第5話 一言

大きなイチョウの木が目印で、黄色い絨毯の先のベンチに彼女は座っていた。イチョウの葉をクルクルと見つめ、回しながら、遠目にもどこか微笑んでいるように見えた。視線を右手にやると、一眼レフカメラを両手で大事そうに抱えアングルを探しているおじさんが居た。揺れる池の光、その手前茶色のベンチ、腰掛ける黒髪の女性、イチョウの黄。思わずレンズを覗きたくなることだろう。僕が近づくていくと、彼女より先に僕に気づいたおじさんは履が悪そうにその場を離れる。ぁあしまった、ごめんなさい、ぜひ写真を撮ってくださっていいのにと、僕は自分が現れたタイミングを申し訳なく思った。僕に気づいた彼女はゆっくりと立ち上がる。


「こんにちは。」


彼女の言葉に合わせて風が通り長い髪がそよよと揺れる。ふんわりした懐かしい空気とイチョウの香りとが混じり合い、心地よい高揚を僕にもたらす。やっぱり僕はこの子が好きなんだな、と今しがた吹いた風のようにそっとそう思えた。だけど、彼女は僕が知っている彼女ではない。僕は何も言わずに立ちすくんでいた。怒っているわけでもない、緊張して言葉が出てこないわけでもない。この空気は、、。


「ごめんね、こないだは。お姉ちゃんが。」

「どういうことですか?」


自分に矛盾を覚えながらもそれでも言葉は走り出すことがある。いま、目の前の彼女は僕が知っていたはずの彼女で、お姉さんとは違うことを僕は心と体で感じ取っている。僕の心とは裏腹に、どういうことですかと発した僕が居る。再び彼女は自らを東雲はつみだと名乗った。


「私は時々、お姉ちゃんと入れ替わることが、あってね。だけど、こないだは出てこられなかった。お姉ちゃんの中から見てたよ。」

「ど、、どういうことですか?」


今度は正直な気持ちだった。あの日、起きたことを思い返す。東雲はつみさんは亡くなっている。お姉さんもそう言っていた。嘘ではないだろう。だけどいま、目の前に居るのは確かに君じゃないか。改めて君を感じた僕は、その存在を嬉しくどこか懐かしく思い、それらに少し摘んで加えた程度に混乱していた。


「それじゃあ、、僕が、僕と、会っていたのは、はつみさんなのですか?」

「うん。そうだよ。子供の頃の思い出もちゃんと、私。」


微笑む彼女を見て僕は不思議に思っていた。いつからだ、いつからこんなに僕の心は加速した?僕の頭上を舞降るイチョウの葉が僕に魔法をかけたのだろうか。はつみさんと過ごせていたという事実と自分の感覚が合っていたことが嬉しかった。色々わからないことだらけではあったが、僕は彼女の言葉を待つことにした。難しい言葉はいらない。たわいもない話でもなんでも構わない。僕はシンプルに今の彼女ともっと居たかった。大きなイチョウの木を見上げ、すーっとゆっくり息を吸い、彼女の胸が膨らむ。今度は細く、長く、息を吐きながら黄色い絨毯を踏み鳴らしくるりと回ってスカートから覗かせるブーツを可愛く挨拶させた。


「素敵なところ。ありがとう、連れてきてくれて。」

「紅葉といえば赤じゃないですか?でもここは、僕のお気に入りの黄色担当さんです。」


そういって僕らは交互に絨毯をモシャモシャ言わせた。歩きながら話そうと言う君が可愛くって僕ははにかむ。


「子供の頃からね、私は時々、長い夢を見ることがあったの。お姉ちゃんの夢。夢、だと思ってた。だけど、死んだのは自分なんだってわかったの。」

「し、死んだ?」


ゆっくり踵から爪先へと。交互の足をくねらせながら、その1歩1歩を確かめるように彼女は歩いていく。


「気づいてからも時々、お姉ちゃんと入れ替わることがあった。2人の秘密だったし、私の存在をお姉ちゃんも喜んでくれていた。だけど、お姉ちゃんは私に言わなかったけど、私にごめんねってずっとずっと、思ってる。ま、言わなくたってわかるんだけどね。」



