黒き炎
「ぐっう、ぁ……」
土に塗れた長い手が祈史の首を締め上げる。
ライトの灯りは小刻みにのたうち回り、苦しそうな表情を映しだす。
「水無瀬さん!」
首にめり込む、静脈が浮きでた手を剥がそうとするも指一本離れない。
「夏帆、夏帆! やめて、何してるの!」
何してるの。
いや本当はわかってる。
夏帆ではないことぐらい
もう、あの夏帆ではないことぐらい。
わかってる。だって。
「オマエ、ジャ、マ。ヒノ……カグ」
そいつは低く唸るような声で尚も締め上げ続け、徐々に祈史を上へと持ちあげていく。
祈史の命が危ない。
飛鳥は覚悟を決め、背後に回ると後頭部めがけて肘を回し打った。足から腰に、腰から上半身へ。全てが繋がるよう体重を乗せて打った。
「うっっ」というだらしない声を出し、抜けていくように夏帆は倒れ込む。
「水無瀬さん! 水無瀬さん!大丈夫!?」
腕から解き放たれた祈史は、失った息を取り返すかのように激しく呼吸した。
「良かった、良かっ……ごめんね。ごめんね」
涙を流し、震える手で祈史の手を強く握る。
すると、おぼつかない声で
「なんで、泣いてるの?」
祈吏の問いに、飛鳥の中から自然と溢れる言の葉。
「大切だから。今も変わらず」
その答えに、祈史は微笑んだように
「おかしな人ね。今もなんて。でも、どこかそれを解る自分がいることにも不思議」
身体をゆっくりと起こし立ち上がると
「星雲がなぜ、あなたを助けてほしいと伝えてきたか。それが少しだけ分かったような気がするわ」
祈史の穏やかな声。そんな声を聞いたのは初めての筈なのに、飛鳥の中で懐かしく、そして切ない感情が胸を締め付ける。
「お礼を言うわ。助けてくれたことに。そして星雲、あなたも。もう大丈夫よ」
祈吏は喉元に片手を添えると、後ろの首筋、ちょうど付け根辺りから伸びあがるように顕れた。
「え、いつの間に……」
「私と星雲は繋がってるから。首を掴まれた時には瞬時に、ね。お陰であの気持ちの悪い邪気が入らなかったわ」
飛鳥の前をぐるりと一周回り、星雲は主の肩へと戻った。
「夏帆は? 今は気絶してるけれど、もう……」
祈史が歩き出す。夏帆が倒れている逆の方向、祠に向かって。
「流石に勘がいいわね。不覚だった、そこまで根深く染み渡っているとはね。不思議に思わなかった? 私達の背後に近づくまで足音一つしなかったなんて」
律動する枯れ葉の踏みつけられる音。まるで自分に聴かせるかのように。
そう、確かにあの時、疑問を強く抱いた。
なぜ、いつの間に、夏帆が……。
一つの気配すらしなかったのに。
「消えて、また現れた」
信じられない、けれどこれしか考えられない。目を疑うような声で飛鳥は言った。
「数年前に受けた相談でこんなのがあったわ。オートバイで通勤中、いきなり首がそり返るほどの突風が吹いて、気づけば遠く離れた神社にいた。なんてことがね」
足を止め、振り返り、夏帆がいる辺りをじっと見つめる祈吏。
「それでどうなったの」
「どうもなかったわ。と言うよりも私達にも分からなかった。だって本人に異常もなければ、何か変わったことも起きてはいない。その後もね」
「でも、夏帆は……」寂しげな声で飛鳥は言葉を詰まらせる。
「そう。彼女は違う。何故ならここに居てここには居ない。矛盾した存在」
夏帆から感じた異和感、感覚。
触れたのに触れた気がしない。
まるで半分すり抜けたような、手応えのなさ。
でも、確実に接触している。奇怪なまでの心地の悪さ。
「彼女はおそらく魂と肉体が半分、次元の違うところにいる。そんな状態では運良く取り除けれたとしても、まともに生きてはいけない。よくて精神崩壊、もしくは消える」
祈吏は淡々とした口調で続ける。
「こんな事例は初めてだから断定は出来ない。でも、兄や父に言っても手の付けようがない、そう言うと思うわ。まあ、あれ等は次元とかは信じないけれども」
