第2話 探偵ナイトスクープ状態
「うい。お疲れ。」
今日はカフェオレか。いやしかし、ノンシュガー。こうも差し入れのコーヒーが続くと、そろそろ僕は自分が無糖派であることを伝えようと思う。自分の気持ちは伝えなくては伝わらない。察して欲しいなんてかまってちゃんの言うことだ。
「あの、、コーヒーは無糖派なんです。今まで黙っててごめんなさい」
「えっ!やっぱり?今日はまたひとつ、あなたを知れたわけですね。いい1日だ。」
「今度買うときは声かけてください。ご馳走しますよ。」
「やったね!あ、でもコーンスープが出たらでいい??」
「ど、どうぞ笑」
こないだのお疲れ様会でわかったことだが、もしくは、以前にも耳にしたことはあったが記憶していなかったのか、田中さんは一つ歳上であった。彼女があどけないのか、僕が大人びている?どこか冷めているからなのか何とも言い難いが、僕からの景色では彼女が歳下で僕の方がひとつふたつ年上に位置付けていた。さておき、田中さんと僕は彼女の言葉を借りればお近づきになれたように思う。正直言って楽しかった。いいもんだなと思った。あと、楽だった。目的や意図の見えない飲み会になんの意味があるのだろうといった感覚は学生時代から持ち合わせていたが、とにかく美味しく楽しくお酒を飲めたことが、ここ数年の僕にとっては稀な収穫だった。
「ところで、訪問業者は絞れましたか?」
「うん、今んとこ6社。アポ電時のやり取りでさらに4社に絞ってる。」
「ありがとうございます。絞った根拠は?」
「女の勘ってやつ?なんとなく。」
(単に断られただけでは?)を飲み込む。頭をよぎった言葉を客観的に迎え入れ、吐き出すことなく飲み込む回数が増えることは、成長と呼ぶべきか劣化と呼ぶべきか、はたまた生きる術であり逃げというべきか。それにしても、田中さんの仕事ぶりには時に感銘する。的確さ、スムーズさ、無駄の省き方、上司を納得させるためにある程度無駄なことも盛り込む今回のプレゼン、それらを側で見ていて改めて感じる日々。本人がどれだけ自覚しているかはわからないが、いや、おそらく自覚していないように思う。僕から視える彼女は謙虚というより、どうも自分を過小評価しているようになぜか感じ取れる節がある。
「あのさ、こないだは、ごめんね。私、最後、豪快にレモンサワーひっくり返しちゃったからさ。」
「え?そんなこと1ミリも気にしなくていいですよ。今も言われるまで忘れていたくらいです。」
「あのあと、すぐお開きになったじゃない?だから、気を悪くしたのかなって・・・」
「田中さんって案外気にしいですね。もともと10時には帰路につきたかったので。」
「小津くんって案外几帳面なのね、、いや、不器用というべきか、器用というべきか。もう1軒いきますか?の返事、即答だったもんね。」
僕にも全くよぎらないわけではない。普通の男女だったらこのあと2次会があって、バーかどこかに場所を変えて飲み直し、お酒も手伝っていい感じになったりするものか。仕事やプライベートの悩みを吐き出す彼女、触れ合う肩の辺りを覆う肉、優しく肩に手を回す男子。どうする?横になる?と聞かずとも2人は夜の闇へと誘われる。そういった妄想を描くことだってある。僕の場合は妄想がイコールそのまま欲望ではない様に思う様にしているが、それはそのまま僕の欲だとするならば行動に移せない僕はただのチキンなのだろうか。田中さんのご期待には添えられなかったのだろうか?そうやって尋ねるわけにもいかないしなと考えていた時だった。彼女から意外な一言が飛び出した。
「しののめ、はつみ」
「え?」
「しののめ、、、はつみさん、だったよね?初恋の人。」
「え、、ぁ、ああ! そんな話もしましたね。どうしたんですか急に。」
人間とは本当によくできた物で、単語に反応した僕の脳みそは体温をポッとあげて、僕を湿らせるように指令を出す。だが続く彼女の一言で一転スッと引くことになる。俺の指令部は何やってんだ、何がしたいんだ。
