第7話 願い

週末の慣れない人混みの中を縫って歩くのはいつぶりだろうか。メンズビルに入ると私と同じようで違わない女の子たちがチラチラ見受けられた。既にカップルが成立している子なのか、ひと勝負かけようとしている子なのか、クリスマスに彩られる街並みは少女たちを輝かしく映した。棚越しにひとりで男性用香水コーナーで足を止めている彼女に目が止まる。もしも私と同じように、意中の彼との素敵なクリスマスを過ごせるかもわからないのにプレゼントを選んでいるとしたら、そんなあなたと私にささやかでも素敵なクリスマスの奇跡が起きることを願ってやまない。大して男性用香水を検討する気なんてないのだけれど、彼女に連れられてたどり着いてしまっていた。その時、彼女にスッと体を引き寄せ「え、今の香水もしかして嫌い?」とガッチリとした大柄な男性が現れた。状況は違えどまたあきらくんとのことが重なった。私、なにやってんだろう。正直私は、どうしても自信がついてこない。傷つくのが怖い。誰か私の背中を蹴っ飛ばしてほしい。まだ早いんじゃない?今じゃないんじゃない?私の中から色んな私の声がする。ま、プレゼントといっても今年1年お世話になりましたってことでもいいしね、とか理由付けしている自分も居て結局は金額的にもアイテム的にも重くないプレゼントを選ぼうと決めた。クリスマスを過ごせようが過ごせまいが、そういって渡せばいい。お歳暮みたいなもんだねって逃げ笑いしている自分が目に浮かぶ。もっと私は、、どうしたいのだろうか。わかっているのに、声にできない。私はあなたと、もっと一緒に居たい。


歩き回った週末の疲れは足の裏にジンジンと残る。今週末はクリスマス。今日は月曜日。おはようは、おはようで返ってきた。私はタブで残しているチキンの予約画面を確認する。予約の期限は明日までか。「ダメだったらチキン3本にしといてもらえますか?」そう言ってあどけなく笑った彼。そのせいで私は動けなくなっていた。そんなことを言ったことすら、彼はもう忘れているだろうか。明日まで待ってみようかな。いや待てよ、3本予約しとけばいいのか。そっかそっか深く考えすぎた。3本頼んでおけばいいんだ。そうすれば、もし圭介くんと過ごせるようなことになっても大丈夫だし、ひとりだとしてもひとりで食べればいい。それに3本だったら店員さんにもひとりで過ごすんだろうなって思われにくいし一石三鳥じゃん。ぁ、ぁああ!鳥だけに‼︎ 見事な解決案に辿り着いた時、私の内側からため息と呆れた微かな声がもれる。


(こんな自分が嫌なの。)

(いい加減気づきなよ。そういう自分があんたは嫌いなんだよ。)


圭介くんを好きになって、私は少し変わったのかもしれない、いや変われるような気がする。逃げたくない。自分の気持ちが素直に内側を打つ。ほのかで密かな決意を胸に窓越しにビル間の冬雲を見つめる。足音が聞こえてきた。聞き馴染みのある音。小津圭介だ。きっと彼だ。硬くなった体の向きを変える。やっぱり彼だ。週末にあんな話をして、土日を挟み今の今まで彼のクリスマスがどういう予定になったのかはわからない。心なしか和かな表情に見える彼の顔に怯えながら話しかけた。


「お疲れさん。」

「お疲れ様。」

「今日は、新規訪問ですね。気合い入れていきますかー。」

「うん。私は北から、圭介くんは南から攻める。」

「ま、追い込み漁でもないし、どっちからでもいいんだけど笑」

「(追い込み漁?)3件回った時点で一回連絡するね。」

「ういす。」


少し間が空いて、彼が何か言おうとしているような気がした。少し待ってみたけど、彼からの言葉はなかった。私の鼓動と、内側を叩く私の声が大きくなっていく。いつからだろう、それが苦しい時もある、声がすればするほど辛い時の方が多かったと思う。でも今は、頑張れ!頑張れ!って聞こえる。彼が、じゃあ行こうか、と外回りに向けて一歩を踏み出す。


「あーー、あのさっ‼︎」


歩き始めた彼はひょうひょうとして呆けた顔をして微かに返事を示す。なんだろう、なんかムカつく。ん?じゃねえよ。


「あー、いや、まぁいいんだけどさ、、、、チキン、、予約2本のままで、いいのかな?予約の期限が明日までだから…。」

「ぁあー…」


頭を掻きながら彼は、窓の外にいったん目をやる。グツの悪そうな彼に苛つき始めた横柄な私は、足先や指先の血管にまでもどかしさを通わせていく。足先が冷えていく。膝に力が入らない。きっと、いいことなんて言われない。まぁいいや。うるさい、私。


「2本のままでいいですよ。」

「、、ぁあ、ぁああ、そっか。そうなんだね。良かったね。」

「彼女から返事が来て、一緒に過ごすことになりました。」


ここぞとばかりになんで敬語なの。なんなん。だったら言ってよ?言わないか、言わないよね。興味ないしどうでもいいもんね。馬鹿にしないでくれる?頭の中で、どれを留めてどれを発射させるべきか沸点が近い脳水で考える。こりゃだめだグチャグチャだ。


「だ、、だったら言ってよね!私は、予約ページ見つめながら2本か3本か、待ってたんだから。デリカシーに欠けるんじゃない?」

「す、、すいません。言おうかとも思ったんだけど、、、なんか、、どう言えばいいかな、、とか考えてたら、時が過ぎてって。」

「そ、、それ、、同情?同情とかウケる。私にだって、予定くらいあるもん!」

「あ、そうなんだ、なんだ、良かったじゃん。」


彼のその言葉は私の世界の彩りを奪っていった。圭介くんのことでわいわい騒いでいた私の内側も、静まり返っていて漆黒で無音だった。冷えた鉛のようなものがズンと私の股間へ落ちていく。


「な、何それ・・・良かったじゃん?、ば、ば、、」

「え?」

「馬鹿にしないでよーー‼︎」

「ぇええ⁉︎」


怒りや恐れや喜びや悔しさや、いろんな感情があるのは知ってる。いろんな涙があるのも知っている。では、私から今、流れ出ている涙はなに?彼に背を向けて早足で歩き出した私は、その背中で彼がどんな顔しているのかを見つめていた。私の背中が映し出す彼はあっけらかんとしていて、また腹立たしくなった。ズンズンズン、乱暴に進んでいく。トボトボトボ、歩調が落ち着いてきた。やってしまった。ぁあぁやってしまった。また私の声が始まる。違う、私は、私自身にムカついているんだ。もっともっと前から、私は私に腹が立っている。虚しく脳裏に浮かぶのは、昨日渋谷で買った彼へのプレゼントだ。自分で使うか、いやそれはなんか嫌だな、お父さんにあげようかな。あ、鎌倉部長にあげようか、、いやそれはないな。ほんと笑える。どうしよう、可哀相とも思えなくなってきた。


「彼と一緒に過ごさせてください。」サンタさん、贅沢な願いでしたね、ごめんなさい。だからってこれはしっぺ返しが過ぎるのではないでしょうか。私は変わりたい。サンタさん、私は変わりたいです。それくらい、いいでしょう?どうかたまには力を貸してください。













