第3話 散策

 草間達が住む町、愛知県八谷市は、人口の少なくなった二つの市が合併した新興都市だ。

緑が多く、周りは海側を除いて小高い山々に囲まれている。かといって開発が進んでいないわけではなく、中心街は次々に新しいビルが立ち並び、その中心からは全長三八〇mのサンライズタワーがそびえ立っている。


 草間達は、町の南にある三島市場に来ていた。平日の昼間だというのに人の数は多く、かなり混雑している。

 ここの屋台村はとても有名で、定番のメニューはもちろん、ブイヤベースやパエリヤ、果てはフランス料理のフルコースまで出すという、変り種の屋台が多い。ここに来るために、わざわざ九州や北海道から来る人もいるぐらいだ。


「んー、良い匂いですねー。さ、温かいうちに食べましょー。いっただっきまーす!」


 屋外のテーブルの上に、香坂がこれでもかと言わんばかりに買い漁った食べ物が並んでいる。香坂は子供のような満面の笑みを浮かべて手を合わせ、まずは手前にあったお好み焼きにかぶり付いた。


「これこれ、これですよー。やっぱりお好み焼きは正嘉亭ですよねー。たっぷり入ったキャベツとそれで蒸し上がった具が、ちょっとピリ辛のソースと絶妙にマッチして……」


「うんちくは口の中の物を飲み込んでからにしろ」


 口いっぱいに頬張ったその顔は、まるでハムスターかリスのようだ。ここまで幸せ一杯に食べられる人間は、この世にそうはいないだろう。

 草間も、海鮮塩焼きそばに手を伸ばして一口食べる。この辺りは海が近いので、新鮮な海産物が簡単に手に入る。だから、屋台でも海産物中心のラインナップが多い。


「あれ? あーちゃん、全然食べて無いですねー」


 香坂の言う通り、阿久津は料理に全く手をつけていない。ただ、じっと物欲しそうに眺めているだけだった。食欲が無い、というわけでは無さそうだが。

 草間は少し考えて、自分の脇にあったたこ焼きを、阿久津の前に差し出した。


「遠慮しないで。歓迎会みたいなもんだと思ってもらっていいから」


 阿久津はじっとたこ焼きを見つめていたが、ようやく爪楊枝を取ると、こわごわ一つに突き刺した。なんだか阿久津の一つ一つの反応が面白くて、草間はつい阿久津の顔を見つめてしまう。


 こうして見てみると、阿久津の顔は相当に日本人離れしていた。黒髪や焦げ茶の瞳をしているものの、高い鼻筋、彫りの深い顔立ちはまるで欧米人だ。ブロンドのウィッグと、青やグレーのカラコンを入れれば、誰だって日本人とは思わないだろう。


 阿久津は爪楊枝でたこ焼きを刺し、そのまま口に運んだ。


「……ん!」


 口に入った瞬間、阿久津は口元を手で押さえ、目を白黒させる。出来たてを冷まさずに食べてしまったのだから、当然の反応だ。


「あーちゃん! ほら、お水飲んで!」


 香坂が、慌てて水の入ったカップを阿久津に差し出した。阿久津はひったくるように受け取ると、一息で飲み干してしまった。カップをゆっくりとテーブルに置き、ようやく阿久津の表情が落ち着きを取り戻す。


「あーちゃん、大丈夫ですか?」


 心配げに問いかける香坂に、阿久津は口を押さえて小さく頷いて答えた。とりあえず、ひどい火傷はしていないようだ。


「良かったー。ほんとにびっくりしましたよー」


「すまなかった。まさか、そのままいくとは思わなかったから」


 草間は小さく阿久津に頭を下げる。阿久津は無言で首を横に振った。どうやら気にしていないという事らしい。

 それよりも、阿久津の視線はまだたこ焼きに向けられていた。もう一度爪楊枝を取り、たこ焼きを刺して、今度はちゃんと何度も息を吹きかけて冷ましている。そして恐る恐る口の中に入れた。


