第13話:恩義《おんぎ》
「あ、起きた? おはよう♪」
目覚めた俺に、ライラが元気よく声をかける。彼女はとっくに身支度を済ませているようだ。
思えば長い一日だった。朝から馬に乗り、神殿に報告しに行き、午後は新人相手に稽古をつけた。夜は久しぶりのギルド酒場で、新人や懐かしい顔ぶれと飲み交わしていた。何よりも、久しぶりに自分の居場所に帰ってきたという安心感が、俺を深い眠りに落としたのかも知れない。
「……オリバーとメリナはどうした?」
昨夜は4人で相部屋に泊まったのだが、彼らのベッドは空になっている。
「あの二人なら朝一番に起きてご飯を食べに行ったよ。読み書きを習いに行くんだって」
あの二人は農民の生まれだと聞いている。読み書きはできなくて当たり前だろう。俺がいたパーティは、やはり農民の家に生まれたアランを除く全員が、当たり前のように文字の読み書きができたが、これは決して一般的ではない。
貴族階級の生まれだったり、あるいは神殿や魔法学院で教育を受けた者ならまだしも、平民出身の冒険者は文字の読み書きができない者が少なくない。従来の冒険者には、自分自身は文字が読めなくてもギルド任せでどうにかなるという考えの者が少なくなかったが、ギルドの規模が拡大することによって冒険者が個人で外部と接触する機会が多くなった。
そこで、ギルドでは冒険者のために読み書き計算といった基礎教育を奨励するようになったのである。中年を過ぎた者などは渋々習ってるのだが、二人はまだ若いので学習意欲も吸収能力も十分にあるはずだ。
「そういえば、ライラはどこで文字を覚えたんだ?」
会ったばかりの頃、俺が見せた地図に書かれた文字を当然のように読み取っていた。
その時も少し疑問に思ったのだが、改めて尋ねてみることにした。
「んー、そもそもなんだけどさ、文字って人から教わらないと読めないものなの?」
「……どういう意味だ?」
「だってさ、誰に習ったわけでもないのに話はできるでしょ?文字を読めるようになるのもそれと同じだと思うんだけど」
彼女は、よほど文字に馴染みのある環境で育ったのだろうか。
「なるほどなぁ。例えば本が身近なところにあって、小さい頃から読んでもらったりしていれば自然に覚えるかも知れない」
「ううん、そういうことじゃなくてさ。だって私、人間の街に出てくるまでは文字なんて見たこともなかったけど普通に読めたよ?」
「……なんだって?!」
見たこともない文字を読むことができるというのは普通ではない。
「普通、文字というのは教わらなければ読めないものなんだ。この国でも文字を読めない人のほうがずっと多いんだぞ」
「……ふーん。私みたいに自然に文字が読めるようになるのって普通じゃないのかぁ」
「やっぱりライラは、本当に豊穣神様の使いかも知れないな」
教わってもいない文字を読むこともそうだが、昨日の稽古で見せてくれた身体能力も含めて、必要な能力を授けられてこの世に降りてきたのかも知れない。
「それはわからないけど、私はトムに会えて本当に嬉しかったんだからね」
「ああ、俺もだ。こうして会えたことにもきっと意味があるんだろう」
もしライラが本当に神様の使いだとしたら。それはきっと『異変』と無関係ではないのだろう。しかしこの、たくましくも可愛らしい娘が何かの鍵を握っているようには、少なくとも今の俺にはどうしても思えないのであった。
*
昨夜、酒盛りをしていた食堂に降りてきて朝食をいただく。カウンターが空いていたのでそこに座る。寝過ごしたかと思いきや、まだまだ人で賑わっていた。オリバーとメリナが特別早かっただけのようだ。
今日の朝食はバター付きの黒パンに、ベーコンと野菜がたっぷり入ったスープ、新鮮な牛乳、それにキャベツの漬物が付いてきた。パンの種類やスープの具に変化はあるものの、だいたいいつも同じようなものが出てくる。たまに肉や魚の燻製や、チーズのひとかけらが付いてくれば上等といったところだ。とはいえ、品数は少ないにしても具沢山のスープは味もよく、客からは好評である。
「お、もう食べたのか。おかわりももらえるぞ」
ライラは自分の分をぺろりと平らげて、手持ち無沙汰にしていたので教えてやった。
「え、ほんとに?」
「ああ。冒険者ならタダで1回だけスープをおかわりできるぞ。早いものがちだけどな……」
俺が言い終わる前に、彼女はカウンターの反対側にいたマスターのところまで駆け出していた。
「マスター、おかわりちょうだい!」
「お、ライラか。いっぱい食って大きくなれよ」
ライラの差し出した木椀に、マスターがスープをたっぷりと注ぐ。
「もう、こう見えても私はもう大人なんだからね!」
