第12話 祝いの意味

 婚礼の日がやってきた。

 いつもならこういう会を取り仕切る馨は花婿で、次に段取りのうまい伊藤は、馨について色々やっていた。

 そう言うわけで、馨と同郷の友人山縣有朋が、右往左往しながら取り仕切っていた。そんな山縣が玄関近くで、確認に歩き回っている時に、突然入ってきて、ぶつかりそうになった男がいた。


「えっ、おぬしは中井さんじゃ。ちょっとまってくれ。中井さん」

 山縣は慌てて引き止めた。

「すまんが、今、取り込み中で皆が動き回っておるんじゃ。大隈さんを連れてくるから、こっちの部屋で待っていてくれんか」

 関係者が歩き回る所から一番遠い部屋に、中井弘を押し込んだ山縣は、大隈に相談に行った。

「大隈さん、大変じゃ。中井さんが、中井弘さんが、ここに居るんじゃ」

「なんだと、馨と武子さんには」

「簡単には会わん部屋にいてもらっとる」

「とにかく付いて来てくれんか」

「わかった。どこだ」

 山縣は大隈を中井のところに連れて行った。


「中井、久しぶりではないか」

「大隈さん、今日は何かあるのか。山縣くんが忙しそうだ」

「何かあるか、か。今日は井上と武子さんの婚礼をすることになっておる。吾輩夫婦が仲人である」

 ごまかしても仕方がないと思った大隈は正直に話した。

「井上と武子さんで決めたことを、皆で後押しをすることにしたのである。もっとも井上の女癖の問題もあるだけに、吾輩が一生別れず添い遂げると証文を書かせておる。素直に書いたのだ、馨は」

「そうだったのか、井上さんが」

 中井は少し考えると、大隈に言った。

「武子さんと井上さんに会わせてくれんか」

「わかった二人のところに連れて行く」

 そう言うと、準備の一通り終わった武子のところにまず連れて行った。


 綾子が着たという婚礼衣装に、身を包んだ武子が座っているところに行くと、中井は声をかけた。

「武子さん、美しいの。おいは何か間違いをしたのかもしれん。だが、井上さんを選んだ武子さんは正しい。幸せになることは間違いない」

 そういいながら中井は、武子の顔を見つめていた。

 武子は迷いなど見せてはならない、毅然と受け流すのだと言い聞かせていた。

「中井さんは、相変わらずお話が上手ですね。馨さんと二人で、ともに生きていくと、決めたのは私です。お祝いいただけて、とても嬉しいです」

「そうですか、ではお祝いです」

 中井はそう言うと、武子の額に口づけをして前から去っていった。武子も周りも何が起きたのか、あまりわかっていなかった。


「大隈さん、井上さんにも会わせてくれるのだろう」

「そうだ、馨の部屋はこっちだ」

 そう言って、馨の部屋に連れて行った。

「馨、客人だ」

「中井か。これはまた驚いたの」

「武子さんとの婚礼の日とは、おいも驚いた。せめておめでとうと言いたくてな」

「武さんとは」

「挨拶をしてきた。額にキスを」

「あぁそうか」

「それにしても、結婚の誓約をしたとは。大隈さんも面白いことを考えるな。もし、武子さんが井上さんと別れると言ったら、おいが面倒見させてもらおうか」

「大丈夫じゃ。そげなことにはならん」

「そうだな。変わらぬ友情に」

 言い終わる前に、中井は馨の肩を抱いて、頬を寄せていた。あまりに突然で、さすがの馨も怒ることも、拒否することもできなかった。突き放される前に手を離し、中井はもう立ち上がっていた。

 その背中をただ眺めている馨からそむけるように、大隈に招かざる客は帰ると言って立ち去っていった。


「馨、中井は何を」

 大隈はつい訊ねていた。

「西洋の挨拶じゃ。親しい者へのな。武さんにしたのもな」

 そう言った馨の表情は曇っていた。

 それを見た大隈は、馨の支度に不満そうな顔をした。

「馨、直垂ひたたれを用意するように、言っておいたのであるが、なぜかみしもなのか」

「そげな、面倒なものは着たくないんじゃ。これでええじゃろ」

「花嫁に合わせる必要がある。武子さんに、綾子の婚礼衣装である小袿こうちぎを着せるのが、綾子の希望である。そうすると花婿は直垂でなければ合わぬ、綾子に怒られるのはごめんである。それはわかっているな」

 大隈は大袈裟に怖がってみせた。

「わかった着替えるから出ていってくれ」

「手伝いがあったほうがいいのではないか。それにしても、この色の合わせは冴えないのである。すまんが伊藤に、綾さんに若草色の小袖こそでを用意させて、持ってくるように言ってくれ」

 外で控えている書生に声をかけた。

「そげなことは必要ない。このままでええんじゃ」


 言い合っていると、博文が入ってきた。

「大隈さんこれでええか」

「よし、伊藤抑えておけ」

 大隈と博文は馨を下着にしようとした時、下着も肩がはだけていた。二人は馨の首筋に、あってはいけないものに気がついた。

「聞多、首筋にキスマークが。女に付けられたのか」

「婚礼の前にそげなことするわけ無いじゃろ」

「馨、もしかして、さっきの挨拶というのは」

「知らん。知るわけ無いじゃろ」

「大隈さん、さっきの挨拶というのは」

「中井が、変わらぬ友情にと言って、馨の肩を」

「キスマークのハズがない。気にしすぎじゃ。虫に刺されたのじゃきっと」

「そうだ、大隈さん。こうしっかり合わせれば見えないし、大丈夫じゃよ」

「おおこれなら誰も文句はつけられまい」

 そう言いながら、大隈と博文は馨を直垂、烏帽子姿にしていった。博文は隠し事をしているような、馨に対して不満を持っていた。


 婚礼の席に並んだ、美しく華やかな小袿姿のりんとした佇まいの武子と、すっとした馨の直垂と烏帽子姿えぼしすがたは、似合いの夫婦とも思えるものだった。

 宴席も夜遅くなり無礼講になると花嫁・花婿は席を外していた。馨と武子は普段着に着替え、馨が東京住まいに用意した屋敷に移動していた。


「武さん、ここでわしらは生活をすることになる。早く慣れんといけんな」

「そうですね。馨さんをお支えできるように頑張ります」

「いや、頑張ることはない。疲れたらなんにもならんからの」

「そうでした」

「寝所はここじゃ。先に休んでいてくれんか。わしは少し用事があるので書斎におる」

 そういって、武子を残して別の部屋に行ってしまった。

残された武子はこういう時、待つべきだと教えられていた。

 そして座って本を読んでいたが、馨は現れず、武子はいつの間にか寝ていた。

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