第8話 心

病院からの帰り道、目に入ったのはまばらなイルミネーションを纏った木々のアーチ。彼女に問うこともなく、道路の反対側へと渡るため信号が変わるのを待つ。澄んだ透き通った空気が信号の青の光を押し広げる。降る雪は小さな粒雪へと変わっていた。風も少し出てきて寒さを助長する。控えめにイルミネーションを纏った木々のアーチの入り口に立つと、反対側の通りから観た時とはまるで違ってまばらでパッとしなかった光の粒が手前から奥へと折り重なりあって冬の星空を間近に歩けるように美しかった。


「遠目に見るのと、こうして見るのとではまた違うもんだね。いい感じ。」

「そだね。遠目に発見した時はこう見えるとは思わなかった。あんまりチカチカしすぎるのもな。」

「圭介くんってイルミネーションとか、夜景とか、好きそうにないもんね。」

「そんなことないよ。まぁ、あんまりわざとらしくいかにも人工的で派手なのはどうかと思うけど、街を彩る色んな光を見ると、まぁいいんじゃないって思うよ。」

「うふふふ。」

「何がおかしいんだよ。」

「ごめんごめん、素直じゃないなぁ〜と思ってさ、、そしたら、さっきの?鈍感罪の下りを思い出してさ、はつみちゃんがゲラゲラ笑ってるのを思い出し笑いしちゃった。」

「めっちゃ笑われたね。あんな笑われたことないわ。」

「でも、本当に良かったの?私、現れて。」

「愚問だな。あの笑顔が見られたんだから本当に良かった。」


風が強くなる。優しく舞っていた雪も横殴られ消えていく。耳や鼻先が赤く点灯するように寒さを知らせてくれる。


「あ、そうだ。」


ぎこちなくそう言うと、彼女はクリスマスプレゼントと思しき格好をした袋を取り出した。


「これ、良かったら使って。圭介くんにはお世話になってるし?今年もお疲れ様でしたってことで私からクリスマスプレゼント。でも、、ひょっとしてもしかして、、被っちゃってるよね?」


袋の中身は臙脂色したチェックのマフラーだった。こっちのマフラーもふかふかしていて柔らかい。こんな風に誰かと出会って誰かを想い、誰かに想われることはとてもありがたいことなんだ。僕の心が温まるのを感じる。素直に言葉にできなくても心は素直でありたい。僕は僕の首元に手をやり、はつみさんからもらった黄色いマフラーを美沙さんに巻いてあげた。


「じゃあ、これは僕が。ぅう寒寒。」

「え、このマフラーってでも、はつみちゃんからもらったんじゃないの?」

「うん。そっちの方があったまってるでしょ?」

「え、、あ、う、うん、そりゃそうだけど、、いいの?」

「いいよ。」

「ありがとう。」


そう言うと彼女は「あったかーい」とマフラーに頬をうずめた。互いのチェックのマフラーで口元を覆い隠すように巻いて、僕らは光の先へと歩き出す。ほんのさっきまでは風の音が邪魔していたけれど今は至って静かなもんだ。木々たちが遮ってくれているのだろうか。通りすがりの僕たちを迎えいれてくれてありがとう。僕は胸の中にある確かな言葉を、少し間を置いた後、彼女に心を込めて誤魔化さずに、素直にそのまま渡そうと準備する。きっと彼女のことだ、考えなくてもいいことを考えて、しつこく申し訳ないとか言ってきそうだから。


「美沙さん、ありがとう。今日のこと。」

「え、、うん。ご、ごめんね。。」


その言葉に僕は立ち止まり、思わず彼女の両腕をガシッと掴み込んでしまう。少し力が入り過ぎてしまった。彼女がそれにビクつき硬くなるのを感じる。僕の手元を和らげると、彼女の硬さも取れていく。


「今日のことを謝らないで。もう、2度と。」

「・・・・わかった。」

「自分でも不思議なんだけど、普通好きな人とクリスマスにデートしてる所にそりゃ美沙さんが現れたら、おいおいってなるんじゃないかって思う。はつみさんが亡くなっていることや、居なくなることは正直前からどこか覚悟していたことだし。そういう気持ちが出てこなかった。だから、恋とは言えないのかなとか、色々悩ましかったけど、ただただ過ごせる時間を大切にしようって思ってたし、美沙さんが来てくれて、彼女もまた嬉しそうだったし、僕とだけじゃ生まれない時間も生まれた。そのことに嫉妬も出てこなかったし、彼女が楽しそうで本当に良かった。だってあの大爆笑な。泣いてたもん。」


