第10話 擦り減る心 side nanase
その日の夕日が放つ赤い光は、私の目には痛い程だった。引っ掻き傷や血飛沫で元の状態がどうであったかも分からない部屋の壁や床。そして割れて灯りを点せなくなった魔灯の破片が散らばる中で、へたり込み力無く燃える空を見ていた。ズタズタに切り裂かれたクッションの羽毛がまだ部屋の中で舞っている。
朝、ラグ君が家に来た。旅に出るつもりの私達の為に色々と情報をくれた。そして、私達の希望となるか分からないが、試したい事があるからファロを諦めるなと言われた。そんな親切で優しい彼と昼近くまで話をしておきながら、私はついぞ聞けなかった事がある。
「君はファロとどういう関係があるの」
何故か、漠然とラグ君がファロの運命なんだろうと思ったからだ。そしてその考えは確信に変わる。
昼過ぎ、私達の出国に必要な手続きについてギルド支部長のモーブに相談した後、私は真っ直ぐに家に戻った。買い物をする気にもなれず、ただ不安と焦りから早く家に帰ってファロの側に居たかった。そしてそんな私の不安が現実となった。部屋に入った途端、ファロが巣籠もりしている部屋から今までに聞いたこともない様な、甲高く遠吠えの様でいて、唸り声の様にも聞こえる声が響いたのだ。そして扉を破壊しながら彼が私に襲いかかった。その光景に、魔獣と対峙してもこんな恐怖は感じないだろうと思った。闇魔法を得意とする私でも、彼を取り囲む漆黒の闇を見て震えが止まらないのだから。
「どこでその匂いを付けてきた!俺を裏切ったな……俺を殺すつもりだな‼︎あぁっ……奪わなくては!腕を捥いで、足を折って、それからっ……逃げないように……逃げないように」
視点が定まっていなかった。彼は猛スピードで突っ込んできて、私の体を床に叩きつけると同時に、肩に彼の牙が食い込んだ。身体から溢れる彼の魔力に私は圧倒されて、肩の傷の痛みなど感じぬ程、恐怖を感じ〈死んだ〉とさえ思った。けれど、まだ微かに残っているのであろうファロの理性が、本能を抑え込み壁に頭を打ちつけながら必死に「逃げろ」と私に言った。
あぁ、無理だ。私では彼を救えない。
やっぱり運命は決まっているんだ。
そうなんだね、ラグ君。やっぱり君だったんだ。
そして、今までのファロの苦しみを思い返して理解した。そう、ラグ君と会った後からだ……ファロがおかしくなったのは。そして、今日彼の側に居た私には、きっとファロにとどめを刺せる程に彼の匂いが着いていたんだろう。
「ファロ……もう無理だよ」
3時間程、荒れ狂う彼と格闘し、なんとか気絶させる事が出来たのはある意味これまでの事で経験値が上がったからだろうが、そんな経験がしたかった訳じゃない。私は彼の横に立ち、共に歩いて行きたかっただけだ……これまで私達2人に出来ないクエストなんて無かった。だから私は自惚れていたんだと思う。彼にも私が必要なんだと、私が居なくてはならないのだと。そんな自尊心も粉々に砕け、微かに聞こえる彼の寝息に私は涙が止まらなかった。
「君に必要なのは……うぅっ……ふぅっ、ぐすっ……どうして私じゃ駄目なんだ」
心の疲労は手足に枷を付け、体の自由を奪って行った。いっその事、ファロに食べて貰って死にたい。そんな事を私は考えていた。
「イファ」
「エルヒム?なんだ?」
「ナナセを最近見たか?」
「最近は全然。今朝ラグが会いに行ってるけど、アイツ大丈夫かよ?ずっと黒狼に付きっきりなんだろ?」
「なぁ……家に行ってみないか?」
ギルドでクエスト完了報告をしていたら、いつもより深い皺を眉間に寄せたエルヒムが近寄ってきた。最近、俺の周りで不穏な噂話が飛び交っている。『ナナセはファロに食い殺された』とか『さすがのナナセも獣の面倒は見きれなくなって逃げたんじゃないか』そんな類いの物なのだけど。しかし、エルヒムの提案に俺は乗り気になれなかった。今朝ラグが会いに行っている筈だし、俺は俺でラグとの今後について話し合う予定だったからだ。
「悪い……今日は」
断りを入れようとした時だった。
ギルドの扉が開いて、そこから血塗れで生気の抜けた目から涙を溢し続けるナナセが入ってきた。
「ナ……ナナセ」
エルヒムは駆け出し、徐にナナセを抱き上げると、2階の支部長室に駆けて行った。俺も咄嗟に追いかけてしまった手前、何事も無かったようにその場を抜け出す事が出来なかった。
「ナナセ‼︎どうした、ファロにやられたのか?」
エルヒムはまるで子供をあやす様にナナセの頬や首を撫でながら、そのこびり付いた血飛沫を拭っている。けれど、ナナセは何も言わずただ泣いていた。
「イファ、医療室に行ってヒーラー呼んで来てくれ」
「あ、あぁ」
2人だけを残して部屋を出ると、俺は少し後悔した。どうして昨日のラグの話しや、雰囲気から只事では無いと思わなかったのか。古代級のダンジョンすらファロとナナセは1ヶ月と掛けずに踏破する。だからか、私生活のゴタゴタなんて彼等は目も暮れないと思っていた。だけど、あんなにやつれて今にも死にそうなナナセに、俺はラグの不安が当たったと思った。
「はぁ……何が起きてるんだ」
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