2章 お嬢様の心模様は晴れ時々涙

 新にとっては、一年分のイベントを消化したような一日が終わった。放課後というクラスメートとの交流時間を拒否して、ホームルームが終わると周囲の余計な詮索を避けるように一目散で家路へと走る。

「で、お前はこれからどうするんだ?」

 撒いたはずの少女はぴったりと自分の横にいた。

「僕か? もちろん、新と一緒にいるぞ」

「今日もうちに来る気なのか?」

「今日もじゃない。これから毎日だ」

 やっぱりか。新は観念した。

「で、今日は何時頃に帰るんだ?」

「おかしなことを聞く。僕は一緒に住むといったはずだぞ」

 それにしては、荷物が少なく見えるが、すぐに彼女への気遣いなどする必要はなかったと悟る。

 家が近づくにつれ、普段耳慣れない音が響いてきた。新は「工事の連絡なんてあったかな?」と首を傾げる。その音が家に近づくにつれ大きくなっていっても、まさか、騒音の発生元が自宅だとは思わなかった。

「なんじゃこりゃー!」

 目の前に入ってきた光景に思わず叫ばずにはいられない。

 家の前には大きなトラックに加えて大型重機も多数見えた。家の中からは今まさに仕事終わりといった表情で、ニッカポッカを履いた屈強な身体つきの男たちがぞろぞろと出てきた。

「首尾はどうなんだ?」

 目をキョロキョロさせながら、状況を飲み込めない新をしり目につかさは頭目らしき男を捕まえ、話しかけた。

「これはお嬢さん。納期には間に合わせましたよ」

「やっつけではないよね?」

「ははっ、手厳しいな~。俺らの仕事ぶりはお嬢さんも知ってるでしょ。俺たちなら一夜でバッキンガム宮殿だって本物以上の出来で建ててやりますよ」

「クキキッ。安心したぞ、ありがとう」

「へい。これからもごひいきにお願いしますよ」

「わかってるさ」

「では、俺たちはこれで。おい、おめーら、次の現場に行くぞ!」

 頭目は後ろでタバコをふかし始めた男どもに声をかける。男たちは「もうっすか?」「この一本だけ吸わして下さいよ」と言っていたが、頭目の「バカヤロー! お前らの一本が多すぎたせいで時間が押してんだろが!」の怒鳴り声で、「わかったっすよ」としぶしぶ了承しながら、慣れた動きでトラックに乗り込んでいった。

「お嬢さん、文句あるならすぐ言って下さい。お嬢さんのためなら、すぐに駆けつけますよ」

 頭目はつかさに一言かけてから運転手に発進の指示を出す。ブロロロロッとエコとは無縁な黒煙を上げたトラックが嵐のように去っていった。

「……今のはなんだ?」

 新はようやくつかさに質問した。

「僕らは夫婦になるんだ。いつまでも僕が自宅通いというのは世間体がまずいだろ?」

 高校生の男女が一緒に住む方がまずいとは思うが、話がそれるのでツッコミは入れない。

「僕は新の家で一緒に生活するんだ。だから、僕好みの部屋を一つ作ることにした」

「勝手なことするなよ」

「クキキッ。心配するな。もちろん費用は僕持ちだ」

そういう問題じゃない。と、文句を言おうにもすでに改装後。仕方がないと諦め、家の中に入っていく。外観はあまり変化がないので、そこまで大掛かりではないと油断していた。

「お、おい、ここふすまだったはずだろ。なんでドアになってるんだよ」

「なんということでしょう。和の家の中に洋風のモダンテイストが持ち込まれました」

 つかさはどこかで聞いたことのある言葉で場を和まそうとするが、そんなことで和めるはずもない。

 新はつかさが改築した場所を逐一確認し、一つ一つに文句を言っていく。しかし、つかさはまったく気にする様子もないため、新も文句を言うのを止めた。それは同時に、つかさのわがままを認めたことになる。

