第9話 人間と半獣

 僕は何となく分かっていた。

火龍討伐前日、黒狼が店に来て発情抑制剤を買い求めた時、そして彼のフェロモンを嗅いで抑制剤を選んだあの時、僕はそれが確定事項であるかの様に納得してしまった。彼が僕の運命さだめなのだと。


 でも僕は半獣で、エルフ族の血が強いからか、獣人程本能に左右されなかった。心は既にイファを番だと決めているし、僕にだって男としてのプライドがある。

【自分の人生は自分で決める】というプライドが。

それを守る為には、イファに首筋を噛んでもらって番となる事以外……僕も、ファロさんも自由になる事は出来ない。でも、彼は餓狼の純血種だ……きっと僕が想像できない程苦しんでいる筈。それに、ファロさんを多分好きなんだろうナナセさんも苦しんでいる筈だから。


「イファ……僕今日ナナセさんの家に行ってみようと思うんだ。クエストから戻ってきても、僕が家に帰ってきていなかったら、ナナセさんの家まで迎えに来てくれる?」


イファは僕の事を良く理解しているからか、特に反対もせず『分かった』と言ってくれた。本当は文句の一つも言いたいのかもしれない……でも、僕は自分の決めた事を曲げない事を彼は知っている。そしてそれに僕は甘えている……ごめん。こんな我儘は最後にするから。


「良くわからないけど、ファロには会うなよ?……お前とファロに何か関係しているんだろ?もし、ファロに襲われたら……ナナセが庇ってもお前は無傷じゃいられないからな」


「分かってる……本当は会って状態を診た方が良いんだろうけど……ナナセさんと話をするだけにするよ」


その言葉を聞いたイファは、道具の入ったマジックバックを床に置くとラグを抱き寄せた。


「帰ったら……ここに痕を付けるからな。念の為、チョーカーは付けて行ってくれ」


「うん。婚約の時に貰ったやつを着けて行くよ」


彼の細くて少し乾燥した指が肌が項をなぞる。大丈夫、僕も君にしかここは許さないから。




 僕は昼前に家を出て、何をどうすべきか考えながらマーケットの通りを歩いた。ファロさんのフェロモンに当てられる訳にはいかないから、ファギという面紗を着けてハーブの香袋を首から掛けている。これでどうにか出来るかは分からないけれど。

そして、エルヒムさんから教えてもらったナナセさんの自宅は、僕の兄が始めた薬草園から遠くない場所で、まさか僕の通勤に使っていた場所だとは思いもよらず、もしかしたら僕のフェロモンをファロさんは感じていたのではないか?そう思うと申し訳なく思った。


 大通りから少し離れ、近くには公園や小さな森があった。とても閑静な地区に自宅はあるようだ。けれど、ナナセさんの自宅から2ブロックも離れているのに、ファロさんのだろうフェロモンが漂っていて、僕は少し意識が持って行かれそうになっている。


「ここまでとは……思わなかったな」


僕はマジックバックから刺激の強い薬草のエキスの入った小瓶を取り出し匂いを嗅いだ。結局の所、フェロモンは香りだから……こうやって別の物でごまかせば良いだけなんだけど……。流石にそれだけじゃこの引き寄せられるような感覚までは消せなかった。


「ここか……ナナセさん。居るかな」


呼び鈴を鳴らすと、すこしやつれた顔のナナセさんが出てきて『どちら様ですか?』と聞かれた。


「僕……生産ギルドのショップスタッフをしているラグと言います」


「あ……あの時の」


どうやら、ナナセさんも僕の事を覚えていてくれている様だった。なら、話は早い。


「実は、ファロさんの事でお話があって」


「え?ファロの事?ど、どういう意味ですか?」


「少し……お時間頂けますか?」


「丁度、ギルドに行くつもりだったから……少し待ってもらえるかな?」


そう言うと、ナナセさんは奥の部屋の扉の前に立つとこう言った。


「ファロ……ギルドに行ってきます。夕飯前には帰ってきますから……ここで私を待っていて下さいね」


そう言うナナセさんの言葉がファロさんに聞こえているのだろうか……呻る声と何かを引き裂く様な音が聞こえた。



 僕たちは公園を歩きながら話をした。主にファロさんの症状について僕は聞いた。何故なら……ナナセさんの衰弱は僕が思っているよりも酷く、余り眠れていないのか、美しいその顔は青白く死霊の様だった。ここで僕が運命の番の事を言ったなら、ファロさんだけじゃなくナナセさんも苦しむ事になりそうだ。

 