彼女からクリスマスの返事があった時は、自分でも引くほど冷静だった。恋する男子はこんな時、ヒャッホーと飛び上がって喜んでみせるもんじゃないのか。また僕は自分の熱量を疑う。これは恋と言えるのか。僕は彼女をどうしたいのか。彼女から返事が来ないと心配になる、もう会えないんじゃないかと、会う時はいつも別れ際に同じことを思ってしまう。いつまでも続かないことはなんとなくわかっている。いつまでも続くとしたら、いつまでも続くことを僕が願えばそれが恋なのか。とにかく彼女と一緒に過ごす時間が心地よく、それを僕なりの好意だと変換しながらここまできた。あの日言った好きです。僕はまだ違和感を抱いたままだった。うまく表現できそうもないことを言葉にすること自体、土台無理な話だ。僕は約束の店に早く着き過ぎて、寄せては返す波のように繰り返し余計な感情を巡らせていた。いやしかし今宵はクリスマス。恋人たちは折り重なり、互いに求め合う。中には衝突する面々もあろうが、それは互いの距離が否応なく近づく日だから致し方ない。普段通りではない非日常の中で距離を詰めるものもあれば、激しくぶつかってしまうこともそりゃあるだろう。今日、僕は彼女とどうかなるのだろうか。いずれにしても僕がもっとはっきりしなければならない。


「こんばんは。」


季節に似つかわしくないさくらんぼのような声で思考の膜がパンと弾けた。窓の外を眺める限り雪は降っていないようだが、彼女の赤らめた鼻先を見ればいかに寒いかがわかる。僕はちょっと遅れて立ち上がり彼女の椅子を引く。


「どうぞ、お待ちしておりました。」

「え、あ、はい。」


慣れないお店に慣れない振る舞い。纏う空気ごと僕はカチコチしていた。彼女も僕の意外な振る舞いに余計に緊張した面持ちだった。接客ロボットみたいな僕が彼女の椅子を引いて彼女を座るように促す。外の寒気さに混じっていたふんわりとした彼女の香りが僕をほぐしてくれた。


「ちょ、なんか、頑張ってない?笑」

「あ。はい、いや、、、クリスマスのせいでしょうねw。」

「大丈夫、とても、いい感じ、ですよ。」

「片言やん笑。」


前屈みで僕の表情を少し斜め下から覗き込み、そう言って無邪気に微笑んでみせる。少し赤くなった彼女の顔とキラキラした瞳に僕の心は灯され蕩けていく。彼女がくる前になんか色々考えてたけどもう何にも無くなった。僕も席に戻ると彼女は瞳をテーブルの上、右左右とキョロキョロと泳がせている。


「今日はコース料理なんですよ。」

「あ、やっぱり。」

「コース料理なんて頼んだことないけど、どうなんでしょうね?」

「私も初めて。でも、、なんか、考えなくていいから、楽だよね。」

「ま、そこが楽しいし、そこが楽しくない、ってとこでしょうね。」

「え?」

「選べる幸せ。選べない不幸せ。」

「え、もう酔ってる?」

「なんでやねん笑。寒かったでしょ?雪降ってないよね?」

「うん。ゆーきやこんこんって歌う準備できてたんだけどね。」

「そこはジングルベルじゃない?クリスマスだし。」

「む、そ、それはごもっとも。恥ずかしい。」


僕らはまだ少しお店の雰囲気に合わせて、ぎこちなく小さな声でくすくす笑う。


「ありがとう、今日。きてくれて。」

「うううん。ごめんね、返事遅くなって。」


クリスマスや慣れない店のせいもあってか、いつもはほぼ現れない緊張感が漂う。僕がこんな時間の過ごし方をしているなんて、少し前なら想像もつかない。彼女の存在に感謝したい。だけど、いつまでも甘えていていいのだろうか、いいはずがない。僕が引っ張らなければならない。僕はどうしたいのだろう。わからないまま僕は走っていた。どうすればいい。彼女は何を願うのだろうか。本当はもっと考えなければならない、僕が行動に移さなければならない、彼女とのこれからを僕らのため彼女のためにも話し合わなければならない。いつまでも続けていいわけがないとわかっていながらもいつも、楽しそうに過ごす彼女が僕のアレコレを吹き飛ばす。


「安心して。残念ながら、お姉ちゃんクリスマスの予定ないみたい。がっくり。」

「え、あ、それは、、、良かった。あ、いや、よかないか、ごめんなさい。」

「大丈夫。多分聞こえてないよ。それに、お姉ちゃんがいけないんだよ。やる気ないから。」

「そう。思いは実現する。願わない限りは実現しない。」

「どしたの今日笑。まだ緊張してる笑?」

「はつみさんは、サンタさんに何を願うの?」


ちょっといつもとは違う空気感だけど、僕はどうかしているわけではない。こんな夜があったって構わない。僕は変わりたかった。僕たちを変えなければならない、そういう感情に駆られていた。だからと言って、サラッとはつみさんにとっては酷な質問をしてしまった自分に後髪を掴まれたが、僕はグッと堪えて彼女からの言葉を待つ。


「うーん。サンタさんに願うとしたら、、、考えたことないな、、」


彼女が首を傾げていると、赤白のサンタさんとは真逆の格好をしたちょこっと生やした顎髭がダンディな店員さんが音も立てずにシュッと現れた。


「いらっしゃいませ。聖夜の夜に、当店をお選びいただきありがとうございます。お時間の許します限り、素敵な夜をお過ごしください。お飲み物はいかがいたしましょうか?」


そう言うとどこに忍ばせていたのか、手のひらを少し越えるくらいのカードを差し出して見せる。しまった。お酒のことはよくわからない。彼女は少し身を乗り出し、カードに書かれているメニューを眺めた後で(どうします?)と僕をみる。僕のえーっと、という声は顔に出ていたことだろう。


「今日のお料理に合いますのは、こちらのシャンパンがお勧めです。口あたりも良く、やや甘口でふわりとした香りが花を添えることでしょう。色もイエローゴールドで今夜にはピッタリです。」


僕らは顔を合わせてにこりと合図する。そんな僕らを微笑ましく眺めている店員さんからは大人の魅力がダダ漏れで、今更ながらお店に似つかわしくない子供っぽい自分が際立ってしまい脇から変な汗が染み出てきた。


「それでは、こちらをご用意させていただきますね。メリークリスマス♪」


そういうとまた音も立てずに去っていた。彼はいつからこうなのだろうか。僕の会社には居ないタイプの人だ。そういえばここ数年、身近には憧れる先輩っていなかったなとふと思い返したりした。浮かんだのは鎌倉部長くらいで実に残念だ。自分の将来が見えない、と嘆く同僚がいるけれどそんなことはない。その会社にいる限りは自分の上司や上の人間を見ればいい。真っ当に勤め上げていけば自分もいずれは似たような椅子に座ることになる。あの人のようになりたい、身近にそういう存在があれることはとても有り難く幸せなことだ。


「ダンディだね。お姉さんにどうかな?」

「もうちょっと明らかな欠陥がないと無理。整いすぎているものはなんかで一気に崩れそうで怖い、とか言いそう。」

「あ、お姉さんがね笑。はつみさんがかと思った。」

「うん、私の話をしよう。今日はお姉ちゃんじゃないし。」

「あ、ごめん。」

「なんてね。シャンパンとか超楽しみ!万が一、ぶっ倒れたらよろしくね。」

「任せとけ。おぶってる時に雪が降ってきたらいい感じ。なんかのドラマみたい。」

「ときどき誰なのそのロマンチストは笑」


少し緊張もほぐれてきたところに合わせて店員さんはお勧めのシャンパンを片手に戻ってきた。どこかに彼の欠陥はないだろうかと下から上へと観察してみる。うーむいいやしかし、こんな素敵な彼でも中身は何にも見えないからな。大事なのは中身だ。


「お待たせいたしました。良ければこちらで開けていただけますか?」

「僕が、ですか?」

「はい。」


そういうと、フック船長の部下が持っていたような気がするナイフを腰から取り出して柄を僕に差し出した。クルクルして開けるものだと思っていたわけで随分と勝手が違う。そもそもそれでどうやって開けるのか理屈がわかんない。


「シャンパンを肩にこう持って、ナイフを瓶に沿って、ワン、ツー、スリーで振り抜いてください。」


ダンディな彼は身振り手振りで示してくれる。なんでもない夜でなんでもない人とならこんな展開にはならない。人生は誰と一緒に過ごすかでそれはもう随分と変わるもの。やったことないからと言っておどおどしたって始まらないしかっこもつかない。僕は腹を据えて立ち上がる。