「おいおい、あんまりじっくりと女の子の部屋を見るなよ。もっとも、新がそんなにも僕の部屋に興味があるなら隅々までみるといい。それとも、僕と一緒の部屋に住むかい?」

「俺は今の部屋のままでいいよ。お前には、もう、なにも言わないけどさ、それでも、この家のルールは守ってもらう。これはお前がどれくらい偉かろうが関係ない」

 新はつかさの暴挙にも寛容な態度を取る。けれども、伝えて置かなければならないことはビシッと言おうとした。そのせいで、「……僕は偉くない、三宮が偉いだけ」という、つかさの陰のある呟きに気づくことはなかった。もちろん、自分の不意に出てしまう陰を新に気づかれるようなヘマをするつもりはないのだが。

「仕方ない。新には特別に僕の後のお風呂に入ることを許すぞ。あまりいい気はしないが、存分に楽しむがいい」

 つかさは貼り付けた笑顔のまま、やたらはっきりとした口調で新に話しかける。

「そんなルールなんて作るわけない。というか、俺の人物像がひどい」

「なんだ。新は一緒に入る方がお望みか? まぁ、恥ずかしいけど、ルールなら、新だったら、……いいぞ」

「そ、そんなルールこそないに決まってるだろ」

 お風呂あがりでもないのに、のぼせそうな新の反応につかさは満足する。普通に男子と話し、相手をからかい、反応を楽しむなんて昨日まではなかったことだし、今しかできないかもしれないとつかさはこの時を楽しんでいる。

「新を困らすのはこのくらいにしておこうかな。で、この家のルールとはなんだ? 歴史だけはばか長いこの家のことだ、時代錯誤のルールでもあるんだろ?」

 つかさの想像通り、長田家には他家を模倣した家訓がある。しかし、十六カ条もある上に、家族の誰も空で誓うことができないため、人に強要することはない。

 新はルールというよりも、役割分担を口にした。

「一つ、自分の部屋は自分で掃除する。二つ、ゴミは分別して台所のくずかごに分ける。三つ、食事、居間などの掃除及び洗濯は当番制。以上だ。今まで、自分でやったことがなくても、ここに住む以上はきっちりとしてもらうぞ」

「他にはなにかないのか?」

「あんまり多くのことを言っても覚えられないだろ?」

「失礼だな。そのくらい造作もないことだ。新は僕のことをどんな目で見ているんだ」

「常識外れのお嬢様」

「だから、僕は一通りの花嫁修業くらいきっちりと受けたと言っているだろ」

「ほんとうかよ」

 彼女の不遜な態度からは家庭的な香りがまったくしない。わがままばかりの少女が家事や料理を行う姿が想像できない。

「……人に好かれるお嬢様でなければ、僕に価値なんてないんだよ」

 つかさは誰にも聞こえないよう、ぼそりと呟く。

「なにか言ったか?」

「いいや、なにも」

 新が視線を向けた時にはいつもの人を食ったような笑みを浮かべていた。

「僕は花嫁として完ぺきなんだ。炊事洗濯はもちろん、夜伽の知識もばっちりだ」

「お前はそんなことしか頭にないのか」

「頭の古い新にはそういう関係になるのが、大事にされるための一番の近道に思えるからな」

「むしろ、逆効果だと思わないのか?」

「むしろ、効果的だと思わないわけがない。こんなに奥ゆかしい女性が勇気を出して積極的になっているんだ。新も男としてそれに応えてくれないかな」

 今は家に二人きり。そんなシチュエーションから発展しないなんてありえない。

 つかさは期待しながらも、不安と少しの恐怖に口元が乾く。

「そんなに物事がうまくいくとは思わないことね」

 後ろから冷めた声が投げかけられる。つかさは思い通りにいかない展開に舌を噛んだ。

「あくまで、僕の邪魔をするのかな?」

「むしろ、あんたが、私の邪魔をしてるのよ。っていうか、なによ、この部屋!」

 新は先に帰ったと聞いて、不安に思ったが、買物当番を放ることはできない。最善策として、ただただ急いで用事を済ませ、帰ってきた結果、なんとか相手の思い通りの展開は防ぐことができた。けれども、変わってしまった自宅の姿に声を荒げてしまう。

