1章 許嫁ができました 3

 ゆかりのおかげで新への視線も多少削がれた。

 十分しかない休み時間は全員がつかさの方へ質問に向かったので、新はコソコソと安穏と過ごせた。

 けれど、それも束の間の休息。

「新、今日はお弁当を作ってきたんだ。一緒に食べないか?」

 昼休みになると、クラスメートの誘いを断って、今がチャンスだとつかさが話しかけてくる。

 その手には可愛らしい柄の巾着袋が二つ。自分のために用意してくれたのだろうか。

「いや、俺は一人で食べる」

 新はつかさの好意をすぐに拒否した。

「なんでだよ。女の子からのお弁当なんて、男子学生が憧れるシチュエーションの一つだろ。土下座してでも喜ぶべきだ」

 思わぬ反応につかさも文句が口を吐く。

「お前の好意には裏がありそうだから受取らない」

「そんなことないぞ。これを受け取ったからといって、なにかなるわけでもない。もっとありがたく、素直に僕の愛を受け取って欲しいな」

「気をつけよう。おれおれ詐欺と無償の愛」

「僕の愛は社会問題レベルなのか?」

「それよりも学校では俺のことを放っておいてくれないか?」

 新は懇願するように言った。普段から校内では問題ごとに巻き込まれやすいのだから、これ以上の火種は勘弁して欲しかった。

「なんでだ? 僕から話しかけられるなんて、むしろ羨ましがられるレベルだぞ。今だって、僕に話しかけたくても話しかけられない男子は大勢いる。そんな僕から声をかけてもらえる幸せをもっと噛みしめた方がいい」

「……そうか。もう、いいよ」

 新は諦めの口調だった。つかさの言うように、周囲、特に男子からの視線は感じる。そこには嫉妬やら殺意やら怨念めいたものが含まれており、決していいものではない。

「そんな暗い顔をするな。ほら、僕のお弁当でも食べて元気を出してくれ」

「いや、いらないっていってるだろ」

 会話能力がないのか、ただ押しが強いだけか。

「ハハハ、いいじゃないか。三宮さんの手料理だろ。ありがたく食べさせてもらえよ」

 二人の空間に一人の男が乱入してくる。ずっと、機会を探っていたのだろうか、男は普段よりも緊張した面持ちで話しかけてきた。

「ほらほら、三宮さんも席に座りなよ。新はここから動かさないようにするからさ」

 二人の空間を邪魔されたことに、一瞬、ムッとした表情を見せるつかさであったが、相手が自分の行動を後押ししてくれているとわかると、その流れに便乗する。

「決定だね。今から食べようか」

 つかさは新の前の席に座り、新の机の上に自分が持ってきたお昼ごはんを広げた。

「どうだい? おいしそうだろ?」

 机の上には、食欲そそるサンドイッチが並んでいる。席から離れようにも、悪友が自分の肩を強く押さえつけているため動けない。

 新は観念して、一つのサンドイッチを手に取った。

「これは、本当にお前が作ったのか? お抱えのシェフとかじゃなく」

 思わずそんな言葉が出てしまうほど、手にした料理の見た目はよかった。

「普段の食事はそうだけど、今回ばかりは僕が作ったよ。だって、新に喜んで食べてもらう料理を自分で作れないなんて情けないじゃないか。準備は昨日の内に整えて、今日の朝から眠い目をこすって、新のために作ったんだよ」

 つかさは嬉しい間違いに胸を反った。

「意外だな」

「なにがだ?」

「お前、料理ができるキャラって感じじゃないだろ」

「ひどいな~。僕をただの箱入りお嬢様と思ったら酷い目を見るぞ。小さい頃から花嫁修業の英才教育を受けているからな。なにもできない、女子高生の肩書だけでチヤホヤされるような有象無象と一緒にしないでくれ」

 新の自分を見る目に若干の不満を覚えながらも、これは自分の評価が上がったなと満足感もあった。

「ハハハッ、新は幸せ者だなぁ」

 二人のやり取りを横で見ていた男は力一杯、新の肩をバシッバシッと叩く。

「や、止めろ。俺が野球部の大エースなら損害賠償ものだぞ」

 思わずむせてしまうようなほどの力に新は文句を言った。

「大丈夫だ。お前は野球部員でもなければ、正義の味方でもない、ただの人だ。ただの人に、分不相応な幸福を見せられたら、妬まずにはいられないだろ」

 けれど、相手は取り合わない。むしろ、このくらいの行動で留めている自制心を感謝して欲しいくらいだった。

「だめだよ、大倉山君。そんなことをしたら新が僕の料理を食べれないよ」

 クラスメートは名前を呼ばれてつかさから注意されると、「あぁ、ごめん」と新から距離を取る。男は天井を見上げ、どこか呆けた表情で「俺、名前覚えてもらってた」と呟いた。