色づいた木々の赤が池の水に映える。黄色い絨毯を抜けてからの池沿いの歩道は、靴裏を遊ばせる緩やかな凹凸と砂利まじりのコンクリートがジャリジャリと擦れる。鼻から入る空気の冷ややかさに鼻先をほのかに赤くしながらも空気が美味しいと彼女。僕も同じように深呼吸する。東雲ななみさんやその友人は僕に、はつみさんは亡くなったのだと話した。じゃあ、今目の前の女性は誰なのか。一瞬、二重人格という言葉が脳裏に浮かんだが、適当ではないように思えて言葉にすることは控えた。それから彼女は、自分が3歳の頃に亡くなっていること、それから時々入れ替わること、お姉さんが倒れた時のことを話してくれた。この空気や景色を汚れてしまわないようにと、ふんわりと優しく言葉にしてくれているようだった。僕はそんな彼女の半歩遅後ろを並ばぬよう追い越さぬよう歩き続けた。


「どこかで、なんとなく、わかっていたんだ。それなのにね。私がお姉ちゃんと生きていけるわけないって。お姉ちゃんのこと大好きだし、お姉ちゃんが倒れた時、もうダメなんだな、私じゃないんだなって思ったの。あの時、初めてお姉ちゃんの前で泣いた。それからはもう入れ替わることは無くなったし、私も夢を見ることもなくなった。私は居なくなったし、それでよかったの。」

「ま、今居ますけどね。」

「そ、そうなのよ〜笑。」


子供のような戯れた笑顔に一気に空気が砕かれる。天使のような笑顔はその足元を疎かにさせたのか、よろけた彼女は僕の腕を掴んだ。良かった、お化けじゃなかった。僕があえて小ふざけてそう言うと、彼女はあははとまた笑った。とにかく今、2人の間に流れる穏やかな空気を濁したくなかった。楽しい時間を過ごして欲しかったし、再び過ごせる彼女との時間を僕は優しく包み込んでいつまでも決して冷ましたくなかった。そしていつまた消えて無くなるかもわからないことへの恐れに背を向けて歩き続けた。


「私だってびっくりしたんだから!」

「え?」

「気づいたら、なんか、ハンカチ持ってて…」

「え、あ、あの時入れ替わってたんですか?」

「もう急で、久しぶりすぎて、超絶に寝ぼけてる感じ。 え、、んーーーーって笑」

「久方ぶりにしては良くできてましたよ笑」


そうだったんだ、そうだったんだ。僕は心の中で繰り返す。彼女の死、入れ替わり、お姉さんの存在、突如として降ってきた多くの疑問よりも僕と触れ合った指先はちゃんとはつみさんだったんだという事実だけが僕を抱きしめる。複雑な状況さが僕を単純さに導いているのかも知れなかった。僕が彼女と過ごした時間は間違いでも勘違いでもなかったんだ。そのシンプルさに僕は心から寄りかかった。


「あんまりすぎて、ぼーっとしてたけど、気づいたら圭介くんが立ってました、とさ。」

「お互い様子がおかしかったわけですね笑」

「だから見覚えも何も、一瞬だったから。ハンカチ渡したあとは、ドキドキしながらとにかく人の流れに合わせて、交差点を渡り切った頃には私はまた私じゃなくなった。その次ときたら、飛び乗った電車だよ?ちょっとちょっと危なくない?と思ってたけど、その時も目の前に、、君がいた!」


ズビシッと効果音が入りそうな身振りで腰を手にやり、彼女の指が僕を刺す。僕はもうとっくに君に串刺しさ、とか言い出しそうな俺。しかしほわほわとの惚けているわけにもいかない。一体どういうことだろう。


「一体、どういうことなんだろう。君が原因?」

「僕って何者?」


腕を組んだまま腰の辺りを支点に首まで傾く彼女。動きにつられて彼女の方に目線を移す。顔を傾けた彼女と目が合う。胸の鼓動が太鼓のように太く響いているのがわかる。なんて可愛いのだろう。背景のキラキラした水面ごと一瞬を切り取るように僕は心でシャッターを切る。それにしても彼女が現れるきっかけは僕なのだろうか。


「ごめんね。色々ともっと、考えなきゃいけなかったんだろうけど、、楽しくてさ。」

「え?」

「圭介くんと過ごすのがもう楽しくってさ。だから、なんか、忘れちゃってて、、それにどうせ考えたって、、、良くわかんないし、身を委ねちゃったわけ。ごめんね。」


なんだろうこの時、まるで僕の時間は止まっているように思えた。ふわりふわり、彼女は僕をふわふわさせる。鼓動だけがリアルだった。君の髪の毛をかすめて散った黄色い葉っぱが僕の時を進める。僕は君の手を取る。君の手を掴んだ僕の手を見て思う、ここに居る。交差し合う自分の手と君の手を愛おしく思う。彼女の手は少し冷んやりしていた。僕の手の方が温かい。僕は今、君を温めたことになるのかな。


