第62話 孤立

 馨を取り巻く環境は、良くなることはなく悪化する一方だった。特に山城屋を巡る陸軍省との癒着問題ゆちゃくもんだいは、山縣有朋やまがたありともを巻き込んでいた。

「西郷さん、この山城屋との金のやり取りの件、山縣に責任があるのは仕方がないと思います。しかし、徴兵制度ちょうへいせいどを推進していくには、山縣の存在、知識は必要不可欠なのでは無いでしょうか」

「話の筋はわかった」

「ぜひとも、緩やかな決着をお願いしたいです。このままでは、陸軍の軍制は不完全なままになってしまいます」

「改革ん必要性はわかっちょる。徴兵制度は反対もおおきかと」

「でしたら、山縣のことおまかせしてもよろしいですね」

 結局、山県有朋は軍人としての立場はそのままで、陸軍省の大輔の辞任で済むことになった。これには、調整をしていた馨はほっとしていた。しかし、これで太政官から山縣は姿を消すことになり、馨は孤立を深めていた。


「全く、井上さんは山縣さんの面倒を見ている場合ではないのでしょうか」

 渋沢が、馨の心配をして言った。

「少しはご自分の立ち位置をお考えいただいたほうが……」

「大隈の言うことに従えっちゅうんか」

「いえ、そちらではなく。司法省の連中が官員の不正を暴こうとしてます。一番の標的は長州の方々。山縣さんと井上さんがそうではないかと」

「わしが何をしたというのかの。茶屋で騒いどるだけじゃが」

「その金の出処とか」

「商人から出させていると。別に皆やっとるじゃないか。世知辛い世の中じゃの」

「本当に問題だらけです。せっかく制定した準備金の保管に関する約定も、司法省の江藤さんにかかると破られそうですが」

「そんな事させるか。実力行使ならこっちもまけんぞ。あの金は将来に役立つものなんじゃ」

「それにしても、司法省側は辞職願まで。本当に辞める気など無いのに」

 馨はいら立ちを、もう隠そうとしなかった。

「わしは出仕を控えることにした。もうやってられん」

 渋沢と話し合いをした後、馨は、本当に家に引きこもってしまった。


 そんな日々が続いて数日経った頃、来客があった。

「武子さん、すまんの。三条公から頼まれてしまったんじゃ。ぜひ、聞多さんに会わせて欲しい」

「馨さん、本当に書斎から、出てこなくなってしまいました。どうぞお入りください」

 そう言って、武子は書斎を開けると、馨に声をかけた。

「馨さん、山縣様がお入りになります。よろしいですね」

 返事を待つことなく、山縣に入るように促した。そして、テーブルにお茶と菓子を置いて、山縣を座らせた。

「山縣様、申し訳ございませんが、後は……」

 そういって、武子は出ていった。廊下に出ると武子はため息を付いていた。とりあえず廊下で待とうかと、縁側で庭を眺めることにした。


「聞多さん、三条公から出仕してほしいと、お願いがあったのじゃが」

「わしに何をしろと」

 こっちを向いてではないが、話をする気があることに、山縣は少し気が楽になっていた。

「大蔵省の事務が滞っておるんじゃ。監督・指導するもんが、おらんではうまくいかんのじゃ」

「大隈だって、渋沢だっておるじゃないか」

「全体を見れるものは、聞多さんだけじゃ」

「大久保さんか木戸さんを、帰国させる話はどうなっちょる」

「それは無理じゃ」

「そげなことなら、わしにできることはなかろう。西郷さんに頑張ってもらえ」

「西郷さんに、事務なぞ無理じゃ。聞多さんはわかって言っとるんじゃろう」

「無理なものは無理じゃ」

「聞多さん、三条公もこの事態、何とかすると申されている。よろしく頼みます」

「もう申すことはない」

「聞多さん」

「……」

「それでは、三条公からの文を置いていくの。これだけは読んでくれんか」

 そう言って、山縣は書斎から出ていった。馨は一度も山縣の顔を見なかった。


 出てきた、山縣は肩を落としていた。

「山縣様、申し訳ございません。これでも、他の方よりはましなのです。大隈様には、ほとんどお話をされませんでした」

「そうじゃったか。武子さん、出仕するよう、助けてくれんか」

 武子は一度深呼吸をして、山縣に向かって言った。

「私など、馨さんに何が申せましょう。お気持ちを緩めることぐらいしか、できることはございません」

「そうじゃったな。じゃが、聞多さんが出てきてくれんと、この国のことが滞ってしまうんじゃ。武子さんが最後の砦じゃ」

「私は馨さんのお気持ちに、寄り添うだけでございます」

「すまんかった」

 そう言って、山縣は帰っていった。後ろ姿を見送って、武子は新しいお茶を持って書斎に向かった。

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