「僕好みに少し手を加えた。僕は新好みになるのだから、部屋くらいは僕好みにしてもいいだろ?」

「勝手なことしないでよ。私たちの思い出を壊さないで! 私たちの空間に入ってこないでよ」

「いいじゃないか。新はもう諦めてるぞ。君もこの状況を受け入れたら楽になるさ」

「嫌よ」

「なんでそう意固地になる。君はただの妹だろ? 家長の言うこと、兄の言うことを大人しく聞いたらどうだ?」

 つかさはあらためて不思議に思った。つかさが得ていた事前情報でも長田凛が兄の新に普通の兄妹以上の執着をしているというのは耳に入れていたが、ここまで新に固執しているとは思わなかった。おそらく、自分だけが嫌われているのではなく、誰が相手でも新が絡んでくれば好戦的になってしまうのだろう。それは、幼い独占欲とは違う、もっと、なにか違う、執念みたいなものを感じる。

「………」

 凛は押し黙った。つかさの言葉に言い返せなかったからではない。新が近くにいるから自分の想いを口に出せなかった。

 その気持ちは今まで隠してきたつもりはない。むしろ、公にしてきたつもりだ。けれど、この気持ちを本人の前ではっきりと吐露するわけにはいかなかった。

「………」

 つかさも言葉は続けない。彼女の言葉を聞かなければ次に進めない気がした。

「………」

「………」

 ピリリリリリリッ!

 二人のけん制を破ったのは、けたたましい電子音だった。スマートホンが主流のこの時代に、珍しく、備え付けの電話からの呼び出し音が鳴る。

 新は、その電話に一目散に飛びついた。相手は誰でもいい。とにかく、今のこの空気を壊してくれてありがとうと伝えたかった。

「よっ、元気にしてるか?」

 しかし、電話越しの陽気な声に感謝の念も消える。

「……親父」

「そうだよ~。平成の昼行灯こと、長田二葉だよ~」

 能天気な声を出す父親に新のイライラは増す。

「元気にしているかじゃねーよ! これはいったいどういうことなんだ。俺の知らないところで勝手に許婚とか決めやがって。昨日は文句を言えなかったけどな、今日は文句を言わせてもらうぞ」

「よーし、それくらい元気があれば大丈夫だな」

 父親は新の怒気を無視して、自分の言いたいことだけを話し出した。

「つかさちゃんにはもう会ったみたいだな。どうだ、いい子だろ? いい子だっただろ。お前もあんな可愛い子が許婚なんて嬉しいだろ。許婚なんて流行らないかと俺も思うんだけどさ、あんな可愛い子なら問題ないよな。だから、お前はあの子を幸せにするんだぞ。それでだな。俺は当分家に帰るつもりはないから、俺の家は二人の愛の巣として使ってくれ。ただ、あれだぞ、俺はまだおじいちゃんにはなりたくないからな。まぁ、お前なら大丈夫だとは思うけどな」

「お父様?」

 自分では相手にされないと思い、新は受話器を横にいる凛に渡した。凛は電話口から聞こえる、悪の元凶に向けて、いつもよりも丁寧に、自分が笑顔であることを電話越しにも伝わるようにしっかりした声を発する。

「り、凛ちゃん?」

 さすがは親か、それとも凛か。二葉は凛の怒気を感じ、動揺してしまう。

「はい、そうです。突然ですけど、兄さんに許婚とは、いったいどういう了見なんですか? 私、聞いてないんですけど。これはお父様が勝手に決めたことなんですか? そうですか? そうですよね? そういうことなら、この話は勝手に反故にしてもよろしいですね? えぇ、お父様は返事しないでかまわないです。すでに私の中では結論が出てますので」

「あ、あのね凛ちゃん。これは、ね。新のためというより、彼女のためなんだ。ごめんね、この埋め合わせはきちんとするからさ」

「私は兄さんのためになることしかしません。兄さんが困るようなことがあるのなら、私は絶対許しません。それが、肉親であっても、誰であってもというのは、お父様もご存じでしょう?」