「うし、、、」

「ファイト。」


そういう彼女にふと目を配ると、大丈夫かな?という心配そうでもあり好奇心にも溢れた輝きが見て取れた。好きな女の子にかっこいいところを見せようとする小学生のような自分が可愛い。そんな僕にやり方を教えるフリして店員さんがボソボソと彼女には聞こえないように耳打ちする。


「大丈夫です。コルクで抜く方が難しいくらいです。恐る恐るやるとポロッと取れてカッコつきません。スッと振り抜いて、パーンと決めて、彼女の方を見て メリークリスマス です!」


近づくといい匂いがするなこんちくしょう。ウインクしながら僕の背中を押す彼を、ひょっとして少しめんどくさい人なのかもと僕なりの彼の欠点を見つけたところで、僕はシャンパンの瓶を肩に乗せ右上に向けて構える。言われた通り、ワン、ツー、スリーでナイフを振り抜く。拍子抜けするくらい簡単に瓶の首はすっ飛んでった。彼女からは「おーーー‼︎」と歓声が上がり、パチパチと可愛い拍手が飛んできた。なるほどこりゃ確かにいい気分だ。僕も思わず口元が大いに緩んだ。店員さんに目をやるとわざとらしくにっこりとした口元とは対照的に、笑っていない目で僕に合図する。僕は遅れてハッとした。


「メリークリスマス。」


ぎこちなくカッコつけた顔で僕は言う。受け止めてくれるピンクの笑顔に僕はホッとする。大きくて分厚い拍手が後から混じった。照れ臭かったけど、クリスマスらしい君との思い出が映像として増えたことを単純に嬉しく思う。シュワシュワ〜と音を立てるグラスに耳を近づける君が可愛らしかった。続けてグラスも持ち上げては僕の方に翳してみせた。


「綺麗な色〜。贅沢してるって感じ。すいません。ありがとうございます。」

「何に謝って、誰に感謝したの?」


「世間様に謝って、クリスマスと圭介くんに感謝。」

「よろしい。ほいなら、乾杯しますか。」

「うん。」


ぎこちなくぶつかり合う僕らのグラス。窓の外に目をやると、チラチラと大粒の雪が降り始めた。少しその場所や空気にも慣れてきた僕は店内を軽く見渡す。着飾った彼彼女、僕らのようにおそらくは20代半ばと思われるカップル、グレイのスーツの男性の前には赤いワンピースで一際映えている女性。予約席と書かれた札がある席があと二つ。どの席からも店内の大きなクリスマスツリーがよく見えて、窓の外の夜景にも目を配れるように配置されている。彼らから僕たちはどう映るだろうか。カップル、夫婦、恋人、人と人との組み合わせを表現はさまざまにありはするが、僕たちは先のどれにも該当しない。だって彼女は亡くなっているのだから。僕は怖くてその先へ進めなかった。彼女と楽しく過ごす時間が増える度、自分のズルさや臆病さを感じるようになった。僕たちに未来はあるのだろうか。ただ目の前の今がずっと続けばそれでいい。その矛盾に僕は最初から気づけていたはずなのに。


「私たちってどう見えるのかな?やっぱり恋人でしょうね。うふふ。」


僕は今夜その先へ踏み出そうと決意していた。でも今だに、もう本番中だっていうのにどう踏み込めばいいのかわからない。どう尋ねればいいのかわからない。悲しい思いをさせるのならば、いっそこのままと何度もなぞった。君が好きと言った僕に、ありがとうと悲しげな表情を覗かせた君。振り向きざまの表情が、僕から消えない。そして聞こえてくる僕側からの声。


(何を望むの?)


僕は君と居たい。それは確かだった。そう言えばいい。だけど、その僕を出すことは彼女を苦しめることになるのではないか。彼女と居るときは、彼女のために今を、今が楽しければいい、その気持ちを大事にすることで僕は誠実であろうとした。そんな僕に未来がないことはわかっている。


「なんだか、今日は、緊張するね。」

「あ、ああ、ごめん。お店のセレクト、間違えたかな。僕も正直、そんな感じ。」

「うううん。なんか、新鮮というか、カフェや公園なら感じない何かをこういうお店だと感じ取って、体や心は緊張してるのかな。圭介くんの緊張が私に伝わるのかな。人って不思議。」

「いや、単純に僕が慣れてないから…」


これまではつみさんと居るとき、いつもお姉さんの話が多かったなと実感していた。はつみさんもいつもは楽しそうに自分のこととお姉さんのことを溜まっていた言葉が次から次へと溢れ出すように喋り続けていた。そんな風に過ごすはつみさんに僕は安心していた。僕はこれからの僕たちの話を避けていたし、ひょっとすると彼女もそうなのかもしれない。最も、避けるというより2人の時間が楽しく柔らかく、あったはずの気持ちや考え、言おうと思って収納していた言葉も忘れてしまうことは僕にとって紛れもない事実だった。


「ごめんね、私が、お姉ちゃんの話しないで、って変なこと言っちゃったから。」

「え?そんなことないよ。」

「いつも通り、何も考えなくていいよ。話したいことを話して、楽しく過ごそうね。」

「う、うん、わかった。シャンパン、大丈夫?」

「あ、うん!すっごい飲みやすいし、いい感じでポーッとする。」

「それって、、大丈夫笑?」


彼女はグラスにあと一口ばかしか少し残っていたシャンパンを飲み干して僕の方にグラスを差し出し、会釈をするようにグラスを傾ける。僕は無理しないでねとシャンパンを注ぐ。シュワシュワとはじける音色が溢れる。


「今夜で、私、最後なんだ。よろしくね。」


パチパチとはじける泡を見つめながら彼女がそう呟く。不思議なもので、僕の心臓はどこかでそれを覚悟していたように僅かに縮み上がる。顔を上げてイエローゴールド越しの彼女を見つめると、少しシャンパンに酔ったようなとろりとした笑顔を見せていた。


「だから、よろしくね。」

「わかった。」


今夜も彼女のために僕なりの誠実であろうと思った。この時間がずっと続けばいいのにな、彼女にもそう思ってもらえるような時間にしたい。僕の胸にある言葉たちのどれを選んでどれを見せていい。きっとはつみさんと僕なら大丈夫。どこか根拠のない自信はあった。人を好きになるということがそれなのかは正直わからないけれど、人を想うということは、自分らしくありながらも、その人のために変われるということなのかもしれない。


「お姉さんには話したの?」

「うーーん。話したような、話してないような。」

「あ、そんな感じ。夢みたいな?」

「うん。まぁ、多分わかってると思う。双子だし。」

「しっかし双子ってすごいよね。一緒に命が始まって、一緒に出てくるんでしょ?」

「うん。まぁ、私は最初、母さんの子宮の中でななみの下にいたの。子宮口が近い方ね。お腹の中にいる時から、それぞれに名前呼んでたんだって。」

「え、あ、そうなんだ。」

「でもね、ああ見えて負けず嫌いだから、お姉ちゃんは。先に出ていっちゃったわけ笑。」

「競争意識あんの?そこに。」

「だから、ななみが姉で、はつみが妹。なな、はちってことでも言えるし、まぁいっかって。」

「ぁあ、そう言われればそうか。」

「実はこの時から人生、入れ替わっちゃってたりして。こないだ、お姉ちゃんが倒れちゃってね。」

「え、、、」

「それで、返事が遅くなっちゃたね。」

「・・・大丈夫、、なの?お姉さん、というか、、。」

「うーん。。大丈夫だけど、やっぱりいつまでも私がこうしているわけにはいかないんだなって思った。」

「そっか。」

「で、ひとつ我ながら疑問があるわけさ。」


人差し指を頬に当てて、うーんと悩ましい顔をする。大人びた外観の彼女が垣間、えたく幼く映った。そんな彼女を愛おしくなぞる。やはり僕はこの気持ちを誤魔化せはしない。僕は君が愛おしい。