「さ、新。僕の愛情たっぷりサンドイッチを食べてくれ。見た目と違わずおいしいのはたしかだけれど、僕は早く新の口から感想を聞きたいな」

「わかったよ」

 新は手に持つサンドイッチを口に運ぶ。つかさは新の口元を凝視し、次の言葉を待った。

「うまいな」

 見た目通り、その味に間違いはなかった。新は続けざまに二口目、三口目と進めた。

「そうだろ。エヘヘッ、嬉しいな」

 新に褒められてつかさはいつもの意地の悪い笑みではなく、照れた笑いがこぼれた。その横顔に新も見とれてしまうが、それは秘密だ。

「お前は食べないのか?」

「僕はいらないよ」

 新が勢いよくサンドイッチを口に運んでも、つかさは自分の料理を口にしようともしない。その仕草はどこか不審に感じられ、新も手を止める。

「だ、大丈夫。今回の料理にはなにもいれてないよ」

「今の言葉でより心配になったよ」

「大丈夫さ。だから」

 つかさはサンドイッチを一切れ掴み、新の口元に差し伸べた。

「はい、あ~んして」

 二人のやり取りを遠巻きに見ていたクラスメートも「おおおおおーっ!」と、どよめきの声を上げる。

「や、やめろよ」

「いいじゃないか。僕の憧れでもあり、恋人同士なら普通の行動なんだぞ」

 バカップルの代名詞ともいえる、「はい、あ~んして」をつかさが積極的な行動で実行しようとするが、それが実現されることはなかった。

「なんのようだよ」

 つかさは手持無沙汰になった右手をわきわきさせながら、新のためだけに作った料理を食べた人物を睨みつける。

「ふん、毒は入ってないみたいね」

 凛は眉を強張らせながら二人の間に割って入った。

 昼休みに職員室に向かうよう言伝を受けていたために仕方がなく教室を空けていたが、自分である必要性がないどうでもいい雑用だった。教師はどこか自分を引き留めているようにも見えたため、有無を言わせず要件を済ませ、急いで教室に戻ってきた。戻ってきた瞬間に我慢の限界を超える光景が目に飛び込んできた。

「そんなことしてたら、馬に蹴られて死ぬよ。っていうか、僕が殺すよ?」

 つかさは思ったよりも早い帰還に不機嫌を隠そうとしない。

「馬もあんたも返り討ちにするわよ」

 凛も自分のいない隙を狙うしたたかな少女に嫌悪感を隠そうとしない。

「……ブラコンなんて流行らないよ」

「ストーカー女よりマシよ」

 つかさは、相手を無視することにして、鼻を鳴らしながらなにくわぬ顔でもう一度、「はい、あ~ん」と新にやり直しを要求した。

「いや、自分で食べるから」

 二度目はさすがの新も気恥ずかしいのか、つかさの要求をやんわりと拒否する。

「ひどいな」

 つかさは食べられなかったサンドイッチをひらひらさせながら自分の口に運ぶ。おいしいことはおいしい。ただ、愛情の言葉を呪詛のように詰め込んだ料理を自分が食べるのには少し気が引ける。

「どうして嫌なんだよ」

 これほどの美少女がこんなにおいしい料理を食べさせてあげるなんてことを拒否するなんて、新はどこかおかしいんじゃないかと思ってしまう。

「恥ずかしいだろ」

「僕たちは夫婦なんだ。このくらいの愛情表現なんて普通じゃないか」

「そんなバカをやってるカップルを俺はしらない、見たことない」

「よそはよそ、うちはうちだ。それに、男の子ならこんなシチュを喜ばないやつはいないだろ?」

「……それはそうだが」

 否定はしない。新も多感な男子高校生なのだから、屋上で彼女と二人、お弁当を食べながらイチャイチャしたいという願望はある。しかし、クラスメートの視線が集中している今、これは罰ゲームに近い。

