第5話 江藤家の屋敷にて

「さて、どうするべきか」


 高月雫は思案していた。 自分を連れ去った存在の正体がはっきりしている以上、ここがどこなのかは想像がつく。 


「強引に脱出すべきか。 助けを待つべきか」


 逃げ出そうとしても、無事に脱出出来るかどうかはわからない。 相手を怒らせた場合、こっちには万に一つの勝ち目も無いのはわかっていた。

 目覚めた時にはここにいた。 今の所怪我はしていない。


「今の所は・・・・・・だけれども」


 自分は今、食堂らしき場所にいる。

 古ぼけたテーブルの上には、得体の知れない腐臭のする物体が山のように盛られた器が幾つも並べられていた。


 春子ちゃん、たくさん食べてね?


 声が聞こえた。

 自分が意識を失う前に聞いた声と全く同じ声が。








 事務所を出てから車で数十分。 航空写真に写されていた通り、その屋敷は郊外の森の中にあった。


「おー、あったあった。 思ってたよりデカイなぁ」

「いかにも、って感じよねぇ」


 かつては富豪の住まいとしてさぞかし立派な佇まいをしていたのだろう。 だが、今や殆どの人に存在すら忘れ去られた悲しい廃屋になり果てていた。


「ここに高月先輩や他の被害者がいるんでしょうか?」

「それをこれから調べる。 どうだ、ポチ、何か臭うか?」


 人の顔をした柴犬が、屋敷に向かって顔を向けて数回鼻を鳴らす。


「ビンゴ。 居るな」

「居るって・・・・・・・先輩がですか?」

「嬢ちゃんとバケモン、両方だ」

「両方・・・・・・・って、わかるんですか?」

「ポチはね、怪異の臭いを嗅ぎ付ける事が出来るのよ」

「こいつの唯一の特技だ」


 怪異に臭いがある事自体初耳である。 いや、それよりも重要なのは・・・・・・。


「バケモンってやっぱり江藤夫人ですか?」

「断言は出来ないが、今までに嗅いだ事の無い、初めて嗅ぐ臭いだ。 その可能性はあるだろうな」

「もう周囲が暗くなってきたわ。 早めに決着つけましょう」


 時刻は既に午後6時を過ぎていた。 そろそろ明かり無しで行動するのがキツくなってくる時間帯だ。


「大抵の怪異は太陽の光を嫌う。 だから夕方から夜にかけて活動するのが一般的だ。 暗くなればなるほど奴らは活発になる」

「本来なら明日の朝まで待って突入するのがベストだが、嬢ちゃんの命がかかってる以上猶予は無いぜ」

「と、言うわけだからいざ出陣! 突入よぉぉぉ!」


 懐中電灯片手に口裂け女・・・・・・お裂けが突っ走っていく。 零達もその後に続く。


「中には入れるんですか?」

「鍵は掛かってないみたいね。 ちょっと建てつけが悪くなってるみたいだけど・・・・・・よっこらせっと!」


 玄関口の引き戸を左右から抱え込むように掴み、強引に横に引いて開ける。

 屋敷の内部は真っ暗だった。 電気も通ってないのだから当たり前なのだが。

 懐中電灯を付けて周囲を照らす。 あちこちに蜘蛛の巣が張っており、壁はヒビだらけで表面があちこち崩れ落ちていた。


「・・・・・・先輩は大丈夫なんでしょうか」

「さぁな、何とも言えん。 とりあえず屋敷内を探そう。 江藤夫人とやらがここに住んでるなら、バレないように静かに探すぞ」

「賛成。 どの程度の力を持つ怪異なのかもわからないし。 ここは慎重に行きましょう。 貴方も私達から離れないようにね?」


 お裂けと魔王の言葉に、零は静かに頷いた。

 その直後だった。


「おーい! 江藤夫人! 出ってこーい! ワン! ワン!」


 人の顔した柴犬の叫びが一瞬で台無しにした。


「このクソ犬ぅぅぅぅぅ! 何やってんのよぉアンタァァァァァァ! 空気読みなさいよぉぉぉぉ!」

「すまん、静粛に耐え切れず、つい・・・・・・」


 お裂けがポチの首をひっ掴んでガクガクと揺さぶる。 本当に何て事してくれるんだこの犬は。


