夏の夕暮れ
大きな期待と緊張を背負い、赤土の田園地帯の只中を突き進み約束の場所を目指す。
あの夏の日に彼女と出会ってから、俺は何回この道を通って海へと足を運んだことだろう。
夏の日差しはそのすべてで容赦なく俺の肌を灼いた。
ただ、今日に限っては少しだけ時期が早く、また時間も遅いせいだろうか。
涼しいかと言われればそんなことはなかったが、少なくとも今夜風呂に入った時に日焼けで湯が染みるといったことにはならずに済みそうであった。
やがて突き当たった竹藪のトンネルを潜り抜けた途端、じきに訪れるであろう黄昏をわずかに匂わせる瑠璃色の空と、それを反映して
足元に咲き乱れるハマゴウの花たちを踏みつけないように気をつけながら、その中ほどに居場所を見つけ静かに腰を降ろす。
遥か水平線の上に浮かぶ入道雲に目を向けると、綿菓子のようなその表面に白い稲光が走るのが見えた。
ただ、遠く離れたこの場所にまで雷鳴が届くことはなく、ただ打ち寄せては崩れ去る波の音だけが聞こえてくる。
そうして三〇分も経っただろうか。
気づかないうちに少しだけ風が出てきていた。
ともに海を見下ろしていたハマゴウたちが、その可憐で小さな花をサラサラと小さく揺さぶる音が、さざ波の音に混じりかすかに聞こえていた。
すぐ近くにあった一輪のそれを手のひらでそっと包む。
本当はすべてをそうしてやりたいくらいだが、たとえいくら願ったところで二つしかない俺の手で叶えられるような望みではなかった。
薄い紫色のドレスを纏った彼女たちは、海から吹き付ける風にその身を晒し、やがて来る凪をただ静かに待ち続ける。
俺もその健気さに見習い、全身にただひたすらに汐風を受けながら、やがて訪れるその時のを待った。
「ごめんなさい。おまたせしました」
唐突に鈴の音ような涼し気な声が耳に届き、その方向に顔を向けると口を開く。
「ううん。俺もいま来たところだよ」
彼女は俺と目が合うと、両手を身体の前で重ねて小さく頭を下げた。
その他人行儀な姿に胸の奥が痛み、昨日の夜から用意しておいた言葉が喉の奥へと戻っていってしまう。
俺は無言のままでゆっくりと立ち上がり彼女の方に歩み寄り、ようやくひとつだけ取り出すことに成功した台詞を静かに投げかけた。
「もしよかったらだけど、少しだけ歩かない?」
彼女の方を向くこともできず、かといって真っ直ぐ顔を上げて歩く気持ちにもならなかった俺は、自分の足元から一メートルほどの地面を見下ろしながら、波打ち際から少しだけ離れた砂浜の上をゆっくりと歩いた。
すぐ後ろからは彼女が踏んだ砂の乾いた音が、ラジオのノイズにも似た波の
たまに足元を
その姿を捉えようと見上げた空は、東の端から徐々に消炭色のコントラストを強めつつあった。
「夏生さん」
急に呼びかけられたせいで思わず躓きそうになってしまい、すんでのところで踏みとどまりながら振り返る。
二、三歩離れた場所で立ち止まっていた彼女は、肩に掛けた小さなポシェットから何かを取り出すと、二歩三歩とこちらに歩み寄ってくる。
そして、無言でその何かを俺の胸の前に差し出す。
それは可愛らしい猫のキャラクターがプリントされた水色の封筒だった。
「これは?」
ほとんど反射的にそれを受け取りながら尋ねると、彼女は少しだけ悲しげな表情を浮かべて見せたあと、その小さく薄い唇を静かに開いた。
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