2章 お嬢様の心模様は晴れ時々涙 4
新が倒れたと聞いて、凛と舞佳は大慌てで保健室に駆け込んだ。
凛は日直の仕事で教室を空けたことを悔やむ。早く仕事を終えて帰ってくるよりも、新の行動を確認してから向かうべきだったと自分の思慮に欠けた行動を反省した。
保健室に入るなり、先にいたつかさの姿を確認すると、凛はなんの疑いもなく原因と決めつけた。
「なにしたんですか!」
隣で病人が眠っているが、それはお構いなしに怒りだけが先にきた。手を出さなかっただけまだましだったのかもしれない。
「凛ちゃん、落ち着こうな。まだその子がなにかしたと決まったわけちゃうえ」
舞佳も凛が走っていく姿を追ってここまで来た。凛が急いでいるということは、新になにかがあったことを暗示していることを知っているので、いてもたってもいられなかった。それでも、凛よりは冷静だった。
「わかりました。で、なんで兄さんがあなたといて、急に倒れて保健室にまで運ばれてるんですか?」
舞佳のおかげで凛にも理由を聞く余裕は生まれた。けれど、原因はつかさのせいだと決めつけている。つかさは二人の方向を向いてぼそっと呟いた。
「僕が新にひっついてたら新が倒れたんだ」
その理由を聞いて、凛のこめかみがぴくぴくとしているが、そこは落ち着いた。なぜ、新が倒れるまで密着していたのかを問いただすことも重要だったが、こういうことを予期してつかさの知らない新の体質を教えていなかった自分にも落ち度はあると思った。
「そういえばあなたには言っていませんでしたね。兄さんは極度の女性恐怖症なので女の人とひっつきすぎると貧血を起こしてしまうんです」
前に新本人から聞いた言葉が今度は凛から教えられる。
「知っている。それは本人から聞いていた」
それくらいは知っていると、少しだけ得意気に凛の言葉に答えるが、その言葉は凛の怒りを増幅させるだけだった。
「へ~、そうなんだ~。知ってたんだ~」
「けれど、ここまでひどいとは」
「………」
「そうだな、新は苦手とはいえ、もっと女の子と」
「黙りなさい」
凛の低音が響く。静かになった室内ではあるが、嵐はすぐにやってきた。
「聞いていたってなんですか!」
凛の怒号が室内に響く。
「それを知っていて、こうなることをわかっていたんですね。最低。あんた、最低だよ!」
相手に言葉を挟ませる暇もなく、凛はつかさを罵った。
ただ、言われるだけのつかさではない。
「し、仕方ないじゃないか。聞いていただけで、まさかこんなことになるとは思わなかったんだ」
「思わなかった? そんな子供じみた言い訳が通用すると思ってるの」
「ちょ、凛ちゃん。落ち着きな、な?」
「舞佳さん、ほっといて下さい。私は兄さんを苦しめることは絶対に許せないんです。舞佳さんならわかるはずです」
見かねた舞佳が凛をなだめようとするが、凛の激昂は収まりそうにない。
「だって僕らは夫婦なんだ。スキンシップが過剰になるくらいあるじゃないか。新だって女の子が苦手なままだと困るだろ?」
それでも続くつかさの言いわけは凛をイライラさせる騒音でしかない。
「あなたはなにも知らない。兄さんのことをなにも知ろうともしないで迷惑だけかけている」
「だって新が教えてくれないんだ。嫌なことならはっきりそう言ってもらわないと困る。そりゃ、新は言葉で伝えなくてもわかるかもしれないけどさ、僕ははっきりと口で言ってもらわないとわからない」
自分が悪いと思わず、新だけを悪者にしようとする態度が気に入らなかった。けれど、凛は我慢の限界を超えようとも、手を出すわけにもいかない。今の彼女は大嫌いだった自分を見ているようで、なにかを言える権利が自分にはなかった。
「失礼します」
タイミングよく、保健室の扉が開いた。
「お嬢様、担任の先生には事情を話しております。そのまま保健室で新様を看病していてよいとのことです」
「わかりました。ありがとうございます」
小雨は用件だけ伝え、つかさは恭しく返答する。。
「新様の状態はいかがですか?」
小雨は現状を把握するためにつかさに聞いた。
「えぇ。ちょっと貧血を起こしてしまっただけのようなので少し寝ていれば元に戻るようです」
この丁寧な話し方をしているつかさが本来の姿なのだろう。にわかに取り繕っているようにはまったく見えない。
しかし、その姿でなにを守ろうとしているのかはわからないが、自分が見ている前で露骨に態度を変えられることに凛は気分を害す。
一瞬、凛はつかさと目があった。文字通り、一瞬だけでつかさはすぐに視線を逸らす。その瞬間、凛の怒りも収束した。
「な、なんなの?」
つかさは相手の方を見ずに尋ねた。
もう、相手の方は見られない。凛の視線、その瞳を見るのが怖かった。
三宮はすごい。けれど、三宮つかさは駄目だ。
あれほど、個人を見てもらいと願っていたのに、個人で見られた時の相手の目は怖くて見たくなかった。
「いえ、別に。ただ、あなたを兄さんに近づけたくないなと思っただけです」
