狼と人間、そして半獣の

咲狛洋々

第1話 私という人間

 私は藤堂七瀬。29歳独身。

ある日、目が覚めると知らない男の部屋にいた。その日は余りの事に驚いて、その男の部屋に篭ってしまったが、私を助けた彼は冒険者のエルヒムと言った。彼が言うには、私は森の湖で一人倒れていたらしい。しかし、そんな所に行った記憶も無ければ何故そこで倒れていたかも分からない私は困惑した。


 何日か経ち、落ち着いて来た私はどうやら異世界にいる事を知る。戸惑う私に彼はこの世界について教えてくれた。この世界には人間と獣人、半獣が存在する事。そして、男性以外の性別は無く、繁殖性別という違いがあると言う。マンリーはある意味男性で、フェフが妊娠出産が出来る女性の様な物だと理解した。しかも魔法まであると言うのだから、流石の私も理解の範疇を超えた情報に眩暈を覚えたのは言うまでもない。


 それから4日、5日と過ぎる内に、彼の書く文字が自然と理解出来るようになった。私が日本語で書いても、自然とこちらの言葉に変換されるのか不都合は無い様に思えた。気が付けば、こんな環境でも何気に順応し始めている自分に驚きを隠せない。まぁ、元来私は物事に執着する方では無いし、欲と名の付く物に頓着する事も無かったからか、こんな状況でも案外上手くやっている。そんな私でも、元の世界に名残はある。親友や恩師、恩師の家族と挨拶も無く分かれてしまったのは、やはり残念だ。


 私は元の世界で剣道の指導者をしていた。何故剣道なのか?

それは唯一楽しいと思えたのが剣道だったからだ。無心になり、目の前に居るその人と二人だけの世界で、互いの持つ技術をぶつけ合える感覚が私は好きだった。


 私自身、自分が無頓着で昼行燈な人間だと思っている。良くも悪くも無欲で、自我が乏しい。だからこの世界に転移しても、戻れない物は仕方がない。そう気持ちを切り替えるのに時間は掛からなかった。


 異世界転移から半年が経ち、私を救ってくれたエルヒムには何から何まで世話になっている。金銭的にも頼ってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった私は自立する事にした。最初は反対した彼も、日がな一日家で料理ばかり作る事が退屈だろうと、ギルドに登録する事を許してくれた。そして、エルヒム曰く、こちらで倒れていた時にこれを帯刀していたと、まさかの日本刀を渡され驚いた。あちらの世界では清流会という剣道道場の師範の一人だった私の得物が日本刀とは。何かしら理由があるのかとも思ったが、まぁ、なんでも良いかと今ではそれを使っている。


 こちらに来てからの日々はエルヒムのお陰で穏やかな物だった。彼は質実剛健、外見さえ外国人風でなければ侍と言っても過言ない人物だ。しかし、男寡が二人で同居というのも色々不都合もあり、私は自分の家を借りる事にした。仕事も何気に順風満帆で、ギルドでは最速Aランカーとしてちょっと噂にもなった程だし、彼もまぁ巣立ちさせてくれるだろうと思った。


「エルヒム、私、そろそろ自分の部屋を借りようかと思っているんです」


エルヒムは一瞬目を閉じて何かを考えているようだったが、『そうか』とだけ言って認めてくれた。


 翌日から部屋探しをした。ギルドに頼んで幾つかの部屋を見せてもらったが、日本人として許容できない部屋ばかりで悩んでいたら、隣にいた大きな黒い狼が声をかけてきた。


「部屋を探しているのか?」


とても低くて、でも耳障りの良い声だ。吹替声優にいそうだ、なんて考えてしまう程。


「え、ええ。なかなかね、良い部屋がなくって」


「どんな部屋が良いんだ?」


そこから獣人のファロと私は仲良くなって、彼の勧めである部屋を見学した。その部屋はベランダに風呂場とトイレ、キッチンがきちんとあって、私はすぐにその部屋を借りる事にした。引越しをした後、ギルドで彼に会ったから、あの日のお礼にと食事に誘ってみる。驚いていた彼だったが、誘いを受けてくれた。

