第33話:新緑《しんりょく》

 中央都市から東にある森林地帯を進み、この地域を東西に隔てる川までたどりついた。


「なんだか懐かしいな。トムと会ったのも川沿いだったね。反対側だけど」

「ああ。あの頃は秋の終わりだったな。今ではすっかり新芽の季節だ」


 川沿いでライラと懐かしい話をした。彼女と会ったのも、もう半年近く前の話となる。


「聞いた通り、橋は落ちているわね。先輩、竜の爪を貸していただける?」

「ああ」


 エレナの呼びかけに対し、イザは鞘ごと短刀を渡す。それを抜くと、川沿いの木の根本に呪文を唱えながら紋様を刻みつけた。


「反対側も、っと」


 そう言って彼女は自らに《浮遊》の呪文をかけて川をひとっ飛びし、対岸の木にも同じような印をつけた。


「エル、トム!私が印を付けた木に生命力を注いでくれる?……そうね、《大癒》なら十分だと思うわ」


 なるほど、これは樹木を思い思いの形に成長させることで家や橋を作るという、エルフに伝わる術だ。


「わかった、なるべく同時にかけたほうがいいんだろう?」

「ええ、お願いするわ」


「よし、いくぞエル」

「ああ」


 俺は見えない弓を構え、《大癒》の法術を対岸の木に向かって飛ばす。着弾と同時にエルが、目の前にある木に《大癒》を注ぎ込む。注入された生命力が刻んだ紋様と反応し、鮮やかに輝き出す。そして2本の木は川に向かって根を急成長させた。


「いいわ!狙い通りよ」


 お互いの太い根が川の中心で出会い、さらに太く絡まり合っていく。続いて2本の細い枝が根と平行に伸び、さらに垂れ下がる枝葉が絡み合って、たちまち立派な吊り橋が出来上がった。


「すごい、傷を治すだけじゃなくてこんなことができるなんて……」


 ライラが感心して声を上げる。


「傷を治す力の応用ね。言い方は悪いけれど、小さな傷を大きな傷だと勘違いさせて成長力を引き出しているわ。竜の爪を使ったのも大正解ね。普通の金属のナイフではここまでうまくはいかないはずよ」


 俺の剣を変化させたように、竜の体には不思議な力が宿っているのだろう。しかも、このナイフは元は飛竜の翼爪……ライラの体を傷つけたものだ。すなわち神狼しんろうの血を浴びていることになる。


「賢者のフォルンなら一人で完成させられるって聞いたわ。2人の神官の力を借りれば私にもできると思って試してみたんだけど、大正解だったみたいね」


 フォルン、つまりエルフの里で待つ彼女の想い人だ。魔術師と神官の双方の呪文に精通しているので、ギルドの基準では「賢者」と呼ばれる存在だ。エレナはあくまで魔術師でありながら、仲間の手を借りてその力の一部を再現しているようである。


 *


「すごい、びくともしない!」

 真っ先にライラが駆け抜けた。


「こら、アルフ!あんまり急いで落っこちても知らないぞ」

 彼女を追うように猟犬アルフが、そしてアランが渡る。


「ふむ。確かに丈夫な橋だな」

 続いてゴルド卿が渡る。全身鎧を身につけた巨体はかなりの重量だが、少しきしむ程度で全く問題はなさそうだ。


「エルフの秘術、こんなところで目の当たりにするとはな」

「ああ、しかしお前の法術も見事だぞ。あの距離を苦もなく命中させるとは」

 俺とエルを見届け、最後にイザが渡る。これで渡河は完了した。


 *


 川を渡って対岸の森を東に抜けると、ヒースの花で彩られた荒原地帯を一本の荒れた街道が貫いている。この道沿いに真っ直ぐ行けば魔の山に入る。太陽はまだ南中よりもやや東にあり、日が暮れるまでにはエルフの村まで辿り着けそうだ。魔物の妨害もないためか、想定以上の速さで歩みを進められている。


 *


「まるで私たちを迎えてくれているみたい」


 魔の山の入口でライラが言う。以前俺たちが来たのは晩秋であり、散りかけた枯れ葉が残る寂しげな風景だったが、今は新緑と花々で彩られた木々が出迎える。


「ああ、だが油断はするなよ」


 ここから先に入って、生きて帰ってきた者はほとんどいない。強大な獣や魔物に加え、複雑に入り組んだ道が行く手を阻む。もっとも、半年前の戦闘で俺たちの恐ろしさは十分に味あわせている上に、苦労の果てに正確な地図を作って道しるべも残しておいたおかげで道に迷うこともない。


「……! さっそく来たね」


 イザが指差す方向から複数の影が飛来する。火吹き虫と呼ばれる連中で、人間の頭ほどの大きさの胴体に大きなはねを持つ。単独では大したことはないが、春先になると羽虫のように大量発生するので、集団で火を吹きかけられると厄介である。


「《吹雪》!」


 エレナの魔術に合わせる形で、イザが氷のロッドを振りかざす。広範囲を覆う吹雪で虫は瞬時に凍結し、たちまち数十匹が地面に落ちて砕け散った。


 俺は身構える。《風刃》は範囲が狭いので殲滅せんめつには向かない。生き残りは直接攻撃で各個撃破するのだ。


「はあっ!!」


 ゴルド卿が大剣をぎ払い、数匹をまとめて一刀両断にする。範囲外に逃れた何匹かが炎を吹きかけようとするのを見て、俺とアランは盾で味方を守った。竜の革と骨で作られた盾を炎が舐めるが、全く熱さを感じない。


 奴らが怯んだ隙に、俺とアランの剣が一匹ずつ切り捨てていった。竜の血を浴びた剣を実戦で振るうのは初めてだったが、虫どもの体液がこびりつくことすらない切れ味であった。視界の影ではライラが高く飛び跳ねて爪で奴らを切り裂き、地面に落ちた生き残りにアルフが牙でとどめを刺す。


「魂よ、迷わず豊穣神の元へ召されよ」


 羽虫どもの全滅を確認すると、エルが聖印をかざして祈りの言葉を口にする。魔の山でこれを怠ると、生ける死体や死霊の群れとなって再び襲いかかってくることがあるのだ。


 *


「ねえ、あれがエルフの村?」


 ライラが指をさしたところは、森の中でもひときわ鮮やかな花で彩られており、おぼろげに光り輝いているようにも見える。まさしくそこがエルフの村である。


「ああ。……ようやく戻ってきたな」


 俺が仲間たちを背に、ただ一人で立ち去ったエルフの村。俺にとっての冒険の終焉しゅうえんの地に、いま再び足を踏み入れようとしている。仲間たちと共に。

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