は飛鳥の気力を削がせ昼食を取るきにもさせない。

 賑やかな教室の声にも疲れ、飛鳥はひとり屋上へと向かった。

 錆びた扉に続く階段は埃くさく、あまり誰も近づきたがらない。ましてやこの冬の寒さである。自分以外の人が居るはずはない、と飛鳥は扉を開けた。

 だが珍しくも飛鳥の勘が外れた。

 扉の真っ直ぐ伸びた先、太陽を遮る薄い雲を眺める女の後ろ姿がそこにはあった。音に気づいたのか女が振り返る。

「水無瀬さん」

 飛鳥は気圧されたように声を落とすと、水無瀬祈吏ミナセイノリ、彼女を初めて見たときのことを思い出した。

 花飾りをつけた生徒が保護者と並んで帰っていくなか、ひとり廊下の隅で本を読んでいた儚げな姿を。それは存在感の有と無、両極を持ち合わせた矛盾さがあった。

 それから飛鳥は祈吏のことをどこか気に掛けていた。それは彼女の雰囲気だけがそうさせたのではない。ずっと昔、何処かで出会ったことがある、そう根拠のない曖昧なものを感じていたからだ。

 だが、他を寄せつけない彼女は飛鳥の知る限りいつも一人だった。現に今も扉の前から一歩も動けない。あの全てを見透すかのような眼には美しさのなかに拒絶が見え隠れしている。

 飛鳥はその眼から離せないでいると、祈吏がこちらに向かって歩きだしてきた。艶のある長い黒髪をなびかせながら。

「あなた、何をみたの」

 祈史は飛鳥の間近に立つと、髪を耳にかけそう言った。

 温度を感じない冷たい声色と咄嗟の質問に混乱していると「なるほどね」飛鳥を見ていながら、どこか遠くをみつめるような眼で彼女は言った。

「その映像、早めに手放した方がいいわよ。と言っても私には関係のないことだけれど」

 頭の整理が追いつかない。飛鳥は激しく動揺しこめかみに手をやった、その時、祈吏の右肩に陽炎のような薄い焰が立つ。

 それは飛鳥の額の中心と同期するように互いに熱を増していき、やがて額が痛みを覚えると薄い焰は型を成した。

 流線を描く朱い胴体、鋭くも穏やかな眼光。

 朱赤の冠羽は絹糸のように細くヒカり、体表全体に気が覆っている。それはまるで、太陽が西の海に沈む色のようだった。

「朱雀」

 飛鳥は零れ落とすように口をひらき魅入った。

 小さな眼の奥、まるで吸い込まれる感覚に溺れかけていると、冷めた言葉がなげられ我にかえる。

「そこ通してもらえるかしら」

 飛鳥は「ごめんなさい」と狼狽えて扉の前をあけた。

 静かな足音を響かせ、扉の奥へと消えていく祈吏と朱雀の後ろ姿。その姿がみえなくなろうとも飛鳥は目を離さずに見続けた。

 

 

 

 

 

 




 

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