異変

 赤い服を着た小さな女の子。下を向いたまま歩く細身の男性。廊下を歩く生徒の顔を次から次へと覗き込む“何か”。

 今日はどういうわけか視えやすい日だ、と飛鳥は箒を片手に首を傾げた。

「おい、何をサボってる!!」

「うわっ……何だ莉緒かあ。もう変な声マネやめてよね」

 飛鳥が笑いながら肩を軽く叩くと、西野莉緒ニシノリオが大きな声で笑った。相変わらず顔に似合わず大阪のおばちゃんのような笑い方だ。

「あー、飛鳥の驚いた顔おもしろかった。ねえ今日さ、放課後カンテラに行かない? 実はあそこのパンケーキが食べたくて」

 莉緒は今にもよだれを垂らしそうな顔をして両腕をだらしなく下げた。

「ごめん、今日は夏帆のお見舞いに行こうと思ってさ。連絡しても返ってこなくて心配なんだ」

「え、大倉さん大丈夫なの?確かに連絡帰ってこないのは不安になるね……。じゃあまた今度にしよう! その時は大倉さんさえ良ければ三人で一緒に食べようよ」

 莉緒のこういった優しい一面が飛鳥は大好きだった。まるで無邪気な子どもようで心が癒される。

 学校が終わり、足早に正門を出て右に曲がり夏帆の家へと向かう。家から近いからと言った理由で選ぶほど夏帆の自宅は学校から近く、十分ほどで辿り着いた。

 インターホンを軽く押すと少し間が空いてから籠った声が向こうから届く。

「はい、大倉ですけど」

「こんにちは、宮路です。あの、夏帆さんのお見舞いに来まして」

「ああ! 飛鳥ちゃん。ありがとう、ちょっと待っててね」

 そう言ってすぐに玄関の扉が開き、夏帆の母が笑顔で迎え入れる。

 「飛鳥ちゃん、いらっしゃい! 取り敢えず寒いから中に入って」

 一階の居間に通され、美味しいケーキがあるからと夏帆の母はキッチンの方へ向かっていった。視線を考慮してつくられた間仕切り壁の向こうで戸棚の開く音がする。

 白の明るさを強調した壁に西洋の絵皿が飾られている。剣を右手に握り締め誇り高く佇む女性。

自信に満ちた表情に飛鳥は目を細めて眺めた。それはまるで母のようだった。

「飛鳥ちゃんどうぞ。ごめんね、コーヒー切らしてたのよ。紅茶で良かったかしら」

「ありがとうございます。紅茶嬉しいです。今日はなんだかそんな気分だったので」

 日光の光により色を変えた無垢材テーブルの上に、生クリームを添えたガトーショコラと紅茶が置かれ、優雅なカップから漂う香りは飛鳥の心をほどかした。

 飛鳥は紅茶を一口飲むと「あの、夏帆さんは体調が悪いんでしょうか」

 夏帆の母親は持っていたフォークをそっと置いて斜め上を見上げた。

「あの子、昨日の夜中からなんだか少し様子が変でね」

「変?」

「そうなのよ。深夜十二時過ぎぐらいだったかしら? 私がリビングで本を読んでたら、夏帆が急に階段から降りてきて、外に裸足のまま出かけようとしてたのよ」

 飛鳥の額に嫌な汗が浮かんでくる。

「私も慌てて止めたんだけれど、力が強いのよ。強引にでも行こうとするから頬を強めに叩いちゃった。そしたら急に我に帰ったように目を大きくしてね」

「私なんでここにいるの? って。最初は単に寝ぼけてたんだと思ったけど……」

 夏帆の母親は更に険しい顔つきになりながら

「一枚の紙が階段に落ちてたの。それもこれまた奇妙な絵でね」

 夏帆は絵が得意であった。中学の時は美術部でいくつもの賞を受賞していたことを友達から聞いたことがある。

「その絵を見ることは可能ですか」

 カップを口に当てたまま勿論というように眉を上げて、引き出しから一枚の紙を机の上に置いた。

 蛇かのようにうねりながら上へとつづく道、黒く塗りつぶされた看板、右の奥には橋らしきものがモノクロで描かれていた。

「あの子にしては珍しく不気味な絵を描いたなと思ってね」

 同感であった。まだ付き合いは短いが、今まで見てきた夏帆の絵の傾向ではない。

「夏帆さんは今寝てますか?」

「どうだろうね。でも飛鳥ちゃんが来たら喜んで出てくると思うわ」

 顔は笑っている。なのにどこか心配そうな目をしていると飛鳥は感じた。

 二階に上がり夏帆の部屋の前でノックをする。

「夏帆、大丈夫? お見舞いにきたよ」

 返事はない。寝ているのかと思ったがもう一度ノックをし夏帆の名を呼ぶ。

 中で動く音も聞こえず何の反応もない。これは寝ているのだ、と飛鳥は一階へと静かに歩こうとした時、部屋のドアが開く音がした。

「ごめん、飛鳥。ちょっと寝てた。良かったら中入ってよ」

 目を半開きで今にも眠ってしまいそうな表情。ドアから顔だけを出しコクコクと頷いている。

 部屋に入ると腐敗した異臭が漂う。しかし、それも一瞬でなくなりいつもの夏帆の部屋のアロマの匂いへと変わった。

「夏帆、ごめんね。無理に起こして」

悲しそうな目で飛鳥は言った。

「全然気にしないで。逆に寝過ぎて頭が痛かったぐらいだから起こしてくれて良かったよ」

微かに笑いながら夏帆はベットに腰を掛けた。顔色は蒼白く声は弱々しい。

「昨日よりもしんどそう。お母さんから聞いたよ、昨日出掛けようとしたこと」

「あっ、聞いたんだ。そうなんだ。実は私も気づいたら玄関の前にいてさ、私何してんだろうと思って……よく覚えてないんだ」

 虚ろな目で答える夏帆を見て、もしやと思いもしたが、そういった気配は感じられない。

「絵のこ、と……」

「ん、絵?」

「いや、ごめん何でもない」

 飛鳥は咄嗟に言うのをやめた。絵は絶対に見せてはいけない。頭の中でそう聞こえたからだ。

 それから、飛鳥は夏帆と何気ない会話をした。だけれど、違和感をずっと感じていた。夏帆と喋っているのに夏帆ではない他の誰かと喋っている。

 飛鳥の嫌な予感はより一層膨れ上がていった。

 






 


 





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