「ほら、しののめって割と珍しい苗字じゃない。私、知ってるかも、と思って。」
「・・・・・。」
複雑な心境というか、背中に隠し持っているプレゼントが期待外れなのか、期待通りなのか、そもそもプレゼント持ってますよね?いやしかし、期待通りのプレゼントってなんだっけ・・・?といった感じだ。つまり、言葉が出てこない。
「人違いだった。」
投げられたボールはストライクゾーンを大きく外れて、ミットに収まり乾いた音がした。僕はネクストバッターズサークルでヘルメットを深く被りうずくまったままだ。
「あ、でもね。私が知っているのは高校の同級生で、東雲ななみさんって言うの。あんまり接点ある子じゃなかったから、最初名前を聞いた時はわからなかったの、ごめんね。帰って調べたらやっぱり、人違いだった。」
「そうですか。一瞬ドキドキして損はしてませんけど、頭の中がぐわーってなったようで、トゥーンと水面のようになったような、そんな気持ちです。」
「え、ちょま、何言ってんの笑。まじウケるんですけど笑」
「笑わないでくださいよ。そのまんま表現しただけでいたって真剣です。」
「余計ウケる。」
よく笑う人だな。声をあげて笑うこともあれば微笑んだままの時もある。感情豊かな人、田中美沙さんはそう称するに値する人だ。『もしかしたら、ひょっとしたら、また会えるかもしれない』そうした感情が自分の中から湧き上がってきたことが僕の体温をあげたのだろう。でなきゃこのアップダウンの説明が効かない。嬉しくもあり、懐かしくもあり、そうか、これが生きるってことなのかと思った矢先に、いやいや大袈裟すぎるだろと自分でツッコミを入れる。
「でも、ありがとうございます。人違いでも、考えてくれて。今自分に湧き上がった感情も含めて、面白かったです。」
「いやいや、なに勝手に[終幕]みたいになってんのよ。え、湧き上がった、、なにが、、なんて?」
「そこはスルーでどうぞ。え、続きがあるのですか?」
「東雲ななみさんって確か、双子のお姉さんよ。それに…、、確か…。」
「?」
何かを言いかけて知的な名探偵のような仕草をし、言葉を選ぼうとする彼女の心情を察したり探れるような技量も人間性も僕は持ち合わせていなかった。それよりも、、、双子?、、双子だって?当然ながら僕は、しののめはつみさんのことは何にも知らないんだよな。でも言われてみれば確かに、そんなようなことを話したような記憶がモゾモゾっと膜を破りながら這い出てきたから人間って恐ろしい。友達の友達の友達、知り合いの友達の知り合い、今や数人を辿って行けばお目当ての人間に行き着くというような話をしながら田中さんはスマホを操作している。そして手が止まると一瞬躊躇するようなそぶりを見せて僕にその画面をくるりと見せてきた。そこには「東雲ななみ」と称する個人ページが表示されていた。小さなプロフィールアイコンに目をやると空の青と砂浜の白がはっきりわかる写真にひとりの女性が立っている写真だった。僕のその写真をタップして拡大したい気持ちは汲まれることなく、彼女はスマホを僕の視界から奪う。
「ま、今週末、高校の同級生でもある友達と渋谷で会うから、覚えてたら聞いてみるよ。確かその子は部活が一緒だったんじゃないかなぁ。」
「ちなみに、何部ですか?」
「サッカー部よ。」
「サッカー…、、なでしこジャパンがちょうど大活躍していた頃か…」
「いや、マネージャーかな?私の友達は用具係みたいなもんだって言ってたけどね。」
ふとはっと瞬間的に、いつもよりお喋りというか言葉が先行して出ている自分に恥ずかしさを覚える。これが初恋の力か、生きているって実感が湧くような、人はなぜ恋をするのか客観的にも主観的にも少し理解できたような昼下がりだ。人が恋をするのは、誰かを思って生きるのは、生きている実感を得るためなのかもしれない。
