〇〇けて

「誰も立ち寄らなくなった廃墟。用水路の暗い水底。人の形に見える柳。生温い風を運ぶ丘……実際に霊異的かそうでないかは別として、霊異を感じる場所や現象なんてものは探せばいくらでも見つかるんすよ。とはいえ私が……国が求めるのは本物っす。じゃなきゃまた忘れ去られるだけっすから」


 『都市伝説』に限らず怪談話の根源は娯楽だ。途切れることなく伝わり続けているのはそれが「楽しいもの」だから。

 中には当然それに当てはまらないものもあるけれど……例えば「夜に口笛を吹くと蛇が出る」とか、子供に道理を説く類……ともかく広めようと思って広めるのは難しい。あんなに流行った『都市伝説』が失せたのは、楽しみ尽くされてからに他ならないのだから。


 だから一つの話を遺したいのなら、「楽しみ」以外の理由が必要だ。それはやっぱり「恐怖」であり、それを避けなければならないという「教訓」だろう。


 必要なのだ──「危険」が。人に実際に害を成す霊異が。


「一方でその条件が無ければ本物だって意味がない。怖がられなければ人はそこを避けようとしないっすからね。ガンガンEDMのかかったクラブに出る霊異なんて恐くないでしょ」


「怖いですが?」


「氷華ちゃんは霊異がいてもいなくてもクラブなんか行かないでしょ」


 はい。パリピ怖いです。


「だから私が探すのは結局そういった場所になるんす。パッと見で恐ろしくて、人が避けなくてはならないくらいには日常に溶け込んでいる場所」


「駅だね?」


「ええ」


「それで『けてけて』の怪談を聞いて、これは、と思った訳だ」


 ダメ元だったんすけどね。

 苦笑して志途さんはふっと遠い目をした。脳裏に浮かんだ光景は如何なものか。


「時間的な問題か、駅のホームには誰もいませんでした。向こう側に太陽が沈むのがはっきりと見えて。仕事の事を忘れて見入っちゃうくらいっす。そうしてぼうっとしていたのが悪かったんすかね? カンカンと、踏切の音が聞こえたんす」


 目を瞑って、志途さんの言葉に身を委ねる。彼女の体験を追おうと試みる。


「普段から使っているわけじゃないんで、最初は特に気に留めてなかったんすけど、ふとホームに上がる時に踏切があったのを思い出してゾッとしましたよ。だってその音は、消えかけの残響のような微かなものなんすから」


 今向かっている『武蔵呉木』は田舎の駅と言えばその他の説明がいらないような無人駅だ。流石にICカード読取り機は導入されたけれど、路線は上りと下りの一本ずつ。通勤ラッシュの時間帯ですら30分に一本来ればいい方で、屋根のみのホームにはぽつぽつと塗装の禿げたベンチが置いてある。ホームの真横に踏切があって、線路を通らなければ外に出られない。その関係で、踏切の音と光は、通常よりも余程激しく鼓膜と網膜を叩いてくる。周囲には灯りが無いから、夜になるとその赤が辺りを照らす。


 霊異なんていなくとも、常人なら心臓が跳ねる光景だ。あの音と光は、命の危険を知らせるものなのだから。


「慌てて顔を上げても逢魔が時のこと、何か薄らと巨大な影らしきものは見えていたんすけど、その正体まではわからない。でも、うんともすんとも言ってない踏切を見て確信しましたよ。あれは尋常じゃないものだって」


「巨大?」


「そう! そうなんすよ!」


 お兄さんの疑問に内心で同意する。今話されているのは『けてけて』……『てけてけ』の亜種だという霊異だ。それは人の姿をした女性のはず。まして下半身が無いのだ、通常よりも小さくあってしかるべき。


「高鳴る心臓が、霊異を見つけた喜びからだったのか恐怖からだったのか、今となってはもう分からないっすけど。とにかく手に汗握って、生唾飲んで、じっとその影を見つめていたんす。すごく速かったっすよ。それこそ電車くらいに」


