嫌いな言葉
そうだ。死因が脚を奪う霊異なのだとしたら、それと共に出現する現在は一体なんだ? それから逃げ続ける現状を一体なんと呼べばいい?
ふと自殺者のその後を思う。どんな理由で死を選ぶのか、そんなこと私には伺い知れないけれど、深い悲しみや絶望、憤り、負の感情であることは想像に難くない。死して霊異になる者は、それらの感情が楔となって打ち込まれ、現世に留まっている。
彼等が望むのは世の中への復讐か? いいやきっと違うのだろう。自ら死を選択した人間が願ってやまないのは、現状からの逃避だ。解放のはずだ。しかし怨念のみを記憶した世界は、永遠に彼等を逃がさない。そう、「今も飛び降りを繰り返している」なんていう怪談は、枚挙に暇がないのだ。
彼等は選択を間違えた。死んだ事など無い癖に、それに救いがあると信じた。世界はそんなに優しくない。そんなこと知っていたはずなのに、今際の際で期待した。
正気を失うほどの負の感情に支配されながら決して手に入らない「解放」を求めて、自分の死をリフレインし続ける。それが命を捨てる事への罰。
死は、決して救済などでは無い。
『けてけて』の今はそれに似ている。どういう理屈か自分を殺した霊異と一体となり、恐怖にとらわれ続けながら、きっと生前と同じように助けを求め続けている。
「地獄だね」
お兄さんに追随できなかったのは、その必要がないからだ。上手く言葉を見つけられなくて黙り込む。
──まもなく『武蔵呉木』です。
寝そべっていた静寂を切り裂くようにして、機械音声が目的地に到着したことを告げた。
「降りようか」
促されて立ち上がると、固くなった肩がパキりと鳴った。
ホームに降り立ったのは私達だけだった。
電車は特に後ろ髪を引かれる様子もなく、私達を置いて去っていく。理路整然とした車輪は「てけてけ」とは鳴らない。
お兄さんは五月蝿い踏切が黙るまでじっと睨み付けていた。その視線の先はきっと、未だに見たこともない『けてけて』、その片割れだろう。
息まで止めていたのか、彼ないし彼女が大人しくなってから息を吐きだす。涼しいのに額に汗が滲んでいた。
「お兄さん」
「ああ大丈夫だよ……ちょっと失礼するね」
お兄さんは私と目が合うと気不味そうに笑って、素早くポケットから出した煙草を咥えた。
「あ、こら。駄目じゃないですか」
「一本だけ一本だけ」
「もう」
私の溜息が紫煙に紛れる。
ろくに遮るもののない駅に煙は溜まらない。引っ掻くような風に髪を抑えた。
まあ、お兄さんも珍しくストレスが溜まっていたんだろう。咎める人もいないし、うるさく言う必要もないか。
肩に入った力を抜く。今から緊張していたって仕方がない。
「……良い天気ですね」
「だねえ」
太陽は未だに中天に居座っている。人の気配こそ無いが、
「ホントに一本だけっすよ! 煙草の煙は魔除けになるんすから!」
「どうぞお兄さん、もう一本いきましょう」
「いいの?」
「良くねえっす! ちょっと氷華ちゃん、邪魔しないでくださいよ!」
だって私は会いたくないもの。そんな危なそうな化け物。
雉も鳴かずば撃たれまい。余計なことをして不利益を被るのは嫌だ。
「他の霊異探しましょうよ。私の学校でも流行ってる怪談ありますよ、彼岸花を植え続けるおじいさんの話なんですけど。『
「それただのおじいさんじゃないの?」
「先生がホームルームの時に『地獄おじいさん』に気を付けなさいとは言ってました」
「不審者扱いの上、言葉遣い改められてるじゃない」
彼岸花も怖いイメージが先行しているけれど、よくよく見ればとてもきれいな花だ。不審者扱いはどうかと思う。
「私達の目的を忘れたんすか!?」
痺れを切らして志途さんが叫ぶ。
「『けてけて』をとっ捕まえて『禁足地』を作るんすよ!」
「カブトムシじゃないんですから」
そう。相手は虫とは違うのだ。
簡単に言わないで欲しい。元々私はこの活動に反対なのだ。霊異に関わりを持つことそのものを厭うのに、明確に人を殺す霊異となんて遭遇したい訳がない。
「今まではただ場所を選定して、そこらの霊異に住んでもらうだけだったからまだ良いですよ」
霊異の居そうな場所、良く霊異が目撃される場所は単純な話、霊異にとって住み良いのだ。対話さえ出来るのなら、説得するのは難しくない。閑古鳥が鳴いているとはいえ、不動産屋を営んでいるお兄さんにとってはそれの延長線のようなもの。
思えば最初から嫌な予感がしていた。今まで「良い場所を見つけた」と話を持ってくる志途さんが「大物を見つけた」と言ってきた時から。
「私達の中で最も霊異に抗する術を持つあなたが逃げたのに、私達に何ができるっていうんですか」
志途さんの話を聞いて抱いたのは恐怖、そして諦めるという決意だ。逃げる勇気なんて格好良く言う気はない。
これは恥を晒す行為だ。
花薙なんて大層な家に生まれておきながらなんの力も持たない私の未熟さの証明。それでも。
「私は、お兄さんに死んでほしくないんです」
思ったより強く言葉が出ていった。
志途さんはいつもの笑みを引っ込めて、眉尻を下げた。情けない顔で私を見つめてくる。
小さく揺れる唇が、私を殴った。
「氷華ちゃんは、助けたくないんすか?」
カッと頭に血が上る。
歯と拳が軋んで音を立てた。
何を言おうとしたのか、鋭く息を吸い込み、大口を開けた瞬間だった。
ぽんと優しく、大きな手のひらが私を抑えた。
「……お兄さん」
「僕は死なないよ」
これ以上ないくらいに柔らかく微笑んで、お兄さんはウインクまでしてみせた。
それは頼りがいのある大人の男性像そのものだったけれど、その芯の強さがむしろ私をざわめかせた。
どれだけ私が止めようとも、お兄さんは『けてけて』を諦めない。
弱い私の心がそう言った。
「……『助けて』は、私の一番嫌いな言葉です」
唇の隙間から、湿った声が漏れた。
お兄さんはただ、聞こえなかったふりをして、私の頭を撫でた。
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