「なら、いいじゃないか」

 つかさは新の反応を了としたのか、ここぞとばかりにサンドイッチを新の口元へ近づける。

 しかし、つかさの願望はまたしても新には届かない。

「だから、なにするのさ!」

 無視しようとしていても、視界にむりやり入られては意識するなという方が無理だった。

「兄さんもデレデレしないで下さい」

 けれども、相手はこちらに目もくれず新に詰め寄る。「いや、デレデレなんてしてないよ」と、弁明する新に凛はぷくりと頬を膨らませ文句を言った。

「最近は私とお昼を食べることも少なくなっているのに、なんでこの子とは一緒なんですか」

「学校でまで兄妹一緒の必要はないだろ」

 本当は一緒にいてもいいのだが、妹と一緒がただ恥ずかしいからという人の目を気にした情けない本音は伏せた。

「そうだよ。やっぱり、兄妹よりも恋人と一緒にいる方が新も幸せなんだ」

「寝言は寝てからいって下さい。そして、あんたは永遠に寝てなさい。それより、兄さん。兄妹はずっと一緒にいるものなんですよ」

 二人の美少女に挟まれて、自分と一緒にいて欲しいなんて言われる誰もが羨む状況でも、新は「誰か助けてくれ」と罰当たりな願いをする。

 そんな新に誰かが助けてあげようと手を差し出してくれた。

「新くんは両手に花でええなぁ」

 けれど、その優しい声に新はビクリと身体を震わしてしまう。

 三人の様子を見ていたクラスメートは新しい乱入者に視線を移す。そこにはどこかおっとりとしたはんなり少女が立っていた。

「舞佳様だ、舞佳様の降臨だ」

「あぁ、今日も麗しい」

「ありがたや、ありがたや」

 クラスメート、主に男子は突然現れた少女を見るだけで恍惚の表情を浮かべる。

 今どき、学園のアイドルなんて使い古された称号を得てしまう見目麗しき美女を具現化した女の子。

 しかし、少女は有象無象の視線には興味を示さず、一人の男の子だけを見つめた。

「そんな、アツアツのところに近寄ったら、うち、火傷してしまいそうやわ」と、言いながら、一歩一歩近づいてくる。

 舞佳のおっとりとした話し方は周囲の空気を和らげそうであるが、現実はそうでない。むしろ、新はそのハイプレッシャーにより、手のひらにはジトジトと汗がにじむ。

「……い、伊川谷さん、こんにちは」

 新からの挨拶に伊川谷舞佳は口を尖らせ「あかんよ~。うちのことはちゃんと下の名前で舞佳って呼んでくれな」と文句を言う。

「うちのことを名字で呼ぶのは新くんだけやよ。……そのために、気さくな人気者を演じて周り全員から下の名前で呼ばれとんのに、一番名前を呼んで欲しい人に呼ばれないなんて、あほみたいやん」

 裏の言葉は誰にも聞こえないようにして舞佳は拗ねる。

「でも、うちとデートしてくれるんなら、そんな些細なことも許すえ?」

 舞佳は新の後ろにいる二人を放って、新の視線を自分に向けた。彼女の問いに、新は「それは、その……」と言葉を濁すことしかできない。

 その後ろで「あの子、誰なんだ?」と、つかさは急に現れた自分と勝るとも劣らない容姿を持つ少女について、凛に聞いた。

「なんでそんなこと聞くのよ」

「お前にならわかるだろ。許嫁の僕があいつを誰か聞きたくなる理由が」

「それは、わかるけど」

 凛はあまりつかさと話したくはなかったが、あの少女を知らないまま接してはさすがに危ないと思ってか、自分たちと同じ気持ちの少女を簡単に紹介した。

「彼女は伊川谷舞佳さん。見てわかるように、誰からも好かれる容姿と気さくな性格で全校生徒のアイドル的存在です。あとは、その、見てたらわかるように兄さんに好意を持ってる」

「なんであんな子まで新のことを……」

 つかさは首を傾げた。彼女が人気者というのは、見た目でわかる。そんなことを聞きたかったわけではない。そんな人気のある女性がどうして新を好きでいるのかが知りたかった。