「その友達と行くカフェが楽しみなんだ。あたし、気に入ったらワンサゲンするタイプだから、その時は付き合ってよ。」
「わかりました。」
ワンサゲンをスルーして、目を伏せ返事をする僕を彼女が覗き込むとサラサラとした髪が僕の眼下で揺れる。フラワー系の柔軟剤だろうか。フワッと漂うこの香りは、そうか君の香りだったのか。
「それから、圭介くんって呼んでいい?」
「え、いいですよ。」
「じゃあ、小津くん改め、、圭介くんもそろそろ私のこと、下の名前で呼んでよ。それから敬語やめて。」
「え、、あ、わかりました。お近づきの印にってことですね。」
「ぜんぜん、わかってないじゃん笑」
「笑いすぎでしょ、、み、美沙さん。」
「片言かよ笑」
彼女はそう言って鼻先に手をやり顔を赤らめて笑う。彼女の提案を一旦は飲んだものの、当の僕は無理に自分を変える必要はないと内心思っていた。徐々に、流れに任せて変わっていけるならそれでいい。変われなければそれはそれでいい。どんな僕も僕であって、どのように流れていったって僕は僕だ。
仕事が終わり家に帰るいつもの電車内。ドアと座席を仕切るステンレスの冷ややかさが好きでいつもドア付近の角、いくばくか体を預けながら立っている。立っていようが座っていようが乗客のほとんどがスマホを片手に覗き込んでいる風景。そんな風景に混じりたくない僕は電車内でスマホを開けることはほとんどない。気になってるなら見てみたら?と言わんばかりに僕の目の前の席が空いた。僕は初めて友達の友達の友達の画面をスクロールすることになる。ガタンガタンと揺れてはブレる画面の中に、東雲はつみの名前は見当たらなかった。今度は東雲ななみのプロフィール写真をタップする。合わせた親指と人差し指を広げて彼女を僕の方へと引き寄せる。海風になびく髪の毛がキラキラ光ってみえる。スラリとした女性の横顔はどこかあの日の君を匂わせた。
「このコーヒーの泡?で絵を描かれてもさ。もはやインスタには載せないなあたしは。洒落てるぜ!って感じ?」
「へえ。」
「へえ、、、て。」
少し離れた席からカシャカシャと携帯のカメラを押す音が聞こえる。着飾ったコーヒーが運ばれて来た時は、彼らのようなそれが美沙さんにも起こるものだろうと思っていたから意外だった。僕たちはその日、午後の外回りを終えて美沙さんが先日友達ときたっていう商業ビルの屋上にあるカフェに来ていた。仕事の足を止めふと大都会のど真ん中でカフェタイム。サラリーマン戦士の休息だな。おしゃべりに爆ぜる若者、ひたすら爪と向き合う少女、リモートでタイピング大会にでも出ているのかなというメガネの男性、かたやPC開いたまま本人がフリーズしているスーツを着たおじさん。今や都会のカフェは人生の縮図と化している。騒がしいし落ち着かないし、わざわざ時間とお金を投じてまでカフェに立ち寄る気にはなれなかったが、彼女が気に入ったというそのカフェはあっけなく僕も正直好きだと思えた。ビルの屋上を緑化したスペースにあるそのカフェは無論天井がなく普段は高層ビルに邪魔される空が一気にぐんと近く、広くなった気がする。
「渋谷のど真ん中で青空の下、緑や風を感じながら戦士の休息。まさに都会のオアシスね。」
「まぁ確かに、いいもんですねこういうのも。」
「私たち、さっきよりは随分と空に近いもんね。」
人は時に、当たり前のことをそれっぽく表現する詩人であり旅人だ。彼女の肩越しに狐色した毛並みの芝犬を連れた30代後半と思しき女性がこちらに向かって歩いてくるのがみえる。ハアハアハアと犬の舌がペロリと伸びる。
「犬派ですか?猫派ですか?」
「お、問われた。うーん、、、、、、あ、芝犬だ!可愛い〜。」
「・・・犬派ってことでいいですか」
「はぁー、毛並みも綺麗。黒い芝犬も居るけど、やっぱり狐色がいいね。ん、芝なのか?秋田犬?」
「僕は猫派ですね。」
