第19話 アハト・アハト

(もういや! なにもみたくない、ききたくない!)


 阿久津は頑なに閉ざしていた。耳を、心を、自分に入ってくるもの全てを。

 外の世界はいつも阿久津を傷つけた。研究所にいた時も、そこから逃げて生活していた時も。初見に見つけられてようやく静かに生きていけると思っていたのに、それもあっけ無く壊れてしまった。

 阿久津の心はもうぼろぼろで、壊れる寸前だったのだ。長い刻で蓄積された心の傷は癒される事なく膿んでいく。それに耐えられなくて、阿久津は全てを拒絶する道を選んだ。


(きらい、みんなきらい! なんでみんなわたしをいじめるの? わたしはふつうにしたいだけなのに! それがゆるされないなら、もう、しにたい……)


 死にたい。阿久津は数えきれないぐらいそう思ってきた。死ぬために首を吊ったり、崖から落ちたり、ナイフで心臓を突いたりもした。しかし、負った傷はあっという間に癒えてしまい、結局死ぬほど痛い目にあっただけ。その度に、阿久津は三日三晩泣き腫らした。

 そして今、阿久津は心から生きるのを止めた。何も見えない。何も聞こえない。内に閉じこもった阿久津の傷だらけの心が、膿んだ傷でゆっくりと腐り死んでいく。


 長い間待ち望んだ安らかな時。まさに至福の極みだった。意識はまどろみ、現実と夢が溶けていく。


『……く……!』


かすかに何かが聞こえた気がした。しかし阿久津は気にしない。外の世界なんてもうどうでもいい。目をつぶり、耳を塞ぎ、心を閉ざし、真っ暗な心休まる場所へ落ちていく。


『阿久津!』


 不意に自分の名前を呼ばれて、阿久津ははっと目を覚ました。耳を塞いでいるはずなのに、確かにその声は聞こえた。それに自分を呼んだ声は、あまりに意外な人だったから。

 目を覚ました阿久津は耳から手を離して立ち上がり、辺りを見回して声の主を探す。しかしそこにいたのは、しかめっ面をして耳を塞ぐ初見だけだった。


「対人用の指向性音響兵器を最大出力なんて何考えてるの! 鼓膜が破れるかと思ったわ!」

『阿久津、本当にすまなかった! お前が悪い事なんて何一つ無かった! 全部俺が悪かったんだ!』


 まるで花火のように、草間の言葉は阿久津の体にぶつかって、びりびりと振動させた。とんでもない音量で、耳から頭中に反響しているようだった。しかし、なぜか阿久津はそれが心地良いとさえ感じていた。


『お前が俺のためにしてくれた事、今は心から嬉しく思っている! ありがとう阿久津。俺は……お前が好きだ!』


 好き。何十年も生きてきて、初めて言われた言葉。そのたった一言で、阿久津の全身に電流が走った。いつもズキズキと傷んでいた心から痛みが引いていく。嬉しくて、とても嬉しくて。阿久津は目から一筋の涙を流した。


『く、くーちゃん! どさくさに紛れてなんて事口走ってんですか! あーちゃん、私もあーちゃんが大好きですからねー!』

「うん、うん……!」


 阿久津は何で涙が出てくるのか分からなかった。泣いた事は数えきれない。しかし、その全てが悲しかったから。嬉し泣き。阿久津は今、それを始めて体感した。

 阿久津のそばで呆然と立ち尽くしていた初見が、突然お腹を抱えて大笑いを始めた。


「……ぷ、あっはははははは! 全く何を話すのかと思えば、愛の告白とはね! 流石草間、予想の遥か上をいってくれるわ! あ、駄目! お腹が吊りそう!」


 初見は一しきり笑った後、お腹をさすりながら息を整えた。そして真面目な表情に戻ると、阿久津を見つめた。


「阿久津、もう誰もあなたを嫌ったりしないわ。あなたを好きだといった、草間と香坂の気持ちに答えてあげなさい」

「……うん」


 阿久津はうっとりと目を閉じて、両手を胸に押し当てた。

 不思議だった。何十年も胸の奥にあった嫌な感じが、今はすっかり消えてしまっている。人に好きと言われるのがこんなにすごい事だったなんて。阿久津の心は驚きと喜びで溢れていた。今なら何でもできそうな気がする。


『きゃ!』


 香坂の叫び声にはっと目を開いた。見れば、タコハチがリッパーに襲われている。タコハチは逃げるのが精一杯で、今にも捕まえられて壊されそうになっている。


「くーちゃん! こーちゃん!」

「阿久津、やるよ! 二人を助けよう!」


 初見の体から無数の糸が現われて、山全体を覆っていく。そして一際太い一本が、阿久津の背中に繋がった。


(かんじる。はつみの、ううん。かぞえきれないいのちを)


 阿久津が力を使えば、この生命達は全て死んでしまう。それでも、阿久津には守りたいものがあった。


「はああああああああ!」


 阿久津にどんどん力が流れこんできた。今まで使ってきた力とはケタ違いの大きさ。力が全身を暴れまわり、押さえ込むだけで精一杯だった。とても立っていられず、阿久津はその場に片膝を付く。