意外にも、私の料理は好評でほぼ毎日彼は私の料理を食べにくる。取り留めのない話ばかりだが、彼には教養もあってその穏やかな性格は私には大変好ましいものだった。狼という高ポイントもあるし。

もふもふサラサラした彼の毛皮は素晴らしく、いつも背中に抱き付いては堪能させて貰っている。彼も最初は嫌がっていたが、単純に私が動物やらを好きだと知ると、されるがままに居てくれる。彼は本当に素敵な男性だと思う。

 

 こちらの世界に来て2年が経ち、私は大分彼に心を許している。これが恋愛としての好意だと分かってしまって、異性愛者だと思っていたアイデンティティが崩れた。だが仕方がない。好きになってしまったのだから。


 そんな冒険者生活にも慣れたある日、ギルドでクエスト完了報告をした際に、受付のスタッフがこっそりと明日緊急クエストが発布される事を教えてくれた。それを知った私は、ファロが他のチームに誘われないよう朝早くからギルドを訪れた。2時間程ギルドで待つとファロがやって来たので、誰かに声をかけられる前に私から声をかけよう。


「ファロ、おはようございます。聞きました?緊急クエスト」


「いや、まだだ」


「そうですか!良かったら私と組みませんか?食事は保証します!」


きっとこの一声で彼は頷いてくれるだろうという自信があった。


「あぁ、勿論だ。ナナセとならどんな相手でも問題なくやれるだろう…食事もありがたい。まず内容を見てくるから、その後色々決めよう」


やった!これでクエストの間はずっと側に居れる。そう思うと、なんだか、クエストが旅行の様で楽しみになった。

クエスト受注のあと、チーム登録をしてギルドを出た。ファロは買い物をすると言って向かいの店へ向かおうとしていたから、私も着いて行くと言うと、野暮用だからと一人で行ってしまった。何だか突き放された様に感じた。まだ私達には距離がある。


 ギルド入り口から店内を眺めていたら、ファロは何やら可愛い半獣の店員と話をしている。結構時間がかかっているなと目を凝らすと、その店員はファロの首に手を当てて、その首筋にキスをしている様に見えた。そして、彼の尻尾が軽く立ったのが見えると、私の中で何か不快な感情が沸き立つのを感じた。だが、なんとかそれ飲み込み我慢した。店から出てきた彼に買い物に付き合えと誘ってみる。すると、彼は夜食は出るのか?なんて事を笑って言ったが、私の心はぐちゃぐちゃになっていて、今すぐにでも問いただしたい気分になっていた。彼の心が知りたい。


「構いませんが、今日もう一人食事に来ますけど良いですか?」


ファロは構わないと言った。そして、その後に誰だと聞かれたので、つい……嘘をついた。


「私の恋人なんですが」


その時ファロは呆然としていて、その手に抱えていた荷物を落とした程だ。卑しいかなその姿に心が満たされた。

だけど、私は恋愛経験が乏しい。彼の反応から、好意的には思われているのだろうとは思うけれど……ただ驚いただけ、その可能性も臆病な私は捨てきれなかった。

今晩は黙ってエルヒムに恋人役を演じてもらおう。彼は気にしないだろうし、それに気付いても、きっと何も言わない。そう言う人だ。だが、誤解も困るので後日嘘を謝ろう。うん、そうしよう。


はぁ。どこまでも私は浅はかだな……。


 でも……彼の中で少なからず私が好意的な相手として存在している事が、どうしてここまで嬉しいのか……恋とは不思議で、幸せな物なのだと初めて知った。


 私の1日はファロで始まってファロで終わる。これを幸せと言わずになんと言えばいいのだろう?

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