第2話:帰途《きと》

 夜明けとともにエルフの村を後にする。西に向かって山を降りるのだ。苦楽を共にした仲間の5人と、俺に代わってパーティに加わるフォルンの全員が俺を見送ってくれた。


 パーティの持ち物は基本的に共有財産なのだが、俺が身に付けている物についてはそのまま譲ってくれた上に、少なくない額の路銀ろぎんまで分けてくれた。身勝手に離脱した俺に対する仲間からの最後の思いやりに心から感謝した。イザからは道中の無事を祈って『火炎のロッド』を託されたが、これは彼女にこそ必要な道具だと思って固辞した。


 道中では戦闘らしい戦闘も起こらなかった。既に俺達であらかたの魔物を討伐した道を引き返しているだけなので当然だった。結果として、当初の見立てよりもだいぶ速いペースでとうげを越え、まだ明るいうちにふもとの村に着いた。


 なお、往路では(中央都市から見て)ここより少し手前にある村を山越えの拠点にしていたので、この村に立ち寄るのは今回が初めてである。以前拠点にした村には優秀な鍛冶屋や防具職人がいて、激戦続きの山越えにおいて武具の修繕しゅうぜんに大変世話になったが、ここは単なる寒村かんそんに過ぎないようだ。


 **


「大将、やってるか?」


 することもないので、少し早めの夕食をいただくために酒場兼宿屋のドアを開けた。まだ他に客はいない。


「ああ、大したもんはねえけどな」

「温かい飯が食えれば十分だ」

「モツ入りの麦粥むぎがゆでいいかい?ちょいと時間はかかるけどよ」

「じゃあ、それをいただくよ」


 今は晩秋。農村では冬に備えて豚を屠畜とちくして保存食を作る季節である。よって、保存が利かない内臓はこの時期に食べる機会が多くなる。長らく菜食主義のエルフの村に滞在していたので、モツとはいえ肉をまともに食べるのは久しぶりだ。


 *


「へいお待ち」


 麦粥が運ばれてきた。丁寧に下茹でをされたからなのか香草のおかげか、ほとんど臭みはない。大腸などのモツは非常に柔らかく煮込まれている。大麦の粒とともに、するすると胃袋に入っていった。


 しばらくすると続々と客が入ってきた。旅人らしい姿はなく、村の住人のようだ。


「旅人とは珍しいな、どこから来たんだ?」

「中央都市からだ」

「へえ、遠いところから来たもんだなぁ」


 中年の男の問に答える。早馬であれば1日で着く距離ですら「遠い」と感じるほどの村である。


「ところでこの麦粥旨いな。ここいらの名物なのかい?」

「ああ、屠畜の季節になるとおやっさんがモツをまとめて料理するんだ。いい時期に来たな」

「なるほど、それで処理が丁寧なわけだ」


「お兄さん、ギルドの冒険者だろ?魔の山へ行くのかい?一人旅とは珍しいが、合流待ちかね?」


 麦粥を平らげて、ぬるいエールで喉を潤していると店主が尋ねてきた。


「いや、降りてきたところだ。これから戻る」

「まさか一人で山に入っていたのか?!」

「仲間のおかげだよ……」

「そうか……。まぁいいさ。気をつけて帰りなよ」


 一人で帰ってきたことに何かを察したのか、周囲もそれ以上は追求しなかった。


「1泊したいんだが宿の用意はあるか?できれば個室がいいんだが」


 個室と言っても他に泊まる客がいる気配もないのだが、夜中に冒険者が立ち寄る可能性はある。


「あいよ。メシ代と合わせて銀貨10枚だが大丈夫かね?」


 おそらく、俺が中級以上の金回りのいい冒険者だと踏んで多少ふっかけた値段だろうと思う。しかしふところには余裕があるし、厳しい冬を迎えるにあたって何かと物入りであろうから、麦粥に免じて値切らずに受け入れる。


「ああ、問題無い。明日は早く出発するから飯の用意を頼む」

「わかった。2階の奥の部屋を使ってくれ」


 俺は支払いを済ませると部屋に向かった。


 *


 さて、これからどうしたものか……。わらが敷かれたベッドに転がりながら考える。俺にはもはや神官としての成長の余地は無いようなので新たな道に進まなければならない。斥候せっこうになれるほど器用でもないし、魔術を一から習うのでは実戦で使えるまでに何年かかるかわからない。


 そうなると、戦士として白兵戦能力を高めるのが最も現実的に思われた。もともと武器での戦いは苦手ではない。法術の使える戦士、まるでまがい物の聖騎士じゃないか。かえって俺には似合ってるかもな。