「僕は君が好きです。」


この眼が映し出している彼女と彼女の後ろでキラキラと光を乱反射させる水面、木々の茶色に枝や幹に寄り添う苔、黄色や赤、少し冷える風は近づく季節を思わせる。その全てを彼女ごと風呂敷かなんかで包んで離したくなかった。見開いた瞳孔が冷たく揺らぐ空気を感じている。僕は生きていることを実感していた。









あっという間に3ヶ月が経過しようとしていた。街はもうすっかりクリスマスの装い。圭介くんはダッフルコートが似合いそう。どういう口実でクリスマスプレゼントを渡せばいいわけ?子供の頃はクリスマス会があってプレゼント交換があったよね。あのシステムはどうして社会人に浸透してないのですか?大人になると無くなるものが多い。いつか流れてきたSNSの言葉、手にした分だけ失うんだよって。私は何か手にしたっけ?


企業の意識に着目した私たちはパンフレットを1から作り直した。部長に「企業が欲しいのはホワイトさのアピールで、自分たちは社員思いのいい会社だよっていう自意識なのでは?」なんてとても提案できなかったから私の独断で勝手に作った。もうやっちまえだ。社員の健康を思うのはどこの企業も同じでは?まぁ実際はそんなことないんだろうけど、内外にもいい会社だと印象付けることは企業にとって有意義なことであることを契約件数が物語っていた。今日は約束の3ヶ月を前にした中間報告会議だ。鎌倉部長は腕を組んだり、肘をついたりしながら資料を眺め、時折、わざわざに作り出した難しい顔を見せていた。机の下の足先はゆっくりパタパタと動いている。私が知ってる機嫌がいい時の部長のクセだ。


「ふー、まだまだ油断はできねえが、、まぁなんとか上には報告できそうな状況になってきたな。最初はどうなることかと思ったが。小津、何をどう取り組んだのか、ぜひ聞かせてくれ。」


その時、(あ、まずい)と思った。圭介くんのことだ、そのままの言葉で報告しそうだ。まぁ打ち合わせしていたところで大して変わらないか。私は机の下で手を重ね、無駄な波風が立ちませんようにと祈った。


「はい、パンフレットを変えてみました。」

「ふむ。どう変えたの?」

「僕たちの顧客は法人です。ですが以前のパンフレットは利用者である個人向けなものになっていました。企業向けに変えようと考えた時、企業が何を望むのかを考えました。それは、働く社員の健康です。」

「おいおい、そりゃまたえらい綺麗なことを言い出したな。」

鎌倉部長が二の腕から肘の辺りをすりすりしている。こっちはひしひしと嫌な予感がするがもう知らん。


「はい。それは企業の建前で、企業が欲しいのはホワイトさではないのかなと考えました。社員の健康を思う会社なんだってことを、少額の経費で内外にアピールできる。また、自分たちはそういう取り組みをしているんだという自意識が欲しいのではないかと考えて、パンフレットを作り直しました。」


(ちょ、、ちょま、、、ヒィぃぃぃ。言いよったぁぁぁ。)


突如として会議の場に沈黙がやってきて、居合わせた室内の空気ごと一緒に動きを止めているようだった。私はいささか小さくなった体で、恐る恐る鎌倉部長の顔色を伺う。その場に居合わせた幾人かも同じような動きをしていた。その一方で、圭介くんってやっぱりこうだから面白い。圭介くんと生きられたら楽しそうだなって私は密かに萌えていた。


「はははっ。そりゃいいところに目をつけたな。確かにそうかもな。」

「ありがとうございます。」


ドカッと皆の肩が降りる。ふーっとあからさまに息を吐いてしまっている者もいた。私は遅れて静かに細く長く息を吐く。


「まぁしかし、上に報告するときはもうちいと俺の方で表現変えとくわ。」

「助かります。」


圭介くんも口元を和ませて柔らかい表情が戻る。何かに一生懸命に取り組む好きな人をこんなに身近に見られるなんて、私はなんてラッキーなんだろう。それだけでも十分だなんて物語に出てくるお姫様じゃあるまいしもう2度と言いません。え、ちょ、落ち着いて私。久方ぶりに和やかな空気が流れる会議室。いつもと同じなんだけど、椅子や机、照明器具やホワイトボードもどこかほんわかしているようにさえ思えた。昔、大切にしていたクマのぬいぐるみを無くしちゃって、そのクマのぬいぐるみに襲われる夢を見てから私は、物にも気持ちが、心があるように思えてならない。