 そうして線路を走っていたそれは、あっという間に志途さんの目の前までやってきたのだろう。

 耳鳴りのように脳裏を殴りつける踏切の音を轟かせ、夕闇を赤い光線で引き裂きながら。


 耳を塞ぎ、目を閉ざしたくなるほどに近づいてきた時にようやく聞こえてくる。


 「てけてけ」と──「てけてけ」と。


「まさか『けてけて』がコンビだとは思ってもみなかったすねえ」


 口調こそふざけたものだったが、声音には疲れが滲んでいた。いや、疲れというよりは諦観、絶望に近い感情か。


 相当に驚いたのだろう。下半身のない女性と対面する覚悟を持って顔を上げた瞬間、煌々と輝く大きな瞳が見下ろしていると気がついた時の恐怖は、筆舌に尽くしがたい。


「電車の化物を見たのは初めてっす」


 それは「霊異」ではなく「化物」という言葉を選んだことからもうかがえた。


「電車というよりは芋虫っすね。高速で走る肉の塊。太くて長い身体に無数の手がついてました。それが数々の武器を持ってて、それが走る度に擦れて鳴るんすよ。カンカンって。いやあ、良く斬れそうでしたね──人の脚」


 先導するように腕のみで走る上半身のみの女性。追随するように迫る巨大な異形。すれ違った者の脚を奪って殺す、霊異。


 それが『けてけて』……『てけてけ』の亜種。


「身を隠す結界を貼るので精一杯でした。女の子相手なら私一人でもなんとかなったかもしれないっすけど、サイズも数も負けててその上で立ち向かえるほど、一流じゃないんで」


 志途さんは「悔しいっす!」と天を仰いだが、それを職務放棄だと責めることは出来ない。闘う力に乏しいのは私達も同じだ。


「そうか」


 話を聞きながら考え込んでいたお兄さんが呟く。


「『けてけて』がどこまで『てけてけ』と話を共通しているのか分からないけれど、もし由来が同じなら、彼女の脚を奪ったのは電車だ。ただ下半身のない女性が人々の脚を切り裂くよりは、理屈が通るのかもしれない」


 死した女性だけではなく、電車が霊異化したというのが不可解な気がしますが。


 私の言葉にお兄さんはまた考え込んで、不意に酷く苦しそうな顔をした。


「もしかしたら、そこが違うのかもしれない」


「それは、どういう?」


「彼女の脚を奪ったのが電車ではなく、初めから、志途ちゃんが見たという芋虫だったのなら、辻褄は合うんじゃないかな」


 なるほど確かに。

 そもそもが電車に轢かれておきながら、身体が上下に綺麗に分断されるというのが不可解なのだ。それが『てけてけ』の話がイマイチ信じ切れないポイントでもある。


 元々人の脚を奪う霊異がいて、それに不幸にも襲われた女性が、その無念と世の中の怨みによって現し世に留まった結果、霊異となった。そう考えたほうが自然だろう。


 『都市伝説』の霊異なんていない。それが通説ではあるが、火のないところに煙は立たぬ。『てけてけ』の亜種と言われているが、もしかすると志途さんが遭遇したそれらこそが、尾鰭のつく前の原型なのかもしれない。


「でもお兄さん──」


 それでどうしてそんなに辛そうな顔をするんですか?

 純粋な心配で喉からせり上がった台詞は、既のところで飲み込めた。これを口にしていたら、私は自分の酷薄さに一生後悔していただろう。


 全身から汗が噴き出た。一つ大きな拍動の後、心臓が逸る。それなのに、血管に液体窒素でも流し込まれたみたいに寒い。


「ねえ、志途さん──」


 震える声で、私はたずねた。


「──どうしてその霊異は『てけてけ』ではなく『けてけて』というんですか?」


 だって、それだけだったら、ただの『てけてけ』じゃないですか。少し話の内容が違うからって違う名前にしてエンターテイメント性を持たせようなんて、往生際が悪いったら。


 らしくもなく冗談を飛ばしてみたけれど、嫌な予感も、心臓の鼓動も収まらない。


 そんな私を見た彼女は、相変わらず諦観の滲んだ苦笑を浮かべた。「気付いちゃいましたか」なんて呟いて。


「下半身のない彼女は、その電車の化物をまるで先導するように、こう繰り返しているそうっすよ──」


 ギリっと、お兄さんが唇を噛み締めた。


「──たす

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