「え、そうなんだね。どうしてでしょうか?」
「猫ってグイグイこないじゃないですか。犬ってハァハァ言ってすっごいガーってくるでしょ。そんなに求められても、てなるよね。」
「え?、、ちょ、、ちょっと何言ってるのかわかんない、、、、は?、どうしようかな、、、ふむ、ふむ、、、なるほど汗!」
なかなか本題に入らない彼女にどこかヤキモキしている自分がいて新鮮だった。東雲ななみさんについて、先日彼女は彼女の友達と会っているはずだった。我慢比べをしているわけではないし待ちきれない僕は彼女にストレートに尋ねた。
「どうでした?」
「結論から言うと、ビンゴだったわ。」
「ビンゴ?」
「東雲ななみさんは、双子のお姉さんだった。」
「え、、、てことは、東雲はつみさんのお姉さん?」
「そう、、、なんだけど…」
彼女はコンクリートに視線を落としたかと思えば、そのまま空を見上げた。遠くの白い雲と風に流される近くの雲との間に抜ける青に、僕も合わせて目線を移す。今年の夏も暑くなりそうだな。真夏日、猛暑日、活動の限界。年々季節を、その気候変動を表現する言葉が段階を上げていく。僕らの次の世代、そのまた次の世代となると、夏は夏を夏じゃなくしていくのだろうか。
「その子は妹さんのことは、よく知らないって。」
「そうですか。。お姉さんのななみさんは東京にいるってことか。」
「うん。最後に会ったのは3ヶ月前くらいって言ってたな。結構有名な雑誌の編集部らしいよ。忙しそうでそのときは激務だって言ってたってさ。想像しただけで怖すぎ。ヒィ〜。」
今度は頭を抱えて、再びコンクリートに目線をやる彼女。確かに時代はこれだけデジタル化していっているというのに、新聞やお馴染みの雑誌といった紙類は今だに無くならない。手に取ってパラパラと目をやる程度のことはしたことはあるが、毎週毎週どこにここまでの分量を埋めるだけのネタが転がっているのだろう、とそのサイクルと携わっているであろうまだ見ぬ彼女を想像しては激務なことには至極納得がいってお気の毒な気持ちまで勝手ながら覗かせる。東雲はつみは双子の妹。東雲ななみは双子の姉で、東京にいる。僕が再会、いや、会ったのは、東雲ななみさんだったのだろうか。幼馴記憶とついこないだの路面での再会を交互に照らし合わせる映像にSNSの彼女の写真が滑り込む。
「あのさ、、気を悪くしないで欲しいんだけど…」
「え、、うん。」
「彼女と会えたら、どうするの?」
シュクンと心臓が音を立てた。薄らと自分自身に問いかけられていたセリフだった。もう1人の僕からの問いにはまだ僕は聞く耳を持たなかった。少し考えた結果、正直な今の気持ちを披露した。
「わからん」
「う、、まぁ、初恋ってそんなもんかな。告白する?とか?」
「いやいやまさか。会ってどうしたいとかじゃなくて、、強いて言うなら、会ってみたい、ですかね。」
「探偵ナイトスクープ状態ね。」
「あー笑 それいいですね。頂いていいですか?」
「いいけど、また仕事の合間にカフェ巡りしようね。」
そう言うと彼女はスクッと立ち上がり、うーんと体を伸ばす。僕は思わず胸部の膨らみに目がいってしまう。振り返る彼女と目が合う前に視線をコンクリートに落として隠す。彼女は見納めと言わんばかりに青を見つめて「じゃあ、行こっか。」と言って歩き出した。ひょっとしたら君に近づけるかもしれない、会えるかもしれない、そう胸を躍らす自分が居たのは確かだ。でもその感情をなんと呼ぶのかはわからない。幾度か僕に向けて届けられた「素直じゃないね」という言葉をなぞる。スタスタと歩く彼女の背中は屋上カフェの風景の一部と化す。あの日から僕は、さまざまに過ごす人たちの中に彼女を探していた。「で、あたしとどうしたいの?」あの日、胸に刺さった言葉も遅れて頭をよぎった。
