第17話 リッパー
その頃、初見達は町の北にある諸見山を車で登っていた。
阿久津の力を高めるには生き物の力が必要だ。しかし、町中では生き物のほとんどは人で、彼らから力を吸い上げるわけにはいかなかった。だから植物の生い茂る山を選んだのだ。
助手席に座る阿久津の表情は固い。力を使いたくない。言葉に出さなくても、初見には嫌というほど伝わってきた。
ヘアピンカーブを幾度と無く曲がり、車の正面に町を捉えた瞬間だった。
「……ん? な!」
妙なものが初見の視界に映り、反射的に初見は急ブレーキをかけた。車はガラスを引っ掻いたような甲高いブレーキ音を立て、道にべったりと黒いブレーキ跡を残して止まる。
初見は車から転げ落ちるように飛び出すと、ガードレールからめいっぱい身を乗り出して、異形の物を確認した。
初見の趣味の真っ赤なペイント。球体の頭から伸びる砲身。八つの足を巧みに操作して疾走する姿。間違い無い。倉庫の地下にあるOCT―08カスタムだ。
「あ、の二人!」
初見はすぐにタコハチに通信を試みた。三回のコールの後に電話が繋がる。初見の携帯に草間と香坂が映し出された。
『はい』
「今から反転してさっさと逃げな! なに立ち向かおうとしてるんだ、この馬鹿ども!」
初見はこれでもかとドスを効かし、草間達を罵倒した。しかし、二人は僅かも物怖じした様子を見せなかった。
『お断りします。俺達は逃げません』
「草間! あんたはリッパーの恐ろしさを知ってるでしょう! カスタムチューンしたタコハチでも、単機じゃリッパーには絶対敵わない!」
『分かってます。だから俺達は囮になります。町の人達が逃げる時間を、そして所長達の準備の時間を稼ぐために!』
「そんな事頼んじゃいない! 逃げろ!」
『逃げません!』
草間と香坂が同時に反発した。声を聞くだけで分かる。二人の意思はあまりに硬く、どうやってもこちらの言う事を聞いてくれそうにない。
「……馬鹿だよ、あんた達」
『今さら何言ってるんですか、はーさん。昔からわかってた事じゃないですかー』
「そうね、本当にそう。うちの事務所の社員は、皆馬鹿ばっかよ」
草間は自分の信念を意地でも貫き通す馬鹿。香坂はいつも自分のやりたいようにやる馬鹿。阿久津は子供みたいな馬鹿。そして初見も贖罪したいと思いつつ、どうしても大きく踏み出せなかった馬鹿。何だかおかしくて、ふっと笑みが零れた。
もうこの二人に何を言っても無駄だ。そう悟った初見は覚悟を決めた。
「草間、香坂」
『はい!』
「リッパーが現れてから、一〇分だけ時間を稼いで。後は必ず私達が何とかするから。危なくなったら今度こそ逃げなさい」
『分かりました!』
「絶対に無茶はしないで。頼んだわよ、二人とも」
初見は通信を切った。
草間達には一刻も早くここから逃げて欲しい。そう思っているはずなのに、一方で二人がとても頼もしく思えている自分がいた。どちらが本当なんてない。きっと両方初見の本心なのだ。
「はつみ……」
いつの間にか、阿久津が初見の後ろに立っていた。途中から今の会話を聞いていたのだろう。初見は阿久津の隣に立ち、疾走するタコハチを指差した。
「あれにね、草間と香坂が乗ってるの。私達の為に時間を稼いでくれるんだって」
「え?」
瞬間、阿久津の表情がより一層曇ったが、初見はその変化に気付く事が出来なかった。
突如、今まで聞いた事のない鳴き声が町中に響き渡った。花火のように全身を震えさせるほどの衝撃は、咆哮と言ってもいい。見れば、次元穴の中から、巨大な白い物が徐々に這い出していた。
「リッパー……。行きましょう。早く頂上に着かないと」
初見は阿久津の手を引き車に戻る。この時、阿久津の心の中で激しい葛藤が起きていた事を、初見は知る由もなかった。
◇
「やっぱり怒られちゃいましたねー」
「はは、覚悟の上だ」
初見との通信が切れ、二人は軽口を叩き合う。これから死ぬかもしれない戦いに向かっているのに、二人はとてもリラックスしていた。といっても緊張感が無い訳ではなく、適度に気は張っている。まさに最高の精神状態と言えた。
草間はコンソールを操作して、通信を自動接続に変えた。戦闘になれば、一々取っていられないからだ。
突然、くぐもった声が操縦室内に聞こえてきた。外部音声は拾っていないので、遮音性の高いタコハチの分厚い装甲を伝わってきた事になる。凄まじい大声だったに違いない。
「くーちゃん!」
「ああ、ようやくのお出ましだ……!」
