第7話 本能 side nanase

 旅に出ようと決めたあの日から、三ヶ月が経った。

彼の弱みに付け込み一夜を共にしたあの日から、まだ旅に出れずにいる。そして、私は相変わらず彼の好物のハンバーグや唐揚げ、ポークチャップを作る毎日だ。募る不安は次第に日常に溶けて行き、何とかなるのではないか?そんな甘い考えを私は持ち始めていた。

 しかし、物事はそれほど容易く好転しない事を私は身を以て知る事になった。

穏やかな日々は崩れ、彼がまた絶不調に陥った。

それまでは、ボーッとしていたり、何かを思い出したかの様に震えたりと鬱の様な状態だったが、まだ食欲もあったし動けていた。なのに、旅やファロの事を相談する為に、イファさん達と会った昨日の夜、ファロは急にガタガタと震えて泣き出したり、床でのたうち回り叫んだりして苦しんだ。私は彼のあんな姿を見る事が苦痛になり、イファさんに頼み込んで彼の師匠と会える事になった。その人と会い、何とか状況が改善すると良いのだけれど。


 イファさんの師匠との約束日の前日、足りない食材を買いにマーケットへ向かった。買い物をしながら私も流石にこれからをどうするべきか悩んだ。もしも、彼がこのままだとしたら……私が養っていくしかない。それは構わないが、問題は私が獣人のことを何も知らないという事だ。体質、習性、公的手続きや法律問題。獣人と共に生きるには越えなくてはならないハードルがいくつもあるのだという。未だに生活に必要な事以外右も左も分かっていない。これで私はファロを救えるのだろうか。


少し帰りが遅くなった私をファロが怒りながら抱きしめた。


「どこに行っていた‼︎側に居ると、相棒だと言ったじゃないか!」


何に恐怖を覚えるのか、私の姿が見えなくなると途端にファロは怯え縋りついて来る。こんな彼の弱さを愛してしまった私は気付かなかった。抗えない定めがこの世界にはあるという事を。

 

 翌日指定されたギルドの宿泊棟の一室で、彼の師匠と会う事になった。私はいくらか緊張しているのか水を何杯も飲んでいる。


「初めまして。ナナセ•トードーと言います」


「あぁ、私はドージェ。魔法学校で占いを担当しているんだ」


占い…まさかの占いでどうにかなるのだろうか?疑う訳ではないけれど、流石に当たるも八卦当たらぬも八卦の占いだ。もしアドバイスを貰ったとして、それを実行して更に悪い結果になったりしたら、私は誰を恨めばいい。


「早速だけど何が知りたいのかな?」


長い白髪に、赤い瞳。師匠と言われているがどう見ても自分とあまり変わりが無い程若い。


「あの、私の相棒が病に伏していまして。原因が分からないのです」


ドージェさんはテーブルに茶色の紙を開いて何やら書き込んでいる。言語とは違うのだろうか、その文字を理解する事が出来なかった。


「イファに伝えていたと思うが体毛や体液、持ち物など、彼の物は何か持ってきたかい?」


「はい。抜け毛と爪のカケラ、彼の唾液を含んだハンカチ。これくらいですが大丈夫ですか?」


彼はそれを受け取ると、茶色の紙の上で呪文を唱えながら燃やした。燃える炎を見つめるその瞳は赤から青に変わると、何かを見ている様に思えた。


「あぁ、そう言うことか」


「何か分かったのですか⁉︎」


私の問に答えず、彼は私の額に人差し指を付けてまた呪文を唱える。ぽぅっと眉間が暖かくなったかと思うと、彼は指を放しその茶色い紙に描かれた図形の外側の円をくるりと撫でた。


「うん。かなりはっきりしたけど……君は、この彼と恋人なのかな?」


「え⁉︎あ、いや…まだですが…その未満といいますか」


「そう。まぁ、私が出来るのはアドバイスだけだが」


そして、彼は道具を仕舞うと両手をテーブルの上で組み、じっと私の瞳を見つめたまま、隠す事も繕う事もせず全てを教えてくれた。


「まず、彼は運命の番のフェロモンに当てられているみたいだね」


「運命の番……定められた相手という事でしょうか?」


「そうだね。身体なのか、魂なのか、本能なのかは分からないけど求めて止まない相手という事だね」


「彼もその存在を恐怖という形で認識はしてるだろう。まさか番の片割れを見つけた狼の反応とは思ってないのかもね。彼は狼だろ?狼は番との繋がりが深く、番の存在が分かるとそれを求めて狂う。番への執着が人一倍強い種族だ」


「それは私では無い、と言う事でしょうか?」


ドージェさんは、私の言葉や泣きそうで震える声を聞いても目を逸らさない。その瞳は、伝える答えは絶望を与える為の答えでは無い。そう言いたげだった。そんな強い眼差しで彼は見えた物を私に説明する。


「そうだね。彼の毛には番の物と思われる匂いが付いてるみたいだ」


ドージェさんが言うには、私も知らず知らずの内に、彼の運命の番の存在と接触しているのでは無いか?接触した時の匂いや魔力にファロが反応していて、苦しんでいるのでは無いか。そう言った。


 週に2度程の外出でも、ギルドに行けば会った人間は何十人と居る。誰がそうなのか、見当も付かない。しかし、そんな事よりも私は胸が締め付けられそうに痛んで呼吸すら忘れそうだ。彼は、私じゃ無いその誰かと番えばあの苦しみから解放されるというのか?彼と離れる、そんな事…耐えられると思っていたけれど、耐えられる訳が無かった。この半年近く、彼を慰め、愛し、看病したのは……誰かに彼を渡す為じゃない。頭を抱えた私にドージェさんは肩を叩いて抱きしめてくれた。


「これは、他人や本人もどうしようもない事だ。番を見つけてしまった獣人は理性がどう思っても本能がそれを許さない」


涙が止まらず私はドージェさんの肩を借りた。


「けどね、全ての獣人が運命の番を見つけられる訳じゃない。互いに顔を見知ったら最後だけど、まだそうなってはいなさそうだし」


「え……どういう事でしょうか?」


「運命の番が見つからない獣人は腐るほどいる。近場で見つかるなんて砂漠で宝石を見つけられる確率より低い」


「そう、ですね。ファロの様に狂っていく獣人は見た事がありません」


確かに。この世界に何万人生きているかは分からないけと、難しいだろう。


「普通に発情期に入ったら君の首筋を噛ませればいい。君はこの世界の住人ではないから、番として彼が反応するかは分からないがね」


「は、はぁ」


首を噛ませる?首を⁉︎大丈夫なんだろうか。


「それか、旅を計画してる、もしくは旅に出たいと思っているなら直ぐに行くといい。夜中に南に向かいなさい。きっと彼は楽になる」


すごい、旅の計画をしていた事も分かるなんて!なら、すぐ行動しなくては。今日の夜中にでよう。ギルドに仲介してもらい、二頭立ての馬車を買おう。


「ただ、気をつけて。彼の運命はいつも彼の後ろを着いてくる」


「もしも、君が彼の番になれず、そしてその運命が彼を諦めなければ、永遠に逃げなければいけない。その覚悟はしなくてはならないよ?」


「はい。でも、希望が持てました。ありがとうございます」


「それと、君の運命の相手も君を求めている。彼は君を捕まえて置こうとは考えていないけど、繋がりが途切れる事を恐怖しているから、もし、君にその相手の心当たりがあるなら、冷たく突き放す言動はせず、助けを乞うと良い。分かったね?」


「はい、分かりました。気を付けます」



 私は私の運命に気付かない、そう気付いていない。知らない。目を瞑りファロだけを見ようと決めた。

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