先ほどまでの感情をぶつけることはまったくなく、日本史の教科書を朗読するように凛は淡々と話している。
「あなたは与えられることに慣れてますからね。そんな甘い人に兄さんの優しさを享受するなんて許せません。あなたは自分のことを教えようとはしない。なのに、兄さんのことを知りたいと言い、教えてくれなければ文句を言う。救いようのないワガママさんです」
凛の瞳にはもうつかさは映っていない。つかさは自分がいないように扱われることに恐怖を感じた。
「やっぱり、なにも不自由のないお嬢様なんですね」
「わ、わたし……」
続く言葉が出てこなかった。周りには小雨がいる、凛に対して向けていた自分の言葉はどうやったら出てくるのかがわからなくなっていた。
「私、教室に戻ります。兄さんの荷物も持ってきた方がいいと思いますし」
「その兄さんを置いてってええの?」
舞佳は凛のこともよく知っている。誰よりも兄のことを一番に考える凛が倒れた新を置いて離れることは非常に珍しいことだった。
「本当はすっごく心配です。それに舞佳さんも兄さんの近くにはあまりいて欲しくないです」
凛も舞佳のことは知っている。だからこそ、新のことを一番に考えてくれているのも知っていた。
「舞佳さんのことを信頼はしていません。だけど、こういう状況で兄さんを傷つけることはもうないと信用はしています」
「そら光栄や」
舞佳はそれを褒め言葉と捉えた。
「だから、どこかの無知でわがままなお嬢様の監視役にはもってこいなんです」
それだけ言って、凛は保健室から出ていこうとすると、小雨が凛の前に立ち塞がった。
「待って下さい、凛様。あなたも三宮家の一員になるお方です。しかし、今のお嬢様への発言は問題です。出すぎた真似と思いますが、気をつけて下さい」
三宮に不興を買って、得することなどなにもないと忠告したつもりだったが、凛はまったく気にしていない。
「私のことなんてどうでもいいわよ。私は兄さんさえ心から笑ってくれていればそれでいい。それを邪魔するようなら、奪うようなら、私は絶対に許さない。恋する乙女に脅迫めいたことなんて無意味ですよ」
それこそ、凛は小雨へ警告をし返す。
「では、兄さん。またあとでね」
凛が保健室から出ていった後、小雨には珍しくうんざりした表情で「凛様の世界には新様しかいないんですか?」と舞佳に聞いた。
「そうや。凛ちゃんの気持ちは筋金入りやえ」
「それにしても限度があります」
いくらなんでも凛の新への愛情はいきすぎだと思う。だからこそ、凛の近くにつかさはあまり置いておきたくなかった。愛情が自分にも他人にも不足しているつかさにとって、凛が新だけに向ける愛情は目の毒でしかない。そのせいか、彼女は身体を丸めて震えていた。
「お嬢様。今日は一度お屋敷へ戻ってみてはいかがでしょうか?」
小雨はいつものように、つかさに手を差し伸べる。しかし、それを「小雨ちゃん、それはあかんえ。甘やかしすぎや」と舞佳がストップをかける。
「少しうちに時間くれへんかな? ちょっとつかさちゃんと二人で話がしたいんや」
小雨は舞佳の提案に思案する。このままつかさを連れて帰るのは簡単だが、彼女のためではないとわかってはいる。それならば、目の前の少女を信用できるかわからないが、預けてみるのも荒療治になっていいのかもしれない。
「わかりました。私も一度席を外しますので、お願いします」
舞佳のことは初対面であるが、必ずしもつかさを傷つける人物ではないと判断した。彼女なら、凛と違ってつかさのためになるのかもしれない。
「ありがとうな」
小雨は恭しく一礼をして、保健室から出ていく。舞佳は一息吐いて、自分の世界に鍵をかけているつかさに声をかけた。
「なぁ?」
「………」
舞佳が話しかけても、つかさはぶつぶつと自分へに非難を呟くだけで反応はない。それでも、舞佳は話を続ける。
「凛ちゃんの言ってたことそんな気にせんでええんよ」
「………」
「たとえ、それが核心に迫りすぎて、なにも返せないくらい言い負かされたとしても気にせんでいいんよ」
「………」
「なにより、自分が情けないことに改めて気づかされても、気にせんでいい」
「……うるさい」
あまりの小言に、つかさも反応してしまった。
「やっと、こっち向いてくれた」
小さく一言「なんで、ここにいるんだよぅ」と呟く。
「凛ちゃんのことを嫌わんとって欲しくてな。フォローのためにいるんや」
「……嫌ってない。だから、もう、放っておいて」
「それならええんやけど、放ってはられへんな」
つかさはもうなにを言っても無駄だと思い、口を閉ざす。舞佳はそれを肯定だとして、話を続けた。
「凛ちゃんがほんまのほんまに新くんのことが好きなんは見てたらわかるやんな? だから、新くんの近くに近寄る悪い虫にはちょっと強く当たってるんや」
あれがちょっとであればやりすぎはどこまでいくんだと、つかさは笑う。凛が新に対して盲目的に慕っているのは誰の目にも明らかだった。
