人が避ける

「あれは私がいつものように懸命にお仕事に励んでいた日のことっす」


 しみじみと遠い目をしながら志途さん。


「暇を持て余して散歩してたんですね」


「田舎だから娯楽なんてないもんね。お酒飲むくらいかな」


「お仕事っすー! 穏やかに日々を生きる方々を、恐怖のどん底に突き落とす霊異を探す立派なお仕事っすー!」


「悪人の台詞だねえ」


「よしんば悪だとしても必要悪っす! 我々の活動が秩序を、そして真の平和を作るんすよ!」


「仕事熱心で偉いねえ、志途ちゃん」


「ふふん! こう見えて国家公務員ですからね! あ、これ秘密っすよ!」


「じゃあもっと声を落としてくださいよ」


 志は立派だが、この人が言うとなんとも胡散臭いこと。


 電車から降りていく人々が、私達を避けているように見えるのは気のせいではあるまい。誰憚だれはばかることなく昼間から大声で良い大人が怪談話なんてするものだから、真っ当な人達はどうしても遠巻きになる。触らぬ神に祟りなし、藪を突かなきゃ蛇も出まい。

 こうした心の動きを利用して、恐怖を蘇らせましょう、というのが私達の目的なれど、己が対象になるのはどうにも居心地が悪いものだ。


「情報を開示することの秘匿性を私は知ってますからね。堂々としてればバレないもんすよ。現に皆無視してるでしょ」


「犯罪者の言い分じゃないですか」


 「お前を捕まえる」なんてキャッチコピーとともに掲示板に貼られている手配書を横目に言う。当然ながら志途さんの無駄に綺麗な顔はない。


 まあ、皆さん無視してるというか見ないようにしているというか。


 大きな声で洋菓子を売り込んでいたブースのお姉さんが静かになるのを見るのは心が痛い。


 霊異というのは幸か不幸か、一般的にはそういうもの。どこまでいっても常識の外、フィクションの中の産物。物語ならぬ騙り物。子どもが楽しむには良いが、理に染まった大人が口にするものではない。


 そんなことは分かっているから、少数派である私達、霊異の世界に生きる人間は密やかに生きてきた。


 その常識は私の知らない間に少しだけ変わってしまった。


 ついこの前、どこかの誰かが人も霊異も関係なく巻き込んで、大胆なことに世界征服なんて企んだらしい。これまた私の知らないところで解決を見たようだけれど、そのせいで今まで傍観していた表の世界が危機感を覚え、霊異の世界に介入した。結果として国家特務機関『霊異対策部』なるものが生まれたのだとか。


 そこの『封神課』とやらから派遣されているのが志途さんだ。


 因みにこれは全部志途さんから聞いた話で、とんでもなく重大な秘密らしいのだが、当の本人が一番べらべら喋っている。

 「内緒話なんて性に合わねーっす!」というのが本人の弁。別に人の性格とかに口を出せるほど偉い人間ではないが、巻き込まれる側からすればたまったものではない。万一、国からお叱りを受けるときには是非とも一人で罰を受けていただいて。


「氷華ちゃん。大人にはね、色々あるんだよ」


 こそっとお兄さんが耳打ちしてきた。


「どういうことですか?」


「国家公務員とは言うけど、秘密機関だから公にできないでしょ。だから馬鹿正直に名乗れない。志途ちゃんの立場は難しいんだよ」


「ああ……」


 ちゃんと働いているのにそれを言えないってことか。そうなると昼間からぷらぷら遊び歩いていることの言い訳も難しい。他人からは「ニート」か良くて「フリーター」に見えるだろう。


「なんすかその目は」


「……可哀想に」


「し、失礼な!? 表向きは地質調査員ってことになってます! というか『23歳フリーター』の何が悪いんすか!? 前々から思ってましたけど、二人とも各方面に失礼っすよね!?」


「田舎に引き籠もっている人間に人並みのコミュニュケーション能力を求めるのが間違いですよ」


「田舎はもっと暖かな交流があるもんだと思ってたんすけどねえ!」


 それこそ幻想、霊異の類だ。


 改札横の駅員さんの無愛想な顔に会釈して階段を降りる。先程まで大都市の駅に負けない佇まいを見せていた某駅だけれど、この路線は利用者が少ないからか華がない。若者の数も随分減って、外国人の姿がちらほら見える。

 心なしか土の匂いのする電車に乗って十五分ほどもすれば、私達の住む木畑きはた市だ。電車に乗っている時間よりも待っている時間のほうが長いっていうんだから遣る瀬無い。満員電車に悩まされることがないのは嬉しいことだけれど。こういう人目を避けなきゃいけない時は特に。或いは人から避けられる時は。


「志途さん。では話を戻しましょうか」


「『けてけて』に?」


 『けてけて』に。


「怪談話ひとつするには良い時間だろうし。目的地は『東木畑ひがしきはた駅』かな」


「んー『武蔵呉木むさしくれき』っすね」


「やっぱり良い時間だ」


「そっすね。じゃあ話しましょうか。まあホント、謙遜とかそんなんじゃなくて、大層なもんじゃないんすけど」


 コホンと咳払いして志途さんは居住まいを正した。相変わらず空いている席に座らずに、吊革にぶら下がりながら。


 この話を聞くと『けてけて』が現れるらしい……それを思えば聞きたくないけれど、もうどうせ手遅れだろう。というより、現れてくれた方が志途さんやお兄さん的にはありがたいのか。そもそもそのの信憑性も私には疑わしい。


「枢さんや氷華ちゃんの協力もあって、木畑市には『禁足地』をいくつか作ることに成功したんすけど、やっぱりパンチが足りないんすよ。ここいらで一発大きいのが必要だと思って、歩き回ってた時のことっす」


 あれは夕方。逢魔が時のこと。

 人の顔が良く見えない、誰の正体もわからない、そんな夜と昼が混ざりあった時間の話だ。


 志途さんは話し出した。

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