祈吏の口から発せられた、「あれ等」と言う言葉に一際冷たさが込められている、飛鳥にはそう感じた。
夏帆はもう助からない。助けることができなかった。
いや、何か方法はないのか。仮説通り、次元が違う所にいるのならば、そこから救い出すような手はないのか。
飛鳥は暗闇に倒れる夏帆の姿に涙を流した。無情な冷たい風が彼女に枯れ葉をかけていく。
「宮路さん、申し訳けないけどここまで着てくれる」
祠の前に立つ祈吏と星雲。
飛鳥は、こくりと小さく頷くと夏帆の元へと駆け寄った。
白い冬用のルームウェアには土がいたる所についている。
「寒かったよね」飛鳥は夏帆に優しく語りかけ、自分の着ているライダースを背中にそっと被せた。
祈吏の元に辿りつくと、飛鳥は目眩がしたように一瞬ふらついた。
映像で見た際も異質なまでのオーラを感じていたが、実際に目の前で対面するとその比ではない事を思い知らされた。
幾重の年月を重ねた石造りの祠。その祠には苔が厚くへばり付くように覆い、中から何かの虫が湧いて出てきそうである。
一体何の目的でこれを祀ったのか、あの大蛇なのか、それとも。
「さっきの大蛇はどこへ行ったのかな。あれから姿を現さないけど」
祈吏が飛鳥の顔を見て言った。
「気を伺ってるのでしょうね。私と星雲に勝てない、そう悟っているから、わざわざ彼女を使ってきたのよ」
微笑を浮かべ祈吏は地面へ指をさした。
「もう逃げれない」
親が子供を捕まえたような安らいだ声で彼女が言うと、祈吏の足裏から地面の中、四方八方へ遠く伸び広がっていく火の亀裂。
ぎぁああああああああ
うぁあああああああああ
金切り声の雄叫びが地面を震わせる。痛い、痛い、あつい、あつい、人の感情ではない苦しみが飛鳥の心に入り込み、両手で頭を抱え込む。
「こ……世に……こと…全て」
祈吏が飛鳥の背中と頭に手をあて何かを呟く。すると、聞き取れはしなかったものの先ほどまでの苦しみが嘘のように消え失せる。
不思議そうに飛鳥が顔をあげると
「あなたは少し修行が必要かもね。勿体無いわ」
「今度、ご指導お願いいたします」
その言葉に、ふふっと祈吏は微笑すると
「星雲、くるわよ」
高らかな鳴き声、星雲は再び発光すると、地面は沼の海にでもなったかのように大蛇が泳ぎはじめる。不意に出す巨大な顔は焼け爛れ、まるでその傷を冷ますかのように、また潜っては顔を出しを繰り返す。
「そうね、あれを潰しましょう……あの右の大きいのがいいわね」
誰と会話をしているのだろう、と飛鳥が隣に目をやった瞬間、星雲が炎の塵となり消える。
あぁああああああ!!
地の沼の海に小さくも強く鮮やかな焰が燃えさかる。
大蛇の頭を鷲掴み、二度と生えることを許さぬかのように、塵となるまで燃やし尽くした。その畏怖すら感じる焰の美しさに、飛鳥は目を奪われ見惚れた。
「これでお終い」
祈吏が胸の前で印を三つほど組み、囁くように何かを唱えはじめた。
その聞いたこともない言葉と声は、飛鳥の毛を逆立たせ、全身に鳥肌を広がらせる。
呪い、呪詛、あるいは黄泉の世界の言葉。
ぎゃぁああああああああ!!!
本当の死に恐怖し慄いた雄叫び。
大蛇は地面から強制的に引き剥がされ、中空へと浮きあがる。
首元を締め付けるように巻かれた、縄状の黒い炎。
黒い縄は三つの頭を結びつけるように繋がり、それは大蛇の頭上より高くで一つになっていた。
あれは何だ。あの頭上にあるのは何だ。
みえない、見えない、視えない、ミテハイケナイ。
飛鳥ぁあああああ!!!
おねがぁあぁあいいい!!
たすけぇ、てぇええぇぇえ。
夏帆の声が響き渡り、飛鳥は一瞬呼吸を忘れた。下で横たわる彼女を確認し、自分に一言いい聞かせる。あれは夏帆ではない。
「
この最後の一言。この言葉だけは明瞭に飛鳥の耳へと届いた。言い知れぬ恐ろしさと共に。飛鳥は瞼を塞いだ。
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