あの子

「明日那と夏生も、あんまり遅くならんうちに帰ってこいよ」


 伯父たちはそう言うと、僕とあっちゃんを残してそそくさと去っていった。

 夜店でめぼしいものでも物色して、また広縁で従姉と二人で子供だけの集まりをしよう。

 そう思い立ち、夜店のある寺の参道へと向き直った、その時だった。

「ね、ナツくん。ちょっとだけ付き合ってくれん?」

 すぐ横にいたあっちゃんに呼び止められて振り返ると、彼女はいつになく真剣な顔で僕を真っ直ぐに見据えていた。

 その表情からは彼女の意図を読み取ることが出来ず、何事かと胸がざわつく。

「付き合ってって、どこに?」

「さっき話した女の子のお墓」

 思いもよらない返答に心臓が勢いよく跳ね上がる。

「え? お墓? ここにあるの? あの子の? ほんとに?」

 興奮からか、それとも恐怖からか。

 出鱈目な順序でいくつもの質問を投げかけてしまう。

「うん、あっちのほうだって。前ね、お父さんに聞いたの」

 彼女は僕の目を見たまま左腕を水平に伸ばし、細く長い人差し指でその場所を示す。

 ここの墓地には虫取りで日中にも何度か来たことがあったので、広さがどの程度かは大体わかっていた。

 彼女が指を差したのは、その一番奥にあたる区画だった。

 僕たちの他にも何組かの墓参者の姿はあったが、その区画に限っては人の気配を感じることができず、大小様々な墓石のシルエットだけが、暗闇のなか月明かりに照らされ浮かんで見えている。

 底知れぬ恐怖に思わず足がすくんだが、彼女に意気地なしだと思われるのは嫌だった。

「……いこう」

 カラカラに乾いた喉から無理やり絞り出した声は、情けないことに少し震えていた。

 このために予め用意していたのだろうか、あっちゃんはポケットから小さなペン型のライトを取り出すと、僕の腕に半ば抱きつくような形で掴まり、やはり少し震えた声でたった一言「いこ」と言った。


 迷路のように入り組む墓石の間を、わずかに腰を落としながら横並びで進んでいく。

 少し前に墓参りが行われていた墓には、まだ火のついた線香がユラユラと青白い煙を立ち昇らせている。

 所々に赤土が山のように盛られた場所があった。

 それらは古い土葬の墓なのだと、以前来た時に祖父に教えてもらった。

 こんもりと盛り上がっている土饅頭どまんじゅうに、否が応でもその下に埋まっているものを想像してしまう。


 五〇メートルくらいは進んだろうか。

 時間にすれば二分かそこらだったが、体感ではその何倍にも長く感じていた。

 ようやく見えてきた最奥の区画の、そのさらに突き当りにそれはあった。

「……あれだと思う」

 彼女がライトの明かりで示した場所には一際大きな墓石が建っており、その後ろには幾本もの卒塔婆そとばが立てられている。

 最後の十数歩はそれこそ身の縮む思いだったが、何とか無事にその前まで辿り着く。

 僕の腕と完全に一体化した彼女からライトを受け取り、墓石に刻まれている文字を確認する。

 仄暗いクリプトン球の明かりに照らし出されたそこには、間違いなく『石田家』の文字が彫刻されていた。

(本当だったんだ……)

 恐怖は最高潮に達していたのだが、同時に妙な達成感があった。

「ナツくん、どう?」

 いつの間にか僕の背に隠れて顔を伏せていた彼女に、いま見たありのままを伝える。

「確かに石田って書いてある。お墓の裏を見れば名前もわかるかもしれない」

「――っ」

 その瞬間、彼女は声にならない悲鳴を上げると、腰を抜かしてその場にしゃがみこんでしまう。

 慌ててその背に手を回し身体を支えようとしたのだが、その時にうっかり手に持っていたライトを落としてしまった。

 赤土の地面に落ちたそれは、跳ねることもなくゆっくり転がりながらあらぬ方向を照らす。

 ライトを拾い上げようと腰を屈めると、地面を扇状に照らすそれの行き先の、光が届くか届かないかギリギリのところに人の足が見えた。

 今度は僕が腰を抜かす番だった。

「え? なに? え? ナツくん?」

 状況が飲み込めていない彼女は半ばパニックに陥っていたが、その問いに答える余裕など今の僕にはなかった。

 そうこうしているうちに、その足はこちらに向かってゆっくりと近づいてくる。

(駄目だ終わった)

 何がどう駄目でどう終わったのかは自分でもわかっていなかったが、彼女の身体を限界まで強く抱くときつく目を閉じた。

「あんたら何してるだね?」

 聞き覚えのある声に顔を上げる。

「……え?」

 私が終わりだと思っていたのは、ポカンと口を開き立つ祖母の姿であった。


 祖母は他の大人連中と家に帰らずに、露天の屋台の前で僕とあっちゃんが来るのを待ってくれていたそうだ。

 いくらしてもやってこない孫たちを心配した祖母は、墓地に戻るとその姿を探した。

 そして、奥の区画から人の気配とライトの明かりが見えたものだから、もしかしてと思い足を運んだところ、真っ暗闇のなかで二人の孫が揃いも揃って地面に転がっていたのだから、祖母も大層驚いたことだろう。

 この状況で言い訳など出来るはずもなかったし、嘘をつくことを嫌悪する生来の性格も相まって、怒られるのを覚悟で祖母に経緯を洗い浚い話す。

 結果から言えば、祖母は僕たちを叱ることはしなかった。

 ただ「そういえばそんなこともあったっけねえ」と、悲しそうな顔をして石田家の墓の方に向き直ると、腰を屈めて静かに手を合わせた。


 祖母に手を引かれて寺の境内まで戻ると、夜店の屋台でりんご飴をひとつずつ買ってもらって家路に就く。

 祖母の後ろを二人で歩きながら、僕は少し前から生じていた疑問を口にしてみることにした。

「あっちゃんって、もしかして怖いのって駄目なの?」

 彼女は小さな声で「……うん」と言い、少し間を置いてから一言付け加えた。

「でもナツくんは怖いの好きでしょ? だから喜んでくれるかと思って」

 彼女は昔からそうだった。

 虫だって本当は苦手なのに僕に合わせて恐る恐る網を振り、虫を捕らえてしまうと「ナツくん! どうしよう!」と涙目になって助けを求めた。

 魚釣りの時も餌のゴカイを見て顔を真っ青にしていたのに、釣れるまで僕の横で何時間も付き合ってくれた。

「ありがとう、あっちゃん」

 なぜだか申し訳無さそうな顔をしていた彼女だったが、僕の感謝の言葉を聞くと「ううん」と言って笑って見せてくれる。

 そんな彼女の笑顔があまりにも素敵で、僕はついつい意地悪をしたくなってしまった。

「このあと十時から怖いテレビやるんだけど、それも一緒に見てくれる?」

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