第6話 幽霊

 事務所を出た三人は、初見の車で依頼主の元へ向かっていた。運転席にはもちろん初見が、後部座席には香坂と阿久津が並んで座っている。

 しばらく無言だった車内だったが、香坂がおずおずと切り出した。


「あの、はーさん。くーちゃんの事なんですけど……」


「今日一日、ゆっくり休ませてあげよう。あの様子じゃ、ほとんど眠れてないみたいだから」


 誰の目から見ても、草間の体調が異常に思わしくないのは明らかだった。だから、初見は草間一人を事務所に残したのだ。今頃、誰もいなくなった事務所で休んでいるはずだった。

 初見は少し乱暴にハンドルを切る。バックミラーには、必死に倒れないよう、踏ん張っている二人の姿が見えた。自分がちょっとだけいらついている事に気付き、一息だけ大きく息を吐いて、心を落ち着かせる。


「でもくーちゃん、どうしちゃったんでしょう? あんな様子見た事ないです」


「ごめん、私が草間に余計な事を言ったの。本当に浅はかだった」


「余計な事?」


 香坂の問い掛けに、初見は答えようとはしなかった。

 自分の軽率さに腹が立つ。あんな事を言えば、草間が思い出す事は考えられたはずなのに。今からでも事務所に帰って、草間に謝りたい気分だった。


「……全く。何で私はこう、いつもいつも後先を考えないのかね」


 ぼそりと呟き、自嘲気味に笑う。鬱憤を晴らすようにアクセルペダルを踏み込み、クリムゾンレッドのセダンが、アスファルトの上を軽快に疾走した。



 車で一時間ほど走って着いたのは、町の南の外れにある、一件の住宅の前だった。作りは至って普通の一戸建てで、取り立てて何かがあるようには見えない。

 その前に、角刈り頭の中年男性が待っていた。初見は車から降りて、男性に頭を下げる。


「こんにちは、御手洗さん。この度は私事でお待たせしてしまい、すみませんでした」


「いえいえ。こうして来て下さったんですから、気になさらないでください」


 御手洗は大仰に手を振って、にこやかに初見に笑いかけた。

 御手洗は不動産屋の社長で、ちょくちょくワケありの物件を購入しては、初見に除霊を依頼していた。いわゆるお得意さん、というやつだ。


「どうもみーさん、ご無沙汰してますー」


「お久しぶりです、香坂さん。おや、そちらの方は初めてですね。どうも、わたくし御手洗信也と申します」


 御手洗が阿久津に気付き、仰々しく頭を下げた。しかし、阿久津は逃げるように香坂の後ろに隠れてしまった。

 その様子を見た初見は小さく肩を竦め、御手洗に詫びた。


「新しく入った阿久津心といいます。すみません。ご挨拶させようと思ったのですが、どうにも人見知りが激しくて」


「いやいや、お気になさらず」


 御手洗は阿久津の失礼な態度を、笑って水に流してくれた。初見はほっとして、改めて頭を下げる。


「助かります。さて、早速始めるとしましょうか」


「はい、よろしくお願いします」


 御手洗が初見に深々と頭を下げる。徹底した慇懃な態度は、正に商売人の鑑というに相応しい。しかし、阿久津は御手洗に少しも気を許そうとせず、香坂の陰から警戒の眼差しを向けていた。

 四人は住宅の玄関に近付く。御手洗がポケットからカードを取り出すと、右のノブの下に取り付けられているポケットに差し込んだ。赤いランプが緑に変わり、ロックが解除される。


「私、はーさんの除霊見るの初めてですよー。でもみーさん。何ではーさんなんですか? もっとそれらしい人なんて、たくさんいるでしょう?」


「ええ。でも、それだけインチキの多い業界でもあるんです。あちこち試して行き着いたのが、初見さんなんですよ。初見さんが除霊した物件は、どんな現象が出ていても、ぴたりと止んでしまいますから」