それは兄と妹、恋をしている少女という枠を飛び越えすぎている愛の押し付けだった。
あそこまでの感情を相手に向けるなんて、過去になにかあったと思うしかない。
けれど、つかさは新のこと、凛のことなどなにも知らない。
八月二十九日生まれのA型。趣味はランニング。前回のテストでは学年四十六位で父と妹がいる。好きな食べ物はチキン南蛮で巨乳好き。
こんな自己紹介冊子に書かれているようなことは知っているけれども、昨日の夜ごはんはなんだっただの、誰と仲がいいだの、去年の体育祭は楽しかったかどうかなんて話や雑談をすることはできない。
自分は新の秘密を知っている数少ない人間かもしれないが、それだって誰かに教えてもらっただけだ。新と打ち解けて話を聞いたわけではない。
そして、凛の指摘した通り、新は自分のことなど、三宮つかさという名前くらいしか知らないだろう。
二人を繋ぎとめるのは親が決めた許婚同士という、今ではなんの効力もなさそうな口約束だけ。
「だから結婚なんて言われたら、凛ちゃんからしてみたらとんでもない話しやったんやろな。それに、新くんもあまり乗り気やなさそうやったし。で、ここからは黙ってへんで会話して欲しいんやけど、なんで新くんと結婚しよ思たん?」
この会話になんの意味があるのかはわからないが、舞佳はつかさが口を開くまで待ち続けるだろう。つかさも無駄な時間の使い方は好きではないので、正直に「お父様がそう言ったから」と答えた。
つかさにはそれがすべてだった。他人がどれだけ疑問符を浮かべようがどうしてそんなことをと聞かれれば自分には、それが一番しっくりとくる答えだった。
「そうなんや」
舞佳もそれ以上は聞いてこなかった。しかし、その行動につかさの方が首を傾げてしまう。
今までも行動理由を聞かれて、お父様がと、言ったことは何度かあった。そこでの反応は様々であるが、結論は同じ。全員が「そんなことで?」という顔をしていた。
けれど、自分はお父様に逆らう術を知らない。それにお父様の機嫌さえ損なわさなければ自分はお嬢様でいられる。だからこそ、自分にとってお父様の命令は絶対であり、だからこそ、お父様の期待に応えられなければ自分がどうなってしまうかが怖かった。
誰かに、「きちんと話をすれば大丈夫だよ」なんてことを言われたこともあるが、あの人たちはお父様の怖さを知らない。あのお父様だからこそ、娘だからという情で甘やかすはずはない。
みんながなんでそんなことを言うのか、つかさはわからなかった。どうして、みんなは自分のためを想って、自分が不幸になるようなことを勧めてくるのか、意味がわからなかった。
そして、いつからかつかさは周囲から距離を置いた。三宮の娘は嫌な奴と思われるのは都合が悪かったが、自分は小雨のように社交性があるわけではない。
けれど、幸運なことに、つかさは容姿が端麗であり、勉学の覚えもいい。財閥の娘であるということで、淑女に必要な習い事は一通りのことを身につけた。
あとは嫌われないような当たり触りない態度をとるだけで、誰と話をしなくとも、三宮の名前が独り歩きし、陰で妬みを買うことはあっても、表だって嫌われることはなかった。
「なら、新くんや凛ちゃんと会った時に話し方を変えたんは失敗やったな。ほんまはあのメイドちゃんと話しているのが普段の姿なんやろ? 特に凛ちゃんとはわざわざ敵対するような態度とる必要はなかったんとちゃう?」
舞佳に指摘されなくても、それはつかさも自分で驚いていたことだった。初めて新と会う前はいつもの態度で接するつもりだった。どんな発表会の時も緊張せず、失敗とは無縁のつかさであったが、いざ、新の前に姿を現す際は急に怖くなっていた。
自分は三宮だから、だれもがちやほやしてくれる。けれど、今から会う相手は自分と結婚すれば、三宮になる。ずっと一緒にいるかもしれない相手が自分をちやほやしてくれないのは嫌だ。だったら、自分が主導権を取れなければいけない。自分の生活を守るために相手を従わせなければいけないと思った。
そして、あんな態度で接してしまった。人は第一印象でほぼ好感が決まる。わざわざあんな態度を取るのは愚策以外のなにものでもない。自分でも失敗したかもしれないと思ったが、演技のはずの仕種の方がどこか自然な感じがした。
だから、新に対しては、新の周囲に対してはあの態度で接することが普通になった。けれど、今まで他人の前で見せてきた自分は小雨の前の自分だ。新の前の態度なんて昨日今日の付け焼刃的なものでしかない。
だからこそ、凛から向けられた視線を直視できなかった理由はそこにあった。今までの三宮つかさを形成してきた振舞いを偽物だと言われ、自分を否定された気がした。
「本当の私はこっちなんですけどね」
誰かに好かれたいわけじゃなく、誰にも嫌われない生き方をするのがそんなにいけないことなのか。
「僕でいる方がいいのかな」
三宮らしくない生き方をする方が評価されるのか?
