第30話:始点《してん》

 夜、邸宅でささやかながら宴が開かれた。宴と言っても畑から取れた作物を中心とした質実剛健な料理が目立つが、もちろん普段のギルド酒場などで食べるものよりは質・量ともに段違いである。その中心でひときわ目立っていたのは、大きく切り分けられたかたまり肉のローストを始めとするイノシシ料理であった。


「このテーブルの半分くらいもある巨大なイノシシでした。それをアルフが、ほとんど一匹だけで仕留めてしまったという話ですよ」


 アランがそう語り、骨付きのアバラ肉にかじりついた。狩りに連れ出したのは「若」ことゴルド卿の子息。アルフを猟犬として調教したのも彼であるという。なお、今夜は村の有力者の食事に招かれているということで、この席にはいない。


「やっぱり、私の思った通りね。アルフはただの猟犬なんかじゃないわ」

 脂のしたたるる獣肉を、細かく切り分けながらエレナが言う。


「うん。私でも一人でそんな大きさのイノシシを捕まえるのは無理かも」

 ライラは大きな塊を手でつかんで頬張りながら言う。


「なるほど、仮初かりそめとはいえ神狼しんろうとしての力は本物のようだね」

 イザはそう言うと、カブのペーストと腸詰めをレタスで巻いて口に入れた。


「そうなると、仮初めの聖剣も本物に匹敵するということか」

 俺はにんにくの効いたレバーのパテを、こんがりと焼かれたパンに塗って口に入れる。


「……出発は早いほうが良さそうだな」

 肉の旨味が溶け込んだスープで口を湿らせたゴルド卿が決意を決める。


「準備は必要です。先日、工房へ武具の生産や修繕を依頼したばかりで、あと3日はかかるとのことです。いずれにせよ、まずは中央都市を拠点にすべきでしょう」

 柔らかく煮込まれたタンを切り分けながらエルが言う。


 ここにいる誰もが心は次の冒険へと動いているが、それはそれとして久しぶりの豪華な食事を思い思いに楽しんでいた。かつての仲間たちと再びこのような食卓を囲める日が来るとは、エルフの村を一人で去ったときの俺には想像もできなかっただろう。


 *


「こちら、今年の蜂蜜で作ったお酒ミードです」


 給仕が配膳した銀のカップに注がれた、甘い香りのする琥珀色の液体。酵母による発酵の泡が残っているのが新しい証拠だ。口に入れると甘酸っぱい味と泡の刺激が爽やかな気分にさせてくれる。これから無謀な冒険に挑もうとしている俺たちを励ましてくれるような気がした。


 **


「おはよう。みんな、よく眠れたようだな」


 邸宅にて迎えた翌朝。朝食の席でゴルド卿が顔を見渡す。誰もがきれいな目をしている。寝付けなかったり泣きはらしたりした者はいなかったようだ。


「父から話は伺いました。領地のことは私にお任せください」


 夕食にはいなかった二世殿が同席し、特に領内に家族が暮らすアランを見ながらそう言った。2年前の旅立ちで家督を譲られた時から覚悟はできているようだった。武門の生まれの定めとして、今は亡き母君からも、幼い頃から「父親がいなくなる日」のことを教え込まれていると聞いている。


「僕も、昨夜の話はさすがに急だったんですけど、覚悟はとっくにできていたんですよね。今までははっきりしなかった目的がようやく定められたようで、むしろ晴れやかな気分です」


 パンにバターを塗りながらアランが言う。2年前に『聖剣』を手にしてから、彼の人生は一変した。農家に産まれた一介の少年が、世界を救うため……世界を脅かしている謎に挑むために、命がけの冒険に出発した。結果、成果は得られずに帰郷して緊張の糸が途切れていたところに、より具体的な「目的」がもたらされたのである。


「私がこの大陸に来てトムと……仲間たちと出会ったのも、きっとそのためだと思うの。今まではトムの後をついてきたけど、これからは私がトムを導かなきゃ!」


 ライラはこんがりと焼けたベーコンが乗ったパンを食べながら言う。俺が倒れてから妙にしおらしくなっていた彼女が気にかかっていたのだが、すっかりいつもの調子を取り戻したようだ。あるいは、彼女もまた決意を新たにしたのだろうか。


 **


「それでは、出発する。必ずや目的を果たして帰って来る。お前たち、家と領地のことは任せたぞ」


 ゴルド卿は愛馬にまたがり、門の前に並んだ息子と使用人たちを前に、堂々たる声で宣言した。卿を筆頭に、アラン、エル、俺、ライラ、エレナ、イザと続く。猟犬アルフはアランと共に歩を進める。


 俺にとっての冒険の始まりの地から、いま新たなる旅が始まる。

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