「……兄さんは優しいから。誰にでも、びっくりするくらいに優しいから」

 凛はぼそりと誰に聞かせるでもなく呟いた。そして、「あんたも兄さんと一緒にいれば、その良さがわかるわ」と言った。

「ただ、舞佳さんはちょっと口が悪いのと、過激な愛情表現があるかな? だから、いろいろと気をつけた方がいいかな」

 新を好き同士ということで、凛と舞佳の接触は比較的多い。そのため、彼女の行動を思い返すと、思わずため息が漏れた。

「凛ちゃん、気になってってんけど、そのちっこい子は誰なん? 小学生がこんなとこうろうろしてたらあかんえ?」

 舞佳は新との話を打ち切り、ひそひそ会話をしていた二人に近づいた。舞佳もいつもと違う人物が新の近くにいることは気になっていたようだ。

「し、失礼だな! 僕はれっきとした高校生で、今日からこのクラスに転入してきた美少女だ」

「なんや、同い年やったんか。それは、謝らなあかんなぁ。けどな、それと、新くんの近くにいるのは話が別やよ?」

「どうしてだ? 僕は新の婚約者なんだ。結ばれる二人が一緒にいるのなんて、当たり前のことじゃないか」

 つかさの言葉を聞いて、舞佳は一瞬、大きく目を見開いたが、すぐに表情を崩して大きく笑った。

「あはははは、ははは。この子、おもろいこというな~。あはははは。うち、こんなに笑ったのはじめてや。あはははは、けど、新くん。この子のいっとうことはほんまなん?」

 舞佳は目元を拭いながら、新に視線を戻す。拭い終わった眼元からは笑みもなく、無機質な最後の声色に新はなにも言えなくなる。

「本当に決まってるだろ!」

 新の代わりにつかさが前に出て答えるが、「あんたには聞いてない」と、舞佳は手に持ったボールペンをつかさの眼前に突き出した。これには、さすがにつかさも声が出ない。

 相手が沈黙したのを確認し、舞佳は新ににっこりほほ笑むと、ようやく新は「親同士が勝手に決めた話だ」と呟いた。

「なんや、そうなんか~」

 それを聞いて、舞佳はほっと安心し、言葉を続ける。

「うち、それ聞けてよかったわぁ。けど、あれやんな。そこに新くんの気持ちはまったく入ってないやんな? 親が勝手に決めて、鬱陶しいなぁと、思ってるだけやんな? それで、そこのちっこい子がうろちょろと新くんの周りにいるだけやんな? なら、うちは安心したわ。けど、あれや。あんまり、うち以外の女の子と仲良くする姿はあんまり見とうないな。そんなの見てたら、うち、ちょっとおかしくなってしまいそうやわ~」

 舞佳は髪の毛を人差し指でくりくりいじりながら、一人で納得し、ポケットから果物ナイフとリンゴを取り出し、なおも独白を続ける。

「うちと新くんは、誰かの陰謀のせいでクラスが違うからなぁ。あ、来年は一緒やよ。そうじゃないなら、うち、あいつらのことどうしてしまうかわからんからなぁ。けど、実際問題、今年は違うからうちがずっと新くんのこと見てられへんのよな~。ほんまは授業なんて関係なく、ずっと新くんの横にいたいんやけど、さすがにそれはやりすぎやもんなぁ。けど、うちの視界の中に新くんを入れておきたいのはほんまやよ。新くんの視界の中にもうちだけで独占して、他の女はそこに入れたくないんよなぁ」

 舞佳は話をしながら、果物ナイフでリンゴの皮をむく。綺麗な一連なりの皮はやがて地面へと到達し、床を真っ赤に染めていく。

「新くんをうちの目の中で飼えたらええんやけど、それは叶わん夢やしなぁ。そや、いつも新くんを横に感じたいから、新くんの一部をうちが肌身離さず持ってたらいいやん。うん、えぇアイデアやなぁ。でも、どこがええやろ、心臓? そんなんしたら、新くん死んでまうから二つある部位がええかな。んっ、どしたん? ぶるぶる震えてるけど、今日、寒いん?」

 舞佳は刃先を新に向けながら、おっとりとした口調で首を横に捻る。

「おい。あんなのが学園のアイドルなのか? いくら綺麗でも、性格がもう、その、アレじゃないか?」

 つかさは舞佳の本性を見ながら、相手に聞こえないよう凛に耳打ちをする。

「そうね、性格はそうね。けど、ファンからしたら、それがいいみたいよ。舞佳さんほどナイフが似合う女性はいないっていうのがこの学校での評判だし。舞佳さんの蔑んだ笑みが一番の売れ筋だって、写真部の部長が言ってたわ」

「この学校の生徒は変態ばかりか!」

「生徒だけじゃないわ」

「先生もか。嘆かわしい時代だな」

「PTAもよ」

「あいつ魅力的すぎだろ。っていうか、この町の住民は大丈夫なのか?」

 おかしな場所に来てしまったと、つかさは頭を抱えた。

「あんまり騒がん方がええよ?」

 あまりのことに、声が大きくなってしまっていたのか、舞佳の視線が二人に向く。手には今もナイフが握られ、リンゴの皮はすでに完全にむかれているが、舞佳の行動は終わらない。いつまでも切れないリンゴはどこか恐ろしいものに見えた。