「……おいしい」


 口の中の物を飲み込んだ後、ぽつりと阿久津が呟いた。途端にせきを切ったかのごとく、次から次へと、火傷に気を付けながら、たこ焼きを口へ運んでいく。どうやら、相当気に入ったらしい。


(しかし、本当に何者なんだろうな)


 容姿から察するに、草間と同年代ぐらいだろう。しかし、行動はまるで子供そのものだ。正直、本当に日本人であるのかさえ疑わしい。


(境遇は草間と同じぐらい、いやもっと凄惨かな)


 初見の言葉を思い出す。自分よりもさらに悲惨な境遇。それだけで、全て説明がつくような気がした。それほどひどい目に遭えば、ショックで幼児退行しても、少しもおかしくは無い。だから無理に聞く必要は無い。いや、聞いてはいけないのだ。あれを思い出すたび、自分も恐怖と悲しみで胸が引き裂け、傷が抉られるのだから。


「ふー。ごちそうさまでしたー。おいしかったねー、あーちゃん」


「ん? ……あ!」


 草間が物思いにふけっていたのは、ほんの数分だったはず。しかしその間に、あれだけあった食べ物は、全て空になってしまっていた。辛うじて残っていたのは、草間が食べていた塩焼きそばのみ。


「お前達、少しは残しておいてくれてもいいだろう……」


「くーちゃんがぼーっとしてるからいけないんですよー」


「誰の金で買ったと思ってるんだ?」


 実は、これらは全て草間が買ったものだった。二人とも、一円だって金を持っていなかったのだ。

 焼きそば一つでは少々物足りない。仕方なく、草間は何か買ってこようと席を立ちかけた。しかし、ある事を思い出し、慌てて自分の財布の中身を確認した。そこには、残りたった一三〇円しか入っていなかった。屋台でカードは使えない。電子決済もできない。お金を下ろしてこようにも、近場で下ろせる所も無い。


「ご馳走様でした、くーちゃん。ほら、あーちゃんも」


「ごちそうさま、でした」


「……喜んでもらえて嬉しいよ」


 深い溜息をつきながら、草間はすっかり冷めてしまった焼きそばをすするのだった。



「さて、次はどうしますかねー」


 昼食を食べた後、草間達は町を練り歩いていた。町が一望できる小高い丘や、サンライズタワーの展望台。果ては、裏路地にある河童の皿や水晶髑髏などいかにも怪しいものを扱う如何わしい店など、回れる所はほとんど回ったといっていい。あるとすれば、事務所関連の場所ぐらいだ。


「後はうちの備品倉庫ぐらいだろう」


「えー。あんな所、面白くも何ともありませんよー」


「あのな、遊び回ってたから忘れてるかもしれないが、一応これは阿久津さんの新人研修のようなもんなんだぞ? 最後くらい、ちょっとは真面目にやってもいいだろう」


「ぷー」


 香坂が口を尖らせて抗議の声を上げる。しかし草間はそれを無視して、阿久津の方へ向いて笑いかけた。


「まあそんな訳で、ちょっと締めにはちょっと味気ない場所だが、いいかな?」


 その顔を見た阿久津の表情が曇った。逃げるように目線を外し、それでも小さく頷いた。一応、行っても良いという事らしい。

 また阿久津が自分を拒絶した。その事が草間の心に大きな引っ掛かりを生んだ。香坂や初見には心を開いているのに、一体自分と何が違うのだろうか。


「……ちゃん? くーちゃん!」


「あ、ああ。どうした?」


「どうしたじゃないですよー。急に押し黙っちゃって。大丈夫ですか?」


「何でもない。ちょっと歩き疲れが出たのかもな」


 動揺を悟らせまいと、草間は笑顔を作って対応した。香坂は、しばらく怪訝な表情で見つめていたが、小さく息を吐くと、阿久津の手を引いて歩き出した。


「じゃ行きますかー。もうすぐ日も暮れちゃいますし」


「そうだな」


 草間も二人を追って歩き出す。

 隠し通せたとは思っていない。香坂はのほほんとして見えるが、人の機微には目ざとい。時折、クライアントの裏の意図を読み取り、草間達をびっくりさせる事が良くある。あんな対応では、何かあると言っているようなものだった。それでも香坂が問い詰めないのは、自分を信頼してくれているからだと、草間は思っていた。