「子供の頃、お姉ちゃんが倒れて以来、私の意識も、魂も、器も、居なくなった。だけど、最近になって復活?」

「そのようで。」

「昔はプツプツ途切れ途切れだったんだけど、、大人になったせいか、大人になったのかな?、、ともあれ、最近の自分のことはちゃんと覚えてる。その分、お姉ちゃんにも負担が大きいのかもしれない。」

「それが、、疑問?」

「あ、ごめん、違う。疑問は、あなた。」

「え?」


ギクっとドキッと両方した。僕の曖昧な立ち位置を責められたのかと思った。世間一般的には僕は、はっきりしない男なのだろうなという自問自答はあった。幸い返す言葉を探す間も無く彼女は続けた。


「圭介くんとの時間だけなのよね、今回は。ハンカチ拾った交差点も、2回目のカフェにしたってそう。その後も。圭介くんとの時だけ私が私になれる。」

「え?」


圭介くんの時だけ私は私になれる。普通ならロマンティックで、ある種、愛の告白のような彼女の言葉に僕の身は火照る。無論、その言葉にそのような意図はないけれど、言霊というように、言葉そのものが持つエネルギーがあるのだろうな。


「カフェは3回目でしょ?」

「え、、、あ、、そだね。」


ほんの少しだけテヘッとした顔を見せる。たとえほんのわずかでも、君の表情の変化ひとつひとつが愛おしい。僕は君をどうしたいのだろう。僕のこの気持ちはなんていう名前なのだろうか。まさか、、愛、、これが、愛か?飛び級にも程がある…。


「つまりそれは、僕が運命の相手、、、的な?」

「いやぁ〜、、、お姉ちゃんにも言われたけど、、、、なんていうか、、あんまそんな気もしないんだけどなぁ笑」

「なんだよそれ笑。フラれちゃったな。」

「ごめん、そういうつもりはない。なんていうか、生きてる回数が少ないから、あんまりよくわかんないのかな。」

「うん、なんかわかるよ。僕も、人を、誰かを真剣に好きになったことなんか、、、、でも初めて、君に会ったあの日から、今日まで重ねた君との時間は、特別で、居心地よくて、どんな自分でもないけど、肩の力がスッと抜けて、自分らしく居られる、特別な時間。君は僕の初恋の人なんだと思う。」

「私も、あなたとの時間が特別で、過ごしやすくて、ずっと続けばいいなって。何か言うと、終わっちゃうのかなって怖くてさ。だから、甘えてたのかな。」

「あぁ、ありがとう、言われちゃった笑。僕も同じ気持ちだな。ごめんね。」


カチャカチャと食器の音を奏でながら、柔らかな時が流れている。そう、これが、続くなら。続けていくことができるなら、この想いも変わっていくのかな。僕のこのふわふわした願いもその輪郭を得ていくのかな。


「だから、何を望むというわけでもないの。私には、今しかないから。」

「その今を、僕は誰よりも、受け止めるよ。」


聖夜の奇跡が起きるなら、どうか時を止めてほしい。今という瞬間瞬間は、無情にも過ぎて過去になっていく。ただただ過ぎていく。今夜が最後だという彼女に、僕はあと何ができるのだろうか。


「ねえ、はつみさんは?」

「え?」

「初恋ってあるのかな。子供の頃は、ときどき自分にはなれていたんでしょ?」

「うーん、初恋って胸を張って言える気持ちはないかな。だけど、私も鮮明に覚えてるよ。正門の前で立ち尽くすあなたは、どこか寂しそうに見えてね。え、ちょっと待って。私が初恋の人なの?」

「今、拾うのかよ笑。スルーされたと思ってたのに笑」

「ごめんなんか、油断してたから笑。」

「初恋って言うのか、、いつまでも、あの日の君が消えなくてね。不思議だなぁってずっと思ってて、その気持ちに勝手に名前をつけた感じ。」

「今は?今も、不思議?」

「今は、不思議じゃないよ。なんか、繋がってたんだなぁって思うから。」

「ありがとう。」

「僕は、、」


その先の言葉が(出てきていいの?)と足踏みする。だけど、最後だけどそうでないことを願う僕を、聖なる夜よどうか許してほしい。慣れない手つきのナイフとフォークの手が止まる。


「僕は、、、君と生きていきたい。」

「ありがとう。私も、、、、」


声にできない彼女の思いに胸が苦しくなる。僕に、僕は彼女にあと何をしてやれる?もぐもぐしていた彼女の口はへの字に曲がり、きらりと光る涙が彼女の頬を伝う。泣かせてしまったと思う一方で僕の目頭も熱くなっていた。泣いちゃダメだと言い聞かすほどに、堪えきれなくて溢れだす涙。いいんだ、これでいいんだ。思えば僕たちは鏡のようだった。君が笑えば僕も笑う。君が泣くなら僕も泣く。どうせ後で泣くのなら、今ここで同じくして涙を流したい。


「クリスマスプレゼントがありまーす!受け取ってくれますか?」

「うわぁ〜、下手くそ〜・・・はい。」


彼女の赤らめた目がなくなり、笑顔の拍子にまた一筋の涙。ツリーのイルミネーションに照らされて、一層彼女はキラキラしている。あまりに綺麗すぎて、最後という彼女の台詞が反数してきて切なくなる。僕は忍ばせておいた赤と緑のチェック柄にリボンで縛られた小箱を取り出し、体を伸ばして彼女に差し出す。しばらく彼女は着飾った箱をぼんやりと眺めたのちに、真上から、斜めから、体をくねらせる。


「おー。クリスマスプレゼントだぁ。」


子供のような無邪気な笑顔でそう言った。どんな仕草も、表情も、欠かすことはできないけれど、君のその笑顔のひとつひとつが僕の願いに繋がるそのものだ。


「開けていいのかな?」

「どうぞ」


彼女は小箱をツンツンしながらそう尋ねる。今度はペットのように見えてきて僕は声に出さずに笑う。シュルシュルと着飾った小箱が丁寧に脱がされていく。パカっと蓋が開く音が鳴る。すると君はパチンと蓋をもう一度閉める。またパカっと音が鳴る。


「プレゼントって、何が入ってるのかワクワクする。」

「あのー、なんだろう、パカパカするのやめてもらっていいですか笑」


彼女にとって、プレゼントされることは初めてになるのだろうか。僕は尋ねることを控え、僕なりに精一杯の柔らかい眼差しでもって彼女を見届ける。今を、この瞬間を、ずっと忘れないように。


「ありがとう、、かわいい〜‼︎」

「気に入ってもらえるといいんだけど。」


金色の光を浴びながらネックレスのチェーンが垂れる。誰かを思ってプレゼントを選ぶなんて慣れないことなのだけど、案外、君へのこの贈り物は迷うことなく決まったので驚いた。


「これは、、、月?」

「うん。満月。裏は三日月になってるんだ、わかるかな?」

「ほんとだぁ。素敵〜。」


着飾ることのない彼女の言葉に僕はホッとする。まっすぐな瞳、まっすぐな言葉。


「月は、こちらからの見え方は変わるけど、いつもそこに居る。それに、三日月は願いを叶えてくれる月なんだ。」


プレゼントを選んだ理由を述べる僕に、彼女は静かにレックレスを見つめている。幼な顔残るその表情に、あの日の君が重なる。


「つけていい?」

「もちろん。」


体を少し左へとくねらせて、両手を首後ろに回す彼女。あれ、と両手が胸元に戻ってきた。つけてあげる、と僕は立ち上がる。彼女の後ろに周り、ネックレスを受け取る。彼女の指先。ハンカチを拾ってくれたシーンがフラッシュバックする。彼女の首元に僕の手が触れ、君の温もりを感じて僕の胸が熱くなる。ネックレスの輪っかを繋げて、僕の手元が彼女から離れていく。すると彼女は立ち上がり僕の方へと振り向く。