つかさの呟きは空気に紛れた。
「こっから、うちのひとりごとやと思って聞いてくれたらええんやけど」
つかさの悩める表情に、舞佳は今からが本題という切りだしで語り始める。
「うちもな、小さい頃はずっと誰かに嫌われないような態度をとってきててん。けどな、うち、こんな話し方やろ。どれだけ、自分が悪うなくても、ちょっと人と違う部分があるだけで、いじめの標的になるんよ。うちもそうやった。だからうちはとと様に言って、転校させてもらってん。要は逃げたんやな。で、今度の学校では他の人から嫌われんように、しゃべり方も変えたし、ずっと笑顔でいるようにしてん」
舞佳の話す内容はつかさにも身に覚えがあった。ただ、自分は家柄のおかげで真正面からの敵意というのは受けたことがない。その変わり、斜め上からより陰湿な仕打ちに出会ったことはあるわけなのだが。
「けどな、我慢するってめっちゃ体力いんねん。みんなに嫌われないようにニコニコニコニコ、ニコニコニコニコしとったら顔とは逆に心は不満や文句で一杯になっててん。うちは自分で言うのもなんやけど、可愛らしい身なりしとるから幸か不幸かにこりとするだけで周りは寄ってくんねん。けど、うちは友だちの言っとうことを作り笑いでうんうんしとっただけやった。相手も聞いてくれればそれでええんか、それ以上のことをうちに求めてへんからそれでよかった。で、そんな時や。いつものように友だちの話を聞いとったら急に新くんがうちの前に立って、「みんなの悪口言うのは止めなよ」って言うてきてん。周りの子らはびっくりや。けど、うちが一番びっくりやった。心根を当てられると、人ってあんなに焦るもんやねんな。もしかして、口にしてたんやろか? うち、そんな表情してたんやろか? なんて思ったりもしたんやけど、そうやないらしい。あとで聞いた話やけど、新くんは時々唐突に核心めいたことをいうらしいわ。誰にも言ったことのないことをまるで本人から聞いた風に言うんは、今考えると不思議な話やけど」
新は不意に舞佳の心を覗いたのだろうか、舞佳は新の能力を知らないようだった。
「うちは冷静になれんかった。みんなが新くんの言うとうことを信じてもうたらうちはまたみんなに嫌われる。またいじめられるて思たんや。だから、うちは必死になって言い訳をしたんや。そん時の新くんは、うちにとって運がいいことに、周囲からあんまり評価されてなかってん。妹の凛ちゃんからも嫌われていて、人の胸を触っては突然意味わからんこと言ったり悪目立ちが過ぎててんな。ちょっと人と違うだけでも色眼鏡で見られるのに、なんも考えてなかったんやろな」
「そ、それで?」
つかさは舞佳の話に引き込まれ始めていた。
自分の知らない新の過去、凛が新を嫌っていたという事実。聞いていい話題か悩むところだったが、好奇心が勝り、舞佳に続きを促す。
「それからの話は簡単やった。うちが「そんなこと思ってません。この人がでたらめを言っているだけです」とかなんとか言っとけば、責められるんは新くんやった。それで新くんも引き下がってくれればええんやけど、あろうことか新くんはうちらのグループ一人一人の本心を代弁しだしたんや。うちらは唖然とした。でも、全員が幼いながらも仮面を被る方法は知っとったんやなぁ。全員で顔を合わせて頷いてから、うちらの見せかけの友情にひびを入れた邪魔ものを糾弾することにしたんや」
話す舞佳の表情は思い出したくもないことなのだろう、どんどんと青白くなっていく。けれども、辛いのならもう話さないでいいなんて、軽はずみなことは言えるわけがなく、つかさは黙って続きを待った。
「簡単に言うたら、うちらが新くんをいじめの標的にしたんやな。まだ小学生やったから、男女の体力差もそないあらへん。毎日毎日言葉に暴力に新くんが倒れるまで続けたんや。正直、うちらも気絶する新くんを見るのは忍びなかったんやけど、これで止めようなんて言ったら今度は自分が標的になってまうなんていうバカらしい恐怖心もあって、誰もなにも言えへん。みんながみんな、止め時がわからへんから新くんが気絶して初めてほっとして、制裁が終わるんや」
舞佳は自嘲気味に語る。過去の自分を愚かしいとしながらも切り離せない事実として捉えていた。
「うちやったら一日も耐えられへん。絶対にまた逃げ出してた。けれど、新くんは毎日何食わぬ顔で学校まできとった。だから、うちらも辞めるに辞められんかった。毎日、毎日新くんを呼びだしては気絶させるまでひどい仕打ちをしとった。次第に、新くんもうちらに呼び出されてから気絶するまでの時間がみじかなって、最終的にはうちらが触るだけで気を失っとたんちゃうかな」
つかさも思わず「それって」と、反応してしまう。
「そうや。新くんが女の子に触られると拒否反応示すんはうちらが原因。新くんが気絶することを当時のうちらはなんも不思議に思わんかったし、むしろ早く気絶してくれてよかったと思うたくらいや」