もう大人、か。そういえば俺も、小柄で童顔の彼女のことを子供扱いしていたと思う。とはいえ、思春期の少女が背伸びをして自らを「大人」と呼ぶことは決して珍しいことではない。獣人という存在を他に知らないので、彼女の言う「大人」がどのような意味であるのか、俺にはまだわからない。
「お、トムもまだ食うか。多めによそっておいたんだがな、ははは!」
ライラの食べっぷりを見たら、俺ももっと食いたくなってきたのだ。
「まあな。今日も稽古で腹が減りそうだからな」
昨日は一切の法術を使わずに3人と打ち合った。素人相手だと舐めてかかっていたというのもあるのだが、予想以上に体に来たのである。
「そうそう、オリバーとメリナだけどよ、今日は夕方まで帰らないかも知れないぞ?」
「どういうことだ?」
「朝飯を食ってるときに同じような新米と意気投合してな。手習いが終わったあとは一緒に薬草摘みに行く話をしてたんだ」
薬草摘み。いつの頃からか冒険者にとっては新人の仕事の代名詞のようになっていた。山林の奥深くに分け入り、薬の材料として珍重されている野草やキノコを採取するのだ。
たまに薬師から大規模な依頼があるのだが、需要自体は常に存在しているので、戦闘に慣れない駆け出しの冒険者が稼ぐにはうってつけなのである。さらに、食べられたり薬になる野草やキノコを把握しておくことは冒険をする上で重要な知識になるため、ギルドとしても奨励していると聞く。
「だから、今日はお前自身のために訓練所を使うといい。ちょうどあいつも帰ってくる頃だしな」
「あいつ……?」
「おお、噂をすればなんとやらだ。……ジャック、よく帰ってきたな! 朝飯ならまだあるぜ!」
ギルド宿の入口の扉が開かれ、中に入ってきたのはジャック、"鳥撃ち"のジャックだ。『異変』以前から腕利きの狩人として知られ、今や国一番の弓使いとして通っている。護衛や案内役として他のパーティに同行することもあるが、自らの仕事のときは常に単独で行動する異例の冒険者である。単独行動の理由は狩りのため。つまり獲物を仕留めるために、極限まで気配を殺す必要があるからだと聞いている。
「ありがてえ! 温かいメシは久しぶりだからな。……なんだ、トムもいるじゃねえか」
「久しぶりだなジャック。その羽根は……まさか?」
俺は、彼の帽子に挿してある大きな飾り羽根を見て言った。
「ああ。グリフィンを仕留めてやったぜ」
そう言うと、彼は得意げな笑みを浮かべた。
グリフィンと呼ばれる、
そんな厄介者を、彼はたった一人で討伐してのけたのか!
「まさか本当にやっちまうとはなぁ! とっておきのぶどう酒があるんだが、今飲むか?」
「もちろん。獲物を仕留めた後の酒が一番うめえからな!」
「そう言うと思ったぜ。ところで酒に免じて、いやお前の腕を見込んで頼みたいことがあるんだけどな」
マスターは真っ赤なぶどう酒を、樽から透明なグラスに注ぎながら言った。高価なガラス製であり、とっておきの酒を大事な客に出すときにしか使わない逸品である。
「おう、しばらくはここに滞在する予定だからな。やれることはやるぜ」
ジャックはグラス片手にぶどう酒の香りを楽しみながら、機嫌よく答えた。
「トムのやつに弓術を教えてやってくれねえか?」
俺の方から頼もうとしていたのだが、マスターが先に振ってくれた。おかげで話が早く済みそうだ。
「トムに?……なんでまた神官が弓矢を習おうってんだ?」
「これについては俺から説明するよ。朝飯食いながらでいいよな」
こうして、俺はジャックに経緯を説明し、戦士として再出発するために弓術を習いたいことを伝えた。
*
「……なるほどな。ま、俺もしばらく暇だし、渡りに船ってわけだな。いいぜ、引き受けた!」
「ありがとう。無茶な頼みを聞いてもらってすまないな」
「いいってことよ。嬢ちゃん……ライラを守る力が必要なんだろ? それにゴルドの旦那にはさんざん世話になってるからな。グリフィン革の鎧が仕立て上がるまでなら、いくらでも付き合うぜ」
彼の狩猟活動において、ゴルド
つまり彼が卿に恩義を感じているからこそ、仲間である俺の頼みを聞き入れてくれたというわけである。俺はパーティを離れてなお、偉大な仲間に支えられているのであった。
***
【一般用語集】
『キャベツの漬物』
いわゆるザワークラウトのこと。
キャベツを乳酸発酵(誤解されやすいが酢漬けではない)させた保存食で、新鮮な野菜が気軽に入手できるようになる以前の時代において重要なビタミン源である。
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