毎日こうもたくさんの人たちに挟まれて電車に乗っていると不思議に思うことがある。これだけの人がいる中で人と人はやがて組み合わさっていく。選ばれたから選ぶ人もいれば、選び合う人たちもいて、妥協だ妥協したくないだの、容姿だ性格だ年収だ家族構成だどうのこうの言いながらも組み合わさっていく。もしかして「はーい。じゃあ2人1組になってくださーい。」の訓練はそのためだったのだろうか。僕だって組み合わさったことがないわけではないが長続きはしたことがない。選んでいただいて嬉しくは思うのだが、やがて僕の方から去っていく。相手が欲しがっているものを提供できていない、と常に温度差と居心地の悪さを感じてきた。(こんな気持ちでいいのだろうか)よくわからない何かに応えられないままついつい逃げてしまう。この日は取引先に呼ばれて3駅先の高田馬場まで向かっていた。我々が活発に活動する昼前のこの時間帯は3回に1回は座ることができる。この日は角を取ることができた。サラリーマンの些細な喜びの瞬間だ。朝のテレビで蟹座は1位だった。そういえば、東雲さんと出会ったのもこの路線だったなと思い返したその時、向かいのドアの向こうから見覚えのある女性が長い髪を揺らしながら乗り込んできた。似た人を見つけては違ったかを何度か繰り返したが今度は間違いない、ハンカチを拾ってくれたあの日の女性だ。目を広角レンズのごとく、はたまたトンボの眼鏡のごとく相手の顔を直視しないようにいつもの風景を眺める様にしてその中に映り込んでいる君を見つめた。
やっぱり面影がある。
当然といえば当然だが彼女は僕に気づいていない。乗り込んだ際には面と向かい合い、一瞬目が合ったが彼女はそのまま僕の3つ隣の吊革に捕まって立っている。席は空いているのに座らないところを見るとすぐに降りるのだろうな。
「どうぞ、角ですよ。」
「は?」
席を譲ろうと声をかけようかとも考えたが、不自然すぎるだろアホかと軽く混乱している自分にツッコむ。そうするとさっきまで巡らせていた考えがくるりと踵を返す。これだけの人間がいる中で人は組み合わさっていくわけで、あの日の彼女と僕がまたこうして同じ電車に乗ること自体が奇跡に等しい。そう思うと、自然と声をかけられそうな勇気とも違う肯定感が僕を纏っていくからストーカーは怖い。いやいや俺はストーカーではないぞ。そもそも東雲さんかわからないし、例えそうだとしても彼女はお姉さんの方で僕はなにも東雲はつみさんの彼氏でも友人でもない。幼い頃のスウィートメモリーを抱いているちょっとお茶目な若者に違いない。
幸い同じ高田馬場で彼女は降りるようでドア付近に近づく。手を伸ばせば彼女の肩がそこにある。こないだよりもゆったりと歩く彼女の背中に自身の背中を押された僕は、降りた駅のホーム、改札をでた後に人混みもまばらなところで声をかけた。
「あの、、すいません。」
「え、、え!私?、、はい。」
「あの、、こないだハンカチを、、」
「ぁぁあーー‼︎やっぱり。スッキリした。なんか見たことあるな、と思ったんです。」
「そ、そうです。その節はどうもありがとうございました。」
「いえいえ、お役に立てて良かったです。」
彼女の見たことあるは、当然にハンカチを拾った際の話であろうが僕は続ける。彼女からは特段警戒心は感じ取れない。柔らかく、なんとも言えないその空気感はやはりどこかあの日の君を思わせた。
「あの、実は、、こないだは突然で、言葉がでなかったんだけど、、、昔、小学校に上がる前なんだけど、僕たち、お会いしたことがなかったでしょうか?」
