第19話:飛竜《ひりゅう》

 飛竜とは、ワイバーンとも呼ばれるドラゴンの眷属けんぞくである。現世において、一つの種として確認されている唯一のドラゴンでもある。むしろ、過去の伝承で様々な「ドラゴン」と呼ばれていた存在は、そのほとんどが飛竜であったのではないかという説が近年では有力である。


 *


 飛竜は一対の翼と2本の脚を持ち、全体的な外見はむしろ鳥に近い。しかし実態は鳥類とも、それこそ「怪鳥」とも大きく異なり、顔つきからも想像できるように爬虫類の一種だとされている。


 ある種の大型のトカゲがそうであるように、飛竜という生物は通常、雌のみで単為生殖をする。一つの山地を支配しているのは、群れの女王とその娘たちである。そして彼女たちは縄張りから出ることはなく、ゆえに人間との干渉は滅多にあることではない。それは冒険者にとっても同様であり、いかに勇敢な戦士といえども、群れ一つを相手にするのはあまりにも無謀である。


 そんな飛竜にも、神の気まぐれか、ごく稀に雄が誕生することがある。そのような雄は自力で餌を狩れるようになるころには群れを追い出される。群れを追われた雄は、新たな縄張りと伴侶を求めて広範囲を放浪する。ゆえに、我ら人間と接触するのはほとんどの場合においてこの雄ということになる。


 彼らは人間そのものには(腹が減っているのでもない限り)興味を示さないが、大規模な都市や城のことは「山」と見なして自らの縄張りにしようとする習性がある。よって、歴史のある城塞都市などでは過去に飛竜を撃退したという逸話の一つや二つは残っているものである。ギルドの報告通り、南方にて放浪する飛竜が確認されたとしたら、真っ先に狙ってくるのはこの中央都市であると思われる。


 *


「報告では飛竜が縄張りの外を飛んでいたというだけだ。群れの一員が狩りの範囲を広げただけかも知れねえ。だが最悪の事態は常に想定しておけってことだ」


「飛竜、か……」

「ねえ、トムは戦ったことあるの?」


 ライラが尋ねる。


「いや、無い。それどころか俺はまだ見たことすらないんだ」


 今まで、冒険者として飛竜を討伐した者はいない。最後に人里で確認されたのも、もう10年以上の前の話だと聞く。過去の襲撃は城に備えられた防衛兵器などを駆使して、多大なる犠牲のもとにかろうじて撃退できたに過ぎない。


「戦ったら勝てると思う?」

「無理だ。……少なくとも俺一人の力ではな」


 伝え聞く通りの力であれば、ゴルド卿の率いるパーティ全員で戦っても勝てるかどうかはわからない。


「ジャック、お前なら撃てると思うか?」


 "鳥撃ち"の二つ名を持つ、ギルドで一番の弓の名手に俺は尋ねた。


「ただの鳥がでかくなっただけの奴なら蜂の巣にしてやることもできるだろうが、そんな甘い話じゃねえよな」


 雄の飛竜というのは、それ自体が突然変異のようなものである。通常の飛竜にはない特別な力を持っていることが多いと言われる。過去の例では口から炎を吐いたり、翼から雷を落としたり、あるいは姿を消したりするような話が伝わっている。無論、鱗や皮膚も非常に強靭であり、並の矢であれば傷一つ付けられないという。


「ま、通じるかどうかはわからねえが、特別製の矢は発注しておいたぜ。鋼鉄製で、矢羽根にはこいつを使うんだ」


 彼は自らの帽子を指差す。そこには先日討ち取ったばかりのグリフィンの羽根があしらわれていた。


「実際にそれでよく飛ぶようになるかはわからねえ。願掛けみたいなもんだけどよ。もちろん試し撃ちはしてみるけどな」


 彼はグリフィンの討伐を成し遂げた、自らの誇りをかけて戦いたいのだろう。


「それよりトム、お前はそんな平凡な剣で大丈夫なのかよ。武器屋に行ったんだろ? もっとマシなのがいくらでもあったはずだぜ」

「俺にはこのメイスがある。それに、剣を振るうのなら俺よりもふさわしい者がいるだろうさ」


 もし本当に襲撃された場合、それらの武器は冒険者ギルドの内外を問わず、都市を守ろうとする腕利きの使い手に何らかの形で提供されるはずだ。例えば武器屋自身、あるいは領主や資産家が買い上げた上で貸し与えるなどの例が考えられる。そして、討伐において大きな働きを成し遂げた者には報酬としてそのまま所有権を与えると宣言すれば士気も高まるであろう。


「確かに、お前は治療術の腕を買われて後方に回されるだろうけどよ。相手は空を飛んでくるんだ、どこにいても最前線みたいなもんだぞ」

「そうだな。どちらにしても腕は磨いておく必要はありそうだ。生き残るためにもな」


 逸話に伝わる飛竜殺しの結末は、剣や槍、あるいは矢によって心臓を貫くものだと相場が決まっている。メイスは護身用にはなるかもしれないが、飛竜の頭を叩き割ってとどめを刺したなどという話は聞いたことがない。


 *


「それにしても信じられねぇよな。まさか生きた飛竜を見られるかも知れないなんて」


 オリバーの顔は、恐怖よりもむしろ好奇心が勝っているように見えた。


「もう、こんなときに楽しそうにするなんて不謹慎よ。……飛竜かぁ」


 たしなめるメリナの顔にも、どこか期待のようなものが浮かんでいる。彼らの村において、稀に訪れる吟遊詩人が歌う叙事詩は最大の娯楽であったのであろう。憧れていた飛竜退治の英雄を目の当たりにできる、もしかしたら自分自身がなれるのかも知れないと思えば、胸が高鳴るのは当然である。


「確かに、僕も死ぬまでに一度は見てみたかったです」


 冷静なポールも興奮を隠しきれていない。そもそも「冒険者」という稼業が確立した後にこの道を選んだからには、未知の存在との出逢いそのものに魅力を感じるのが普通なのかも知れない。実際に若手と話をしてみてもわかる。報酬だの名誉だのは、実のところ二の次だったりする者が多いのだ。


 だが、俺は違う。『異変』の謎を解いて人々を守るためにゴルド卿の呼びかけに応えたのであり、未知を求める冒険者ではなかった。飛竜の襲来を前にして感じるのは焦りと恐れ。俺は人々を……ライラを守れるのだろうか。


「ライラは怖くないのか?」

「もちろん怖いよ。トムですら勝てない魔物が出たなんて……。でもトムが、みんながいるなら、きっと大丈夫だよ!」


 彼女は俺のことを本気で信じている。弱気になっているわけにはいかない。


 ***


【一般用語集】


眷属けんぞく

 一族や支配下など。どちらかといえば生物よりも神仏の類に用いられる。

「ドラゴンの眷属」といった表現は、ドラゴンをある種の神格として捉えた言い回しである。


『単為生殖する大型のトカゲ』

 ここでは、実在するコモドドラゴン(オオトカゲ)のことを想定している。

 なお本作における飛竜の生態はオリジナルで、なにかの伝承が下敷きにあるわけではない。

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