「ところで、小津。うちの会社はホワイトなのか?ブラックなのか?」


だるまさん転んだじゃあるまいし、皆が一斉にピタッと停まる。機嫌がいいのは素晴らしいことだが、鎌倉部長はニヤニヤして小津いじりを始めた。ふと目線を圭介くんの方に起こすと、背後にある燻んだホワイトボードの表情が、おいおい頼むよ汗、そう言っているように見えた。


「わかりません。部長はどうお考えでしょうか?」


ここでまさかの小津がカウンターを繰り出した!もう私はこの状況を楽しむことにした。


「うーーーん。。グレーかな。」


そう言って笑う鎌倉部長。笑っていいのかわからなかったが、面白くもなかったのも手伝って誰ひとり部長に合わせて笑う者は居なかった。よし、もう終わろう。ね?定時で帰ろう?ぁぁあ、さっきまであんなに穏やかだったのに。そうだ、立とう!ね、誰か立とう!私も続くからさー。


「あまり笑えませんね。」


(ぁあもう小津‼︎)※全員で


「一言多いやつだな、たく。」


舌打ちしながら鎌倉部長が会議室を後にした。確かに私もそう思う。小津圭介は一言多いように思う。皆んなが言えないようなことをサラッと言ってのけることもある。時に称賛を浴び、時に人を傷つける。おそらく当人は何とも思っていない、というより鈍感で気づいていないのかな。だけど、自分のこととなると肝心なところで言葉を飲み込んでいるようにも思える。その先の声を私は聞きたいのに。こないだ彼は私に嘘をついた。何となく嘘だとわかった。嘘が下手くそな可愛い人だと思った。だけど、その嘘は私には優しくなかった。










一言多いのかどうかは知らないが、あの一言がその時の自分を表すに適した言葉だったのかはわからない。過ぎていく時間は、好きという言葉の輪郭をぼやけさせていった。君が好き、君と一緒に居たい、大好きです、愛してる、、相手への好意を示す様々な表現。なんかどこかの島の希少な鳥たちは求愛行動としてダンスを踊るって言ってた。僕もそうして踊れたらいいのに。僕たち人間は器用な生き物だけど、故にとっても不器用で時に不憫にすら思う。僕たちはその都度、適切な表現を選択し相手に伝えようとするが、それがイコール「相手に気持ちが伝わる」ということにはならない。


「ありがとう。」


そういって彼女は微笑んだ。遅れて涙が零れてきた彼女は「おや?」という表情を見せた。


「あれ、、な、なんでだろう?涙出てきた。あ、安心して。嬉しいんだよ、きっと。すっごく嬉しい。あと、びっくりしちゃって。」


彼女はそういうと頬をピンクに染めて目がなくなった。だけど、僕から視線を逸らし池の方へと振り返るその瞬間、どこか悲しげな顔をしたように見えた。僕の耳に残る瘡蓋のような言葉「で、私どどうしたいの?」という問い。はつみさんとであるならば、その問いの答えも僕ははっきりしていた。もっと君と居たい。一緒に過ごすこの時間がもっと欲しい。実にシンプルだった。ただ、炎のような燃える気持ちというか、恋は盲目といったような情熱が足りないように感じる節があり、好きという言葉が適切な表現だったのかわからなくなっていた。相手が死んでいるのか生きているのかについては、この時はそのことから背を向け深く考えないようにしていた。ただただ、目の前を刻々と過ぎていく1秒1秒がとても大切だった。それにまた季節を変えて君と公園を歩きたい。それだけで、実にシンプルで身勝手だった。君はあれからどう過ごしているだろうか。










その日の夜は、少し頭がボーッとした。体は重たいのに、頭だけふわふわする風船のような、そんな感覚。はつみとの入れ替わりの影響も頭をよぎるが、単純にただでさえ忙しい仕事のせいにした。日課であるお風呂上がりのストレッチも早々に、早めに寝床にはいった。


