第三の眼

 父を見送ったあと、飛鳥はすぐさま学校へと電話をかけた。理由は熱があると嘘をいった。入学してから初めての欠席だった。

 制服から冬用のジーンズとライダースに着替える。誕生日に父から貰ったマックスフリッツのジーンズ。冬には欠かせないアイテムだ。

マットブラックにスモークシールドのフルフェイスと革製のグローブ、そして小さなお守り袋のついた鍵を手に取り家をでる。

 「今日はよろしくね。もしかしたら長くなるかもしれない」

飛鳥はタンクに優しく手をおき語りかけた。XSR125、今年の春の誕生日に中型免許を取得し、その日に乗りはじめた大切な相棒である。父の弟である叔父から譲りうけ、その独特のデザインに程よい馬力と軽さ、そこに飛鳥はほれていた。

 バイクに跨り直立状態にしてエンジンを掛ける。目を閉じてフーと深く息を吐いていく。飛鳥の勝手にできた決まりごとのようなものだった。

 一速に入れアクセルをほんの少し開けながら、クラッチを丁寧に繋いでいく。そのまま三十キロほどので速さで住宅地を抜けていった。

 最初に行くあては決まっていた。夏帆の家、そう夏帆の母親に会いに行かなければならない。あの絵が唯一の手掛かりだと飛鳥は思っていた。

 飛鳥の自宅から夏帆の家までは、徒歩なら三十分ほどは掛かるが、バイクで行くとやはり速かった。改めてバイクの機動性に飛鳥は感心した。

 インターホンを押すと、昨日とは違いそのまま玄関の扉が開いた。

「飛鳥ちゃん……」

 昨日見た時とは違い、夏帆の母親の顔は憂鬱な影を落としていた。

「あの、父から夏帆さんがいなくなったと聞きました。正直、どこにいるかも私には分かりません。でも、夏帆さんを探したいんです」

 夏帆の母親は、目に涙をうっすらと浮かべ口元を緩めた。

「ありがとう、飛鳥ちゃん。一昨日のこともあってそれが心配でね。何かあったんじゃないかって」

 飛鳥は黙って小さく二回ほど頷いた。

「それでお母さんにお願いがあって。昨日みせてくださったあの絵を私に預けていただけないでしょうか」

 少し不意をつかれたような驚いた顔をみせたが、すぐに「わかったわ」と神妙な面持ちで言った。

 絵を受けとると夏帆の母親が飛鳥の頭をやさしくひと撫でした。

「ありがとうね。何かあれば私からも連絡するから、連絡先教えて。オートバイ十分気をつけるのよ」

 やはり夏帆のお母さんは、やさしい人だ。はじめて見た瞬間からわかっていた。飛鳥にはみえていた。


 今日もあいかわらず混みあっている市内をぬけ、鴨川の河川敷にバイクをとめる。立ったままバイクシートに腰をかけ、先ほど預かった絵を再度確認した。

 夏帆が家から飛び出そうとした一昨日の夜、その時にこの絵が階段に落ちていた。ともすれば、この絵を持って飛び出そうとした可能性は十分高い。夏帆はこの絵の場所に行こうとしたのではないか。いや、もしくは。

 (できるか分からないけど……試してみようか)

 飛鳥が7歳だったころ、よく母と一緒に勝負をしていたことがる。それは緻密に組み立てられた絵の中に潜むものを先に見つけること。人や動物や物、お題は様々だった。母は異常にこの手のものが強く、なぜそこまで見つけるのが早いのか母に聞いたことがあった。