 二葉は押し黙る。この計画を実行するにあたって、凛をどうするかが問題だった。素直に話しても納得しないだろうし、新絡みのことを凛に内密することは不可能。その結果が突然のいきあたりばったりなものになってしまったのは反省すべきことだが、今はそんなことを嘆いても仕方がない。

「凛ちゃん、あのね。これは新にしか頼めないことだから、大目にみてもらえないかな?」

「要件によります。私は兄さんの言うことしか聞きません。だから、お父様も言葉には気をつけて下さいね。そうでなければ、私は最大の禁忌を犯してしまいそうです」

「ちょっと、新と代わってもらえるかな?」

「きちんと説明して下さいね」

 そう言って、凛は新に受話器を返す。

「で、どういうことなんだよ」

「はぁ~。お前、凛ちゃんに助けを求めるなよ」

「あんたがきちんと事情を説明しないからだろ」

「わかったよ。で、あの子、三宮つかさちゃんはどうだ?」

「どうだって言われても、勝手に学校に押し掛けるし、勝手に部屋は改築するし、自由気ままに振る舞うし、なにより騒がしい奴だよ」

 けど、美少女だ。なんて褒め言葉は本人が横にいては言えない。

「そうか。騒がしいか。やっぱ、お前に会わせて正解だったな」

「どういう意味だよ」

「新、あの子を自由にしてやってくれよ」

「はっ? すでに自由すぎてるよ」

「一つの選択肢を忠実に実行するのは自由とは言わないだろ」

「どういう意味だよ」

「そのままの意味だ。つかさちゃんの心を開いてやってくれ。お前ならできるさ」

 二葉はそれだけ言って、電話を切る。

「お、おい!」

 新が文句を言ってもツーツーツーの電子音しか聞こえない。

「兄さん、お父様はなんておっしゃっていましたか?」

「あいつを自由にしろって」

「十二分に自由を満喫していると思いますが」

 二人はソファに座って、一人高そうなカップでコーヒーを飲んでいる居候を見た。

「なんだ? いくら美しいからって、そんなにジロジロ見られたら僕でも恥ずかしがるぞ」

 つかさはいつものトーンで言葉を紡ぐ。そして、二人の態度に首を傾げ、「新たちは、いつも親に対してああいう態度を取るのか?」と、気になったことを聞いた。

「ん? そうだな。親父に対してはいつもあんな感じだ」

「怒られないのか?」

「親父は改まった態度の方が嫌がるんだよ」

「……そうか」

 つかさの瞳の奥がすっと暗くなる。時折、彼女は無邪気に泣いているように見えた。

「どうした?」

「いや、なに。ちょっとだけ羨ましいなと思ったんだ」

「そうだな。お前の家は厳しそうだもんな。お前も、もし親に言われただけのことならこんな茶番は止めようぜ?」

「………」

 叫びたい想いを、誰にも聞こえないように呟く。

「新はそんなに僕と結婚するのが嫌か?」

 それを悟られないように、つかさはいつものおちゃらけた定型句で本音を濁した。

「そういう話じゃない。お前の本心はどうなんだってことだ」

「クキキッ、それなら僕の胸を触ってみればいいだろ?」

 つかさは自分の本心を知ってもらうための提案だった。自分でも知りたい、自分の心。新なら教えてくれるかもしれない。

「そ、そんなことさせないわよ。っていうか、あんた、出ていきなさいよ」

 けれど、それは予定通り、凛によって話を切られた。

「いつまで駄々をこねるんだ。新だってもう納得してくれたんだ。君もおとなしく納得するんだな」

「兄さん!」

 凛からの鋭い視線を向けられた新は困ったように笑った。その表情を見せられると、凛の高ぶる感情も冷えて、冷静にならざるを得ない。

「わかりました。つかささん、今回の件は大目に見ますけど、次からは事後報告だけでなく、一言先にいってくださいね」

 そう言って、凛は台所へ向かった。つかさの横を通る時には「自由になんかさせないから」と、けん制を入れることは忘れない。つかさは不敵に笑い「僕には自由なんていつもないさ」と呟いた。

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