第11話擦り減る心 side elohim

 初めてあいつを見つけた時、俺は死地に足を踏み込んだのでは無いかと思った。その位、心揺さぶられる光景だった。


 その日は、トッケンバーム湿原に現れたオークの集団を討伐するクエストを終えて、二週間ぶりに家に戻る為にクラン〈白銀の盾〉のメンバーと共に帰路の途中だった。出発が遅れ、夕暮れ時に差し掛かる前に森を抜ける事は難しく、野営の準備をメンバーとする事になったのだ。


「エル‼︎薪が足りない」


斥候のアルムが火を起こし、アーチャーのエレンが簡易調理場を拵えていたが、どうにも料理が出来るほど薪が荷には無かった様だった。


「分かった」


「ついでに何か獲物がいたら狩ってきてよ」


「あぁ」


水辺に陣取って、テントや寝台付きの荷馬車の幌を解いて皆寛ぎ初めていて、俺も薪拾いをしつつ息抜きに散策でもしようと歩き出した。少し水の香りが木々の隙間から風に乗って鼻腔をくすぐり、雨が降るのでは?そんな事を俺は考えていた。


パシャッ‼︎


「?」


魔獣だろうか。

どの程度の物か分からないが、大剣は置いてきてしまったから、ショートソードと弓で何とかするしか無さそうだ。この先に水辺があるのか?水性魔獣だとしたら厄介だな。


 木々の影を縫い、俺は音のした方へと歩みを進めた。そして闇に飲まれ始めた視界の先に目を凝らす。そこは池の様に大きな水溜まりで、目覚め始めた月が水面に顔を覗かせている。そしてその光景に出会った。何と形容すべきか?美しすぎてまるで悪魔が人を魅了するかの様で、俺は見ては行けない物を見ているのだろうかと思った程だった。水面にキラキラと光を反射させ揺蕩うのは魔力なのか、それとも……。


「おい……生きているか?」


返事は無く、ただ草に当たる水の波紋の音だけが辺りに小さく鳴っている。そろそろと近寄り、俺は濡れる事も気にせず水の中に入って行った。膝下辺りしか水嵩は無いというのに、この男は溺れでもしたのだろうか。そっと腕を首の下に回し抱き上げたが、濡れた衣服の重さを差し引いても軽かった。俺達冒険者の様に剣や盾を振り回す為の鋼の様な筋肉は無く、彼はまるで神官の様に華奢だ。



「エルヒム……俺は食い物を狩って来いと言ったんだがな」


「この先で倒れていた。放って置く訳にもいかないだろう」


「魔獣にでもやられたのかな?にしては傷一つないね」


クランの中でも一番若いカインが、俺の腕の中で気を失っている彼を覗き込み、意味深な目で俺を見ていた。


「さぁな。だが、どうも冒険者の様では無いから……生産職か神官か」


「うーん。生産職にしても細すぎじゃない?それにまだ子供でしょ?20才そこそこのガキじゃん」


「そうだな。親とはぐれたのだろうか」


「こんな場所で?夜逃げでもしてたってのか?なら一家心中でもするつもりだったんだろ」


「……だが足跡も、襲われた形跡もないなんてありえるか?」


「まぁ、その王子様が目覚めりゃ分るこった。早く起きてくれねぇかなぁ。寝てても別嬪なんだ!起きたらきっと息を飲むほど美しいだろうな」


「うぇ!リーダー下衆い!キモい!」


「なんだよ!お前らもそう思ったろ?なぁエルヒム」


クランのリーダー、ノートは口元の刀疵を指でなぞりながら俺の腕の中の彼を、まるで何か面白い物を見つけたかの様な目で見ていて、ノートに懸想しているカインが憎まれ口を言いながら、腕の中の彼を睨んでいる。


「さぁな。俺は彼が何故あそこで倒れていたのか……襲われたのではないのであれば、付近の村に何かあったのかも知れない。そう思うだけだ」


小さな焚き火を囲み、皆彼に興味津々で彼が倒れた理由を想像している。そして何故だか、俺は彼に目覚めて欲しいのに、このまま眠ったまま俺の腕の中にいて欲しいと思ってしまった。幻想的な瞬間がまだ終わっていないのだと思いたい。そして、彼が目覚めたなら……腕の中に落ちてきた星が、消えてしまうのではないか。そんな馬鹿げた気持ちが俺の何かを揺さぶった。


