第18話 拒絶
「よし、着いた!」
初見達は頂上の展望台に到着した。すぐに車を降り、見晴らしの良い場所まで移動する。そこから遠くの方を見ると、かなり小さいがリッパーとタコハチの姿が見えた。善戦はしているようだが、きっと長くは持たない。
「阿久津、おいで」
初見は阿久津を自分の前に座らせると、自分の力を開放した。髪が鮮やかな翠に変わり、何千、何万本もの翠の糸が全身から現れた。初見はそれを山中に張り巡らしていく。山の力を根こそぎしぼり取り、阿久津に渡すためだ。その代償として、向こう百年は何も育たない不毛の地となってしまうだろうが。
麓までほぼ完全に張り巡らせたところで、初見は力を渡すために阿久津に繋がろうと、一本の糸を阿久津に伸ばした。
「やっぱりいや!」
ところが、糸は阿久津の手によって振り払われてしまった。
「え?」
何をされたか一瞬理解できず、初見は夢幻を見たかのように立ち尽くした。しかしすぐに我を取り戻し、初見は阿久津の両肩を、指がめり込むほどに強く掴んだ。
「阿久津! どうして!」
「いやなの! もうちからをくーちゃんやこーちゃんにみられるのは! きらわれたくない! きらわれたくないよ!」
「阿久津、お願い! あんたがやらないと草間達が……!」
何とか話し合いに持ち込もうとしたが、阿久津は髪を振り乱し、しゃがみ込んで耳を閉ざし、頑として初見の話を聞こうとはしなくなってしまった。何とか耳から手を離そうと力いっぱい引っ張るが、まるでびくともしない。
(そんな、草間達の協力がこんなところで裏目にでるなんて!)
初見の力では、今の頑なに閉ざされた阿久津をどうする事も出来ない。しかし、それでも草間達は初見達を信じて戦ってしまっている。
(事情を説明して早く逃がさないと!)
初見は端末を取り出して、もう一度タコハチに通信を試みた。
◇
リッパーと交戦を始めて、もうすぐ十分が経とうとしていた。
タコハチの装甲は度重なる鎌やレーザーの攻撃で、ボロボロになっていた。武装もミサイルはとうに撃ち尽くし、頼みの主砲の弾数も残り二発。これ以上の足止めは厳しい状態だ。
さらに草間達も満身創痍だ。息をつかせぬリッパーの猛攻に、たった十分でも、体力と精神力が限界近くまで削られていた。特に操縦担当の香坂の疲弊がひどい。たった一度のミスで即死なのだ。むしろここまでやってくれている。
「くーちゃん……」
「分かってる。だがもう少し踏ん張ろう。俺達はまだやれる!」
弱音を吐きかける香坂を励まし、目の中に入った汗を拭いながら、草間はリッパーを睨みつけた。向こうはまるで消耗した様子がない。今もまた、羽を大きく広げてこちらに突っ込んでこようとしている。
もう何度目か分からないリッパーの突貫。それをいなそうとした時、タコハチに通信が入った。
『二人ともそこから逃げなさい!』
「はーさん!?」
「所長!」
二人が一瞬通信に気を取られてしまった。まさに最悪のタイミング。その隙、僅か〇.八秒の間に、リッパーはタコハチの目前まで迫っていた。
「しまった!」
後悔は先に立たない。リッパーの鎌が白く輝いて薙がれ、タコハチを切り裂いた。たった一薙ぎで三本の足が持っていかれ、切断面からバチバチと火花が散った。ぐらりとタコハチがバランスを崩すが、香坂が気合で立て直す。
「く、う!」
「香坂! 上だ!」
リッパーは攻勢の手を緩めはしない。もう片方の鎌を振りかざし、今度はタコハチの頭部をたたき切るつもりだ。もはや状況は絶望的。避ける事は叶わず、草間は死を覚悟した。
だが、香坂は違った。
「うああああああああ!」