「いい? 額に意識を集中して内なる自分に委ねるのよ。簡単でしょ?」

 当時は何をいっているのかさっぱり分からなかった。わかったのは、母は教え方がへただということだけだった。

 でも、今ならほんの少し理解ができるような気がした。

 飛鳥は当時の思い出を噛み締めるように目を閉じた。

 両手で絵を持ち、額の中心に意識を集中させていく。ただ深く今はそれだけに。すると、しだいに額は熱を帯びるように熱くなり周りの音が消えゆくように薄まっていく。

 いい集中力だと飛鳥は俯瞰的に自分を観察していた。

 もっとだ。さらに、さらに深く、沈んで。

 絵から伝わる波動を耳で、触れている手と絵を同化し、自分と絵の境界をなくしていくように。

 飛鳥の眼裏に女性と思しき白いシルエットが浮かびあがる。それは次第に鮮明になり完全にはっきりと写るまで時間は掛からなかった。

 ショートヘア、口元の下にあるホクロ、左右で若干開きの違う目。飛鳥はすぐにその人物が誰なのか理解した。

「宮高の……夏帆の地元の友達」

 唇にひとさし指の第二関節をあて思考をめぐらしていく。そういえば、夏帆はあの時こういっていた。「地元の友達の姉の友人」だと。その地元の友達とは今浮かびあがってきた人物のことではないのか。確か名前は藤島友梨、宮ヶ尾高校に通う同じ一年生だ。飛鳥は一度、夏帆とそして藤島とともに市内の有名なカフェで話しをしたことがあった。

 しかし、ここで大きな疑念が飛鳥に降りかかる。

(なぜ、どうして、あの時、夏帆は……放課後まで待てないな)

 胸ポケットから携帯を取り出し、時刻を確認すると九時十二分。ここから宮ヶ尾高校までバイクでも三十分ほどはかかる。もし何かあのビデオのことや夏帆のことを知っているならば、ある程度の時間はほしい。ならば昼休みが一番だろうと飛鳥は考えた。問題はそれまで何をするかなのだが、飛鳥のなかで一つ気掛かりなことがあった。

「水無瀬さんに聞けば何かわかるかもしれない」

 あの全てを見透したと言わんばかりの目、雰囲気、言葉。

 陽に照らされ溢れんばかりに輝く川面、その上に昨日の彼女の姿が映しだされる。答えてくれるかはわからない。でも、何が何でも夏帆のことを助けなくてはいけない。

 飛鳥は携帯を取りだし、西野莉緒にメールを送った。

 連絡の内容は、今日は学校を休んでいること、そして莉緒と同じクラスである祈史に伝えて欲しいことがある、その二つであった。

 送って三秒も立たずして既読がついた。中学の頃、授業中にいくどとなく漫画を没収されていた莉緒の姿を思い出した。

《飛鳥が休みなんてめずらしくない!? 大丈夫かな? いや大丈夫だな。男か、男だろ。いつの間にできた!》

《飛鳥はモテるもんねえ……この裏切りもの! み、水無瀬さんになな何てお聞きすればよろしいのでしょうか……》

 莉緒らしいいつもの言葉に、飛鳥はその日初めてクスリと笑った。

 わけあって仮病を使ったこと、男ではないこと、祈史に伝えてほしい内容を送る。すると今にも病院に運ばれそうな血の気の引いたウサギのスタンプで、了解したと返事がきた。

 おそらく祈史のことでこんなスタンプになったのだと飛鳥は推測した。

 苦手なのだろう、申し訳けないと思いお礼にケーキをご馳走すると返すと、先ほどの死にかけのウサギから頭に輪っかをつけ笑顔で天に昇るウサギへと変貌した。突っ込みどころが満載だと飛鳥はまた笑った。

 一限目が終わった時刻から五分ほどすると莉緒から電話がかかってきた。

「飛鳥ー、ついさっき水無瀬さんにいったよ。そしたらね。『何を聞きたいかはわかっているわ。でも私には関係ない。それは自業自得でしょ』だってさ。何いってるのかさっぱりわからなかったけど」

 やはりというべきか、予想通りの反応だ。しかし同時に確かな答えも得ることができた。

 彼女は視えている。確実に、視えている。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る