タコハチのモニタに捉えている次元穴。そこから何か白いものはずるりずるりと這い出している。草間が何度も夢に見たその姿、リッパーだ。タコハチは進行を止め、リッパーの動向をうかがった。
より一層巨大な鳴き声が聞こえると、リッパーは六枚の羽を広げて次元穴から飛び立った。このまま飛ばれては、町に侵入を許してしまう。
「お前の相手は俺達だ!」
草間はリッパーの進行方向に標準を合わせ、一五〇mm口径の主砲を発射した。砲弾はリッパーの進行方向のかなり前に飛んでいき当たらなかったが、それで十分だった。これでリッパーに敵対する者がここにいると知らしめられる。
草間の狙い通り、リッパーは進行を止め、こちらに向き直った。そしてミサイルのようなスピードで突っ込んでくる。
「香坂!」
「分かってます!」
タコハチが全速で後退する。無理に戦う必要など無い。時間まで生き残ればこちらの勝ちなのだから。
先程までタコハチの居た場所にリッパーが降り立った。両手に付いた巨大な鎌はカマキリのようだが、体付きはむしろ人間のようでもあり、頭には後ろまで裂けた巨大な口と、真っ赤な三つの目が付いている。不気味なほど真っ白の全身と相まって、相対する者全てに嫌悪感を与える。
幸いなことに、戦いの場となったのは、以前猫探しの現場となった開発第三区だった。ここなら、町に大きな被害を出す事無く戦える。
「香坂。リッパーの主な武器は両手の鎌と、目から発射されるレーザーだ。絶対に接近戦だけは許すな。捕らえられたら最後と思え」
「了解ですー」
リッパーはこちらの出方を伺っているようだった。かなり警戒されているらしいが、それはこちらにとって好都合。危険な存在と思わせられれば、相手はこちらを放っておく事は出来ない。
リッパーが羽を動かし始めた様子を、草間は見逃さなかった。
「来るぞ!」
リッパーの体がふわりと宙に浮き、地面スレスレで滑空し、こちらに向かって突撃してきた。草間はすぐに砲身の照準を合わし、三発続けざまに主砲を発射した。しかし、リッパーは巧みに軌道を変え、砲弾はかすりもせずに、リッパーの背後へ虚しく飛んでいく。
タコハチがリッパーの軌跡と直角になるように走り出した。後ろに逃げても速度の差で追い付かれる。左右に逃げてしまうと町への接近を許す事になるが、この場合は仕方ない。
(接近戦が出来ないのが、ここまで不利に働くとはな)
草間の顔が苦虫を噛み潰したように歪む。相手の進路を止められないのでは、囮になるのは非常に厳しい。
タコハチの脇をリッパーがすり抜けた。鎌の切っ先が僅かに足の一本に引っかかり、装甲が容易く切り裂かれた。しかし表面だけのようで、使用には全く問題ない。
「追いかけます!」
向きを反転させ、タコハチがリッパーを追いかける。しかし、速度の差は歴然で、このままでは距離は開く一方だ。
主砲ではまた簡単にかわされてしまう。そこで、草間はミサイルを発射しようとしていた。複数の円がモニターの中をせわしなく動きまわり、やがて全てが一つに交わる。
「……ロックオン。いけえ!」
タコハチの背部ハッチが一斉に開き、六本のミサイルが上空に飛んでいく。ある程度の高度まで上昇すると、急旋回してリッパーに襲いかかった。
リッパーは自らに近付くミサイルに気付いたようだ。低空から急上昇して空に舞い上がり、奇天烈な軌跡を描いてミサイルをかわしていく。しかしミサイルの誘導性能は高く、何度かわしてもまた方向転換してリッパーに迫る。リッパーとミサイルの根競べだ。
だがその時、リッパーは鎌を振り上げて、何も無い場所を切り裂いた。すると、そこから真っ黒な空間が発生し、ミサイルを次から次へと吸い込んでいく。
「な、何が起きたんですか!」
「空間を切り裂いたんだ。あれがあるから、奴には攻撃が届かない」
リッパーの鎌は何でも両断する。物体はもちろん、空間だって切り裂ける。穴はやがて塞がるが、それまでありとあらゆるものが吸い込まれてしまう。不意を突かない限り、リッパーに攻撃は届かないのだ。
今の攻撃で、リッパーは完全にこちらを敵と認識したようだ。赤かった目はさらに色味を増して燃え上がり、歯を剥き出しにしてこちらを睨み付けている。
「すっごい熱い視線を向けられてますねー」
「願ったりじゃないか。さあ来い! お前の敵は俺達だ!」
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