いや、我ながら突然何言ってるんだとも思ったのだが、それが僕の嘘偽りのない言葉だった。お姉さんだったとしたら、もしかしたら妹さんのことを何か聞けるかもしれない。聞けたからってどうするというのだろう。先にあれこれ考えていたらきっと足は止まる。僕の場合は尚更そうだ。しかしどうしてこうもスラスラ言葉が出てきて行動に移せたのだろうか。ナンパなんてしたこともないし(無論これはナンパではないが)、客観的に自分を見ても不思議でたまらなかった。変な汗のひとつやふたつをかいててもおかしくないのにな、と我が身を振り返る落ち着きすらあった。しばし生まれたはずの沈黙をなかなか終わらない広告動画のように長く感じた。変なことを聞いてしまったかな、と遅れて彼女の顔を覗き見る頃には脇の辺りからようやく汗も滲み出てくる気配を感じた。しかし、困ったように言葉を絞り出す彼女の次の一言がその一切の全てを吹き飛ばす。
「実は、私もなんです。もしかして、、圭介くんですか?」
彼女は自らを 東雲はつみ と名乗った。
1時間。これまでの人生において、こんな3600秒があれただろうか。
次のアポイントまで1時間近くあってちょうど近くの喫茶店で時間を潰そうと思っていた、と彼女がそう言い切る頃には僕の気持ちは決まっていて、うんうんうんと同じ状況を示してみせる。ちょうど僕もどこかのベンチで電子書籍でも読みながら、時間を潰そうと思っていた。同じような境遇が僕の背中をまた押した。驚いたのは妙に落ち着いている僕の心だ。会いたかった人に会えた、待ち望んでいた再会、そう言える状況であるのであれば人はもっと高揚するものではないだろうか。それよりも、浮かれも舞い上がりも軽く飛び越えて、この時間を無駄にしてなるものかとプロスポーツ選手並みの集中した状態のゾーンとも言える僕なのだろうか。考えるよりも先に体が動く。
「しかし、よく覚えてたね?」
「それはお互い様だよほんと。」
「だよね笑 私はあの頃、春になると1年生さんが入ってきて、先輩になるんだっていうのが嬉しくて、だからかな、あなたの背中、よく覚えてる。」
「あー、ありますよね、そういうの。先輩風吹かせたかったわけですね笑」
「ちょっとー笑。吹かせようとして吹かせられなかった空振り感が、よく覚えてる理由なのかな?」
「人は失敗したことをよく覚えているタイプと成功したことをよく覚えているタイプとに分かれるそうです。特に幼い頃の記憶は。」
「あー、なんか知的ぶってる感じは当時からあったかも笑。懐かしい〜あははは。」
「ぇえぇえええ汗。」
彼女にとってもあの時の出会いなんてほんの一瞬で、出会いだなんて言えず無論覚えてなど居ないだろうと思っていた僕の心はそれはもう晴れわたった。僕と同じだったんだ。それに、彼女の方があの時のことをよく記憶しているようで余計に嬉しかった。白く綺麗な指先を一つ一つ折り畳みながら彼女は語る。
「圭介くん。東京。めぐろ。東京タワー。字を書くより絵を描く方が好き。滑り台よりブランコ派。」
「え、そんなに話しましたっけ?」
「ごめん、ブランコ派は自信ない笑」
「じゃあそれ誰の記憶だよ笑。あ、東雲さんは双子、、なんですよね?」
「そうだよ。そんな話もしたかな〜?圭介くんこそ、よく覚えてくれてて嬉しい。」
(あ、いや、実は…)
と言おうとして引っ込めた。本当は、君が青いハンカチを拾ってくれた時から始まっていて同僚にその話をしたら調べてくれたんだなんて言わない方がいい。だってキショい。人は時々、自分の頭上に自分専用のドローンを打ち上げて自らを俯瞰する必要がある。しかしなんだろうこの馴染んでいる感じは。当時もこうだったのかもしれない。それを僕は初恋と勘違いしているのだろうか。彼女の初恋はいつだろうか。もう少し仲良くなれたらそんな話をしてみたい。美沙さんと行った焼き鳥屋さんで2人過ごしている状況をイメージする。あの時はテーブル席だったけど、僕は本当はカウンター派なんだ。カウンター席だと側にいるのに視界には映らなくて、左を向くと君もこっちをみてニコってしたり、ん?ってしたりする、そんな一人称でもあり二人称でもあるカウンター席が僕は好きなんだ。
「東京はもう何年?」
「えーーと、、、にじゅ、、、いや、19年かな。」
「へぇ、、、時が経つのは早いね。あっという間。」
「東雲さんはいつから東京に?」