 三十分ほど移動し、三人は倉庫の前に来ていた。かなり大きく、一〇tトラックが十台は余裕で入ってしまうだろう。


 草間は入り口に近付き、財布からカードを取り出すと、正面の脇に取り付けられているカードリーダーに通した。クイズで正解したような音が鳴り、倉庫の入り口がゆっくりと開いていく。三人は中に入ると、自動的にライトが灯り、中を明るく映し出す。

 中はぎっしりと様々な物が詰まっていた。入り口付近には、まだ発表もされていない最新鋭の車やバイクがずらり。その奥には、鍵のかかったケースが幾つも並んでいた。


「ここはな、俺達が仕事で使う道具が置いてあるんだ」


「でも、大抵は事務所にある物で十分なんですけどねー。最近はもっぱら、はーさんの私物置き場になっちゃってますけど。その車やバイクとか」


「まあ、な」


 実際、これらを使う事はほとんど無い。ここにある物は、表立って使うにははばかれる物ばかりで、そうそう気軽には使えない。


「くーちゃん、地下のアレは見せなくていいんですか?」


「……あれか。別にいいだろう。男ならともかく、女性が見てもなあ」


 ここの地下には、あるとんでもない物が眠っている。あれを表に出したら、辺りはとんでもない騒ぎになるだろう。草間はなぜあんな物がここに存在しているのか、考えるたび理解に苦しんでいた。

 阿久津が香坂の袖を軽く引っ張った。


「しごとって、なにをするの?」


「え? はーさん、あーちゃんに説明してないんですか?」


「はあ。まあ、あの人らしいと言えば、あの人らしいが」


 初見は、良く言えば豪快奔放。つまり、気の向くままを言葉通り体現している性格で、草間や香坂はよくそんな初見に振り回されていた。突然いなくなるのは当たり前。事務所内を通販グッズで埋め尽くしたり、支払いを踏み倒そうとしたクライアントを、社会的制裁で再起不能に追い込んだりと、とにかく好き勝手にやる。香坂とは違ったベクトルで自由人だ。


「私達のお仕事はね、便利屋さんなんです」


「べんり、や?」


「要するに、何でもやるって事だ。小さな事から大きな事まで、出来る限り請け負うのがうちのスタンスでな」


 説明はしてみたものの、阿久津はいまいちピンと来なかったらしく、きょとんとした顔をしていた。頭の上には、?マークだって見えるようだ。


「まあ、追々分かるさ。さて、そろそろ帰るか。もういい時間だ」


 草間は振り返って倉庫の外を見る。もうすっかり日は落ちて、宵闇が迫っていた。


「あーちゃん!」


 香坂の声に草間が振り返る。見れば、阿久津が額を押さえて俯いていた。香坂が阿久津の腕を自分の肩に回し、少しでも支えようとしている。しかし上背が足りず、余り意味が無い。

 草間は香坂に変わって、阿久津の腕を自分に回す。阿久津の体は、高い上背とは裏腹にとても軽く、支えてもまるで苦にならなかった。

 顔を覗き込むと、血の気が引いて蒼白になっていた。どう見ても調子が悪いのは明白だ。


「まいったな。救急車を呼んだ方がいいか」


 救急車と聞いて、阿久津が小さく首を振った。どうやら大事にはしたくないらしい。


「くーちゃん、一度事務所に戻るのはどうですか?」


 香坂の提案に草間は頷いた。ここからなら、事務所はそう遠く無い。少し事務所で休ませて様子を見て、それでも駄目なら今度こそ救急車を呼べばいい。


「ああ、そうだな。阿久津さん、歩けるか?」


「だい、じょうぶ……」


「よし。早く戻るぞ」


 草間は阿久津の体重をなるべく自分にかけるよう、寄り添うように近付いて、左手を阿久津の右肩に回し、ゆっくり歩き出す。

 そのまま三人は、薄暗がりの倉庫を後にした。

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