「阿久津!」

「だい、じょうぶ!」


 力の流れを止めようとする初見を、阿久津は右手を出して止めた。このぐらいでへばっていたら、二人を助けられないのを分かっていたから。

 しかし、あまりに巨大な力に制御が効かなくなっているのは本当だった。体中を力が暴れまわり、少しでも気を抜いたら溢れ出しそうになる。このままでは暴走して、自分の体が壊れてしまう。阿久津は何とかしようと必死に考えた。


(Kw FlaK、通称アハト・アハト。君の名前の由来だ。無骨なデザインだが素晴らしいと思わないか? これはドイツ軍が……)


阿久津は研究所で自分に名前を付けてくれた、一人の研究員を思い出した。あの時見せてもらった一枚の写真。荒削りだけど力強くて、とても強そうだった。何十年経った今でも、かなりはっきりと思い出せる。


(そう、たしかこんなかんじ)


 阿久津は写真に写っていた機械をイメージした。大きな四つの車輪。真っ白な鋼の車体に、太いパイプを組み合わせて作ったような砲身。阿久津が一つ思い出すたび、そのパーツが実際に現われ、少しずつ形作っていく。

 そして見る見るうちに、Kw FlaKがその姿を現した。と言っても、大きさは実際の一〇倍はあり、全体が翡翠色に輝いている。

 力を自分の中に押さえ込むのではなく、形作ったKw FlaKに流し込む。力の行き着く先を別の物に変える事で、力の制御を容易に変えたのだ。


「まずい、気付かれた!」


 ひたすら力を練る事に集中していた阿久津だったが、初見の声で現実に戻された。遥か彼方にいるリッパーがこちらに向いている。強大な力が自分を狙っている事に気付いたのだ。

 しかし、阿久津はもう準備を整えてしまっていた。後は砲身から発射するだけだ。


「はつみ、いけるよ!」

「なら思い知らせてやりなさい。あんたの名が持つ無限の力を!」

「うん! いっけええええええ!」


 阿久津が右手を高々と挙げて振り下ろす。Kw FlaKは一際大きく輝き、砲身から極太のレーザーを射出した。綺羅びやかな星を振りまきながら、一直線にリッパーに迫る。

 リッパーが鎌を構え、自分の前方を切り裂いた。くぱっと時空が裂け、レーザーを飲み込まんと待ち構える。


「まがって!」


 阿久津が今度は右手を水平に薙ぎ払った。するとレーザーは蛇のように軌跡を変え、今度は側面からリッパーに襲いかかる。

 だが、リッパーはさらに次元を切り裂いた。開いた穴にレーザーが飛び込み、際限なく飲み込まれていく。さらにリッパーは周囲を切り刻み、鉄壁の防壁を築いた。


「だめ、あたらない!」

「やはり、あれがある限り届かないか。何か、何か手は……」


 このままでは力を全て飲み込まれてしまう。そうなればもう阿久津達に勝機はない。

 その時、リッパーの背後で爆発が上がった。地面に這いつくばっていたタコハチが、最後の一発をリッパーに向かって放ったのだ。しかし狙いは外れ、少し離れた地面に着弾してしまい、土埃を巻き上げるだけに終わってしまった。時空の穴が土煙を引き寄せ、リッパーの周りを取り巻いて視界を塞いだ。


(そうだ。もしかして……これなら!)


 例え視界が奪われていても、周りにある穴で攻撃は届かない。しかし、阿久津は一つの死角に気付いた。そこを突くため、土煙が収まる前にレーザーを操作する。

 わずか十秒足らずで土煙は全て吸い込まれ、リッパーは視界を取り戻した。しかし、リッパーの目から、レーザーはこつ然と姿を消していた。


「いまだ!」


 阿久津が腕を振り上げた。同時に地面から消えたはずのレーザーが現れる。レーザーはリッパーの体を飲み込んだ後、背後の穴へ消えていく。

 レーザーは確かに効いていた。凄まじい威力に晒された皮膚は水銀のように溶け出し、中の骨格をあらわにしていく。さらにその骨も、あっという間に消滅していった。


「おねがい、もって!」


 もう力は残り少ない。阿久津は歯を食いしばり、最後の最後まで搾り出すように、力を出し続けた。力の消失でKw FlaKが形を保てず、端から粒子となって消えていく。

 ついにリッパーの半身は蒸発した。そして一際巨大な力にさらされ、絶命の叫び声を上げたのを最後に、リッパーは完全にこの世から消え去った。

 力の放出を止め、阿久津はその場にぺたりとへたり込んだ。同時にKw FlaKが崩れて消える。緊張の糸が切れたのか、足がぷるぷると震えてしまい、全然力が入らなかった。


「やった、の?」

「ええ。私達は勝ったのよ。草間達もほら」


 初見は手に持っていた携帯を見せた。そこには元気な姿をした草間と香坂が映っていた。


『ははは! やったな阿久津!』

『ありがとうあーちゃん! 帰ったら何か美味しいものでも食べに行きましょうねー!』

「ふぇ、ええぇぇん……」


 草間達が無事だった事に安心して、阿久津は初見にしがみついて泣き出した。初見はそっと抱きしめ返し、一定のリズムで阿久津の頭を叩いた。


「よくやったわね、阿久津。でも、これで逃げるのは終わり。ほら、夢の終わりが来たわ」


 初見の見つめる先。そこには無数のヘリがこちらに向かって飛んできていた。

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