 そんなことを考えているうちに俺は眠りにつき、鶏の鳴き声とともに目覚めた。


 *


 朝食は、少し硬いがカビは生えていない黒パン、豚脂ラード入りのカブとキャベツのスープ、透けるくらい薄く切ったチーズが1枚。辺境の安宿にしてはなかなか上等だ。携行食料にはだいぶ余裕があり、いざとなれば《不飢ふき》の呪文も使えるのだが、人里にいる間はなるべく普通の食事を摂るようにしている。神官にしては俗っぽいと言われるのだが、これは俺にとってささやかな旅の楽しみでもあるのだ。


「ありがとう、旨かったよ」


 まだ寝ている父親に代わって食事を用意してくれた店主の息子にチップとして銅貨数枚と、おやつ代わりに携行けいこう食料を1包み渡す。


「ちょっと待って!」


 少年はそう言って厨房に入ると、腸詰ちょうづめとキュウリの酢漬け、それに厚めに切ったチーズを挟んだ黒パンをこしらえて俺にくれた。


「うちの腸詰めは絶品だからさ、弁当に持って行ってよ」

「ああ、親父さんが作ったんなら期待できるな。お前も頑張って受け継ぐんだぞ」


 俺は油紙でそれを包んで雑嚢に入れ、少年の頭を撫でてやると真っ直ぐな瞳で見つめ返された。


「それじゃ、行ってくる。豊穣神ほうじょうしんのご加護がありますように」

「兄ちゃん、気を付けてね!」


 背中越しに手を振って答える。こんな爽やかな旅立ちも悪くないもんだ。


 ***


【一般用語集】


路銀ろぎん

 旅の道中で必要になる金銭。必ずしも銀貨というわけではない(今回支払ったように銀貨も含まれてはいるが)。


『麦粥』

 かゆといっても米ではなく、大麦やオーツ麦(オートミール)などを煮込んだもの。

 中世ヨーロッパの、特に農村部においては一般的な主食であった。


屠畜とちく

 肉や皮を取るために家畜かちくほふる(殺す)こと。屠殺とさつとも言う。


腸詰ちょうづめ』

 英語で言えばソーセージ。本来は貴重な保存食なので、宿屋の息子がパンに挟んでくれたのはかなりの好意である。


『エール』

 大麦などから作られた酒。定義はいろいろあるのだが、ここでは「(現代から見て)古い製法のビール」程度の意味合い。度数は低く、水やパンの代わりに飲んでいた。


『携行食料』

 ここでは携行食一般ではなく、長旅用に作られた特定の食物を指す。

 小麦粉にナッツ類やドライフルーツ等を油脂とともに練り込んで焼き固めたもので、保存性と栄養価に優れている。

 冒険者になるとすぐ食べ飽きてしまうが、甘いので一般人、特に子供には人気。分けてあげると喜ばれる。

 具体的な製法や価格は季節や場所によっても異なるのだが、一般人にとってはそれなりに高級品である。


『黒パン』

 見た目が黒っぽい(茶色っぽい)パン。ライ麦や、精製していない小麦などから作られたパンの総称。硬いが、栄養価が高く日持ちする。


『油紙』

 油を染み込ませた薄く丈夫な紙で、防水性に優れる。ビニールなどが無かった時代には食品を持ち運ぶのに重宝したはずだ。読みは「あぶらがみ」でも「ゆし」でも正解。


豊穣神ほうじょうしん

 農作物などの豊かな実りをもたらしてくれる神様。

 一般用語ではあるが、本作における詳細は本編で語る。


【本作独自の用語・用法】


《不飢》

 法術の一つ。自分自身や仲間に対して、1日程度の間だけ空腹と喉の乾きを忘れさせる活力を与える。

 ただし血肉になるわけではないので、こればかりに頼って食事をおこたると代謝たいしゃが滞って健康に悪影響が出る。

 仮にこの呪文のみで生存しようとした場合、3日程度で肌荒れが目立つようになり、1週間もすれば体調不良を実感し、1ヶ月も経たないうちに死に至ると言われる。

 餓死するよりはマシとはいえ、好んで使う冒険者はまずいない。まして成長期の若者であれば悪影響はなお大きい。

 以上、設定だけ思いついたが本編で語る機会がなさそうなので書き記しておく。


 ここでは単に音読みした「ふき」とルビを振ったが、書き下し風に「うえず(飢えず)」と読んでもいい。

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