そう話しながら彼女の方を見つめたが、てっきり合わせて微笑んでくれるかと思ったけれど寒そうに眉を寄せては潤んだ瞳に僕を映し、優しい表情をして僕の話に耳を傾けていた。


「だから、ありがとう。」


言葉だけじゃ伝わらない。きちんと伝えるにはほんの少しの勇気が必要だ。美沙さんと過ごしたこの1年余り。僕は美沙さんと居れたことで少し変わってきたように思う。僕には何かが芽生えてきている気がしていた。だけどまたそこから逃げた。はつみさんと会う傍でそんな気持ちを気遣い、育てることも膨らませることもしなかった。僕は君を知らないし、君も僕を知らない。だけど今ははつみさんを通じて、彼女の存在そのものがとても大切で有り難く感じていた。僕は彼女に感謝している。いつもありがとう、その確かな気持ち。それがほんの少しでも彼女に伝わったのならそれでいい。人にはそれぞれ、誰かにきちんと気持ちを伝えなければならない時が必ず来る。


「私も、梨花に頼まれたとは言え、会ってみたいなって思ってたから、嬉しかった。ななみさんとはほんと全然違うんだね。」

「だよね。はつみさんは、いい意味で子供っぽいよね。」

「不思議だよね、人が纏っている雰囲気っていうか、オーラっていうか、、圭介くんも時々出してるよね。話しかけるなオーラとか笑。」

「ええ?出してませんよ。勝手にそう見えて、、、」

「はい、勝手って言わない。」


人差し指を立てて僕の口元にかざす。凍えそうな指先を僕は握ってみせた。うん、やっぱり冷たい。僕が冷たいと感じるってことは彼女は。


「あったかーい。」

「あら、、おかしいな。僕は冷え性なはずなのに。」


冷えた彼女の手をポケットに戻すように促し僕は手を離す。真新しいマフラーの香りが僕と彼女の間で壁のようになっていた。


「こう寒いと、手がカサカサになっちゃうな。マフラーのお礼にハンドクリームでも買ったげるよ。」

「え?ちょま。安くない?単価合わせようよ、食事付きでお願いします。」

「ぁぁ、しまった。今の場合、マフラーのお礼に、が余計な一言になるのか。ん、違うか。よくわからんな。」

「ご無理のない範囲で。」


鈍感罪で訴えられてしまいそうな僕だったが、実は僕なりに彼女は僕のことが好きなのだろうかと思う場面もこれまでにあった。それでも誰にでも分け隔てなく明るい彼女を見つめては、僕はほんの風景の中の1人に過ぎないと思うように努めたし、あまり考えないようにしていた。はつみさんと美沙さんと3人で過ごせた時間が僕を内側から温める。元々仕舞い込んでいた扱いづらい気持ちに不思議な色を加えられたようで思考が追いつかない。僕は時に要らぬ深さまで考え込んでしまって動けなくなる。だけどそれでも人が動き出せるのは、純粋な存在そのものへの感謝の気持ちからではないだろうか。


さっきまで星空のように見えていた光たちはまばらに数えるほどになり、束の間のイルミレーションは終わりを迎えようとしていた。その終わりを惜しむかのように僕たちは地面を靴底で舐める。いよいよ狭くなった僕らの歩幅。ついには彼女は歩みを止める。僕も合わせて歩きを止め、僕らは自ずと歩いてきた光のアーチを振り返った。今しがた歩き終えた光のアーチがまた瞬く。


「私の方こそ、ありがとう。ほんの少しだけど、圭介くんとクリスマス過ごせたし嬉しかった、不謹慎だけどね。それより、何より、本当に私もはつみちゃんと会えて、嬉しかった。会ってみたいって言ったのは本当だけど、実際に会ってみると、なんていうか、全て、わかった。どうして、会いたかったか。だから、なんか、うまく言えないけど、圭介くんの気持ちもなんとなくわかる。」

「ありがとう。」

「ただ、、、ただただ、、思うことは、、」


彼女は何かを言いかけてマフラーに鼻先をうずめる。彼女が引っかかっている言葉を出そうとしているのがわかる。言葉だけが全てじゃないし、時に言葉は要らないことだってある。僕は彼女の背にそっと手を添える。彼女がそれに反応して顔を上げる。彼女の両目からは言葉よりも先に涙が溢れていた。