ただ女性に免疫がないだけにしては、尋常ではない反応であったが、そこにはあまり知りたくはない原因があった。舞佳は今でも自分の行いを後悔しているのだろうか、話す言葉はむりに抑揚をなくそうとしている。
「でも、そんなこと、ずっと続けれるわけあらへん。その問題の最後は唐突やった。たまたま新くんが気絶した瞬間を熱意ある先生に見られたんや。今までは見て見ぬふりされてきたのに、見られた人が悪かったんやな。うちらはめっちゃ怒られて、親も呼び出された。数日の自宅待機を言い渡されて、うちはまた学校に行きたくなくなった。けど、今度の件で悪いんは明らかにうちや。うちの親はうちの悪さを許すほど甘くないし、馬鹿やない。今度は無理にでも学校に行かせようとしたんや。うちは仕方がなく家から出ると、そこには新くんがいたんや。思わずドキッとした。なにを言われても仕方ない。けど、なにを言われんのかが、怖くてしかたなかった。ただ、新くんはうちに向かって「ごめん」とだけ言って去って行ったんや。うちはなんも言えんかった。ほんまはうちが言わなあかんことなんやけど、なんも言えんかった。うちは学校なんてさぼってまおうかと思っとったけど、新くんに謝らなあかん思うて嫌な気持ちも忘れて学校に行ったんや。学校に行ったら、うちらのメンバーで出席してたんはうちだけで、居心地は悪かった。ほんまは行った瞬間に新くんに謝らなあかんかってんけど、みんなの視線が怖くてタイミングが見つけられんかった。だってな、近くにおる人全員がこっちを見ながらこそこそ言うとる。うちの一挙手一投足を笑いながら見とるんや。そんな中、新くんに近づく勇気は当時のうちになかった」
つかさにはその情景がありありと想像できる。ひそひそと自分への悪意を無邪気に話されるのがどれだけ嫌か。正面切ってくれた方がどれだけ気持ち的に楽で対処しやすいか。
「けどな、そんな陰口ゆうとる奴らを新くんが「言いたいことはちゃんと本人の前で言えよ!」って殴っていったんや。男子、女子関係なくな。すごかった光景やけど、相手も黙ってるわけあらへんし、そうなるとみんなケンカや。「女子にやられてた奴がえらそうに」「お前生意気だ」。周りの注目を全部新くんが引き受けたおかげで、誰もうちのことなんてみいひん。うちらにはなにも言わずにただされるだけやった新くんやけど、男の子同士の喧嘩ではどれだけ殴られようが、相手が逃げるまで、最後まで立っとったんや。そこまでされたら、うちも謝まらなあかん。うちは傷だらけの新くんに泣きながら謝ったんや。ほんまは、泣くつもりはなかったんやけど、無理やった。そりゃもう、周りの誰もが引くくらいにうわんうわん言いながらずっと謝った。新くんはうちが泣きやむまで言葉を待ってくれた。そこからやな。うちが変に自分を押し殺すことがなくなったんは」
舞佳はほっと一息吐いて、「うん、これでうちの身の上話はお終いや」と、笑った。
つかさは気になるところがあったのか、「あの、一つ聞いてもいいですか?」と、手を上げると、舞佳は「なに?」と応じてくれた。
「新さんはなんと言ってくれたのですか?」
自分にとっては慣れた話し言葉で聞いた。
「それはさすがに秘密や。ここまででもうちの秘密出血大サービスやけど、うちと新くんの絆だけは言われへん。けどな、言いたいこといっとたら余計な敵も増えるけど、その積み重ねで信頼できる人も増えるんよ。失敗して、失敗して、うちは大切な人と出会うことができた」
舞佳はベッドで眠る新のことを慕情こもる視線で見つめなる。
「つかさちゃんも新くんに相談してみ。ちゃんと真摯に話を聞いてくれるえ。凛ちゃんには怒られるかもしれんけど、うち、つかさちゃんに少しだけ時間あげるわ」
舞佳の露骨すぎる意図をくみ取るよりも先につかさには気になる単語があった。
「あの、どうして私のことを名前で呼んでくれたんですか?」
自分のことを気軽に下の名前で呼ばれたのは本当に久しぶりだった。そして、彼女も自分の素性は知っているはずだ。だからこそ、つかさは自分の名前を呼ばれることに意味を求める。
「どしたん? 仲良くなった相手のことは下の名前で呼び合うもんやろ?」
「仲良し?」
思わず、顔をしかめて嫌な声を出してしまう。仲良しと口にされるのははっきりいって嫌いだ。過去に何人からも打算的に名前を呼ばれ、口にされたが、全員下心ばかりで、本当に仲良くなれた人なんていなかった。
「そうやな。わざわざそんなこと口にせんでもええけど、初めの内は口にせなわからへんやろ?」
「そうですね。でも、口だけならどうとでも言えます」
舞佳に対して、つかさが初めて意見した。
その言い方。その瞳に舞佳は確信する。
彼女も昔の自分と同じで人に好かれるために人から距離を置いている口だ。