「どう?」

「おー。めっちゃ似合ってるよ。」

「うふふ。嬉しい。ありがとう。」


一気に彼女の香りが僕の鼻口を突き抜けたかと思えば、彼女は僕に抱きついてきた。遅れて包み込む僕。そして彼女は震え始めた。刹那、僕には嫌な予感が稲妻の如く走り抜ける。


「嬉しい。ありがとう。」


その声と体は震えていた。僕の耳元で、ありがとう、嬉しい。ありがとう、嬉しい。と涙を流しながら繰り返す。


パチパチ。

パチパチパチパチ。

パチパチパチパチパチパチ。


ハッと気がつくと、店員さんから始まった祝福の拍手がお店全体へと広がっていった。僕は照れ臭そうに会釈をしながら、彼女は咄嗟にテーブルのナプキンを手に取り、なおも溢れてくる涙をおさえながら遅れて会釈をする。ふとあのダンディな店員さんと目が合う。親指を立てて僕に差し出す彼の目にも涙が流れていた。なんていい人なんだって思った。スタンディングオベーションや拍手喝采とまでは言わないが、たとえまばらな拍手でもお祝いに包まれた僕たちは今を噛み締める。本当によく似合ってるよ、と彼女を椅子に座らせる。


「私のプレゼント渡しづらくなっちゃった。」

「それで泣いてたの?」

「なわけないじゃん笑」


テーブルクロスに身を隠していた袋から、クリスマスツリーを模した包みが出てきた。僕の小箱についていたのと同じような配色のリボンがあしらわれている。


「よかったら受け取ってください。メリークリスマス♪」

「ありがとう。開けていい?」

「うん。好きな色とかわかんないから、気にいるといいけど。」


包みが破れてしまわないように、丁寧に解いていく。黄色をベースに緑や茶色のラインが入ったチェック柄のマフラーだった。


「ほら、圭介くんといえば黄色。イチョウかなって!」

「ふかふかする〜。触ったらわかる、これええやつやん。ありがとう、マフラーとか持ってないし、嬉しいよ。」

「ねえ、巻いてみて。あ、巻きましょうか?」

「いや、巻けますよ笑。」


そうは言ったもののマフラーの巻き方など知らない。僕はマフラーを首にかけて、右に左に回してみせる。帰ったら「マフラー 巻き方」で検索だな。


「ぉぉお、こりゃあったけ〜。」

「でしょ!大切に使ってね。で、飽きたら捨ててね!何事も潔くね。」

「捨てないよ笑。」


自分は存在しなくなるから遠慮しないで捨ててね、と言っているようにも思えたが今は素知らぬふりをした。真新しいマフラーの香りに混じって、彼女の残り香が僕を慰める。


「とってもお似合いですよ。」


そういって店員さんは最後のデザートを運んできた。赤に黄色に緑にクリスマスを思わせる色鮮やかな着飾ったデザートに僕はどこから手をつけていいのやらと上から右から左からそれを見つめる。一方で目の前の女子はキラキラしたそれにただただ興奮しているご様子。


「うひゃ〜♪結構お腹いっぱいだけど、デザートは別腹!さ、食べましょう。」

「うん。」


今宵のディナーの終わりを告げるデザートを食べようとプレゼントされたマフラーに手をやる。マフラーを外すと、彼女の残り香もスルスルと解けていった。



「マフラー、ほんと似合ってるよ。なんか、暗いイメージも明るくなるよ。」

「暗いイメージ・・・。」

「あはははは」

「笑うとこ?」

彼女の笑い声と白い吐息が飛んでいく。風がなく、空気が澄んでて気持ちがいいと言う彼女に安心した。いつかの黄色い公園は、すっかり木々の葉が落ちて、代わりに鮮やかなイルミネーションを着飾っている。


「雪、さっきは降ってたのになぁ。」

「少し、雲もあるしね。」

「雪って、雲が降らせるの?」

「え、、、あぁ、多分、、調べてみます。」

「ときどき適当だよね笑」


寒さでポケットに手を突っ込んだままの彼女は肩でどついてきた。こけしみたいで可愛い。なんだろう、年齢よりもずっとどこかあどけなく、垢抜けない彼女。お姉さんは全然雰囲気が違って大人びたような人だったけど、もっと時間を重ねたらはつみさんも大人びていくのかな。どう成長していくのだろう。そう思考を巡らせてしまった僕は暗がりの中人知れず目頭が熱くなる。


「今日はありがとう。」

「いいや、こちらこそ。初めてのクリスマスにいい思い出ができた。」

「初めて?」

「あ、いや、その、、、女性と一緒のクリスマス。」

「ぇええ、大丈夫?あたし。初恋に、初クリスマスに。」

「はつみなだけあるね。」

「ぁぁああ、なんか言うと思った〜寒ーい‼︎」

「ほんと寒いね。」


イルミネーションの光が、赤、青、緑、白、また赤、青、緑、白の順に灯る。夜の公園はその鮮やかな光を添えられて足元に困ることはなかった。


「私は圭介くんのことが好き。でも、今日も過ごしてみて思った。付き合って欲しい、とか、恋人にしたいとかじゃないの。私に先がないからそもそも諦めてるからってことじゃなくて、そういう?気持ちではない気がする。ただ、なんというか、存在にありがとう、ありがとうって。そればっかりだな。」


黙り込む僕に言葉を被せる彼女。最後の君との時間、君の言葉、君の香り、存在、全てを包んで一滴も溢れないように。「そうそう!僕も実は同じ気持ちなんだ。」って再びは流石にズルくてダサくて言えなかった。前にこの場所で言った、君が好きが静かに邪魔をしていた。うまく表現できない自分の気持ちは君が代弁してくれているようで情けなくも嬉しかったし、同じような思いの色をしていることが重ねて僕を温める。


「僕の方こそはつみさんの存在がありがたいというか、存在そのものが愛おしい。優しく包んで守ってあげたくなる。」

「圭介くんって多分すっごい不器用だけど、優しい人だよね。だから大丈夫だよ!」

「何がですか?笑」

「ん、、だから、その、なんていうか、、うまく言えないけど、私のことは引きずらなくていいからね。」

「引きずりはしないけど、いい意味でいつまでも忘れずにいると思う。」

「それって、、引きずってない?笑」


おどけて彼女がそう言うと、つられて僕も笑う。そうか、君の存在そのものがいつまでも僕に在れたんだ。これまでもこれからと一緒だ。いつまでも僕の素敵な初恋のままでいいんだ。奥歯の噛み締めを解き、優しく両肩も微笑む。イルミネーションの光は穏やかな水面で踊っている。ふと木々の隙間から空を見上げる君の横顔を覗いたのち、僕も見えない星空に目をやる。季節が好きな君に、いつか満点の冬の星空を見せてあげたい。その時は僕の思いを連れていこう。その時、ふーっと大きく深呼吸する彼女の視線の先、イルミネーションの光に誤魔化されながらも見慣れたシルエットの人影に気づいた。意外にも先に反応し、声に出したのははつみさんの方だった。
















「小津くんとはどう?うまくいってる?」

「いや、付き合ってないんですけど…。」


ふふふと意地悪そうな笑みを浮かべて梨花が私を揶揄う。だけど何気に私はそれが嬉しい。彼とのことをこうして誰かと話せるなんて。彼に泣きながら怒鳴ってしまい、勝手に空回りしている私は彼と距離を置いて過ごしていたところだったから梨花の誘いには救われた。ちょっとお茶しない?の文面がこんなに嬉しかったことはない。ナイスタイミング。持つべきものはやっぱり友だなぁ。梨花に呼ばれて来たお店は、クリスマスな感じは控えめで、なんだろうお洒落なんだけど、どこか誰かんちって感じ。レトロな暖炉があって、ゆらゆら燃ゆる火がとても心を落ち着かせた。