「生きたかっただろうなって、はつみちゃん。、、えらいよね。。。生きたかっただろうに、、ね。」


頭で考えるよりも先に心が動く。それが人を好きになるということなんだと唐突に理解した。頭で考えてすることじゃない。涙に滲んだ彼女の言葉に僕の中で何かが弾けた。僕を中心に僕の内側からはじけて、雪も、枯れ葉も、景色すらも吹き飛んだ澄み切った光の中に立つ僕は、少し遅れて君と居る僕に改めて気がつく。自分の鼓動、頭の先から指先まで、僕は僕を承認したような、僕は君に認められたような、受け入れられたような感覚。鼓動が聞こえる、僕の音?ドッドッドッドッと音がする。止まらない。もう止めないでいいよ、内側から君の声がする。さっき、僕が彼女の背をトントンとしたように今度は彼女が僕のをそうする。僕は堰を切ったように泣き出してしまった。僕は、僕の願いは。ふと、いろんな香りが変わりばんこにやってきた。真新しいマフラーの香り、微かに残るはつみさんの香り、そして、柔らかな美沙さんの香りと腕に包まれた。僕は躊躇わず彼女の腰と背に手を回し、ぎゅっと強く抱きしめた。どうしてだろう、涙が止まらない、ずっと、こうしたかったのかもしれない。誰かの温もりに、君の温もりに包まれたかったのかもしれない。


「くっつくと、あったかいね。」


彼女はそう言うと僕の頬に手をやったかと思うと、すりすりしたり、時折僕の頬をむぎゅっと摘んだりした。


「よしよし。いいやつだな、小津は。」

「あーあー、カサカサだな。保湿クリームも買わなきゃね。」


とか言って自分もぽろぽろ泣いているくせに涙を流す僕を諌めようとした。僕が彼女の涙を拭うと、彼女も僕の涙を拭った。彼女の鼻先に大粒の雪が舞い降りて、2人して木々の枝葉の先の空を見上げる。枝葉のそれらが手のひらに見えて、紙吹雪のように雪を降らせて祝福してくれているように映った。お互いの鼓動が体を伝ってこだまする。彼女は僕の腰に回した手を解き、僕の口元を被しているマフラーを下げ、僕の頬を両手で包んだ。指先が僕の耳に触れたが、寒さのせいかあまり感覚がなかった。彼女が少し背伸びをしたかと思うと、つつつっと戸惑い、するりと両方の手が落ちていく。僕は彼女をもう1度強く抱き寄せ顔を近づける。互いの鼻先が氷のように冷たい。ぎこちないキスは彼女の上唇にあたってしまう。下手くそな自分についつい照れ隠しをしてしまう。


「冷たッ」


背を反り彼女の顔から距離を取る。彼女のキョトンとした目に「しまった。」と思った。


「もっとして」


言葉は時に背中を押したり尻を蹴り上げたりする。今度は彼女の内側にあるその体温を感じるまで、彼女に覆い被さるように唇を重ねた。少し離れてはもう1度。また重なっては離れる。自分と自分たちを何度も確かめるように、互いの頬や頭を捕まえては唇を重ねる。ひとりずつで寒さに凍えていた心と唇はもうすっかりと温まった。


「一緒だと、あったかいね。」


もう一度、笑顔でそう言う彼女。そうだねと僕。僕らを祝すように、ふわふわとした雪は降り続いていた。彼女のでこを胸元に抱き寄せ、見上げ伸びた枝の向こう、雲の切間から月が僕らを覗いていた。
















「もう、いいのね。」

「うん。」


「ありがとう。さようならは言わないからね。」

「私はもう大丈夫だよ。だからお姉ちゃん、もう自分を責めるのはやめて。」


「・・・・・。」


「思うように、自分の人生を生きてね。」


「妹のくせに、、生意気ね。」


「お姉ちゃん、また、会おうね。大好きだよ。」


「うん。私も。」


「じゃあ、またね。」


「うん、じゃあね。」




「バイバイ、はつみ。」














それから数年後のある朝。



ちよちよとした朝の気配に目を覚ます。ここ数日暖かった分、今日は少し冷たく感じる。レースのカーテン越しに漏れる光が僕の目を撫でる。促された僕は窓を開けようとベッドから腰を上げる。窓を開けると両頬をなぞって入ってきた風が小さな部屋の空気を一掃してくれた。アパートから見える大きな楠に陽光が差して気持ちよさそうに煌めいている。今日は散歩日和だな。休日の今日はそろそろいつもみたく彼女がやってくる頃だ。窓を閉めると僕はまたベッドに戻り、布団にくるまった。入れ替わった朝の空気の層を撫でながら二度寝にはいる。休日のゆっくりとした朝の二度寝は平和で穏やかな幸せを実感せずにはいられない。さっきまで見ていたはずの夢は、もうすっかり記憶にない。今ならとても心地よいショートムービーが見られそうだ。





