何と書けば良いのでしょう、「面白かった」「泣けた」、そんな言葉だけでは収まらず、なかなかレビューを書けなかった不甲斐なさとお恥ずかしさ、まずは陳謝いたします。
涙と鼻水を拭きつつ言葉を探す時間は、さながら〝愛とは〟何かを探す時間に似ていました。
けれど、答えはこの作品、『アイトハ』にあります。きっと、多くの方が、この作品を通して考え、自分なりの〝アイトハ〟という答えを見つけられるはず。
人の想いや感情は不定形で、だからこそ〝愛とは〟何だろうと、本当にそんなものはあるのだろうかと、思い悩むこともあるかもしれません。
けれど、きっとそれは、あるのだろうと信じられます。
たとえ、死がふたりを分かつとしても。
愛した想いは、本物なのだから。
作中に出てくる手紙に、真実の愛を感じて。
自分の中で〝アイトハ〟と自問するたびに、私は何度でも、この物語を読み返しに来るのです。
約7300字、一話完結の作品、是非ともご一読いただきたいと願います。
主人公の冬哉と彼女の祐月。彼女が彼へ宛てた時を超えた手紙が、胸を、瞼の裏を、どこまでも熱くする物語です。
彼女の命が削られ薄まっていく描写が現実味を帯び、巧みな比喩で綴られる命の営みに胸が締め付けられていくようです。命を繋ぎ止めようとする笑顔に視界が歪み、滲んで見えてきます。
「……私は絶対に死なないから」
彼女の小さな呟きに冬哉は、奇跡は神様ではなく、本人が起こすものと信じて止まない、この揺るぎない想いが胸を打つのです。心の強さで目の前にある死を乗り越えようとして……ダメだ、この物語を読むと、思わず、心が震えてしまう。
思い出がいつまでも心の中に生き続けるために、彼はこの物語を書き続けます。いつまでもあなたの笑顔を忘れないために。
目に見えない「愛」というものを、誰もがふと感じて、胸を温めることがあるでしょう。
しかし人は、その愛も、何かのきっかけで見失うことがあります。死別は、その最たるものだと思います。
どんなに素晴らしい出会いと絆も、訪れる“死”というものからは逃れられません。その苦しみや悲しさに、胸を温めていたはずの愛は、鳴りを潜めてしまうことがあります。
でも、それは決して消えることはないと思うのです。
主人公が愛を取り戻す瞬間、きっと読んだあなたも、共に涙することでしょう。
日常に埋もれがちだった想いも、胸の奥から溢れ出し、自分の中にも多くの愛があると感じられるのではないでしょうか。
どうか、読んで、感じて下さい。
いきていて、幸せであること、いきている目的をはたしていること、ながくいきて、子供と孫に囲まれて、うまれおちてすぐにいのちを失って、花も草も、牛も豚も、わたしがながくいきた証は、わたしはたくさんのいのちを見送って、どれもみんなもうすこし長く水を飲みたい、もうすこしごはんをたべたい、でもたべられない、そんな時間のなかで、花も草も、牛も豚も、こんなに綺麗なこの世界。この地平。どこにも一点の誤りもない。完璧なそらの下で、わたしは、いきていくし、このお話のひとたちがいきている、いきていた世界は、いますぐここに接続するし。なんの表現も必要とはされない。ほら、そこに。いますぐ。