香坂が吼える。草間の目には、香坂がどういう操作をしたのか全く分からなかったが、残りの足が奇天烈な挙動を起こして、タコハチがありえない急旋回をした。リッパーの鎌は捉えられずに狙いを外し、タコハチの頭を僅かに削ぐだけに終わる。
「ここだ!」
攻撃の終わった一瞬の隙。草間はそれを逃さない。即座に一本の足の制御を握ると、リッパーの顔目がけて蹴り上げた。鈍い音がして、足はリッパーの顔面にめり込み、青い血を周囲に撒き散らす。だがそれだけではまだ終わらない。さらに車輪を回転させて抉ろうと試みる。車輪は顔の上を走り、リッパーの牙を一本へし折った。二段構えの衝撃で、リッパーの体勢が大きく仰け反る。
「まだまだーーーーーー!」
ここを勝機と悟ったのか、今度は香坂が攻勢に転じた。残りの足を器用に操作し、リッパーのボディを足で乱打する。一撃毎に、リッパーが踏み止まれずに、ずるずると後退していく。
一見効いているように見えるが、対艦ミサイルが直撃しても余裕で絶えるほど、リッパーの装甲は厚い。草間はそれを知っていたはずだが、極限の興奮状態から、冷静な判断力を完全に欠いていた。
このまま押しきれる。そう思ったその時、リッパーの鎌が、タコハチの脇の何も無い空間を切った。そこから空間が避け、黒い穴が猛烈に大気を吸い込みだした。
「う、うわ!」
「踏ん張れ香坂!」
穴の吸引力は凄まじく、至近距離にいたタコハチは穴に吸い込まれまいと踏ん張るが、そのせいで動きが止まってしまった。その隙に、今度こそとリッパーが鎌を振り上げた。
(どうする……どうする!)
二度目の死線。だが今度は諦めなかった。草間はこの窮地をどう脱するか、それだけに思考をフル回転させる。尋常ならざる集中力で周囲の時は止まり、草間はまるで数時間が経ったかのような錯覚を覚えた。
「……これだ!」
主砲はあと二発だけあるが、リッパーに向けて砲身を回頭しても間に合わない。ならばどうするか。答えはこれだ!
踏ん張るタコハチの頭は斜め下を向いていた。草間はためらいなく、主砲をそのまま発射する。砲弾は地面に着弾し、凄まじい爆風を巻き起こした。
「きゃああああ!」
「ぬおおおおお!」
爆風は、タコハチをまるで風に弄ばれる紙飛行機のように軽々と吹き飛ばし、爆心地から三㎞も離れた場所に落ちた。着地など出来るはずもなく、地面を無様に転がり、二本の足がもげて、ようやく静止した。
草間は衝撃で意識が飛んでいたが、すぐに気がついて頭をもたげた。こめかみにずくんと重たい痛みが走り、生温かいものが流れる感触をがした。そして徐々に全身の状態を知覚し始める。幸い骨は折れていないようだったが、ひどい全身打撲の上、口の中に固いものを感じる。吐き出してみると、折れた右上の犬歯だった。
自身の状態を確認した後、草間は香坂の事を思い出した。
「香坂! 大丈夫か!」
香坂はだらりと俯いたまま、何も言ってくれない。完全に気を失ってしまっているのだ。
草間は体を固定してあるベルトを外し、香坂のそばに駆け寄った。下手に動かすのは危険と判断して、草間は耳元で大きく叫んだ。
「香坂起きろ! 頼む、起きてくれ!」
草間の声にぴくりとまぶたが反応し、香坂がうっすらを目を開けた。見つめる先はうつろで、心ここにあらずといった様子だった。
「くー、ちゃん? あれー? 私の小龍包に北京ダックはー?」
寝ぼけて漏れた言葉に、草間はがくっと肩を落とした。気を失ったのはたった一瞬の間だったはずなのに、こんな時に食べ物の夢をみるとは、ある意味香坂らしいといえば香坂らしいのだが。
「香坂、どこか痛いところは無いか?」
「へ? えっと特に……痛!」
香坂は少しずつあちこちを動かしていたが、突然右腕を押さえた。相当の激痛のようで、額からは脂汗が滲み出している。
