それはあなた次第

(だめだ、全然わからない。どこの橋なんだろう)

飛鳥はため息をつきながら、テーブルに右肘をついて顔を覆うと、左手に持っていたスマホから手を離し左横の窓ガラスから見える景色をぼんやりと眺めた。

 すでに白とは呼べないほど薄く濁ったチャペルと書かれた看板が大きく目に入る。支柱は塗装が裂けるように剥がれ至るところに錆が見えた。

 この店の名前はチャペルなのかと、嫌な連想から逃げるように無意識のうちに思考を他へむけた。時刻は四時二八分だった。

 藤島から話を聞いたあと、飛鳥は近くの喫茶店に入った。あれから約三時間。「京都、心霊スポット、橋」と検索し、まるで何かの研究者かのように没頭し調べつくした。

 だが、絵に類似するところはどこにもなかった。

 レザー素材のソファに両手をつき胸をそらすように伸ばすと、飛鳥は今日あったことを思い返した。

 母が教えてくれた額への集中、あるはずのない落とし物、そしてあの蜃気楼のように淡く輝く馬。あの馬はどこからきたのだろうか。なぜ自分に教えてくれたのだろうか。よくよく考えてみれば、あの学校の敷地内のなかで一人も出あわずに藤島の元へと辿りつけたのも不可思議だったかもしれない。

 一口も手をつけていなかったコーヒーを口に運ぶ。とうの前に冷めたコーヒーの苦味は飛鳥を現実へと一瞬で引き戻させた。夏帆を一刻も早く見つけださなければならない。しかし、厄介なのはこの場所の手掛かりが絵と京都の心霊スポットの近くだけだということ。

 あまりにも情報が少なすぎるうえ、この絵が正しいという確証もない。

 先ほどから本質から外れているような気持ちにさせられるのは焦りからなのか。額への集中で視ようと再度試みてはいたが、何の反応もなかった。

(もう祈史さんしかいない。それ以外方法がない。けど……)

 自業自得でしょ。莉緒から伝えられた祈史の言葉が胸に深くつき刺さる。本当にその通りだ。

 飛鳥は心霊スポットに自ら好んで行く人らが全く理解できなかった。わざわざ不幸になりたいといっているようなものなうえ、そこにいる霊に対しても冒涜以外の何者でもない。そう思っていた。

 しかし、それは好んで観るのも一緒なのではないか、いや実際にそうだ。あの時、自分は嫌な予感を感じていながらそれを無視した。そう、警告を無視したのだ。もしかしたら祈史はそのことも分かっていて、あのように言ったのかもしれない。助けてほしいだなんて虫が良すぎだ。飛鳥は歯を噛みめてから自分の頬を両手で強く叩いた。

「よし。もう一度ためしてみよう」額への集中。できるまでやるだけだ。

 目を閉じ五感を研ぎ澄ませようとしていると、スマホが小刻みに揺れる音がした。画面を見ると父からだった。

《お疲れさま。今日は遅くなるか? もしそうなら、飛鳥がおすすめしていたハンバーグ屋に行きたいんだが。なんて名前だったかな》

 飛鳥は申しけなさそうな顔を画面に向けて返信をした。

《ごめん、今日は遅くなる。シャムタララっていうお店だよ。でも今日は金曜日でかなり混んでると思うから、もうひとつ洋食屋みさはなっていうお店があるからそこにした方がいいかも?》

《ならそこに行こう! あすか、遅くなるのは全く構わないが十分気をつけるように。何かあったらいつでもすぐに連絡してこい》

 広げていた指を中に閉じ込めるように握りしめ飛鳥は小さく微笑んだ。昔から父は自分がすることに口を挟むような人ではなく、何歩か引いたところで見守って尊重してくれた。可愛い子には旅をさせるぐらいが丁度いいというのが、結婚した当初の口癖だったと母がいっていた。

 飛鳥はしばらく画面を眺めていた。ただ何を考えるでもなく先ほどの父とのやりとりを呆然と。画面が消えそうになれば指で阻止する。その繰り返しだった。

 次に頭の中で文を読んだ。それはほとんどの人間がする無意識の行為なのかもしれない。しかし、飛鳥はこれが普通ではないことを徐々に感じとっていた。

(……みさはなっていうお店があるからそこにした方がいいかも……ならそこに行こう。あすか、遅くなるのは全く構わないが……)

 この部分になぜだか言葉が詰まってしまう。いや詰まるというよりも引っかかると言うのが正しいか。もう一度ゆっくり言葉をなぞるように読んでいく。

(みさはなっていうお店……があるからそこにした方がいいかも……なら、ならそこに……行こう)