「ん……寒い。先生……何があった……」


ブルリと身体を震わせた彼は、光すらも飲み込む様な漆黒の瞳を見開き、俺の顔を見て飛び起きた。


「え?……どなた?」


「お前がこの先で倒れていたから保護した」


「うわぉ!こりゃたまげたね!想像通りの美人さんだわ!君、名前は?」


「え、あの!その……何、これ」


「俺はエルヒム。君は?」


「……す、すみません。帰らなきゃ」


まだ乾いていない厚手で紺色の服の胸元を手繰り、彼は立ち上がると俺達を恐怖の目で見ながら走り出した。皆、急に走り出した彼に驚き目を見合わせたが、夜の森を1人歩き回る事の危険性を知る俺達は彼を追った。


「待って!夜森を歩くのは危ないから!」


そうエレンが声を掛けたが、何やら興奮している彼は川沿いでは無く森の中に入って行った。数人のメンバーと俺は彼を追った。しかし、思った以上に足が早く距離が離れてしまい、彼の背後から追うメンバーから俺は離れ、手前で森に分け入り追った。


 微かに漏れる月明かりに、彼の白い肌はまるで誘導灯の様に俺を誘う。普段なら俺は彼を追わないだろう。逃げたい人間の抱える恐怖を解いてやろうなどと面倒な事に手を貸したくは無いし、彼に何があったのかなんて俺には関係ない事なのだから。だが、あの瞳を見てしまった。傷一つ無い硝子玉の様なその瞳に俺が映っていた。その事だけで、彼を守りたい、冷えた身体を温め抱きしめたいと思った。


「何で!ここ何処?先生!時枝先生!」


誰かを呼ぶ彼の声は震えていて、パニックを起こしていると思った。距離を取り、俺は彼に声を掛けた。


「ここはロートレッドの南部ケモン森林だ。君はどこから来た。ロートレッドの住人か?」


「……来ないでください‼︎」


足元の木の枝を取り、彼は剣を持つかの様に構えると俺を睨んだ。まるで翼を痛めた鳥が警戒している様で、俺の心が不思議と温かくなった。


「大丈夫だから。俺達は君を襲ったりしない」


「そんな事じゃなくて!ここはどこ!」


「だから、ロートレッド南部の」


「ロートレッドって何?日本じゃないんですかっ⁉︎」


「ニホン?それがお前の国の名なのか?」


「そうです。ここは何処ですか?アメリカ?ロシア?」


「何を言ってるんだ?そんな名の国は無い」


「……え?」



彼が呆然としていると、リーダーが彼の背後から頚椎を殴り気絶させてしまった。はぁ。また目覚めて彼が怯えなければ良いのだが。


「面倒なの拾ったな、エルヒム」


「彼が落ち着きそうだったんだぞ」 


「面倒くせぇ。黙らせて街に戻ったら嫌でも話を聞かせて貰えば良い」



 それから、色々とあったが俺は後継人となり引き取り同じ家で暮らす事になった。目覚めた当初の彼は取り乱したが、直ぐに落ち着き事情を話してくれた。まさか〈界渡〉だとは思わなかったが。



 あれから2年、美しく穏やかで、気遣いに長けた彼が俺の全てになるのは当たり前だった。クエストから帰ると俺の家には帰りを待つ彼がいて、異世界の料理で俺の疲れを癒してくれる。面白味の無い俺の霞んだ日々が彼の存在で色付き始め、こんな穏やかで擽ったい程愛しい日常を手放したく無いと俺は思った。


「ナナセ、ただいま」


「エルヒム!お帰りなさい」


 幸せだった。ナナセもそうだった筈だ。なのに、俺は過ちを犯した。彼に自由を与えると言う過ちを。嫌われたく無くて一定の距離を保った結果、愛を伝えられず、知ってもらえないまま籠から鳥は飛び出した。彼は自由を求めていた……だから俺の元には帰って来なかった。何度後悔しても悔やみきれない想いを俺は飲み込み過ぎたのか……狼に懐く彼のその腕を引き寄せる資格を失ったと思った。そしてただ見守る事に満足してしまったんだ。だが、その美しい鳥は狼に襲われて、出会った日の様に傷付いた姿で俺の腕の中に居る。また俺の檻に閉じ込めようか。もう2度と傷付かぬ様に、穏やかな日々を過ごせる様に。







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