第四章『高校1年』
美沙
将来の夢など一ミリも持ち合わせていなかった俺は、家から比較的近い場所にあり学力に見合った高校に進学した。
この学校を選んだもう一つの理由は、部活動への参加が強制ではなかったことにある。
中学では二年半続けたバスケットボールだったが、結局のところ俺には全く才能がなかったし、高校でも続けたいと思うほどの愛着もなかった。
晴れて栄光の帰宅部となった俺は委員会にすら所属することも無く、非常に
入学して一ヶ月が経ち、林間学校を翌日に控えた土曜の放課後。
部活の活動場所へと急ぐ殊勝なクラスメイトたちを横目で見ながら、帰り支度を終えて教室を出た、その時だった。
背後から通学バッグのストラップを強く引っ張られ、よろけながら振り返りあたりを見回す。
視界の頭ひとつ下のほうに、栗色のショートヘアーがちょこっとだけ見え隠れしているのを見つける。
さらに視線を少し下に落とすと、どんぐりのようなまん丸い目で俺の顔を見上げる少女と目が合った。
「ナツオ。このあと暇でしょ?」
彼女――クラスメイトの
「買い物ってどこに?」
ようやくバッグから手を離した彼女はたった一言「街」と言うと、俺の腕に自分の腕を絡ませてさっさと歩き出した。
「ちょっと待って美沙! 転ぶ転ぶ!」
ちなみに『街』というのはこの学校のある町の中心地のことで、昔ながらの商店街や小さなスーパーマーケットなどが存在しており、慎ましやかにこの町の住人たちの生活を支えていた。
この美沙というクラスメイトは別の中学の出身なのだが、席が隣だった縁から高校で一番最初にできた女友達だった。
通学手段の電車が同じ方向であったために、知り合ったその日のうちに一緒に下校をしたのだが、彼女の場合はそこからの距離の詰め方が尋常ではなかった。
出会って二日目には「ナツオ」と呼び捨てで呼ばれ、一週間もしないうちに通学時や移動教室時など、何かにつけて腕を取ってくるようになった。
その時にでも注意しておけばよかったのだが、幼い頃から
その結果、さらに翌週にはそれが常態化していた。
彼女と同じ中学出身のクラスメイト曰く、「葉山はそれが普通だから」と苦笑いをしていた。
どうやら、中学時代にも俺のような存在――それは女子生徒だったらしい――がいたそうなのだが、その子とは高校進学で離れ離れになったので、その代わりとして俺が選ばれたのだろう。
実際のところ、彼女が俺を異性として意識している様子は今のところ感じられなかった。
疑問なのは、いったいどんな選考基準で俺が選ばれたのかということだが、いまさらそれを聞いたところで彼女との関係が変わるだけでもないし、きっと大した理由があったわけでもないだろう。
なんなら席が隣同士だったからとか、そんな程度なのかもしれない。
「美沙。それで街に何を買いに行くの?」
学校から歩いて十分のそこに向かいながら、俺は美沙に旅の目的を尋ねた。
「えっとね。お菓子と林間学校に持ってく歯ブラシとかタオルとか、あとお菓子」
どうやら彼女はお菓子が欲しいらしい。
取るに足らない会話をしながら、通行人どころか車通りすら疎らなこの町のメインストリートを歩いていると、すぐに『街』に到着する。
この町唯一のスーパー『スリーエムマーケット』は、その規模とうらぶれた雰囲気がそこはかとなく俺の愛した『ロマン』を彷彿とさせ、幼き日々の懐かしさがじんわりと込み上げてくる。
一直線にお菓子コーナーへと向かう美沙のあとに続き、林間学校のルールにより規定されていた五〇〇円分を大きく上回る金額のそれと、ついでに幾つかの雑貨もカゴへと放り込んでいく。
ものの数分で用事を終えた俺たちは、スーパーのテナントに入っているファーストフード店でハンバーガーをぱくつきながら、土曜の午後のひとときをともに怠惰に過ごした。
四名用の対面席にもかかわらず、さも当たり前といったふうに隣に座る彼女を見ていると、適当に選んだ進学先でばあったが、この学校にして良かったと思えてならない。
当然も男友達も何人かいたのだが、彼らとは美沙ほどには仲が良くなかったし、彼女の異常ともいえる距離感は、むしろ俺のそれに近くて居心地が良かった。
まるで夕食の買い出しでもしたかのように、両手一杯に荷物を抱えてスーパーをあとにする。
往路と同じようにどうでもいい会話を楽しみながら歩いていると、またしてもあっという間に駅に到着した。
ガラガラの車内に並んで座り、ようやく見慣れてきた車窓の景色を眺めていると、いくらも経たないうちに自宅の最寄駅に到着する旨を知らせるアナウンスが流れた。
「美沙。今日は誘ってくれてありがとう」
彼女のおかげで時間を有意義に無駄遣いすることができた。
「うん! ナツオも付き合ってくれてありがとね!」
彼女はそう言って黒目がちな瞳をキラキラと輝かせる。
「……腕。離してくれないと降りられないんだけど」
子供のようにシートの上に膝を立て窓に張り付いた美沙は、こちらに向かってリスのような小さな手を細かく振りつつ電車に運ばれ去っていった。
そんな彼女をホームに立ったまま見送っていると、自然と小さな溜め息がこぼれた。
明日からは二泊三日の林間学校が始まる。
正直にいえば少し面倒に思っていたのだが、何も目標のない無味乾燥な高校生活の思い出に多少なりとも色が付けられるのであれば、それはきっと悪いことではないはずだ。
明日の天気を占おうと見上げた空は、今の季節には珍しく雲ひとつない青空だった。
あの夏の日の空の色と比べても、さして遜色はないかもしれない。
ただ、俺にはそれが色褪せて退屈なものに見えていた。
それはきっとあの日、俺の中で何かが変わってしまったからだろう。
何れにせよ、この分ならば明日もきっと晴天だ。
あとはとっとと家に帰って旅の荷物を纏め、今日は早く寝よう。
そんなことを考えながら大荷物を抱えつつ、家へと続くアスファルトの道をゆっくりと歩き出した。
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