地縛霊のすゝめ

南川黒冬

序章「ここから先は立入禁止」

夜の復権

 電車の窓から見える景色は目まぐるしいけれど、駅の構内も負けず劣らずだと思う。人の顔が次々に入れ替わっていく様や、手足が振り子運動する様は、じっと見ていると、高速で動く乗り物なんかよりよっぽど三半規管を揺さぶってくる。

 「期間限定!」なんて謳いつつ、年中そこかしこの特産品を持ち寄って物産展なんてやっているものだから、立ち止まる人も当然いる。その変化のせいで慣れようとしても出来ないから、そっと俯いた。


 溜息をつきたいけれど、ついてしまえば更に気持ちが悪くなるのも分かっているからぐっと口を結ぶ。都会の空気というのはどうしてこうも灰色なんだろう。


 まあ、気持ち悪い、なんて感じるのは単純に自分が人混みに慣れていないからというのもあるんだろうけれど。


「見てごらん、氷華ひばなちゃん」


 県の端も端に位置する自分の住処を想いながらぼうっとしていると、頭上から低くて優しい声が降ってきた。

 声につられて顔を上げるも、お兄さんの視線は私ではなくて他人の交錯の最中さなか。無骨な指が示す先も当然そこにあったけれど、結局どの一点を見ろというのか分からなくて、お兄さんの顔に視線を戻す。


「なんですか」


「ほらあそこ。皆あんなに窮屈そうに歩いているのに、空白が出来てるよ」


 改めて観察してみれば、確かにぽっかりと人が通らないデッドゾーンがある。忙しなく歩き回る人々は時折肩を触れ合わせながら、身体を小さくしながら、居心地が悪いはずなのに、池や湖を迂回しているみたいにただただ行く。


 無意識に首を傾げた私に微笑みかけながら、お兄さんは口元に人差し指と中指をやった。煙草を求めたんだろうけれど、流石にこんな場所で吸う勇気は無いらしく、所在をなくした掌をポケットに収めて細く息を吐いた。


「あそこはね、普段なら売り場があるんだ。他と同じようにどこかここじゃない場所の特産品を売っている。今日はたまたまお休みみたいだけれど……いつもこの駅を利用している人達は知っているだろうね。だから、無意識に避けてるんだよ」


「通れる場所だって、気付いてないってことですか」


「気付いてないというか、考えにも及ばない、って方が正しいかな。或いはと考えてるのか」


 無意識にだけどね。

 言いながらお兄さんは私の手を取って、人の隙間を縫うようにして空白に踏み入った。


 ぽつんと中心に二人だけで居座れたのはほんの数秒だったと思う。一人二人と人が流れ込んできて、押し込まれるようにして私達はまた壁に身体を預けた。


 目の前では今度こそ隙間なく、他人の濁流が通っている。それは大蛇の蠕動ぜんどうにも似ていた。一人一人が蛇の鱗だ。


「『赤信号みんなで渡れば怖くない』って誰が言ったんだっけ。太宰治?」


「独りで死にたくないとかは言ってたと思いますよ」


 あとそれツービートです。たけしさんときよしさんのお笑いコンビ。


「……氷華ちゃんいくつ?」


「14ですがなにか?」


 「そうだった」お兄さんはくつくつと笑って、それから少し眉を下げた。視線の先は人混みの中だったけれど、空白だった場所を見ていると今度は判った。


「誰かが先にやると、あんなに厭ってた行動でも簡単に出来るんだよね。あの空白には何もないから良いけれど、この世の中にはどうしても犯してはいけない禁忌というものがある。侵してはいけない場所がある。そして本当に駄目なことには、きちんとした理由がある」


「ここで煙草を吸うのは、他人の健康を害するからだめ。赤信号の時に渡るのは車に轢かれる危険性があるからだめ、ってことですね」


 得たりと頷いて、お兄さんは天を仰いだ。


「駄目なことは駄目だし、駄目なままにしておくべきなんだよ」


 だからルールを作るのだとお兄さんは言った。


「そういうのがあるのは広くそれが知られたからなんだ。建設時に不幸が続くと、ビルの上に社を作ったりするでしょ。皆が皆、詳しくは知らないけれど、ここで何かがあったらしい、或いは、あるらしいってことが良くわかる。だから身が引き締められる。そんな感じで……明文化しておくと、少なくとも知らぬ存ぜぬなんて態度は取れなくなるからさ。それで救われる人はいる。だから」