それから数年前のある日。



「小津くんとはうまくいってる?」

「梨花さま仏さま。その節は本当にすいませんでした。」

「あんたはわかりやすいからさ、いいんだけど、小津くんの方は賭けだったんだよね。なんとなく、気持ちを隠しているような気がしたの。それがあなたであれ、はつみちゃんであれ。似た者同士だよね。電気ショックさえ与えればいい、みたいな。」

「マジで言ってんの?エスパーですか?てか楽しんでやってたのね?」

「ふふ。自分のことはよくわかんないのにね。」


そういうと梨花は歯に噛みながら店員さんをキョロキョロ探し始めた。それに気づいたショートボブの店員さんが駆け寄る。研修中の名札。高校生かな?がんばってね。


「それに、美沙はとにかく当たって砕けるくらいがちょうどいいよ。見ていてヤキモキするもん。」

「ぐ、、、」


梨花のこと、梨花の話もしてほしい。何かあるなら応援したい。でも私は梨花みたいに察することもできないし、話を聞き出すこともできない。梨花の恋バナが聞きたい。


「梨花はどうなのよ?そろそろ自分のことも話しなさいよ。」

「え?いいよ。ジャンルは?」

「fえ?、、じゃあ、恋バナでお願いします。」

「それはないな。だって、不倫だし。」


飲もうとして手にしていたグラスの水も慌てふためく。危なかった。口に含んでいたら豪快に噴き出してキラキラ加工が必要になるところだった。


「ぇぇぇえええ?!? ちょ、、ふ、、、不倫て… マジで?いつから?」

「だって、ロクな男いないし、面白くないんだもん。まぁそれに不倫ていうか、、、うーん、、。」

「ちょちょ、ちょ、え、突然すgiて、いったん落ち着こうか。」

「あんたがね笑」


その時、テーブルに置いた梨花の携帯がブルった。誰かからの連絡を待つように、携帯をテーブルに置くなんて梨花にしては珍しい。その彼からの連絡だろうか。梨花は携帯を手に取り覗き込む。両手の親指でシュタタタっと文を打つと、今度はカバンに携帯を直した。


「もう着くって。」

「え?誰が?、、え!ま、まさか、彼が?!?」

「なわけないじゃん笑。どうしても、あんたに会いたいんだってさ。」

「え、、私、結構、人気じゃん。。。」

「そうでもないよ笑。」


くそう。一体誰なんだ。私はこれからの梨花の話を深掘りしていかないといけないってのに。梨花はきっと平気なふりしているけど、きっと梨花なりに悩んでいるに違いない。しかしあの梨花が不倫とは驚きだ。いやしかし、まだ何にも詳細がわかっていない、まぁ不倫っていうか、、、何?何なの?彼の情報だって何にもわからない、確かに梨花は同年代や若い子には興味なさそうだけど、相手の年齢、、、そうだ、相手の年齢はいくつなのか、それを後で尋ねてみよう。うん、そうしよう。いや待てよ、相手の家族構成が先か、、そうだな、今時はシングルファザーだって多いし、、、いや、それなら不倫とは表現しないか、、、不倫っていうか何?、、、全然わかんない。


「あ、来た来た。おーい。」


はっ‼︎しまった。短い質問なら今の間にできたかもしれないのに機を逃してしまった。私も梨花の役に立ちたいのにな、そう思いながら梨花が手を上げて呼ぶ視線の先に目をやると、見覚えのあるシルエットに心臓が震える。現れたのは、東雲さんだった。あれ、でも、今はなんだかわかる。彼女はきっと…。


「お久しぶりです。」


なんとなくはわかってはいたけどホッとため息が漏れそうになり、肩がスクンと落ちる。彼女は、東雲ななみさんだ。そうだよね、と梨花に目をやる。梨花の目は表情は、大丈夫って言っているようで安心した。


