第10話 人生は一方通行なのですよ。 -アガサ・メアリ・クラリッサ・クリスティ-

 魔族デモニアは契約に従順だ。召喚は契約であり、契約の内容には絶対とも言える。だからこそ、本来であれば元領主であるベルゼブブとも

 更に付け加えるならば、男は人間界に召喚された時に契約を交しているのだが、それ以前の話しに於いて、その魂には魔族デモニアとして誕生した際に刻まれた契約があり、それを無視する事は出来ないのである。

 要するに初期段階の契約に勝るモノはなく、後から結んだ契約であってもそれには勝てる道理がないとも言える。

 拠って、男は陥落した。



「で、アンタはアタシとは、り合うってコトでいいんだっけ?アタシがベルゼブブの力を使っていたとしても、アンタから見ればアタシは契約外にはならないわよね?」


「この私の身の内に刻まれた契約をぎ取ってくれるなら、そうしなくて済む……」


「その契約を剥ぎ取れば、話しを聞かせて貰えるのかしら?」


 少女は情報が欲しかった。そして男の心は既に折れている。ヒト種と見誤っていた力量の差が歴然としているコトに気付いた時点で、男の負けは確定したようなモノだった。

 だから男は苦肉の策とも言える提案をした。少女としては闘った所で得られるモノは無いし、それよりは有益な情報を求めた結果、カマを掛けたに過ぎない。



「ねぇベルゼブブ、契約を剥ぎ取る事なんて出来るの?」


「あのなぁ、ワタクシは呼ばれてホイホイ出てくる便利屋ではないぞ?」


「はいはい、分かった分かった。で、どうすれば契約を剥ぎ取れるの?」


「はぁ……何も分かってなどいないだろ……」


「で、どうすればいいの?暴食グラトニーで食べればいいワケ?」


「そんな事をすれば、このモノは消滅するな……。要するに単純な魔力量で契約を書き換えれば良いだけの事だ。どの程度の契約かは知らんが、結ばれた契約の上から再度契約を上書きすれば良いだろうよ。そうすれば結果的に前の契約を剥ぎ取る事になるからな。汝のオドがあれば容易に出来よう?」


「あぁ、なるほどね。簡単じゃない!」


 少女はベルゼブブとの話しを終えると「半神フィジクス半魔キャンセラー」のフォームに変化していった。禍々しい闇と神々しい光に包まれた少女だが、周囲に人影が無いコトだけには注意を払っていた。

 何故なら、この姿は少女としてはからである。



「おおぉ、何と!何と……何とも美しい」


「美しい?魔族デモニアの美的センスはアタシには分からないけど、悪い気はしないわね」


 男は感嘆の声を上げながら、少女の姿を見ていた。そして、そこには既に敵意は存在していない。

 斯くして少女は膨大なオドを以って契約をしようとしたワケだが、どんな魔術を編めばいいか分からなかったのは事実であり、適当に従魔アニマコン契約トラクトゥスを男に向かって放り投げたに過ぎない。

 だがそれでも尚、敵対心は既に無く従属する事になんの抵抗もないのが幸いして上書き契約はすんなりと成功したのだった。




「さて、じゃあ、質問させて貰うわよ?」


「はい、何なりとマスター」


 少女の従僕となった男は膝を付いて頭を垂れており、既に危険は無くなったと感じた少女は元の姿へと戻っている。



「その身体は、どこで手に入れたの?」


 少女の質問はストレートだった。舌戦を展開している時ならいざ知らず、既に従属させたモノに回りくどい言い方や誘導尋問をした所で意味は無いから当然と言えば当然のコトだ。



 男の格好は旅館の関係者のモノではない。先程の女将の旦那は旅館の関係者そのものであり、この男が手駒とする為に上位種エルダーを取り付かせたと話していた。


 そしてその前に、この男は「支配級魔族種アークデーモン」だった。何やら長ったらしい名前を名乗っていたが、少女は聞いたその名前をすっかり忘れていた。



 支配級魔族種アークデーモンは人間界に於ける生態系上に於いて、魔族種デーモンの中で上から二番目にあたる。そしてルミネの本体も人間界に持って来れればこのクラスになるので同格と言う扱いだが、「魔界」に於いてはその限りではない。


 魔族デモニアは本来魔獣ではない。魔族デモニアにも格や序列はあるがそれは階級社会だからこそだ。しかしだからと言って魔族種デーモンという魔獣名があっていいかと問われれば、あってはいけないと言わざるを得ない。

 要するにヒト種との確執のせいで魔獣として扱われる場合もある為に、生態系上で本来呼称があるのはどうしようもないと言えば事なのだ。



「この身体はこの私を「魔界」から呼び寄せる際の依代よりしろとして、先代のマスターから与えられた物で御座います」


「で、その先代のマスターってのは誰なの?」


 少女は黒幕の核心を突くべく更にストレートな質問を投げるが、男は首を横に振るだけだった。

 分かりきっていた事と言えばその通りなのだが、残念と言えば残念なのは確かなコトだ。



「先代のマスターは名乗る事をせず、この私に「装置」の設置を各地にて行うように……と命じられました」


「そうね……。そう言えばアタシ達が見落としてた装置もあったのよね……はぁ。そうしたら、先ずはこの旅館に設置した残りの「装置」を今すぐに解除しなさい。——話しの続きはその後ね」