「本心でぶつかるには、まず口にせなあかん。そら、上手くいかんこともあるし、嫌な気分になることもある。けど、自分の想いをぶつけな、見えてこんこともあるんは、たしかや」
「………」
つかさもそれはわかっている。わかっているけれども、できないことはできない。
「もちろん、なんでもかんでも本音で話すんがいいとは、うちも思ってない。つかさちゃんなんて、場を気にせなあかん時は多いはずやから、それにあった態度も取れるにこしたことはない。人や場面によっては態度使い分けるなんてうちやなくても、誰でもやってしてることやん」
「でも、どんな時に自分を出していいかなんて、わからないです」
常に振舞いを求められる三宮つかさにとっては、砕けた態度を取れる時間なんて今までなかった。と、自分は思う。なにより、素の自分なんてものを新と出会うまでは考えることもなかった。
「だから、うちや新くんの前では自分の話しやすい姿で話してみ。うちはもう友だちや。正直、どうでもいい奴にこんな話するわけないやん」
「そういうものなの、ですか?」
「そういうもんや。だから、もうちっと自分のこと話してみ」
舞佳は新を通じて自分を知ってもらいたかった。それがつかさにとっていいのかどうかはわからない。けれど、選択肢は見つけて欲しかった。新に相談した上で今の自分が良いと思うならそれでも構わないと思った。
「あとは、そうやな。知ってるとは思うんやけど、うちも新くんのことは大好きやねん。凛ちゃんほどやないけど、うちもつかさちゃんのことをまったく怒ってないわけちゃうし、許婚の話は認めてへんからね。もし、もしの話やけど、新くんが寝てるうちに変なことしたら」
しかし、それが新にアプローチする免罪符にはならない。舞佳は瞳の奥だけをほのかに黒くした笑顔でつかさに話しかける。
「………」
「………」
「……突き刺すえ?」
たっぷりと間を取って、警告をした。
「わ、わかりました」
つかさも笑顔で応対するが、どこか笑みは引きつっている。これは冗談じゃない。どこに、なにをなのかもわからないが、約束を破ればどこか大事な場所になにか鋭いもので突き刺されると思った。
「それならええんや」
舞佳は人当たりのよい頬笑みを浮かべ、保健室から出ていった。
「あの子の緊張感はお父様と違った意味で半端ないな」
つかさはほっと一息吐いて、砕けた口調に戻る。それでも、彼女のおかげで落ち込んでいた気持ちも収まってきたので小さな声で「ありがとう」と感謝した。
「相談か。そういえば、今まで誰にもしたことなかったな」
つかさは自嘲する。体裁を考えて、今まで誰にも弱音をこぼすことができなかった。しかし、そんな強い女の子がいるはずもなく、なにより、自分はどうしようもないくらい弱かった。そうしてできたのが、強気な口調で話す自分だった。自分の悩みを自分に話し、自分で解決する。自問自答を繰り返すことが、彼女を彼女たらしめるスタイルだった。
「けどなぁ、相談しようにも新は寝てるし」
舞佳がどのくらいの時間を自分にくれたのかはわからないが、今を逃すともうチャンスがないような気がした。
けれど、自分のせいで気絶してしまった彼をむりやり起こす気にもなれない。
「カッコいいところもあるんだな」
舞佳の話を聞いて、自分の許婚は他人に誇れる人だと思った。つかさは一人の人生を救った男の寝顔を盗み見ようとベッドに腰掛けると、寝ているはずの新が明らかに自分の意志で距離をとった。
「……おい」
不審に思い、声をかけるも反応こそないが、どこか震えているように見える。
「起きてるんだろ?」
「……にゃ、にゃぁ」
「僕を馬鹿にしてるのか?」
あまりにもあまりなごまかし方に、つかさの語気も強くなる。新はこのままやりすごすことはできないと観念して、身体を起こした。
「いつから起きてたんだ」
「……ちょっと前から、かな」
「女の子の話を盗み聞きするなんて最低だぞ!」
「仕方ないだろ。あんなタイミングで起きれるか」
「どこから聞いてたんだ?」
「凛が怒って、叫んだあたりかな」
新はバツが悪そうに答えた。正直な話、舞佳の件に入る前には声をかけていなければいけなかったと思う。
「ほとんど最初の方じゃないか。……まぁ、それなら話は早いか」
つかさは一人納得してから、自分の頭の中を整理するが、どうにも考えがまとまらない。
「どうしたんだよ」
新は急に黙り込んでしまった少女を心配して声をかけた。しかし、少女は声をかけられたことに焦り、見切り発車のまま、自分のことを話しはじめる。
「あ、あのさ。新はさっきの話を聞いてたんだろ? だから、僕のことを知ってもらおうと思うんだ。新は僕のことをどこまで知っている? 名前が三宮つかさってことは知ってるよね。誕生日が七月七日の七夕ってことは言ってなかったかな。趣味は三歳から習っているピアノと習字。で、好きな食べ物はモンブラン。え~と、それから。そうだ! 新からなにか聞きたいことはないか? 僕もその方が答えやすい」