「え、何?まだ告ってないの?あー、今から告るのかな?クリスマスって知ってる?」

「梨花、、、のっけからキツい。それに、私が小津くんのこと好きって決めつけないでよね〜。」


頬が重たいのがわかる。笑ってそう言ってみたけど笑顔にハリがなかった。思った以上のダメージと、思った通りに彼を好きになっているようで嬉しくも、悲しくもある。後者はきっとクリスマスのせいだ。クリスマスなんてなければ無駄に焦る必要なんてなかったのに。じゃあいつになったら動き出すのさ、と胸はシクシクした。


「いや、すぐわかったよ。あんた、ほんとわかりやすいもんねぇ。ムカつくくらいに。」

「え?」


大きくて素朴な「え?」がでた。梨花に、小津くんの話ってしたことあったっけ?自分が意識し始めるよりずっと前に、梨花は気づいてくれたのかな?ありがたいような、恥ずかしいような、でもやっぱり、梨花って鋭い。ん?え、ちょっと待って、


「なんでムカつかれなきゃいけないのよ。」

「それだけ素直ってことじゃん。自分の気持ちに。自分の気持ちが、素直に体の反応に現れる。生きてるって感じで羨ましい。あんたみたいに、じゅわわわ〜、って漏れ出したら、どんなに楽だろうって私は思うよ。」


梨花がサラッっと言ってくれた言葉の端々が私の頭を撫でるように、私の心を撫でていった。生きてるって感じ、羨ましい、どんなに楽か、言葉は違えど、圭介くんを好きなことやジタバタ悩んでいる自分をそれでいいんだよって承認されたみたい。梨花は角砂糖をひとつ摘んで、少し高い上からチャポンと落とした。今、梨花はちょっと意味深なことを言ったと思う。梨花にしては珍しく、ちょっともう1人の自分を見せてくれた。それを誤魔化すようにかき混ぜるスプーンとカップとが時折ぶつかってカンカン鳴っている。


「好きなんでしょ?あれから随分経つけど、告白してないの?」

「うん。」

「ほら笑。あっさり認めた。」

「もういいかなって。ありがとう、梨花。」

「うん。いいよ。しっかし、まだ告ってないとはなぁ…」

「簡単に言わないでよ〜。色々言うけどさぁ、梨花の方はどうなのよ。」


梨花は暖炉の方に目を投げる。梨花の目がほむら色でキラキラしている。梨花があんまり長く暖炉を見つめるもんだから、私も目線を移す。しばらく無言で2人ともが炎を眺めていた。梨花の口から梨花の恋バナなんて聞いたことがない。多分きっとそういった恋愛じみたことが一切ない訳ではないだろう。梨花は美人だし、しっかりしているしきっとモテると思う。でも、自分から自分の話をしないし、こうやってきっかけを作っても話してくれない。私なら、聞いて聞いてと尻尾を振って話し出すに違いない。そんな私を梨花は「どんなに楽だろう」って表現した。梨花は梨花なりに、誰しもがその人なりに悩んで生きている。そしてこうして友達と話すことで、自分が肯定されていくような感覚を得ることがある。そういう友人で存在である梨花に感謝とこれからも大切にしていこうと揺れる炎を見ながら思った。


「クリスマス、予定ないでしょ?」

「え、、?無視かよ笑。あー、まぁ、、はい、ないけど。」

「お願いがあるんだけど。」


さっきまで炎を見つめていたせいか顔がほんのり火照ってポーッとする。梨花に目をやるとさっきまでとは違って表情が引き締まっている。私の背筋もピンと張る。圭介くんのことで色々あったことで私は変われてきているのか、ただ慣れてきているだけなのか。


「え、、うん、何?」

「クリスマスの日に、居てほしい所があるの。」

「え?居て欲しい?」

「小津くんとななみ、、、いや、はつみちゃんがそこに来るから。」

「はぁぁぁあ???」


ピコピコハンマーで頭をコツンと叩かれたような頓珍漢なお願いだったからまだ私の口元には笑みがあれた。そこから先は聞かなければよかったなんてことは多々ある。それでも私は奥へ奥へと進んでしまって擦り傷だらけになる。


「ちょっと、流石にそれはちょっと、ていうか、、どうゆうこと?全然わかんない。」

「うん。今日はね、あれからちょっと時間も経ってるしさ。あんたがほんとに小津くんを好きなら、話しておこうと思ってね。安心しな、友の優しさだよ。」

「え?ごめん、、、色々と え?」

「どうせ、クリスマスを前にしょぼしょぼしてるか、玉砕してるころだろうし?」

「むむむむ。お主〜、、、、よもやよもやぁ‼︎」

「は?一応、聞くけど、この先、聞く?聞きたくないってならもう止めるよ。」


あえて私を静止してドキッとさせる小憎らしい梨花。一方で私にちゃんと覚悟をさせる意識と時間を与える優しい梨花。もちろん怖さもある。でもそもそも根本的に絶対的に私は梨花を信頼している。友達を思い、無闇に傷つけたりはしないし、その子のためになら厳しさすらちゃんと扱える梨花を尊敬する。私はひと呼吸整えて、あえて間を与えてくれた梨花に感謝して、頬を引き締め、真っ直ぐ目をみて、うん、と返事をした。


「東雲さん、会ったでしょ?東雲ななみ。」

「うん。」

「あの後も、東雲ななみは時々、はつみちゃんになっているの。」

「うん。」

「その、はつみちゃんになっているのは、ある人に会っている時だけ。」

「それが、小津圭介。」

「そう。あの時は、私たちが居たから、はつみちゃんは出てこれなかったんじゃないかって、ななみは言ってた。あのあとも、何回かはつみちゃんは小津くんと会ってる。」

「うん、知ってる。」

「え?あ、そうなの?彼から聞いたの?」

「聞いたというか、言われた、というか…。中身は全然知らないんだけど。」

「ふーん、、まぁ、いいやそれは。で、ここからが問題。」


梨花はさっきほど間はくれなかった。私は少しずつ不安になる。この話、この先、私は聞いていいのだろうか。今ならまだ間に合う。だけど、体は動かない。人はいつだって、そうやって人は傷ついて強くなることもある、私は変わりたい。強くなりたい。強さがどういうことでなんなのかはわからないけれど。


「前にも話したように、ななみにとってはつみちゃんが出てくることは、ノーリスクじゃないわけ。原因はわからないけど。でも、今は私もななみの気持ちを尊重してあげたいの。2人にとって、後悔のないように。」


2人って、ななみさんとはつみさんのことかな。


「こないだ、ななみが倒れた。ちょうど、私とランチをしている時だったからまだ良かったけど。」

「え⁉︎ そ、それで、、ななみさんは大丈夫なの?」


そう言う私は心のどこかで圭介くんのクリスマスがフリーになるのでは?という気持ちがチラついた。例によってズルい自分に刹那とんでもなく嫌気は刺しがた、これまでは見ないフリをしていた自分の感情を素直に正直に認めてあげられている気もする。私は少しずつ変われている気がする。でも、これでいいのかな。


「うん。一応は大丈夫なんだけどね、おかげでその時にななみと色々話せたよ。そこで、クリスマスに、、はつみちゃんが小津くんに会うことを聞いたの。さっきも言ったけど、私はもうななみの気持ちを尊重したい。でも普通に心配なわけ。」

「いつかのカフェの時は、だから待機してたわけね。」

「うん。あの時はななみにもそのことは許可もらってたし、私たちが来ていることをななみ自身も知っていた。でも、クリスマスの日はそうするわけにはいかないの。」


私は、じわじわ湧いてくる不穏な予感と共に、胸がドッドッと弾んでくる。梨花は私のためを思ってこの話をしていると思いたい。でも、梨花、ひょっとしてあなたの勝手な願いなんじゃないの?私はちゃんとそこに居るの?