 大仰な仕草をしてベタ褒めする御手洗に、初見は少しだけ照れ笑いを浮かべた。


「毎回、霊の仕業とも限りませんけどね。ほら、二年前のあれとか」


「ああ! あれは傑作でした。ラップ音のする物件だったんですが、天井裏に八人も隠れてまして。悪い噂を立てて、ホームレスがそこを根城にしてたんですよ。でも、今回は本物だと思いますよ。何せ本物のいわく付きですから」


 御手洗が玄関を開け広げる。同時に、家の照明が自動でスイッチが入り、中の様子が照らし出された。

 中は、入ってすぐに広いリビングになっていた。内装は木目を基調とした、シックで落ち着いた雰囲気で、一階と二階が吹き抜けになっている。また、正面には二階に繋がる階段が螺旋状に昇っている。平凡な外装とは裏腹に、中はかなり凝った作りをしていた。


「うわー、いいじゃないですかー」


 香坂はここがいたく気に入ったようだ。目をキラキラとさせて、嬉しそうに室内を見回していた。


「それで御手洗さん、いわくというのは?」


「実は昔、ここで借金を苦にしての一家心中が起きたんです。その後、ここに住んだ人が口々に言うんですよ。子供が二階から見下ろしていた、抱き付いてきた、しまいには家中に響き渡る悲しげな泣き声が……!」


 御手洗は三人を怖がらせたいのか、声に不気味な抑揚を付け、最後には大声を上げた。しかし、初見はもちろん、香坂や阿久津でさえまるで動じない。


「ありゃ、皆さんノーリアクションですか」


「こんなに明るくちゃ、怖がれなんて方が無理ですよねー」


「そうね。それに幽霊が怖くて、除霊なんて出来ないし」


「はあ、そうですか」


 御手洗が、あからさまにがっかりした様子で、肩を落とす。余程自信があったのかもしれない。


(少しぐらい、怖がって見せても良かったかな?)


 今の反応は、ちょっと大人げがなかった。とはいっても、今更怖がったところで逆効果なので、初見は口には出さずに心の中で謝っておく事にした。


「ところで初見さん。どうですか?」


 気を取り直した御手洗に聞かれ、初見は辺りを見渡す。だが特に気になるものは、目に映らなかった。


「ここにはいませんね。とりあえず、一階から回ってみましょう」


 四人は一階の部屋を順に見て回った。部屋はどこも空っぽで、他にはキッチン、風呂場、物置などがあった。しかし変わった様子は見られない。

 続いて螺旋階段を上り、二階へ上がった。二階は上がって左右に二部屋ずつ。奥の突き当たりにもう一部屋があった。まずは左の部屋に入ってみる。


「皆、止まって」


「え? はーさん、どうしたんですか?」


 香坂は見えていないようだが、初見の目にははっきりと映っていた。五歳ぐらいの男の子と女の子が壁際に立って、じっとこちらを見つめているのを。

 その時、ぽつりと阿久津が呟いた。


「おとこのこと、おんなのこ」


「あーちゃん、見えるんですか!」


 香坂は驚いているが、初見は少しも驚かない。阿久津の過去を知っていれば、当然の事だった。


 子供達の表情は、悲しみに歪んでいた。いや、寂しさと言った方が妥当かもしれない。目にいっぱいの涙を溜め、今にも泣き出してしまいそうだ。

 初見は子供達に一歩ずつ、足音を立てずにゆっくりと近付いていく。子供達は初見達に襲い掛かりもせず、かといって逃げもせず。お互いを抱き締めて、その場に立ち尽くしていた。

 子供達に手が届く位置まで初見は近付いた。そして、右手のひらを二人に向かって突き出す。すると、手から緑に光る糸が伸び、二人の体に繋がった。そこから、二人の記憶が流れ込んでくる。


「……なるほどね。置いて行かれたと思ったの。大丈夫。すぐにまた会わせてあげる」


 初見は全てを理解した。二人は両親を探していたのだ。だから両親と間違えて抱きついたり、寂しさのあまり泣き出した。自分が死んでいるとも知らずに。

 二人の背中からは、先程初見が伸ばしたような緑の糸が地面に伸びていた。そこに初見が手を伸ばす。


 まずは男の子。初見が糸に対して垂直に手を振ると、音も無くあっさりと切れてしまった。すると男の子の体が、徐々に淡い光に変わっていく。光は昇り、天井をすり抜けて消えていき、そして最後には、男の子の姿は消え去っていた。