 話を聞いて僕が感じたのは、ナナセさんは自分が楽になりたいというよりも、ファロさんの苦しみを癒してあげられない事が辛い様で、会話の中で何度も『私がもっとこの世界の事を知っていたなら』と言った。きっとナナセさんがこの世界で生まれた人間だったとしても、ファロさんをどうにかしてあげられる事は無理だと僕は言ったけど、ナナセさんはその美しい瞳を震わせながら『もしかしたら私が運命であったかもしれないじゃないですか』と呟いた。その儚げでいて凛とした口元から零れた言葉を聞いて、僕はいたたまれない気持ちになった。そして思わず言ってしまったんだ。


「なら……首を噛んで貰ったらどうですか?」


ナナセさんはこの意味を知っていた様で、真っ黒で奇麗な瞳からぽろぽろと純粋な涙を沢山流し、泣き笑いしながら言った。


「彼は……私を愛してはいないから。もしそれで楽になれたとして、彼はその後でもっと傷付くじゃないですか。ふぅっ……ぐすっ……私は……それに……はぁっ。耐えられるかなぁ?無理かなぁ。だって、私は彼が苦しむ姿を……もう十分すぎる程見て来たんです。私は……ふうぅっ…彼のっ風を切って……うぇっひっく……自由に駆けるあの姿が好きだから、悩みはもう。ね?」


どこまでもナナセさんはファロさんを愛しているのだと思った。

彼の言葉を聞いた私は知らず知らずに泣いていて、何とかしてあげたいと思ったんだ。だって、この世界には自分の為に獣人や半獣を騙して売って、毛皮を剥いだり内臓を取り出し呪術に使う……そんな人間が大勢いる。なのに、この世界の獣人でも、半獣でも人間でも無い彼が、獣人の為に泣いている。僕はナナセさんという人が大好きになった。普通なら、もう面倒くさくなって投げ出して、ファロさんを捨ててもおかしくないのに、自分が無力である事をただ悔やんでいる。こんな風に思っちゃいけないけど、こっちが悲しくなる程ファロさんの為に何も出来ない事に苦しむ姿が、本当に奇麗で美しいと素直に思った。


あぁ!僕に、何が出来るだろう?何かしてあげたいのに。

イファと今すぐ番えたら、ファロさんは楽になれるのかな?

僕はファロのさんのフェロモンを感じる事は無くなるけれど、ファロさんは?認識もしていない僕をずっと探すんだろうか?


「でもね……可能性はあるんです。今からギルドに行って馬車を買って……この国を離れようと思うんですよ。そうしたら、きっと楽になるだろうって、ドージェさんが言ったから。今日か明日にでもこの国を発とうと思っているんです」


「その可能性はあるでしょうけど、それでも駄目だったらどうするんですか?」


「なら、またここに戻ってきて……運命の番の方を探しますよ。探して……二人が上手く行くように手伝います」


「あっ!相手に既に番がいたら……どうするんですか?」


僕はっ僕は……ファロさんを選ばない。選べない。


「そうですねぇ。その時は……私がファロを楽にしてあげるつもりです」


「え?殺……す、つもりですか?」


「だって。既に彼は死んだも同然なんですよ。何も食べず、身体を掻きむしり、皮膚は深く割けて……部屋中血まみれで。意識が無い日も多いんです……何度も彼は自分の喉元や心臓を剣や爪で突き刺そうとしたんです」


まさか!そこまで?僕にはそんな反応起きていないのに。


「エルヒムに頼んで剣は隠して貰って、魔力遮断を部屋には施してもらいました

。それに……酷い話かもしれませんが、爪も抜きました。半年もすればまた生えるらしいので、その時もまだ苦しむようならまた抜かなくてはなりませんけどね」


獣人の力を抑え込むのは並大抵の事ではないんです。僕はそれを知っているから、ナナセさんの苦労は相当な物でしょう。

なら、二人が無事旅立てるように出来る事をしてあげよう。


「ナナセさん。僕、旅に必要な準備を手伝います。ロードルーに友人が多くいるので、必ず力になってくれます。家やギルド会員籍の手続きの下準備は任せておいてください。もし行くならロードルーをお勧めします!獣人にも寛容な国だし、界渡は珍しかもしれませんが国王がとても素晴らしい方なので、きっと暮らしやすい筈ですから!ロードルーの中心地ベルロイヤに向かってください。そこに着いたら真っ先にギルドに行って<ドーゼムさん>という方に会ってくださいね!僕、彼に話をしておきますから!」


思わず捲し立てる様に話をする僕を、ナナセさんはお母さんの様に優しい笑みで見つめてくれた。なんだかそれがとても嬉しくて、僕は思わず尻尾を立ててしまった。



















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