「お店なら人の目があるからいいと思うんだけど、食事の後、公園に行くって言ってたから。そこに、美沙もこっそり居て欲しいの。」

「ちょ、、、ちょっと、、待ってよ。」

「うん。いいよ。気持ちはわかるけど、ごめん、落ち着いてね。」

「落ち着いてって、、私は十分落ち着いてるよ。梨花の方こそ、どうなの?梨花の願いを私に押し付けて。私が圭介くんのこと、好きなことわかった上で、確認した上で言ってんだよね?」


梨花は何にも言わずに私をじっと見据えている。やめてよ、そんな風に見ないでよ。なんでよ、なんで私なわけ?誰でもいいじゃんそんなの。


「あのさ、どうして、私なの?私じゃなくていいじゃん。惨め過ぎでしょ。」

「私は、美沙がいいと思ったからお願いしてるの。」

「なんでよ。」

「時間と場所は連絡しとくから。」

「いや、行かない。」

「私にもわからないけど、それが最後になるような気がする…。」

「え・・?それって、どうゆう、、ななみさんは、どうなるの?」

「ななみは大丈夫だと、、、思いたい、私もわからないの。」

「にしたって、私は嫌だよ。もし何かあったとしても、小津くんが何とかするでしょ。子供じゃないんだし。」

「私やあんたから彼にかかりつけの病院を教えておく?不自然でしょ。」

「む、、、、」

「詳しくは言えないし、確証はないけど、美沙、あなたじゃなきゃダメなの。あなたしか頼めないの。気持ちはわかる。だけど、お願い。」


暖炉に目をやるとさっきよりも随分と炎が小さくなって、代わりに青い炎がヒラヒラとしていた。私は私の浅くなった呼吸に気がつく。心を落ち着かせ目を閉じてみる。クリスマスの日に食事を終えて公園を散歩している圭介くんと彼女。その後ろで木の影に隠れて立っている私。2人の会話が微かに聞こえてくる。何かあるかもしれないし、何もないかもしれない。あの時みたいにそっと、2人はキスをするかもしれない。目を見開くと暖炉の青い炎は消えていた。


「無理。私、行かない。」




「ん、、あ、、あれ?、、あれ!もしかして、、」

「あ、、、」

「み、美沙、、、さん?どうして、こんなところに?」

「え、、え⁉︎あ、、、ど、どうも、こんばんは。ど、どうしてって言われても、、、どうみてもお散歩中でしょ。」

「ひとりで、、ですか?」

「そ、、そうだけど、、空気が澄んでて美味しそうだなぁって。」

「ひとりで、、?こんな時間に、こんなところで、、?クリスマスの夜、、に?」

「な、、何よ!いいじゃん。イルミネーションはひとりじゃ観ちゃいけないわけ!」

「え、、あ、いやいや、どうぞ。」


「初めまして。東雲はつみです。」

「こんばんは。初めまして、田中美沙です。あの、なんか邪魔しちゃ、、っ、、」

「私、あなたに会いたかったの‼︎嬉しい!嘘みたい…素敵、、、聖夜の奇跡。」

「え、、えええ?、、わ、、私に???」


遅れて僕の違和感はやってきた。彼女は、はつみさんは彼女のままだった。さらに僕に遅れて、彼女自身が自覚し始め、冷たそうな掌でほっぺたをペタペタと触って自分を確認する。


「あれ、、私、、、私だよね?、、ね、圭介くん、私、はつみのままだよね?」

「うん。そのようだね。」

「ちょ、、なんか、よくわかんないけど、、ごめんさい。邪魔しちゃって、じゃあ、私はこれで、、、」

「ちょっと待って。3人で話そうよ!」


あまりにも爛々と話す彼女に僕も美沙さんも気圧されて、僕らは少し目を合わせると2人してそんな彼女にクスッと笑みが溢れる。僕と2人きりの時の彼女とはどこかまた違った雰囲気をまとっていて最初こそ少し妬けたが、不思議と嫌な気はしない。


「いや、、でも、クリスマスデートの邪魔をするわけには、、」

「気にしないで、大丈夫ですよ。僕らももうすぐ帰るところでしたから。」


はつみさんは僕と美沙さんの顔を交互に見返し、わざとらしくハッとした表情を見せたかと思うと神妙な面持ちでこう言った。


「ご、ごめん。もしかして、妬いてるの?」

「え?!」


静かな水面を刺すような甲高い美沙さんの発声にニヒルに笑みを浮かべながらも確信を得たように彼女は続ける。美沙さんに続いて僕が「え?」と言うと2人して何やら細めた目で僕を見た。


「大丈夫大丈夫!私たち、そう言うのじゃないから。ね、圭介くん?」

「え、んー、まぁ、、そうだねぇ。」

そう言う彼女に歯に噛みながらも、再び不思議と嫌な気はしない。僕はただ、君の存在があって欲しいだけなのかもしれない。どこに居たとしても、この世界のどこかに君が元気に存在している。それだけでいいのかもしれない。僕たちを交互に見ながら、臆するように美沙さんが口を開いた。


「じゃあ、少しだけ、、居てもいいかな。実は、、私もはつみさんに会いたかったの。圭介くんだけ、ズルいって思ってたし。」

「え?そうなの?ずるいってなんだよそれ。」

「ちょ、、は、、ぃ、ぃぃ加減に、、、もー、ごめん、、、このドドド鈍感!」

「はぁ?笑」

「この際、言わしてもらいますけどね、あなたね、鈍感にも程があるのよ、マ、ジ、で。鈍感も度がすぎると罪レベルよ!鈍感罪よ!」

「はぁぁい?笑 それは美沙さんからの勝手な見え方で、あなたの感想でしょ?こっち側からの景色とそちら側からの景色は違って当然ですよ。」

「出た。出た出た、出たよ〜。んで、勝手な、が余計なのよ。余計な一言罪も追加だわ、マジで。」

「ちょっと何いってんのかわかんない。ちなみにそれどれくらいの罪なわけ?懲役何年ですか?」

「え、、ぇと、、、8年くらい、、かなぁあ‼︎」

「長いわwww』


僕はハッとしてはつみさんに目をやる。彼女は両腕を組んで、小さく丸く蹲るような姿勢でカタカタと震え始めていた。一気に嫌な予感が走り抜け臓物ごと冷えていくのを感じた。


「はつみさん!大丈夫ですか?」

「ブッ、、、ププッ、、、あははははは‼︎あはははははは‼︎ど、、鈍感罪てぇ〜笑!鈍感罪、、、ヒィ、、、そして確かに〜笑。8年は長いわ〜笑。あは、あはははは、やばい、、、ツボだわぁ、、、美沙ちゃん面白すぎる…ヒィぃ涙。」


よほど鈍感罪がツボに入ったのか、彼女は夜の公園とはいえ人目も憚らず大声で笑いだし、終いには小刻みにピョンピョン飛び跳ねてやばいやばいと笑った。目に涙を浮かべて笑う彼女は初めて見た。そんなはつみさんに呆気を取られた僕たちは戸惑いながらも、ヒィヒィ言ってる彼女が落ち着くのを笑みを浮かべて待っていた。3人の白い吐息は折り重なりあって湯気のように見えた。


「あ、、雪だ。」


美沙さんがそう言うと、体を畳んでいた彼女もハッと顔を起こして空を見上げる。ひとつひとつ、ヒラヒラと大きな粉雪が降ってくるのがわかる。僕は横目で彼女を見る。うわぁと空を見上げる彼女の表情が僕の心を温める。


「ありがとう、美沙ちゃん。あ、美沙ちゃんって呼んでいい?」

「え、、いいよ。じゃあ、あたしもはつみちゃんね!ん、、え?、、何のありがとう?」

「ずっとお礼が言いたかったの。ほら、あの日。私のために泣いてくれたでしょう。私、嬉しくて。」

「え、、、あの日?、でも、あの時は、、」

「そう、お姉ちゃんだったんだけど、、どう言うわけか私にもわかったの。」

「え、、あの瞬間、はつみちゃんだったの?」

「うううん、そうじゃないけど。そんなこと普段はないんだけど、、、うーん、うまく言えないけど、とにかくわかったの。良かったぁ、まさか、こうして会えるなんて!ありがとうって直接、あなたにも言えるなんて、、、幸せだなぁ。」