「うんとね、圭介くんが1年生の春からでしょ?実はね、私も追いかけるように次の春から東京に引っ越したの。」
「え、そうだったんですね。」
「でね、私も当然、東京に知り合いなんて居ないからさ。あ、でも、圭介くんが居る、って子供ながらに思ったの覚えてる笑。連絡先も、住所も、何にも知らないのにね。東京の知り合いってことにしてました。勝手にメンタル拠り所にしてごめんね笑。」
「・・・ありがとう。」
「え?、、何に笑?」
嬉しかった。「圭介くんが居る」っていうセリフが耳から入ってきて心臓に達したのち、その鼓動のポンプによって全身を心地よく打ち鳴らしていった。モクモクともう1人の僕が出てくる。(いやいや圭介なにやってんだばか違う。彼女からいま連絡先って単語が出たんだから、絶好のチャンス‼︎)そんな声をよそに、僕はなんだかふわふわしていた。するとそれは彼女から自然と発せられた。
「またバッタリ出会うのも面白いけどさ、良かったら連絡先、教えてくれない?」
「いいですよ。」
彼女は慣れない手つきでスマホを触る。その不慣れな感じがまた可愛らしかった。ん?あれ、、これ連絡先どうやって出すの?とかブツブツ言いながら艶めいた指先をあっちへこっちへ動かしている。僕の方こそ先日の居酒屋で美沙さんの連絡先を登録する際の手順を指南する。2人の距離が少しずつ近づく。彼女の携帯画面を一緒に操作しながら僕は自分のORコードを示す。彼女が僕の携帯にレンズをかざすと軽快な音色が瞬く。僕は自分の耳の先っちょが熱くなっていることを自覚していく。
「あの、、東雲さんはハンカチを拾ってくれた時は、気づいてたんですか?」
「うーーーーーん、、正直言うと、、、遅れて3割くらいかな。」
「あーじゃあ、そこは僕の勝ちです。僕は多分6割くらい気づきました。」
「なにそれ笑。勝ちとかあるの?しかも6割って微妙じゃん笑。」
彼女はお姉さんと同じ出版社で働いていてよく外回りをしているそうだ。ハンカチを拾ってくれたのは渋谷で今日は高田馬場。内側の東京をぐるぐる巡っているようだ。仕事中の行動範囲は見事に被っている。だけど、これだけの人の数の中でよく出会えたものだな。
「これだけ人がいるのに、よく出会えたもんだね。」
「あ、僕も今、同じこと考えていました。」
「今度はどんな感じで会うのかな?もう2人の思い出話は尽きた笑」
「あははは。ですね。でも真新しい思い出が増えて、、、うん、嬉しいよ。」
あの時の出会いは僕の初恋。出尽くした2人の思い出話には大事な部分が欠けていた。
「東雲さんが良かったら、またこうやってちょい休憩したり、食事に行ったりしましょうよ。お勧めの焼き鳥屋さんがあるんです。」
「はつみ。」
「え?」
「はつみ、でいいよ。東雲さんだと、お姉ちゃんと区別がつかない、から。」
「はい、、はつみさん。」
こんな日が来るなんて。こんな日が来るなんて。こんな日が来るなんて‼︎君の名前を、君の目の前で、僕の口から言ったのは、初めてじゃないだろうか。あっという間なようですごく長かったような、あの時の出会いもこんな感じだったのだろうなと思い返せる60分だった。互いに時間になりカフェを後にする。店の前で、じゃあまたね、仕事頑張ってねと2人は互いに反対方向へと歩いて行く。振り返り遠くなった彼女の背中を見つめる。東雲はつみさんだよ、東雲はつみさんに出会えた。そのことを街の風景に馴染ませていく。遠くに見る彼女の背中は仕事モードへと切り替わったのか、せかせかと鞄から手帳を取り出し慌てて何かを確認しているようだった。そんな彼女を遠目に見つめながら、魔法が解けたように僕の唇がふと動いた。
「お姉さんと同じ出版社・・・」
僕の記憶が正しければ、確か田中美沙の友人の話では一切そんな話は出なかった。
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