幕間劇 世話焼きメイドと仲良くなりたいお嬢様

 今日の帰り道は柄にもなく楽しんでしまった。凜や小雨、なぜか舞佳も一緒だったが、男の子と一緒に下校するという青春以外の何物でもないイベントは思いの外、つかさの心を刺激した。

 家に帰ると、気兼ねなく話してくれる相手がいる。食事が終わり、お風呂にも入り、自室に戻って新しい寝床に横になっても楽しいという余韻は十二分に残っていた。

「クキキキキッ」

 改めて思い返しても気分は高揚してしまう。枕を抱きながら、転げまわる姿はどこか気持ちが悪いが、つかさの嬉しさはその程度では表現できない。できることなら、住宅街の中を自転車に乗りながら、「今はすごい幸せだ~」と、叫びまわりたいところであるのを、自室の中で、声を押し殺し転げまわるだけに留めているのだから褒めて欲しいものだった。

 それほど、彼女の一日は一人の男の子の出現によって大きく変わった。

 長田新。

 つかさにとって、先週まではまったく知らない名前だった。

 初めて彼の名前を聞いた時は、それ以上の衝撃のせいで名前なんて、頭の隅にも残らなかった。

 お父様の話では、そこそこの進学校に通う普通の男という話だった。成績は平凡、家柄はその地区では有名だが全国的には無名。

 そんな男が三宮家の娘婿に選ばれたのは彼らの持つ他人の心を読める能力を取り込むため。ただそのためだけにつかさは新と結婚し、子を孕む。

 それが彼女の使命であり、すべてであった。

 しかし、つかさも普通の女の子。見ず知らずの男と結婚しろと言われて、覚悟はしていたが不安もなかったわけじゃない。

 相手はどんな男だろう。特殊な能力を有する人間ならば、歪んだ性格であってもおかしくない。できれば、好き合える関係になれればいいなと願い、イロモノだけは勘弁して欲しいと思った。

 新の前に現れる前は柄にもなく緊張していた。財界の著名人に挨拶する時も、ピアノのコンクールで演奏する時も心拍に変化はなかった。三宮家のアクセサリーと揶揄されるほどの落ち着きで、どんな場面でも自分の心をコントロールできると思っていた。しかし、いざ相手の前に立とうとした時に、コントロールなどできるわけがなかった。

 自分だけでなく、相手だって三宮の要求を聞かないはずはない。気に入られるためには、大人しい態度で接する方が効果はあるのだろうが、初めに強気な態度に出れば、相手も自分に対して無茶な要求はしてこないだろう。そうすれば自分はただの愛玩道具にはならないだろうし、主導権も取れるだろうという算段があった。

 緊張した面持ちで初めて対面した婚約者様はどこにでもいる普通の男の子だった。お父様に許婚と命じられなければ進んで彼女になろうとも思わない。初対面の感想も「あぁ、特に害のない人間そうでよかった」と思うだけだった。

 けれど、今は少し違う。命令されたからでなく、純粋に彼のことが気になっていた。このまま一緒になれればな、なんて考えるようにもなっていた。

 ただ、新との関係に問題点はいくつかある。

 一つ目は最初の対応を間違えたこと。三宮家に対して、嫉妬や敵意を向けられることはあっても、その要求を拒むものはいなかった。もちろん、過去に男性とお付き合いしたことはないが、告白された回数は星の数にも上る自分の容姿に自信もあった。それ故のやや高圧的な態度であったのだが、新が即座に首を縦に振らなかったのは計算外だった。

 もう一つは、平凡な男に好意を寄せている女性が、周囲に複数いたこと。しかも、妹である凛は極度のブラコンであり、学園のアイドル舞佳はヤンデレ気質を持っていた。さらに言えば、二人とも、古今東西の美女に会ったつかさから見ても振り向いて二度見するほどの美少女だ。性格にやや難があるものの、そんな二人に恋路を邪魔されてはさすがのつかさも分が悪くなる。

 このせいでお父様に対してすぐにいい報告はできていない。子供ができるのに時間がかかるのは仕方がなくても、恋仲になるのに時間がかかることをお父様は許してくれない。自分が使えないと見るや、すぐに別の子を新に向けてくるはずだ。その監視役が小雨だろう。

 そうなれば、自分の意志を確認する間もなく、新に近づけなくなる。

 それは嫌だった。

 初めはなんで凛や舞佳のような器量のいい少女が新のことを好きなのか不思議だった。

 誰かれ構わず人に対して優しくできる人。

 あんな奴、どこにでもいる。いざとなれば人の心を知れるんだから嫌われない方法なんていくらでもある。その保険があるから人に優しくできるんだ。

 そう思っていた自分の認識が変わった。

『人に優しくありなさい』

『強く生きなさい』

 誰もが一度以上は言い聞かされる言葉を、新は当たり前のように実行できる。これは簡単なようでそうでない、とても貴重な美点。

 新にとっては普通の、当たり前の行動であっても、その優しさと強さに救われた人がいる。

 自分もそうだ。

 新にとっては、万人に向けられる当たり前のものだろうが、自分にとってはそうでない。三宮の令嬢でなく、三宮つかさという個人に対して、優しくしてくれる人はいなかった。

 新のことをもっと知りたい自分がいた。もう少し時間をかけて、もう少しお互いを知って、もう少し甘い青春群像を体験してから結ばれたい自分がいた。

 気になる男の子から名前で呼ばれる。今でも頭の中でリフレインし、思わず顔がにやける。たったそれだけのことかもしれないが、少女が恋に落ちるきっかけなんて些細なことだ。