「あ、やべ。 来た」

「え?」


 ギシ・・・・・・ギシ・・・・・・ギシ・・・・・・。

 廊下が軋む音がする。 何かがこっちに向かって歩いてくる。 暗闇の中をゆっくりと。


「・・・・・・ひょっとして先輩ですか? 僕です! 筆上です! 助けに来ました!」


 返事は無い。 ギシ・・・・・・ギシ・・・・・・と、軋む音が大きくなる。 徐々に近づいてくる。

 零の全身は冷や汗でびっしょりになっていた。 身体の震えが止まらない。

 魔王とお裂けがまるで零を庇うかのように前に出る。


「こうなったら腹括るしかないわね」

「ああ・・・・・・」


 懐中電灯の光の中に影が浮かび上がった。 ボロボロの着物を纏った女性らしき影。 床に着くまで伸びきったザンバラ髪が顔を隠している為表情はわからない。


「ワタサナイ・・・・・・・」


 小さな声を発した。 ギリギリ聞き取れるかどうかという小さな声で。

 だけど、次の瞬間・・・・・・。


「ハルコチャンはワタサナイィィィィィィィィ!」


 絶叫。 それもまるで壊れたバイオリンの様に不愉快な声で。

 零は確信した。 間違いない、こいつが江藤夫人だ!


「うるせぇぇぇぇ!」


 魔王が右手を前方に突き出すと、掌から青い光が放たれ江藤夫人に直撃し吹っ飛ばす。

 

「え!? 何ですか今の!?」

「うーん、敢えて名前を付けるなら退魔ビーム?」

「ビームって何ですか!? ファンタジーかメルヘンですか!?」

「そりゃ、ほら、俺も一応元魔王だしビーム位出せるって。 転生前はもっと強かったんだぞ」

「怪異があるならビームもある。 当然だね」


 魔王ならビームでは無く魔法を使うべきでは? などこんな状況でどうでもいい疑問が頭を掠める。


「アアアアアアアアアアア!」


 奇声が轟く。


「ちょっと、まだ消滅してないわよ!」

「何だ、案外タフじゃねーか。 じゃあ、もっと強い奴を一発くれてやる!」


 魔王の掌が再び青く光る。 さっきよりも更に強い光だ。 どうやら力を溜めてるらしい。 しかし・・・・・・。


「アアアアアアアアアアアッ!」


 江藤夫人が奇声を上げながら、凄まじいスピードで一瞬にして魔王との距離を詰め、手に持っていた包丁で振りかざした。


「ちょ・・・・・・あっぶ・・・・・・・!」


 思わぬスピードの速さに驚いたのか、魔王が包丁を避けようとするが、完全には避けきれず切っ先が肩に突き刺さる。


「ぎゃあああ! 普通に痛てぇぇぇぇぇ!」

「ああ! もう、しっかりしなさいよねぇ!」


 お裂けが懐から包丁を取り出し、振りかざしながら江藤夫人に飛びかかった!


「おらあああああああ!」

「アアアアアアアアアア!?」


 お裂けが江藤夫人に何度も包丁を突き刺す。 効いているかどうかはわからないが、とりあえず動きを封じているようだ。


「この街でしか知られてないマイナー怪異が! こちとら知名度全国区の大物よぉ! 頭が高いのよぉぉぉぉぉ!」

「アアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 江藤夫人がお裂けを振り払う為に、滅茶苦茶に暴れまわる。

 振りほどかれたお裂けが勢い良く壁に激突して、床に投げ出される。


「あっだあぁぁぁぁぁ!? 頭打ったぁぁぁぁぁ!」


 お裂けの苦痛の叫びが響いた後、江藤夫人の頭が零とポチに向く。

 顔を覆ったザンバラ髪の隙間かた覗いた、赤く染まった瞳と目が合う。


「あ・・・・・・」


 まずい。


「逃げるぞ! 坊や!」

「うわああああああああああああ!」


 零ととポチは全力で逃げ出した。


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