「はっ!直ちに」

しゅんッ


 少女はその機にルミネの元へと歩を進めていた。ルミネは男がベルゼブブの姿に驚嘆した際、拘束を解かれ放り投げられたその場に崩れ落ちていた。

 飽くまでも再び人質とされるような事があれば、唱えていた遅延術式ディレイスペルを解き放つ算段でその場におり、その為に気絶したフリを通していたと言える。


 そんなルミネの元にはフィオがいて、ルミネの顔を舐めていた。フィオは少女にデバイスを渡した後で暫く身を隠していたが、危険が失くなったと感じるとルミネの元へと駆け寄っていたのだった。



「ルミネ、死んだフリはもう良いわよ?」


「なぁんだ……、知っていたんですの?」


「えぇ分かってたわよ?でも、ルミネが人質になるなんて……珍しいわね。何があったの?」


「もうッ!わたくしだって完璧じゃないんですのよ?後ろから不意を突かれて意識を飛ばされれば敵の手に落ちる事ぐらいありますわ」


「へぇ、アイツ。なかなかやるじゃない。ルミネに気付かれないように気配を周囲に溶け込ませるなんて、案外使えるヤツなのかしら」


「アルレさまはアレと契約されたのですから、どのように使おうとも自由なのではなくて?」


「うん、そうよね……。それなら、ルミネ!一つお願いがあるんだけど……いい?」


「改まって何ですの?無理な事じゃなければいいですわよ?」


「あの男用の魔力製素体ホムンクルスって造れる?」


 ルミネは少女が何を言いたいか分かっていた。だからその想定内の問いに驚く事も無い。だからこそ、その問いに返す言の葉は「えぇ」だけだった。

 ルミネとしては「してやられたり」の相手に進んで造りたいワケではないからだ。要するに少女に頼まれたから不本意ながら……と言うヤツだがそんな事を言うハズも無い。



「それなら、一体造ってもらえるかしら?もし、アイツを召喚したヤツにアイツの姿を見られたりしたら厄介だし……そもそもアイツが使っている身体に何か仕掛けられてても困るから、お願い出来る?」


「そう言う事なら分かりましたわ。確かに身内にスパイトロイの木馬がいたら困りますものね」


 ルミネは少しだけ口角を上げると、魔力製素体ホムンクルス作製に取り掛かっていく。

 その様子を少女はまじまじと見詰めていたが、少女的には「同じ事は出来ないなぁ」と改めて感じていた。




「全て回収して参りました」


「じゃあ、話しを始める前に、アンタが憑けた上位種エルダーをあの人から剥がしておいてもらえるかしら?」


「かしこまりました、マスター」


 男は未だ気絶している上位種エルダーの元へと歩を進め、その者の前に辿り着くと何やら印を結んでいた。



「マスター、この上位種エルダーは要りますか?入り用でしたら差し上げますが?」


「えぇ、そうね。何かに使えるかもしれないから貰っておこうかしら……ねぇ、ルミネ?」


「こんなモノで宜しいかしら?ヒトガタが良かったなら造り直しますわよ?」


「ヒトガタをカード運用してデバイスから出す所を誰かに見られでもしたら流石にマズいから、それで充分よ。それにしても、さぁっすがルミネッ!分かってるぅ」


 そんなワケで上位種エルダーの依代としては、急遽作製された動物型の素体が充てられる事になった。

 造形としてはネコのような姿をしているが背に翼を有しており、新種の魔獣としか言えない形状だ。

 まだ気絶している事からその素体の性能を試させる事は出来ないが、「そのうち試させればいっか」と割り切るとそのままカード化してデバイスにしまう事にしたのだった。



「さてアンタも引っ越しよ!」


「引っ越しですか?マスター、それは一体?」


「この身体に引っ越してもらえるかしら?」


「おや?これは随分と素敵な魔力製素体ホムンクルス……マスターが造られたのですか?」


「残念ながら、アタシじゃないわ。この魔力製素体ホムンクルスを造ったのはルミネよ」


「ほう?これはこれは……」


「イヤなら差し上げませんわよ」


「いえいえ、これ程の魔力製素体ホムンクルスをこの私の為に造って頂けるとは感謝の念に絶えず、感激に打ちひしがれておりました」


「残念ながら、わたくしに魅了チャームは効きませんわよ」


「へぇ、魅了チャームなんて使えるんだ?」


「マスターにはこの私の力は届きませんが、よもやこの私の力が及ばないヒト種がまだいるとは思ってもいませんでした……」


 どうやらルミネの正体に気付いていない様子の男に、少女とルミネは吹き出しそうになっていたが、追々分かるだろうからルミネの正体をわざわざ教える事はしなかった。

 斯くしてルミネが造った魔力製素体ホムンクルスに無事引っ越しを完了した男は、その魔力製素体ホムンクルスの性能に驚いている様子だった。

 そして、元依代は中身を失い崩れ落ち、朽ち果てていこうとしていた。



「なるほどね……」


「アルレさま、何が「なるほど」なんですの?」


「アイツを召喚したヤツはってコトが分かったのよ。——アイツが使ってたこの身体、合成魔獣キメラよ。こんな技術が完成してたなんてね……これじゃまるで過去の遺物ロスト・レガシーじゃない!」


過去の遺物ロスト・レガシー?」


 少女は朽ちていく元依代を見ながら言の葉を紡いでいた。そして、掌を向けると火の魔術を放ち、朽ち果てた身体は火に包まれ跡形も無く消え去っていく。

 その表情はとても遣る瀬無い様相で、憎々しげな感じが少しだけ大気をヒリつかせている様子だった。

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