 瞳孔が多くの光を取り囲んだかのように飛鳥の視界は開けた。握りしめていた携帯を顔に近づけ画面をつよく指で叩いていく。この自分の答えが当たっていたとすれば、ただでは済まないかもしれない。心臓の音が耳にとどき飛鳥は何度も唾を飲みこんだ。

「あった……これだ」

 血の気が引くようにして出た言葉に、食べ終えた食器を持つウェイターが「え?」と戸惑った声と表情を向けた。それに対して飛鳥は硬直した顔のままで頭を軽く下げたる。ウェイターはにっこりとした表情で「ごゆっくり」そう一言残しカウンターへと戻っていった。

 外を見ると陽は沈み街灯の灯りが寂しくともっていた。ここから目的地まで一時間四十分ほど。高速を使いたいが如何せん排気量の問題で無理である。下道で行くしかないと腹を決め店をでた。

 携帯をバイクのホルダーに取り付け充電を差し込み、目的地を設定すると飛鳥はクラッチをいつもより早く繋ぎ走りはじめた。

 鞍乃街道を走り抜け国道一号を進んでいくと、派手にライトで照らされたショッピングモールが見える。夏帆の屈託のない笑顔が遠くない記憶の中から思い起こされた。

 入学して一番最初に友達になったのが夏帆だった。人見知りの飛鳥とは正反対の誰とでも分け隔てなく話す彼女を見て、心底尊敬し同時に羨まくもあった。自分にはないものを持っている。だからこそ親友になれたのかもしれない。夏帆もそんなことを言っていた。

 視界の下で違和感を感じた。見ると携帯の画面はナビの案内から着信画面へと変わっており、それは知らない番号からだった。登録もしていない電話番号なら飛鳥はでないと決めていた。

 理由は二つある。一つはただ単純に怪しいからといった飛鳥の思い込み。そしてもう一つは、知らない番号からかかってきたり着信履歴があると何とも言えない恐怖や拒否反応があったからだ。それは幼い頃のトラウマが原因だと飛鳥は推察していた。

 しかし、なぜか今回ばかりは取らなければならないと飛鳥は感じていた。まるで月の引力で引き寄せられるかのように。

 ガソリンの補給も兼ねて飛鳥は近くに見えたセルフスタンドへと入った。

 補給し終えると飛鳥はバイクを壁の端に寄せ電話を掛けなおした。呼び出し音が三回鳴る。四回目に入ろうとした時に電話は繋がった。飛鳥は慎重に声をだした。

「もしもし」

「もしもし。水無瀬ですけど」

 気のない声が受話口から流れこむように聞こえる。

「み、水無瀬さん? あ、え、えっと……」

「西野さんに一応お電話番号を聞いてたの。ただ、気を持たせたらいけないから宮路さんには、了承も教えたことも言わないで欲しいという条件で」

 飛鳥は顎に人差し指をあて道路に行き交う車を見ながら言った。

「ありがとう、水無瀬さん。でもなぜ電話を?」

「なぜって、宮路さんから話したいことがあったんでしょ。ところで、今どちらにいるの」

「いまは京都の市内。これから奈良に向かうところで」

 祈吏は見込みどおりといったような声で「やっぱり」そう言った。

「奈良のどこか教えていただける? 私も今からそちらへ向かうから」

「え、水無瀬さん来てくるの! で、でもこれから向かうところは……」

 飛鳥は動揺と驚きで姿勢を正すように背筋を伸ばした。

「わかってるわ。彼女を探すんでしょ。でもあなた一人で行って何とかなる場所なの? 無理よ、だって星雲せいうんがいってるんだもの」

「星雲……」

「視えてたんでしょ。私の傍にいた朱雀を」

 祈史の抑揚を欠けさせた声が、飛鳥に昨日の光景を与えさせる。

「式神……」

 まるで誰かが自分の口を借りたかのように飛鳥は低く小さな声で言った。

「そう。式神。だから無理なの。あなたを助けてあげてほしいということは、あなた一人では手に負えないということ。視えると祓えるは別だから」

 飛鳥は何かを考えるように間をあけて覚悟を決めたように言った。

「奈良の黒薙橋。多分、私の答えではその近くにある山の祠、そこに夏帆はいると思うの」

「黒薙橋……わかったわ。宮路さん、先に着くだろうから待ってて貰える?」

「うん。必ず待ってる。水無瀬さん……その、本当に有り難うございます」

 飛鳥は今は見えない祈史に向かって頭を下げて言った。

「まだ終わってないでしょ。もうすぐに出るわ」

 祈史の口が微笑に滲んでいる。そんな彼女の姿が飛鳥にはみえたような気がした。


 


 

 


 


 

 

 

 





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る