「私達のやっていることには意味がある、でしょう」


 お兄さんの言葉を繋いで、私は気分が悪くなるにも関わらず溜息を吐いた。


「染まりましたね、お兄さん」


「そうかな」


「普通の人はいちいちそんな事気にしないですよ」


「あはは……」


 じとっと睨みつけるとお兄さんは苦笑した。私の言いたいことは分かっているけれど、自分の意見を曲げる気もないといった顔。


「子ども扱いして」


 不貞腐れる私の頭を撫でながら、お兄さんはその表情のままただ黙った。お互いに返す言葉も行動もない。少しの間沈黙が横たわる。


「やー、やる気があるみたいで嬉しいっすよ」


 その沈黙どころか駅の喧騒すらも切り裂いて、馬鹿に明るい声が投げられた。

 げ、と喉の奥が鳴る。

 声の方を見るとシャープな金髪に赤のメッシュを入れた、暗い私とは縁遠そうな女性がこちらに歩み寄ってきていた。


 すらりと長い脚を見せびらかすようにさっさと彼我の距離を食い潰して、何が面白いのかニヤニヤとした顔をぐっと私達に近付けてくる。


「……どうしてここにいるんですか、ストーカーですか。私はお兄さんとデート中です、用がないなら帰ってください」


「ざんねーん。用があるから来たんすよー」


「なら尚更帰ってください」


「いや絶対ウチのこと嫌いじゃん! ウチ、氷華ちゃんになんかしました?」


 別に嫌いじゃない。相容れないだけで。性格も、思想も。

 私はあんまり外に出歩きたくないし、うるさいのも苦手。髪だって染める気はないし、ピアスを開ける勇気もない。あと、どれだけ有用でも、大事なものはしまっておきたいって思うだけ。


 「まあまあ」とお兄さんが仲裁に入った。


「それで志途しずちゃん、用って?」


 この疑問は会話のクッションでしかない。彼女の用事なんて一つだけなのだから。それを分かっていて突っぱねないんだから、お兄さんはすでに乗り気だ。


 そう、だから気に入らないんだ。

 この人と出会ってから、お兄さんは変わってしまった。あの何もない田舎で、裕福じゃなくてもお兄さんとのんびり暮らしていければそれでいいって、私は未だに思ってるのに。

 

 お兄さんは、自分でさっき言っていた、駄目なものを駄目たらしめる、に積極的に関わるようになってしまった。


 以前志途さんの言っていたことを思い出す。



 ──もはや夜は死にました。かつて人を恐怖に陥れていた未開はもうどこにもないっす。それは人の発展を意味してますが、同時に秩序の退廃も意味します。恐怖を失った人間は、やがてルールを破りますから。そしていつか、取り返しのつかないところに行き着きます。それを塞き止めるのが、私の仕事っす。



 今目の前にあるにやけ顔とは似ても似つかない真剣な表情で彼女は、常人には聞き馴染みのない言葉を口にしていた。



 ──人の世の秩序を護る為に、人為的に『禁足地』を作るんす。



 『禁足地』……お兄さんが言うところの、侵してはいけない場所。人が入ることを許されない、聖域ないしは非生息域。


 曰く踏み入れば不幸が起きるから、もっと具体的に言えば、死んでしまうから。

 それをもたらすのはいつだって、普通は知覚できない何か達。大勢が知らないだけで本当はどこにでもいる、生物か非生物かも定かじゃない、生き生きとした死体。死に体の生体。


 怪異、あやかし、妖怪、物の怪……呼び方は様々あるけれど、私達はその存在を、『霊異』と呼んでいる。



 ──場所を選定して、そこに『霊異』を住まわせるんす。不意の危険は恐怖の対象にこそなりますが、運が悪かったで済ませられてしまう。喉元すぎれば忘れられるそれっす。だから明確に、一定の場所に危険を置くんす。隣を見れば死があるんだから、もう忘れられなくなるでしょう。言うなればこれは、夜の復権っす。



 その存在を元々知っていた私達は、確かにあの時、首を縦に振ったのだ。 



 ──協力してくれますよね? 阿閉あべ かなめさん。いえ……




「んふふ、いつものお仕事っす!」


 鬱々とした気分の私とは打って変わって、志途さんは至極上機嫌だった。


「そっか。でも今はデート中なんだよね」


 ちらとこちらをうかがってくるお兄さんに現在に引き戻される。眉尻を下げた情けない顔に再度溜め息を吐く。今更気にされても。


 始まりは半ば脅しのようなものだったけれど、それでもお兄さんは今、自分で選んだ未来に立っている。

 だったら私も付き合うだけだ。覚悟を決めて小さく頷く。


「分かりました、分かりましたよ。どうせ私が何言ったって聞かないんですから」


 ぱっと顔を華やがせる志途さん。眩しいからこっち見ないで。

 薄暗い方に退避する。具体的にはお兄さんの背中。

 

「今回は大物っすよ! 知ってますよね、いつか日本中を恐怖に陥れた都市伝説、『てけてけ』!」


 『都市伝説』。日本で二十世紀末頃に大流行りしたモダンな怪談の総称。確かに現代人の感性に合致するのは、江戸時代とかから伝え聞く妖怪とかよりこちらの方な気がする。テンションが上がるのも頷けた。


 有名なところだと「人面魚」ならびに「人面犬」「口裂け女」に「赤マント」「ターボ婆」「メリーさん」それから……


「の、亜種!」


 亜種? 『都市伝説』という言葉にくっつけるには似つかわしくないそれに首を傾げる。


 ……ああ、口裂け女には姉妹がいるとかそういう?


 

「『けてけて』っす!」


 明るい声が響く。

 私とお兄さんはゆっくりと顔を見合わせた。多分全く同じことを考えていたと思う。


 いや、パチモンでしょう、それ。

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