 男の子が消えた事で、女の子が激しく動揺し始めた。髪を振り乱し、心を引き裂くような悲痛の声を上げて泣き出した。


「な、なんです!」


「これは、子供の泣き声!?」


 背後で、御手洗と香坂のどよめきが聞こえる。どうやら、この声だけは聞こえるようだった。


「泣かないで。あの子は先に逝っただけ。今、あなたも逝かせてあげるから」


 初見は左手で、女の子の頭をそっと撫でる。すると、少しだけ泣き声が治まった。そして残った右手で女の子の糸を断ち切る。その瞬間、女の子も男の子と同じように、体が光に変わっていく。少しずつ光は天に昇り、消えていった。

 ようやく部屋の中は、元の静けさを取り戻す。


「声が、消えた」


「はーさん、大丈夫ですか?」


 香坂が初見に走り寄る。不安げな表情でこちらを見つめる香坂に、初見はにっと笑いかけた。


「ええ、除霊は完了よ。ここには二人の子供がいたの。無理心中した家族の子供ね。でも二人とも、自分が死んでいる事を理解していなかった。多分寝ていたところを殺されたのね。だから死んでも繋がっていたの」


「繋がっていた?」


「よく言うでしょ、地縛霊って。生き物は死ぬと、魂がとある場所に還るの。でも今回みたいに死んだ事に気付かなかったり、何かの異常な執着があったりすると、稀にそこにくくられる事があるのよ」


「はー。さすが詳しいですね、はーさん。もしかして、どっかのお寺にいた事があるとか?」


 寺という単語を聞いて、はっと初見は小さく鼻で笑った。そういった場所は、自由人の初見にとって最も縁遠い。


「私がそんな事するわけ無いでしょうが。禁欲生活なんて、たった一分一秒でも真っ平御免ね」


「ですよねー」


「いやいや、いつもながら見事なお手並みです」


 ハンカチで額に浮かんだ脂汗を拭き、御手洗が感服したと言った風に褒めた。香坂もそれに同意して頷く。


「子供の声が聞こえた時は、本当にびっくりしましたよー。まさか、これだけ科学が進歩した時代に、本物の幽霊に会えるなんて。私、ちょっとオカルトにはまってしまいそうですー」


 うっとりと言う香坂に、初見は意味深に笑いを浮かべた。


「何を今更。オカルトを体現した人間が、二人もそばにいるのに」


「え、何か言いましたか?」


「いいや、何でもない。さて、一応他の部屋も見てみましょう。もしかしたら、両親の霊もいるかもしれない」


 初見が先頭を切って部屋を出て行く。続いて、他の三人も初見を追いかけていった。



「たっだいまー!」


 事務所に帰ってきた香坂が、元気良く、玄関のドアを開け放つ。衝撃と香坂の大声で、事務所全体が震えたようだった。

 時は既に夕暮れ。事務所の中は夕焼けの灯でオレンジに染まり、全てがめらめらと燃えているようだった。


「香坂、玄関は静かに開けなさいっていつも言ってるでしょうが。あんたはそれで二回も蝶番を壊してるんだから」


 続いて入ってきた初見が、香坂の頭を軽く叩く。大して力は入っていなかったが、香坂はおどけて、大げさに痛がって見せる。


「いったー! もー、はーさんは細かい事を気にし過ぎなんですよー」


「だったら修理代はあんたが出しなさい。今後一切、経費で付けるのは認めないからね」


「はいはいっと。早く入りましょうよー。もうお腹が空いちゃって空いちゃってー」


 初見の説教などどこ吹く風か。香坂はぽいぽいと靴を玄関に脱ぎ散らし、さっさと事務所に入っていく。頭の中が食欲で満たされた状態の香坂に何を言っても無駄。それを知っている初見は深いため息をついて、自分も事務所に入る。その後に阿久津も続いた。