「ごめんさい、梨花に無理言って。どうしても会ってお礼が言いたくて。」

「それ、はつみちゃんにも言われました。」

「姉妹揃ってごめんなさい笑」


遅くなってごめんね〜と言いながら椅子をひく彼女。本当にウリふたつ。そりゃそうか、同じ女性だ。はつみちゃんと何が違うって言うんだろう。なのにすぐ彼女はななみさんだってわかるのは何故だろう。はつみちゃんと何が違うって言うのだろうか。その謎を解こうとジーッと観察する。あの日もそうだった。なんでかわかんないけど、会った瞬間にはつみちゃんだってわかった。視線に気づいた彼女はおやっと微笑み私を気遣う。


「あ、私ですよ。大丈夫です。改めまして、ななみです。」

「あ、ごめんなさいっ!わかってますよ、大丈夫です。はつみちゃんとそっくりだなぁって。」

「そりゃ、はつみも私ですからね。」

「あ、まぁ、そうなんですけど…。そうだからこそ、なんではつみちゃんだってわかるのかなぁって。今も、あ、ななみさんだって、どうしてわかるのかなぁって。」

「え、、、あ、なるほど。むしろ興味ありますね?なんででしょう?やっぱ何か違います?」

「私は、ななみしか知らないしなぁ。どっちにも会えてるって、なんかズルくない?」

「でしょ〜?」

「いや、あんたでしょ。」

「あ、いや、ほら、もうひとり。」


私の代わりにななみさんがそう言って梨花に考える間を与える。ぁ、ぁあ、そっか、と可愛く両手でリズムを鳴らし、ななみさんの方を向いていた梨花は私の方へと体ごと向き直してあざと可愛く答えてみせた。


「あんたの彼氏もだ。」

「ちょっとやだー。もう、彼氏だなんて〜‼︎ま、彼氏ですけどぉ〜‼︎」


色が変わるわけでもないのに場がしらけるのってなぜ伝わるのだろう。2人は何にも言ってないのにどうして空気が変わるのだろう。気のせいかしら。


「美沙さんって、本当子供見たいっていうか、あどけないし、飾らない人ですね。」

「まぁ、本来わね。だけど無駄に不器用で考え込んじゃうところがあるから、敵も作るタイプだろうけど。」

「ちょっとちょっと、何2人で分析始めてるのよ。」

「はつみのこと、本当にありがとうございました。」

「私は、、何も。」

「梨花から聞きました。クリスマスの日のこと。病院まで付き添ってくれたこと。最後にはつみと過ごしてくれたこと。小津さんのことも。」

「私は、たまたま居合わせただけですよ。小津くんは色々あったかと思いますけど。」

「はつみはあなたにも会いたいって言ってた。その意味が、わかった気がします。最後に、3人ではつみと過ごせたって聞いて驚きました。どんな感じだったのかなぁって。」

「めっちゃ大爆笑してました。」

「え?笑 本当に?」

「ちょっとだけ?私が圭介くんにキレちゃって、、それにめちゃくちゃ笑ってました。ぴょんぴょん跳ねて泣いてましたもん。はつみちゃんのおかげで場が和みました。」

「なんか、目に浮かぶような浮かばないような…。やっぱズルい、、、。」

「あの子が、そんなに?、、、そうですか。最後に一生分、笑えたのかもしれませんね。」

「え?」

「もう、はつみは居ないんです。」


圭介くんも最後だって言ってた。彼女と過ごしてた時、私もそんな気がしてた。やっぱりそうなのか。でも、ななみさんを見ているとどこか吹っ切れたというより、清々しい春空のような顔をしている。そんな彼女に、私と、私が触れている全ても私は伝って晴れ渡っていくようだ。


「それに、小津くんとお付き合いしてるって梨花から聞いて、嬉しかったです。ちょっとしか会ったことないけど、2人はお似合いだなぁって思います。応援してます‼︎」

「その節は私のおかげなわけよ。」

「ぬぅ」

「幸せになってくださいね。」

「私はご祝儀免除でいいかな?」

「え、、それは違うんじゃ、、、って、ちょま!祝儀てwwちょっと!気が早いって〜もぉやめてよ〜さっきからぁ〜。」


2人は見事に私を無視して珈琲に手を伸ばす。そう、まだまだ私たちは始まったばかりだし圭介くんにはまだ言えずにいたから躊躇していたけれど、椅子に腰深く座り直し、私はななみさんの目を真っ直ぐ見つめて空気が引き締まる風を待つ。何かを言おうとする私に周囲がだんだんと気づいていく。ほら伝わっていく、空気が変わっていく。2人してゆっくりとコップを置く音が重なる。