今までにないくらいの早口だった。教科書の暗記を忘れないよう口にしているようで、その表情はとても切羽詰まっていた。
自分のことを自分も知らないのが見えたが、その一生懸命さに新は思わず声を出して笑ってしまった。
「な、なにが、おかしいんだよ」
心外だとでも言いたげなまじめ顔のつかさがさらにおかしくなり笑いは止まらない。
「はははははっ。お互いを知るってそういうんじゃないだろ」
「なら、どうすればいいんだよ」
ステータスの情報を知ることがお互いを知ると同義なつかさにとって、その他の方法は知らない。
「そんなのわかんねーよ。誰だって、人によって、その方法を模索してんだ」
新の言葉につかさは首を傾げる。
「新はその右手でわかるだろ。けど、僕にはそんな能力はない。みんなはどうやって他人と仲良くしているんだよ」
新は指摘された右手を見つめながら頭を振った。
「……これもそんな完ぺきじゃないよ」
そんなにうまくいくのであれば、自分も、なにより相手が傷つかずに済ます方法だってあったはずだ。過去の自分はそれがわかっていなかった。
「だって、新は人の考えていることが読めるんだろ。それは相手のことがなんでもわかるってことじゃないのか?」
「そうだな。俺は他の人とは違う。望むにしろ、望まないにしろ、俺は人の心を読むことはできる。今、お前の考えていることを知りたいと思えば強引に知ることはできるけど、それで必ずしも仲良くなれるとは限らない。お前も伊川谷さんから聞いただろ? 俺はこの力のせいで彼女を傷つけてしまった」
舞佳は新のおかげで自分らしい生き方を見つけられたと言っていた。けれど、新自身そんな考えはない。自分のせいで、彼女がバカな騒ぎに巻き込まれてしまったという自責の念があった。
「あれは俺の未熟さが招いた結果だ。最終的には丸く収まったけど、あんなのはたまたまもいいとこだよ。伊川谷さんが友だちのことを悪く思っていたのはその時にふと思ったことだったかもしれない、心の奥底から思っていたこととは違うかもしれない。それを、俺は不用意に口にしてしまった」
「なら、僕はどうすればいいんだよ? 教えてよ」
「そういうのは自分で考えるんだよ。自分がどうしたいか、まずはそれからだ」
つかさは新の言葉をじっと聞いていた。
「一つ、聞いていいか?」
「俺が答えられることならな」
「新は、舞佳さんの心を覗いたことに後悔しているのか?」
つかさの問いに、今度は新が押し黙る番になった。あの時のことは今では誰も触れてこない。触れられたとしても笑ってごまかす。本音を言えば、答えたくないのだが。
「新?」
「そうだな。伊川谷さんのことは後悔したさ。けど、その後悔は俺の中で今の糧にしているから、必要な後悔だったんだと思うよ」
「後悔することが正解だって言うの?」
「後悔するなんて大小あれど誰にでもあることさ。それを後悔したままにするか、忘れるか、糧にするか。俺はそこから学ぶ方法をとった。今でも思うところがないわけじゃないけど、あれのおかげで今の自分がある。まぁ、成長できるからといって、もう一度経験しろなんて絶対いやだけどな」
新は彼女のためにもう過ちをしないと決めた。けれど、自分が傷つくことで誰かを助けてもそれを許してくれない人がいることも知った。
「でも、僕は新の気持ちを知る術を知らない」
「そんなの俺だってそうだ。恥ずかしながら、伊川谷さんの気持ちだって、さっき知ったところだし」
あんなことがあったので、嫌われていると思っていた新にとってはなによりも驚く事実だった。
「……そうか、伊川谷さんは俺のこと」
「なに、にやついてるんだよ」
「いや、そんなことはないぞ」
新は口元を結ぶが、意識しなければ頬は緩みそうだった。
「ふん。そんな間抜けな顔をされては説得力なんてないぞ」
学園一の美少女が自分を好いてくれている。このことを喜ばない男はいないだろう。
「新は僕の婚約者なんだ。たしかに、伊川谷舞佳は同じ女性の僕から見てもキレイだと思う。けど、婚約者のいる前で他の女性のことを考えるのは失礼じゃないのか?」
拗ねるような言い方をしたが、新に反応はなく、無言のままこちらを見ていた。
「なんだよ。なにか、言いたいことがあるのか?」
「まずは、その許嫁ってことを考えてみろよ」
「なんでだよ。新は僕のことが嫌いなのか?」
「そういうことじゃない。ほんとに自分で、それがいいのか考えてみろってことだよ」
「なんだか、その言い方だと、僕がいやいやお父様の言いつけに従っているみたいじゃないか」
「違うのか?」
「そんなわけないだろう?」
つかさはふっと笑いながら新の言葉を一蹴する。
「僕は僕の意思でここに来たし、新との婚約に納得もしている」
心の中とは違う想いが口を吐く。なるほど、たしかに新の能力も完璧でない。いや、むしろ、使い勝手が限定されすぎていないかと思ってしまう。
