第35話:深淵《しんえん》
「ここが東の果て、『禁断の地』か……」
エルフの里を発って半日、そこには垂直な一枚板のような岩盤がそびえ立っていた。
「前に来た時はどうやっても開かなかった扉ね」
エレナが言う。よく見ると焼け焦げた跡がまだ残っている。魔術による爆発などを使って強引に突破しようとしたのだろう。
「鍵となるのは聖剣と
アランがそう言いながら、『聖剣』の切っ先を壁に当てると、ライラがその隣にそっと手をかざす。すると、轟音とともに岩盤が2つに割れはじめた。
「すごい!継ぎ目一つなかった岩なのに、まるで引き戸みたい!」
エレナが興奮して叫ぶ。剣と手のひらを岩から離してもその動きは止まらない。暗闇への道は少しずつ開いていき、人間の背丈ほどの幅まで開くとようやく動きを止めた。
「《照明》」
俺とエルが同時に呪文を唱えた。法術による灯りがそれぞれの手に宿る。暗い夜道や洞窟を進む際、光源は念のために複数用意しておくのが基本だ。《照明》は初歩の法術なのでアランも使用でき、また原理は異なるがエレナも同様の魔術を使えるが、基本的には神官が優先的に使うものだ。
「ここから先は、おそらく80年以上誰も足を踏み入れたことのない地。心してかからないとね」
イザは折りたたんでいた棒を
こうして俺たちは、イザを先頭にしてゆっくりと闇の中へ足を踏み入れていった。
*
しばらくは一本道が続いた。自然の洞窟というよりも通路として整備された道のようだ。危険といえば一部の天井が低くなっているくらいであり、床は平坦だった。道中には魔物はおらず、懸念していた罠の類もなさそうだが、油断はできない。
「……この先、いるね」
通路が開けて大きな広間に差し掛かった。腐敗臭がする。《照明》の灯りの元、床の上にうずくまる影がある。それは白骨化した死体のようだが、負の生命力を感じる。
アンデッドと呼ばれる連中には大きく分けて3つの種類がある。まず
そして、この場にはおそらく3種が全て混在している!屍術師とその下僕どもといったところだ。
「……こんなところにあるのが並の屍であるわけがない。全力で行くぞ」
ゴルド卿の合図で一気に攻めかかる。
「《猛炎》!」
エレナの詠唱とともに視界が灼熱の炎で染まる。間髪入れずに、イザが『炎のロッド』の魔力を開放して螺旋状の炎で巻き込む。2つの魔力が渦を巻いた炎の嵐の中でも、奴らの黒い輪郭は未だにその姿を留めている。
「さまよえる魂は天へと還れ、仮初めの肉体は地へと還れ」
エルの祈りの言葉が光の筋となって大地を伝わる。炎に
「お前が親玉だな」
俺は神官として
「ワォーン!」
奴は何か呪文を唱えようとしたが、アルフの遠吠えに怯んだ隙を俺は見逃さなかった。走りながら、拳ごと殴りつけるような勢いで剣を振り下ろした。
「《大癒》!」
同時に、回復呪文を唱える。剣で斬りつけると同時に拳から直接、生命力を送り込むのだ。アンデッドは負の生命体なので、正しき生命力を注がれるとその姿を維持することが困難になる。
「たぁっ!」
背後からライラの掛け声とともに骨の砕ける音が次々に聞こえる。腕の部分のみを狼のものに変身させ、その筋力で敵を打ち砕く技だ。炎の嵐と聖なる祈りに耐えた残党を粉砕しているようだった。
「すごい! よぉし、僕も!」
それと同時に、アランが俺を真似て回復呪文を唱える。あれは《中癒》か。さすが『聖剣』だけあって、俺のようにむき出しの拳を介するまでもなく、剣そのものに生命力をまとわせる。それにしてもひと目見ただけで応用してしまうとは!輝く刃が横一文字に閃くやいなや、生ける屍を上下に両断!! すると操り人形の糸が切れたように、残りの屍も崩れ落ちた。
*
「見事だ。わしの出る幕はなかったな」
ゴルド卿がつぶやく。屍の群れは、俺たちを攻撃する間もなく全滅した。卿も抜いた剣を振り下ろす機会すらなかったのだ。
「……考えたくはないんだけど、こいつらって勇者たちの成れの果てなのかしらね」
消し炭のようになった骨を見下ろしながらエレナが言う。
「どうだろうな。いずれにせよ、魂は正しいところに導かねばならん。……邪法に囚われし哀れなる魂よ。我が豊穣神の名のもとに全てを許し、その
改めてエルが祈りの言葉を口にすると、床にくすぶっていた
「トム、無茶をしたな。素手で奴らを触っただろう。念のため清めておけ。ライラもだぞ」
エルが懐から聖水の小瓶を取り出し、俺とライラの手にふりかけてくれる。
「すまん。飛ばすよりも直接叩き込んだほうが早いと思ってな」
「それにしても、アランとともに2回の攻撃だけで奴を討ち滅ぼすとは。法術と剣技を同時に繰り出す、これこそが聖騎士の本領というわけだな」
エルはいたく感心して俺たちを見る。
「よしてくれ、聖騎士と呼べるのはアランだけだ。俺はまがい物、神官崩れのただの戦士さ」
聖騎士とは戦士でありながらも神官である存在だ。俺は神官を道半ばで諦めて戦士になっただけに過ぎない。
「だが、魔物との戦いでは結果が全てだ。誇るべきときは自らを誇るべきだろう」
「そうですよ、あんなことができるなんて、僕には考えもつかなかったんですから!」
「少し騒ぎ過ぎだよ、静かにしな」
興奮気味にアランが語るのをイザが制する。ここは敵地なのだ。
*
「どうやら、この部屋から続くのは階段一つだけのようだね」
広間を探索すると、壁の奥に隠された空間を発見した。棒で叩けば反響音ですぐにわかるような粗末なものだ。実際、俺がメイスを振るうとあっけなく崩れて、地下に向かう階段が姿を表した。この空間の設計者とは別の者が、急ごしらえで隠したような印象を受けた。
「どうする?……って、聞くまでもないか」
イザは俺たちに問いかけたが、既に先へ進むという意志は揺るがないことをすぐに確かめた。
こうして、俺たちは深淵へと足を踏み入れていく。
***
【本作独自の用語・用法】
『罠の確認のために斥候が使う棒』
いわゆる「10フィート棒」。ただ本作の場合、イメージとしてはそこまで長くないかも。
『アンデッド』
RPGなどでよく使われる分類としては以下のようなものがあり、本作もそれに従っている。ただし作中世界においては、具体的な呼び分けは浸透していない。
・操り人形→一般のゾンビなど
・第三者の悪霊が憑依→ワイト
・強大な屍術師自身→リッチ
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