共に在る理由
お兄さんが砂利を踏み締め、思い切り『けてけて』に向かって駆けた。内心に疑問符と焦りが奔る。言葉を発せたなら「は?」とでも言っていただろう。
彼の役目は囮だ、真っ向から闘うことではない。『けてけて』を彼岸花の元に誘き出し、隙をついて封じる、そういう手筈だ。
恐怖でおかしくなった訳もない。彼はそんな真っ当な感性をしていないと確信したばかり。
お兄さんからは見えていないというのも忘れて逆側を指差した瞬間、志途さんが私を抱きしめたまま身体を反転させて、『けてけて』に背を向けた。
何を、と問う間もなく、その向こうが青白く炸裂した。
「はあ!? なんで見えてんすか!?」
志途さんの絶叫と共に耳朶を打つ、数十のガラス板を叩き割ったかのような爆音。半ば無意識に、彼女の肩口からその正体を確かめようとして、己の好奇心を酷く呪った。
新月の夜のような、何の光も宿さない瞳と目があった。
魂が引き剥がされたかのような錯覚がした。大して密度もない走馬灯がよぎる。何十倍にも引き伸ばされた時間の中、ゆったりと『けてけて』の目が弧を描く。
──げたげたげたげた!!
見えている。見られている。見つかっている。
それだけが理解できた。それ以外が理解できなかった。
志途さんの術に綻びはなかったはずだ。寸暇の疑いもなく私達は周囲の景色に紛れていたはずだ。それにも関わらず『けてけて』は正確に私達の居場所を特定し、凶刃を振り下ろしている。
規制テープによる結界がなければこんな思考も出来なかっただろう。間違いなく死んだと気がつく間もなく殺されていただろう。もしかしたら肉塊と同化した彼女と同じような顛末を辿っていたかもしれない。
彼女は悲壮な顔で結界を引っ掻いていた。上半身のみの小さな身体ですがり付くように、目を血走らせ、黒い髪を振り乱し、ガリガリと爪どころか指の先を削りながら、届きもしないのに私達に手を伸ばす。正確な年齢は知りようもないが、私とそう変わらないように見える……それが私の未来の姿のように思えて、肌の内側が凍り付いた。
口元はぱくぱくと動き続けている。叫び続けているのだろう。祈り続けているのだろう。霊異であるが故に疲れも知らず、前にも後ろにも進むことなく、死が救済だという嘘すらも享受できないまま、終わることない恐怖に囚われ続けているのだろう。きっと希望なんて微塵も抱いていないのに、ただただ、それしかできないという理由だけで。
しかし今尚結界を破壊せんと、それに護られた私達を虐殺せんと、振るわれている凶刃の音にかき消されて、その
たった一つ許された行為すらも意味がないなんて、彼女が一体何をしたというんだろう。
善と悪の区分に意味がないなんて私だって分かっている。悪人が全員裁かれないことと同じように、善人が全員幸せになる訳ではないことも分かっている。でも、きっと彼女は、こんな罰を受けるべきじゃなかった。
「もう、
こんなふうに、人に思わせてしまう存在に成るべきじゃなかった。
どうしてあの肉塊は彼女を消滅させずに、共にあることを良しとしているのだろう。そんなに彼女が苦しむ様が面白いか? 恐怖に歪んだ嘆きが心地よいか?
いや、今に至っては邪魔なはずだ。鬱陶しいはずだ。思うように私達を害せない現状、少しでも障害は無いほうが良いはずだ。娯楽は苦しんでまでするものじゃない。現に肉塊に不格好にくっついた老人のような顔は、徐々に不快げに歪んできている。それなのに、奴は器用に少女を避けて、結界のみを攻撃している。
まさかできない? 自身の霊異としての在り方と同化しすぎていて、身体の一部のような存在になっている?
いやそれも考え辛い。こうまでそれぞれが独立して動き、別々の意思を持っている以上、霊異としての在り方は「同一」ではなく「並立」であるはずだ。
つまり彼女の存在が、肉塊に利益をもたらしていると考えるのが自然。じゃあ、それはなんだ? 彼女に許されているのは、助けを求めることだけだというのに。
「……いや、まさか」
それに意味がある?
そうだ。奴に初めて遭遇した時、志途さんは姿隠しの結界で事なきを得たと言っていた。効果が無いわけじゃない。
じゃあ、今回容易く奴に見つけられた理由は?
この話を聞いた者の場所には『けてけて』が現れる──ほとんど信用していなかった、奴との遭遇条件を思い出す。
その条件は私達全員にあてはまる。ここに差はない。平等なはずだ。
しかし奴は、結界の内側にいるお兄さんではなく、わざわざ苦労してまで私達を狙っている。つまり、彼が条件を満たしておらず、私達が……或いは志途さんか私のみが、条件を満たしていると考えられないだろうか。
私達とお兄さんで何が違う? 性別? なるほど有り得る話だが、もう一つある。
『けてけて』を見ているか否か……いや、少女に助けを求められたか否か。
言葉は呪い。彼女に助けを求められた時、人は『けてけて』と強制的に縁を結ばされるのだ。
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