 二人で手を繋いで学校に通う、二人でテスト勉強をする、家に帰ってから、寂しさを紛らわすために電話をする。

 自分にそんな幻想を見る時間も資格もないと思っていた。けれど、新は自分にそんな幻想を見せてくれる気がした。

 なにより、自分の名前を呼んでくれた。

「つかさかぁ~。クフフフフッ」

 思わず顔がにやけるほどの幸福感が全身を包む。

 しあわせだなぁ。となおも布団の上でゴロンゴロンとしていると、ドアの横に立っている少女と目があった。

「………」

 つかさは抱きしめていた布団を離し、無言のままベッドから降りる。

「どうしました、お嬢様?」

 小雨はこちらに気づいたつかさに声をかけた。

「い、いつからそこにいましたか?」

 つかさは必死に心を落ち着かせる。自分の恥ずかしい姿を見られたのはたしかなのだが、どの場面からかによって言い訳のしようもある。

「お嬢様が部屋に入るなり、ベッドに飛び込んで布団を抱きしめながらくるくる回っていたところからです」

「最初からじゃないか! っていうか、一緒に部屋に入ったのにも気づかないって、僕はどれだけ注意力散漫だったんだよ」

 言い訳のしようもない失態に、つかさは言葉遣いも忘れ嘆くが、小雨はまったく気にしていない。いや、彼女にはそれ以上に気になることがあった。

「それよりもお嬢様。なぜ、自分の部屋に戻られたのですか? お嬢様は新様の許婚なんですから、床を同じにしなければいけませんよ?」

「そ、それは、もう少し待って欲しいのだけれど」

 いくらなんでもそんな大胆な行動は。つかさは恥ずかしさから俯いてしまう。

「お館様がそんな悠長なことを許すはずがありません。それは、お嬢様もわかっているはずです」

「それは……」

 小雨はつかさの心の事情もお構いなしに話を続ける。

「なので、お嬢様には新様との距離をなくしていただくために、明日、デートをしてもらいます」

「え?」

 いきなりの話につかさの思考は追いつかない。

「言葉の通りです。先ほど、新様に対してデートする約束を取り付けました。時間厳守でお願いします」

「………」

「どうされました?」

「どうしてそんなことするの?」

 つかさは思わず涙目になった。新とは仲良くなりたい。けれど、自分のペースで進んでいきたい。時間がないのはわかっている。けれど、初めて自分の意思で動こうとしても、周りはそれを許してくれない。

「お嬢様に任せておけばそれこそ時間がいくらあっても足りません。なので、私がきっかけ作りをしてきました」

 つかさは無表情で事後報告をする小雨を睨んだ。彼女はいつもこうだ。自分と違って、小雨は表情の乏しさと反比例するように行動はアグレッシブだった。

 自分の一番近くにいるからこそ一番距離を感じてしまう人物。小さい頃から一緒にいるのに、彼女はなんで自分を困らせようとしているのだろう。

 つかさは小雨のことがよくわからない。ただ、もう決まってしまったことを嘆いたって仕方がない。

「どうかしましたか?」

「ううん、なんでもない。明日、頑張ればいいだけでしょう」

 それでも、考えを変えれば、これはチャンスだった。いきなりのことで戸惑ってしまったが、新と仲良くなるチャンスは多ければ多い方がいい。

 先ほどまでの悲観的な考えも、今は強引に前を向く。突然の事例にいちいち落ち込んでいては名家のお嬢様なんてやってられない。

「………」

 小雨は、つかさの変化に思わず目を見張る。

「お願いします。時間と場所は後ほど、連絡させて頂きます」

「わかりました」

「前向きになられたのはいいことです。前向きついでに、新様の寝床へ夜這いにいくなら、夜の一時過ぎがよろしいでしょう。その時間であれば凛様も寝ていますので、邪魔は入りません」

「しないです!」

 つかさははっきりと断言する。少しでもその気があると小雨に思われれば彼女はなにをしでかすかわからない。

「わかりました。では、よろしくお願いします」

 小雨は用件を伝えて部屋から出ていった。

 メイドだからといって、四六時中、主と同じ場所に留まる必要はない。主のお世話もするが、自立を促すのもメイドの役目だった。その面では小雨はメイドの鏡であるのだろうが、もう少し砕けて話をしてくれてもいいんじゃないかと思ってしまう。

「……また、小雨とも仲良くなれるかな」

 いつからか事務的な関係になってしまった少女のことをつかさは憂う。昔は小雨が主として接してくることを悲しんだ時もあったが、いつからかなにも思わず、それが普通なのだと受け入れていた。今さらそんなことを考えてしまうのは新のせいだと、つかさは思わず笑う。

 あいつのせいで自分は変わってしまいそうだ。

 つかさは一呼吸ついて明日のことを考え始める。

 なにを着ていこうか、どこにいこうか、なにをはなそうか、どうしようか。

 考えるだけで楽しくなってくる。

 明日が楽しみに思えるなんて幼稚園以来の感情だった。

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