「あの、、私、、ななみさんに、お願いがあるんです。」














微かに耳を触る音が心地よい二度寝から目を覚まさせた。なんらかのほのかでのどかな短い夢を観ていたようだが思い描けない。トーストが焼ける匂い、目玉焼きの匂い、胡椒の香り、お、今日はベーコン付きかな。コーヒーの香り。窓の方に目をやる。レースのカーテンがそよ風に揺れている。さっき開けた窓がしっかり閉まっていなかったようだ。ヒラヒラと光をいなしながら揺れている。チラチラと煌めく塵が小雪のように見えて、あの日を思い返させた。その時、部屋のドアが忍足で開いていく。来たか、僕が休みの日はいつもそうだ。音を立てないよう、彼女なりの細心の注意を払って進入してくる。おそらくはいつものように僕の上にダイブしてくる彼女に備えて、腹筋に気を配りつつなるだけ満遍なく衝撃に備える。僕はいつもの狸寝入りにはいる。僕の顔を覗く影の主が、しめしめとした顔をしているのが目に浮かぶ。そんな可愛げな彼女に少し口元が緩んでしまうが、寝たふりにはいつも気付かないようだ。


ボフッ。


少し間をおいて彼女は飛び込んできた。いつかの日はみぞおちに彼女の肘がクリティカルヒットしてウッてなった。今日は胸板の辺りに着地してくれて受け止めやすかった。やぁおはよう、僕のスウィートエンジェル。


「パパ!おきて!あさだよ〜。」


今日は天気がいいからお外でお絵描きをするんだと張り切っている。ねぇねぇと繰り返す声が次第に大きくなっていく。その後は今お気に入りの朝の歌が始まる。朝だ朝だーよ〜、朝だ朝だ〜、のリピートだけど、それも込みで休日の僕の目覚まし時計だ。程なくして台所から僕らを呼ぶ声が届く。


「はつみ〜?パパ起きてる〜?朝ご飯できるよって言って〜‼︎」

僕は窓辺にかけてた黄色いマフラーを手に取り、休日の長閑な朝を奏でる台所へタンタンと降りていく。すでに朝食を済ませていたはつみは、テーブルに描きかけの絵を広げたあとお気に入りのクレヨンを取り出そうと小さな体をなお丸めてリビングの隅っこでゴソゴソしている。お目当てのクレヨンが見つかった彼女は、僕の前に飛び跳ねるように座るとうんしょうんしょと座り直す。くねくねと動く彼女を寝起きのふにゃけた僕はポーッと微笑ましく眺める。彼女からそろそろお叱りが飛んでくることだろう。そらきた。


「はつみ、お絵描きはパパがご飯終わってからにしなさいよ。」

「はぁぁあい」

「はい、は短く。」

「はぁい。」


はつみは得意げに広げたお絵描き帳を前に、いささかしゅんと縮こまる。僕が起きる前にも作業をしていたのか小さな指先の先、さらに小さな爪小僧にはクレヨンのカスがわいわいと詰まっていた。まだまだ描きかけだと彼女がそう言う絵には、お気に入りの公園の池と大きなイチョウの樹、茶色いベンチに3人の人が描かれている。池は水色と黄色とで塗られておりキラキラと光り揺れる水面を思わせる。クレヨンの箱を出したり引いたりして時間を潰しているはつみに僕はちょっと寝ぼけたフリをして問いかける。


「これは?」

「パパ。」

「じゃあ、これは?」

「まま。」

「じゃあ、この子は?」

「はつみにきまってるじゃん。」


そう言って、はぁと軽くため息を混じらせる彼女がこの上なく可愛くて笑える。偶然にもあの日のように過ごす3人が描かれているが、あの日と違うのは真ん中の子が随分と小さくなったことだ。朝食を運んできた美沙と目を合わせて、僕たちは彼女にバレないようにうふふと微笑む。ほとんど書き終えているように思えるのだが、あと何を描くつもりなんだろう。それを尋ねるとはつみはクレヨンの箱をシャカシャカ鳴らして鼻を膨らませながら教えてくれた。


「いろぬりがおわってない!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

3度目の初恋で詰んだ。 あまの慧 @coffeenougat3625

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