暗がりで美沙さんには気付かれはしないだろうが、彼女が嬉しそうに人にありがとうって伝えるところを、幸せだという彼女を目の当たりにして僕は心ごと震えていた。彼女が生きているその瞬間その証が今ここに目の前にある。美沙さんの登場には驚き戸惑いはしたが、彼女の最後の時に花を添えてくれたのは僕ではなく彼女だった。声には出さずに雪を見上げて、ありがとうと呟いた。その時、雲の切間からまんまるの月が僕らを覗いた。唐突に浮かぶのは携帯に示された活字、いつかのネットニュース。


「今度、クリスマスと満月が重なるのはいつだろう?」

「その頃はだいぶおっちゃん、おばちゃんだよ。きっと。」

「えー、そんな先なの?」


彼女は胸元に手を覗かせ、月明かりにネックレスを光らせながら落ち着いた声で言った。


「でも、月はいつもそこにいる。」

「え?」

「圭介くんがそう言ってこれくれたの。ねー?」

「そう。こちらからの見え方が変わるだけだもんね。」

「え、そうなの?地球は回ってるし月だって回ってるわけでしょ?え?てことはですよ、、あれ?」


あなたこそ一言多いんだよ、と美沙さんを彼女の頭ごしに節目がちに見つめる。僕の視線に気づくとなぜかカタカタと頷く。空を見上げていた彼女は、首元が疲れたのかくるりと首を回すと、僕の肩に額をつけて休憩し始めた。鳥が羽休めをするようだなとなぞらえた僕は、疲れた時はいつでも僕の肩で羽を休めるといい、と願った。叶うか叶わないか、誰かを想い願うこと、祈ることは自由だ。僕は君に好かれたくて祈っているわけではない。たとえ君がどんな姿でどこへ行こうと、僕は君を願う。


「美沙ちゃん、圭介くん、、、」

「ん?」


僕の肩でしばしの休憩を経た彼女は再び夜空を見上げて僕らの名を並べた。彼女の頭越しに美沙さんの吐息が白く広がる。運ばれてきた君の香りは僕の肩に残っていたものだろうか。いつも聞こうと思って忘れてしまう。柔軟剤かな?何使ってるの?って。


「ありがとう。おめでとう。メリークリスマス。」


「ありがとう。」


「ありがとう。」


僕らは彼女に続いて、ありがとう、と繰り返す。聖夜は3人の柔らかな笑顔を照らす。ありがとう、僕から君へ、それが1番の言葉だ。いつも、最後の最後まで、彼女から先に言われてしまって情けないな。粉雪はひらひらと、パラシュートを広げて丁寧に着陸するように彼女の頭に舞い降りてはやさしく消えていく。また僕の肩に額を預けたかと思うと、はつみさんはぐったりとそのまま動かなくなった。










梨花のクリスマスの予定なんて私は知らない。私も知らないのに誰か他に知ってる人いるのかな。バタバタと駆け足が響く。足音でわかる。足音が止まり、病室のドアがゆっくりと開く。梨花は乱れ跳ねた髪の毛をそのままに現れた。


「美沙、、、ありがとう。ななみは、、大丈夫?」

「うん、大丈夫。ひとまず安静にって。先生にも診てもらったよ。」

「ありがとう。ごめんね。それから、その、、小津さんも。」

「いえ、僕は、別に、、彼女が段取りよく対処してくれました。」


沈黙の中を凍えた機械音だけがする。圭介くんが怒っているのか、呆れているのか、どんな顔しているのか、隣に座ってるしそもそも病室は暗いしわからない。


「小津さん、ごめんなさい。私は、以前から、ななみのことが心配で、、、。今夜のことも知ってたの。だから、、美沙に頼んだのは私です。もしもの時はって。2人の邪魔をしたかったわけじゃないし、美沙は何も悪くない。だから、、」


梨花の続く言葉を待たずに圭介くんはスッと右手を広げ梨花の前に掲げた。梨花の言葉を静止するような仕草。もういいからと優しい仕草。どうしてだろう、どうしてだろう仕草だけで言葉はない表情も見えないのに、圭介くんから優しい匂いがする。柔らかい空気が伝わってくる。


「いいんです。わかってるよ大丈夫。美沙さんのことも。それに、、彼女も、、はつみさんも喜んでいました。」

「はつみ、、さんも?」

「美沙さんが現れてから気を失うまで、彼女は彼女のままでした。そのことに彼女自身も驚いていましたし、喜んでもいました。美沙さんと楽しそうに話す彼女を見て、本当に良かったなと思いました。」


暗がりな病室、すぐ隣に感じるあなたからの振動。寒さのせいもあってか圭介くんの声が微かに震えている。そんな彼の背にそっと手を添えようとして、その手が一度止まる。ゆっくりと、精一杯のゆっくりで彼の背中に私の手が乗っかる。どうか受け入れて、と。彼の空気は私を拒絶しなかった。


「はつみさんのままだったの?」

「うん。私も話ができたし、まさか彼女に会えてあんなに話ができると思ってなかったから嬉しくってさ。3人で過ごしたんだよね〜。それがもう、面白いのよ。はつみちゃんが大爆笑してさ。めっちゃ可愛かったね。」

「うん。」


「じゃあ、ななみは、、、ななみは、、居なかったの?」


梨花の言葉にハッとする。そうか、梨花ははつみちゃんに会ったことがないし、あくまでななみさんの親友だ。幾許か病室の暗がりに慣れた目がすやすや眠る彼女を捉え直す。次に目覚めた時、彼女は果たしてどっちの彼女なのだろうか。


「まさか、、、ななみは、、、」


梨花は思い詰めた様子で彼女の手を握る。ひょっとして、、まさか、もしかして、、、と梨花から震える小さな小さな声が漏れる。私は、そんな梨花になんて声をかけたらいいのか迷っていたが、その時ふと先ほどから隣で変わらない彼の柔らかい空気に気がついた。


「大丈夫ですよ。彼女は、ななみさんです。」

「え?」


2人の声が重なる。すやすやと気持ちよさそうに眠る彼女のため、起こさないようにと誰もが囁くように気を配り話していた。圭介くんにはわかっているようだった。私たちはその根拠を尋ねることはしなかった。


「そう。ありがとう。もういいよ、あとは私が。それに、ななみなんだとしたら、2人ともななみとはそこまで面識ないでしょう。」


医療器具が放つブルーのライトに微かに照らされる梨花の顔は落ち着きを得たように映る。


「わかりました。では、よろしくお願いします。行こう。」

「え、あ、うん。梨花、またね。」

私は圭介くんの言う通りにした。圭介くんから遅れて病室をゆっくりとでた。途端に明るく無機質な廊下が眼を殴る。少し先を歩く圭介くんの背中を見ていた私を梨花が追いかけてきて、私に声を掛ける。


「美沙、、、ありがとう。ごめんね。」

「ん、、、いいよ。大丈夫。こちらこそありがとう、梨花。」

「怒って、、、ない?」

「怒ってなんかいないよ。いつも感謝してるよ。」

「美沙、、、。」


冷たく固まった皮膚がパキパキと音を立てながら梨花の表情がゆっくりとほぐれていく。梨花をぎゅっと抱き締めた後、さぁ圭介くんに追いつけと振り向く私。彼は少し離れたとことで立ち止まり私を待ってくれていた。私はパタパタと駆け寄る。ふと目に入った病院の壁時計。今はまだクリスマスだった。サンタさんに願った彼との時間。あと20分そこらしかないじゃないかと思ったけれど、それだけでも十分すぎるほどですと、どこへともなくお辞儀をする。我ながら不謹慎だなと思ったけどそれでいい。だって私は、嬉しかった。

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