けれど、それで納得してくれる相手ではなかった。
「俺はそんな風には見えないぞ」
「どうしてだ?」
「そりゃ、顔に書いてあるからな」
「そんなバカなこと」
「つかさはわかりやすいんだよ」
名前を呼ばれて、つかさははっとなり、言葉が続かない。
「どうして、僕の名前を?」
ようやく出てきたのは、自分にとってはとても大事な、けれど、この流れでは的外れな疑問。
「なんだよ。名前で呼んだらまずかったか?」
「いや、そんなことはないけどさ」
ちょっと気になる男子から名前を呼ばれたくらいでドキドキしてしまう。どれだけ僕は純情すぎるんだと、つかさは自分の経験値のなさを嘆く。
「だからさ、つかさももうちょっと考えてみろよ。自分がどうしたいのか、自分はどうなりたいのかをさ」
「だからって、お父様の言いつけを破るなんて」
自分の前で見せてくれるつかさと、親の前で見せるつかさ。この二つの顔はどちらも表でどちらも裏なんだろう。
「つかさが自分を見つけられるまでは、俺も付き合うからさ」
「なんでそんなこと手伝うのさ。新は僕のことが嫌いなんだろ?」
客観的に見て、容姿も家柄も優れている自分の求婚を断るなんて、嫌われている以外の理由が思いつかない。
「どうしてだ? そりゃ、まだ知って数日だけど、嫌な奴にならもっと邪険に扱うし、なにより、つかさがいい奴だからお節介を焼いてるんだろうよ」
「……そうか」
ほんとなら、この場面で、なら結婚しようとか言うべきなのかもしれないが、言えなかった。変わりに、自分を見てくれている嬉しさからか涙が頬を伝ってしまう。
「お、おい。どうしたんだよ」
「なんでもない、気にしないでくれ」
「いや、そんなこと言われても」
女の子が泣いていていい気はしない。新はどうしたらいいのかただオロオロとするばかり。
「ダメなんだ。止めたいけど、……ダメなんだ」
新を心配させないように、つかさはそでで目頭を拭っても、嬉し涙はとめどなくあふれてくる。
「こっちを見ないでくれ、恥ずかしいじゃないか」
「どうしたらいい?」
つかさは新から顔を背けるが、泣きじゃくる少女をただ見ているのは性に合わない。つかさも、それだったらと、新の厚意に甘えることにした。
「……ぎゅってして」
「え?」
「新が女性を苦手なのは知ったよ。けど、新もそれでいいとは思ってないだろ?」
「ま、まぁな」
「一緒に克服しようよ。僕だって、新と仲良くなる練習はしたい。……それに僕もぎゅってしてくれたら嬉しい」
新はそれでつかさが泣きやむのなら仕方がないと自分に言い聞かせる。
「わ、わかった」
新も自分の体質がこのままではよくないと感じているため、つかさの提案を実行しようとする。けれど、どこか緊張するのか、大きく一呼吸入れた。
「い、いくよ」
「……うん」
新は決心して、両の手でつかさを抱きしめようとする。つかさもそれを受け入れようとするが、闖入者によって二人の距離が縮まることはなかった。
「それはダメーーー!」
一人目は凛。大声で二人の間に割って入ってくる。
「うち、いうたえ? 変なことしたらあかんって」
二人目は舞佳。笑みを浮かべながら、冷たい目で新を見つめてくる。
「いや、あのね。これはそういうことじゃなくて、自然の流れというか」
「その方が悪いです! いくら兄さんが優しくてもそんなに優しくしちゃダメです!」
凜は新の前でプンプン怒る。新も「まぁまぁ」となだめるが、意識は後ろにいるアイドルに向けられた。
「うち、言うたえ? 浮気はあかんよって。それになんなん、うちの気持ちに今さら気づいたん?」
焦点の合っていない瞳のまま、舞佳はなおも新を責める。
「うちが今まで、誰の告白も受けんかったんも、休み時間にいちいち新くんのいるクラスに来てたんも全部新くんへの好意からやったんやで。なのに、嫌われてると思っとったとか、どれだけ鈍感やの。まぁ、それはええわ。うちも好きやって言ったことなかったわけやし。でも、うちの気持ちがわかったってことは、今から、それに応えてくれるわけやんな」
「ちょ、ちょっと舞佳さん」
舞佳は凜の制止を振り切って、新の前に立ち、真っ直ぐに瞳を見つめる。
「いや、俺は」
「…………わかっとるって」
新の言葉が終わる前に、舞佳は言葉を遮った。
「うちやって、この場面で自分を選んでもらえると思うほど、己惚れてないんよ。答えはまた今度。でも、つかさちゃんのことも名前で呼んだんやから、もちろん、うちのことも名前で呼んでくれるやんな」
「わかったよ、ま、舞佳」
「な、なんや。えらい、こそばゆい感じやな」
二人の間になにやら甘い雰囲気が漂う。
「ちょ、ちょっと。僕のことをほっとかないでよ」
いつのまにか涙も止まったつかさが、今度は二人の邪魔をした。
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