 ふと、初見は仕事場に続く廊下が綺麗になっている事に気付いた。ここを出る時は、脇に掃除機やら何やらが並んでいたはずなのに、それがどこかにいっている。フローリングの床も、綺麗に水拭きされているようだ。


「はーさんはーさん」


 奥から香坂の押し殺した声が聞こえる。

 仕事場に来ると、ソファーの上で、草間が静かな寝息を立てて眠りに落ちていた。その表情はとても安らかで、完全に熟睡モードだ。あれだけ騒いでいたのに、目を覚まさなかったのも頷ける。

 初見は周りを見渡す。やはり、ここも綺麗に整理整頓と掃除がされている。たった一日でここまでやるのは、相当大変だったろう。


「……全くこの子は。くそ真面目に言われた事をやっちゃうんだから」


「それがくーちゃんですよー」


「そうね。本当に草間らしい」


 意地でも自分の弱みを見せようとしない。何でも完璧にこなそうとし、実際成し遂げてしまう。そのために、こうやって無理をするきらいがあるのが難点だが。


 初見は自室に行き、収納棚から一枚の毛布を取ってくると、そっと草間にかけてあげた。少し違和感を覚えたのか、草間は軽く眉間に皺を寄せて寝返りを打った。その寝顔はちょっと子供っぽいかもしれない。


「よし。それじゃ頑張ってくれた草間を労うために、夕食の準備をしようか。香坂、何でも良いから適当に材料を買ってきて。あと阿久津も一緒に付いてって、香坂が余計なものを買ってこないように監視する事。私は今あるもので適当に作っとくから」


「ぷー! 子供じゃないんですから、買い物ぐらい一人でいけますよー」


「あんた一人じゃ持てる量が限られるでしょうが。四人分も作るんだからね」


 それまでじっと初見達のやり取りを聞いていた阿久津が、そっと香坂の服の裾を引っ張った。


「こーちゃん。いっしょにいこう?」


「うーん、そうですねー。分かりました。あーちゃん、行きましょう。はーさん、カードカード」


「ほら、無くさないでね」


 初見は財布からメタリックブルーのカードを取り出すと、香坂に放り投げた。香坂はそれを受け取ると、阿久津の手を引っ張った。


「あーちゃん、おいしい物をたくさん作って、くーちゃんをびっくりさせちゃいましょう!」


「う、うん。がんばる。りょうり、したことないけど……」


 まるで仲の良い姉妹のように、二人は事務所を出て行った。後に残ったのは、初見と草間の二人だけ。


「さて、こんだけ頑張ってくれたご褒美よ」


 初見は草間に近づくと、草間の前髪をかき上げて、自分の右手をひたっとくっつける。すると、初見の右手が淡く緑色に発光し始めた。光は草間に吸い込まれていき、それに伴って顔色がどんどん良くなっていく。光が消える頃には、あれだけ濃かった目の隈が、綺麗さっぱり消えていた。

 初見が額から手を話すと、草間のまぶたが痙攣し、ゆっくりと目を開けた

「ん……しょ、ちょう?」


「あ、ごめん。起こしちゃったわね」


「お、俺、つい寝ちゃって! すぐ起きます!」


 慌てて体を起こそうとする草間を、初見は両肩を手で押さえて、強引に押さえ込んだ。


「いいから、ちょっとそのまま寝たふりをしときなさい」


「え、なぜですか?」


「香坂が起こしにくるまで、絶対に目を開けちゃ駄目よ。ね?」


 そう言って、初見はウインクをして見せた。

怪訝な顔をする草間だが、起き上がろうとする力を抜き、小さく頷いた。


「な、なんだか分かりませんが、分かりました」


「よろしい」


 にっこりと笑いかけ、初見はキッチンに向かった。確か冷蔵庫には、この前作りかけて面倒くさくなって止めた、グラタンの材料が眠っていたはずだ。初見はぐいっと袖まくりをして気合を入れると、オーブンに火を入れた。

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