うちの母
駅から家まで徒歩で十分ほどの距離があったが、本日は母が車で迎えに来てくれるという話だった。
母は午後から有給を使い、俺を祖母の家に送り届けることになっていた。
駅前の公衆電話で自宅に電話を掛けると、程なくして白色のセダンが駅前のロータリーに滑り込んでくる。
「あんたが来てくれるって聞いて、お母さん随分と喜んでたっけよ」
祖母の家に行くのは久しぶりだった。
確か前に行ったのは祖父の一周忌の時だったので、かれこれニ年半振りくらいにもなる。
祖母の家はここから一五○キロも離れた隣県の、言ってしまえばかなり辺鄙な場所にあった。
子どもの頃には盆暮れ正月と必ず泊まりに行っていたそこだったが、中学も二年に上がると部活や受験で忙しくなり、高校では部活こそしていなかったが人付き合いが増え、不義理を痛感しつつもやや疎遠になっていた。
それに俺にとっての祖母の田舎は、幼い頃の楽しい思い出が詰まった場所であるのと同時に、忘れたくても忘れることの出来ない辛い記憶が染み付いた場所でもあり、むしろそちらの理由から足が遠のいていたというのが本当のところだ。
家に着くとまず、終業日の恒例行事として母に成績表を手渡す。
母はそれにササッと目を通すと、たった一言「あんたの成績表、相っ変わらずつまんないね」と冷ややかに言い放ち、読み終わった新聞を捨てるかのようにテーブルの上に放ってしまう。
進学校というわけでもない平均的なレベルの高校に通い、成績も学年のちょうど真ん中あたりに位置する俺の通知表は、まさに母が言う通りに『つまんない』代物であった。
そんな毒にも薬にもならないようなつまらない男の俺だが、学業のことで両親に小言を言われたことは、これまでの人生で一度もなかった。
もっとも、うちの親は常々『普通が一番』を標榜しているので、
それに加え一人っ子で、他の兄弟と比べられるということがなかったせいか、俺も自身の学力にはあまり関心がなかった。
二階にある自室でまずは私服に着替え、続けて向こう一週間分の荷物をスポーツバッグに詰め込む。
あっという間にパンパンになった六〇リットルのそれを車のトランクルームに載せリビングに戻ると、母が用意してくれていたコンビニのサンドイッチで昼食を済ませる。
こうして全ての支度を終え玄関で出発を待ちわびていると、しばらくしてやってきた母は普段使いのトートバッグをひとつ持っているだけだった。
最寄りのインターチェンジから高速道路へと進入した車は、ここぞとばかりにエンジンを唸らせながら一気に速度を上げ本線に合流すると、第一走行車線を法定速度ちょうどで西に向かい進む。
子どもだったあの頃は、祖父母の家に向かう高揚感と、普段滅多に乗らない高速道路の興奮とで、文字通り高速で流れる風景に心を踊らせていたことを思い出す。
夏休みの宿題のことなど忘れ、遮音壁の切れ目から見え隠れする町並みであったり、防砂林の松の木の向こうで光る海原を、飽きもせずにずっとずっと見ていた。
いま見ている景色は、その時と然程変わってはいないはずだったが、高校二年になった俺の目には、ただの道中のそれとしか映っていないように感じられた。
少年時代の俺と今の俺とで、いったい何が変わってしまったというのだろうか?
「
少し前のめりの姿勢でハンドルを握る母の言葉に甘え、助手席のシートを勢いよく倒して静かに目を閉じる。
今朝が少しだけ早起きだったこともあったが、高速道路の継ぎ目を柔らかなタイヤが乗り越える時の振動とリズムが心地よく、俺はものの数分で眠りに落ちた。
「……ん?」
急に静かになった気がして目を開くと、案の定窓の外の景色が止まっていた。
もう着いたのかと思ったが、ハンドルを握ったまま進行方向を見据える母の様子からして、どうやら赤信号で止まっているだけのようだ。
首を左右に振り景色を確認すると、すぐそこに見覚えのあるドライブインを見つけることができた。
ここにある自動販売機のハンバーガーは俺の大好物だった。
赤熱しそうにまで加熱された紙の箱で提供されるそれは、ふにゃふにゃになったバンズにケチャップが掛けられた薄いパティが挟まれただけの貧相なバーガーは、大手ハンバーガーチェーン店のそれにはない旨さがあった。
「夏生あんた、寝言で美沙ちゃんの名前言ってたよ」
目を覚ましたばかりの息子を横目で見ながら、母はニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべた。
「あっそ」
俺が本当に寝言で美沙の名前を口走ったのかどうかはわからないが、母の魂胆はといえばあまりに見え透いていた。
うちの母も学校の連中と同じで、俺と美沙が付き合っているものだと完全に思い込んでいる。
もっともそれも仕方のないことで、彼女は一年の頃から何度も家に遊びに来ていたし、なんなら幼い兄妹のように肩をくっつけながら一冊の漫画を読んでいるのを見られたこともあった。
それを目撃した母の「うちの子のどこがいいの?」という問いに、美沙が「ぜんぶ好き」などと答えたものだから、ただの友達だと言っても信じてもらえるわけもなかった。
『美沙の好きはその好きじゃないから』という俺の説明も、年頃の息子の照れ隠しくらいに思われているのだろう。
信号が青に変わり、車は再びタイヤを回転させる。
「あんた、夏休みは美沙ちゃんとどっか出掛けんの?」
「……帰ってきたら連絡するって言ってある」
いや、そうなのだ。
美沙が美沙なら、俺も俺なのだ。
言い訳をさせてもらえば、彼女との関係が周囲に思われているようなものではない以上、嘘を付く必要もないと思っていた。
それに、そもそも俺は嘘をつくという行為が大嫌いなのだ。
その結果、母がより確信を強めるという悪循環が発生していたのであったが。
「美沙ちゃんといい
そこは私に似たのかしらと、母はひとりごちるとご満悦な様子であった。
俺はといえばそれ以上何も言わずに目を閉じ、二度目の浅い眠りに身を任せることにした。
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