子供の頃とは質感というか肌触りが違う。心地よさに澄み切った新鮮な空気が交わり、私まで一緒に大きく深呼吸しているような。東京に来て、大人になって、コンクリートやビルも多いけど人工的に整えられた緑だとしても、四季がある国に生まれてよかったと思う。はつみと入れ替わっても心地よい夢を見ている時でさえ、季節を、風を、香りを、その移ろいを感じる。今改めて、子供の頃の入れ替わりを思い返そうとしてもクリアに思い出せない。しばらく経つと忘れてしまう夢。はつみのことで悪夢を見たこともないし、夢にうなされて目が覚めるということもなかった。はつみが良い時間を過ごしてくれたんだなって思えて嬉しかった。でもふとこれまでのことも振り返って思った。はつみからはどうだったのだろうか。私は勝手にはつみと生きていくとか生きていけるとか言ってたけど、自分勝手なことだって今更ながら思えてきた。あの言葉が私の心を抉ったままだ。私は他人が思うほど、自分がどうしても好きにはなれなかった。


その夜の夢のはつみはとてもいい顔をしていた。私ちは池の辺りのベンチで私は池に背を向け、はつみは池の方に向いて腰掛けて座っていた。2人の間にヒラヒラとイチョウの葉っぱが舞い降りた。私はイチョウの葉を手に取りクルクルとさせた。池の方を見つめるはつみの横顔はとても綺麗だった。はつみはゆっくり深呼吸して、膨らんだ小さな鼻からふぅっと息を吐く。お尻の向きをキュッと整え私の方を見つめたかと思うと、奥ゆかしく微笑んだ。あわせて艶やかな髪がカーテンのように揺れる。我ながら美人だなと思った。


「いい顔してるねー。」

「うん、気持ちよかった〜。」


そう言いながら、両足をバタバタと持ち上げ、キラキラ光る池に再び目をやる。


「デートうまくいったの?」

「え?うーん、、デート?デートかぁ、、、デートね!!うん、デートでいいや。うまくいったというか、とても心地よかった。」

「この公園?」

「うん。彼に言わせれば、黄色担当なんだってさ。」

「ねえ、はつみ。ひょっとして、彼が好きなの?」

「うーーーーん。まだわかんない。」

「え、、あ、そなんだね。そっか。いい人だよね。いい人っていうか、、面白いというか、、深掘りしたくなる感じはする。」


水面を大きな掌がなぞるように風が走る。その風の始まりはどこからだろう。その風の音はいつから聞こえるのだろう。


「お姉ちゃんは彼氏作んないの?」

「うーん。いい人居ないもんなぁ。」

「小津くんは?」

「あの人はそもそも、私と会うとはつみかどうかって目をしてる。私じゃなくてあなたを探している。だからかな?ピンと来ないかな。」

「すいませんねぇ笑」


私ははつみにバレているだろうに極力バレないように、横目ではつみの表情を覗き見る。私とそっくりなはずのその表情はまるで別の人みたいに輝いて見えた。私はもうその輝きを奪いたくないと思う。なんだか溢れそうになり、ダメだダメだ、慌ててまなこに蓋をする。


「ねぇ、はつみ。彼にまた会いたい?」

「うん。」


その返事にためらいはなかった。私と違って、素直で、正直で、まっすぐな子。私はずっとはつみに遠慮して生きてしまっているのかもしれない。はつみの存在がまた私の心を曇らせる。


目が覚めると、夢の中の美味しい空気とは相反した狭い部屋の空気が層となり私を押し潰している。さっきまで感じていた風を求めて窓を開ける。あいにく風のない日で、レースのカーテンが窓を開けた拍子に揺れるだけだった。寝ぼけた顔をお湯で洗い起こし、仕事へと向かう支度をする。遅れてすいません、とそよそよと風が入ってくる。右足からブラウンのストッキングを通す。左足も続くと立ち上がり、太ももからお尻へと私の体をスキャンするようにすり抜ける。今日は少し肌寒そうだからベージュのヒートテックを手に取る。ブラウスは少しピンクがかったものにしよう。学生の頃から化粧に手間や時間を欠けている自負はないし、元々の顔をそこまで着飾りたくなかった。メイクで別人のようになる友達もいるが私には抵抗があった。それでも好きなのはアイシャドー。こないだ東急で買った新色の秋色。キラキラと黄金色のラメが入ってて気に入った。いつもと同じような朝でも、季節が巡るように少しずつでも何かを変えていきたい。私の密やかな楽しみだ。今日は一駅歩きたい気分。時計を確認して、少し早めに出ようと思った。いつもの駅も、いつもの道も、いつもの人たちも、ほんとは毎日どこか違う。鏡の前に立ち奥歯をクッと噛み合わせ、口角を持ち上げ笑顔を作って見せる。


どうしてだろうな。同じ顔なはずなんだけどな。

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