 二人はただ相手の機嫌を損ねないように、コクコクと頷いた。

 いつまでも続くかに見えた舞佳のターンはチャイムという存在によって、強制終了させられた。

「なんや、もうこんな時間なんか~。こんなことなら、食堂やなくて、ここでご飯食べたらよかったかな~。けど、おかげでいろいろ知れたから別にええかな。ほな、残念やけど、うち、教室に戻らんとあかんわ」

 舞佳はとても残念そうに、果物ナイフをポケットにしまい、新から離れていく。

「そうや、新くん。今度はうちのお弁当も食べてな~」

 教室を出る際に、舞佳は大きく手を振って、新のすべてを自分の脳裏に焼き付けた。

「は~、伊川谷さんは今日も美しい」

「あの笑顔で罵倒されたなら、どれだけ気持ちいいだろうか」

「なんであいつばっかりいい思いをするんだよ」

 クラスメートはなおも舞佳の余韻に浸りながら、新を妬む。

「このクラスの男どもはおかしいのか?」

 つかさは惚けた表情のクラスメートを蔑んだ目で見ていた。それが、彼らを刺激し、自分の評価を勝手に上げているとは露とも知らなかった。

「しょうがないよ、舞佳さんは綺麗だから」

 同姓であれ、圧倒的に飛び抜けた容姿であれば憧れるしかない。舞佳は新とその周囲にしか敵意を向けないので、普段の舞佳の評価は悪くない。

「たしかに僕とためを張れる美少女だな」

 つかさは負け惜しみにしか聞こえない強がりを見せる。

「あんたも素材はいいけど、その胸でよく言うわよね。自分でもわかってるんでしょ? 強がりがミエミエよ」

 突っ込みどころのあるつかさは舞佳のような羨望を凛から受けることはなかった。

「う、うるさいな。君こそ、この身体つきで僕に文句をいうのか?」

 つかさも言われてばかりではない。制服で隠れているがつかさは凛の弱点と思われる二の腕をつまんだ。女の子特有のプニプニを感じる。

「な、なにするのよ!」

 凛はすぐにつかさの手を振り払い、真っ赤な顔で文句を言う。

「お前はもうちょっと痩せた方がいい」

「私は痩せてるわよ。大きなお世話よ!」

 静かになったかと思えば、すぐさま喧嘩する二人。けれど、周囲からは二人のやり取りがじゃれあいに見え、美少女同士の戯れとして、頬笑みながら見ていた。

「それにしても、伊川谷さんはクラスも違うのに、なんで俺に絡んでくるかな?」

 二人の喧嘩は気にせず、新は舞佳が去ってからぼそりと呟く。あまりのとんちんかんな言葉につかさはため息を吐くが、新はわかっていない。

「まだ俺を嫌いなのかな?」

「お前、なにを言ってるんだい?」

「なにって、自分の見解だな」

「あんなにわかりやすいのにか?」

「なんだ? 伊川谷さんが俺を嫌う理由でも知ってるのか?」

 新の言葉につかさは呆れ、「それなら、相手の心でも知ればいいだろ」と、新にだけ聞こえる声で呟く。

「……そんな無暗に自分の能力は使わないよ」

 新は低い声で、明らかな苛立ちを見せる。初めてみる新の怒気につかさも「あ、その」と落ち着かない。

「もっとも、女性にしろ、男にしろ胸を触るなんて変態の行動だろ」

 しかし、新はなにごともなかったかのように軽い口調に戻った。

「そ、そうだな。うん、そうだ」

 つかさもあまり深くは聞かない。この話はここで終わらせるのがいいと、思った。

「兄さんは優しいです。優しすぎます」

 二人の様子を静観していた凛は急にぼそりと呟いた。聞こえないふりをしてもいいぐらい、空気に溶け込んだその呟きに、新は凛の方を向かずに返事だけする。

「……そんなことないよ」

「舞佳さんのことだって」

「その話はするな」

 怒鳴る、とまではいかないが、怒気は孕んだ言い方だった。凛も新のいうことであれば、大人しく聞く。

「授業を始めるぞー。早く自分の席につけー」

 教師の号令につかさも大人しく席に戻るしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る