「少し触るぞ」
「うっ」
香坂の手をどけて触診してみる。腕はかなり腫れ上がっていて、もしかしたら骨に異常があるかもしれない。
草間は上着を脱いで器用に三角巾を作り、香坂の首にかけて右腕を吊った。さらに操縦席の下から痛み止めの入った注射を取り出し、香坂の右肩に押し付けた。苦痛にゆがんでいた香坂の顔が、ゆっくりと和らいでいく。
「ありがとうございます、くーちゃん」
「操縦を代わろう。お前は複座で安静にしていろ」
「はい」
香坂を複座に座らせて体を固定し、草間は操縦席に座った。とはいえ、もうほとんどの足が使い物にならない状況だ。これではまともに動かせない。
自分達の事だけで頭がいっぱいだったが、ここでようやくリッパーの事を思い出した。砂嵐が巻き起こるモニタの映像から、リッパーの姿を何とか探そうとする。
『……ま、草間!』
「所長!」
モニタに初見の顔が映し出された。どうやら、衝撃で一時的に通信が途絶されていたようだ。器機系統に問題が発生したらしく、音声は雑音が混じり、映像は砂嵐がひどい。
『二人とも無事?』
「無事、とは言い難いですが何とか」
それを聞いて、心底安堵した初見の顔が映し出された。
『そう、良かった。それじゃ二人ともすぐに逃げなさい!』
「それじゃ準備が終わったんですねー!」
嬉しそうに言う香坂とは対照的に、初見は目線を外して申し訳なさそうな声色で話す。
『いいえ、土壇場で阿久津が力を使うのを拒んだの。説得したけど、どうしても耳を傾けてくれなくて』
「一体どうして!?」
『あんた達、特に草間に力を見られたくないのよ。嫌われたくないって泣いて叫んで。そこまであの子の傷が深いなんて、私の理解が足りなかったの』
「そん、な」
草間は絶句した。改めて、草間は阿久津にとんでもなく深い心の傷を負わせていた事を思い知った。湧き上がる後悔と呵責の念で、草間は目を見開いたまま額を押さえて俯いた。
『私達もここをすぐに離れるわ。後は次元穴対策委員会に任せるの。この町は、いいえ、日本は消えてたくさん人が亡くなるだろうけど……。通信を切るわ。必ずまた生きて会いましょう』
初見の通信が途絶えた。
モニタは相変わらず映りが悪く、おまけにさっきの行動でもうもうと土煙が上がり、視界はほぼ無いに等しかった。だが大きく風が吹き、土煙が風下に流されていく。
「くーちゃん、あれ!」
香坂が叫んでモニタを指差した。そこにはリッパーがこちらを睨んで立っていた。皮膚があちこち黒ずんでいる事から爆発のダメージはあるようだが、せいぜいカスリ傷程度だろう。
リッパーはさらに目を赤く爛々と光らせ、低いうなり声を上げてこちらを威嚇している。どうやら、さらに敵意を煽る形となってしまったようだ。相手はこちらを逃がすつもりはないだろう。今はさっきの捨て身の攻撃で警戒されているのか、こちらの様子をうかがっているが、次に襲われたら満身創痍のタコハチでは、到底逃げる事など叶いはしない。
そんな最中、草間の頭の中は阿久津の事でいっぱいだった。リッパーに殺されかねない状況にいるのは分かっている。しかしそんな事よりも阿久津に想いを伝えたい。それだけが草間の脳内を支配していた。
(ただの通話じゃきっと聞いてくれない。もっと何か、どうしても聞かざるを得ないような方法は……)
そこまで考えて、草間ははたと思い付いた。この方法なら、阿久津にも届くのではないかと。正直無茶苦茶な方法だ。しかもかなり恥ずかしい。だが草間は躊躇することなく、自分の思いを阿久津に伝えるために準備を始めた。
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