盆踊り

 西の空が朱鷺とき色に染まり始めた頃になり、ようやく僕の車酔いは快方へと向かっていた。

 もう二度と乗り物の中で読み物はしまい。

 そんな安っぽい決意を胸のうちに秘めつつも、応接間のソファーにだらしなく横たわりながら再放送のバラエティーを見ていた。

 番組がコマーシャルに入ったのと同じタイミングで、庭の方から車のドアを閉めるバタンという大きな音が聞こえてくる。

 そこからわずかに時間を置いて、応接間のドアから梅雨明けの空のような爽やかな笑顔を湛えた従姉あっちゃんが陸上部の全速力で駆け寄ってくると、勢いをそのままにソファーから半身を起こしていた僕に飛びついてきた。

「ただいまナツくん!」

「おかえり……なさい……」

 まるで死人のような顔色と声色をした従弟ばかを、彼女はその大きく丸い瞳で不思議そうに見つめていた。

 間抜け過ぎる顛末を話す気にはなれなかったので、彼女の口から二の句が出る前に別の話題を持ち出す。

「もうすぐ盆踊りだね」


「浴衣、去年の小さかったから他の買ってきたでね」

 日が落ちる頃になり母に呼び出されて向かった居間で、紙袋に入った戦闘着ユニフォームを受け取り中身を確認する。

 それはそもそも浴衣でなく甚平だったのだが、紺色の生地に白の縦縞のそれはそこはかとなく大人の雰囲気があり、僕は即座に気に入ってしまった。

「あ、ナツくんそれかっこいいね」

 声に振り返ると、そこには黒地に青い百合をあしらった浴衣に身を包んだあっちゃんが、恥ずかしそうに伯母の影に隠れて立っていた。

「あっちゃんもすごく綺麗だよ」

 小五男子の口からしれっと飛び出した、その台詞じみた言葉を聞いた母と伯母は、目を丸くしながら顔を見合わせると、次の瞬間には盛大に吹き出した。

「あんたやっぱり少し変わってるわ」

「夏生ちゃんは将来女性で苦労するかもしれんね」

 僕には二人が笑っている理由の半分はわかったが、残りの半分は理解することができなかった。

 綺麗なものを見て綺麗だと言うことの、いったい何がおかしいというのだろうか?

 腹を抱えて笑っている母と伯母と、それを冷めた表情で見ている僕の横で、あっちゃんはといえば顔を真っ赤にして俯いていた。


 隣町の自宅へと帰る伯父と伯母を庭に出て見送ったあと、僕とあっちゃんは大人たちより先に盆踊り会場へと向かうことにした。

 糊の利いた甚平は着心地こそいまいちだったが、これから祭に赴くという気持ちを存分に高めてくれる。

 空はよく晴れて月も出ていたが、新月を間近に控えた下弦のそれは、薄い舗装の足元を照らしてくれるまでの照度は持ち合わせていないようだった。

「あっちゃん」

 半歩後ろを歩いていた彼女の方を向くと、手のひらを上に向け左手を差し出す。

 彼女の小さな右手がその上にそっと重ねられたのを確認すると、横並びになって再び歩き出した。

 すぐ横からは彼女の髪に挿さったかんざしに付いている金属製の飾りの、チャリチャリという澄んだ音が聞こえてくる。

「ナツくんは今日なにしてたの?」

「ロマンに行って本とかお菓子買ってきた」

「いいなあ。私も行きたかったなあ」

 彼女はわざとらしく悔しそうな顔をし、手にしていた花火柄の団扇うちわをブンブンと振ってみせる。

「部活、大変そうだね」

「うん。でも私って走るの好きだから」

 実際、彼女は昔からとても足が速く、よく「競争ね!」と言っては駆けっこがあまり得意ではない僕を置き去りにしたものだった。

 ちなみにうちの両親はかけっこが得意で、逆に彼女の両親はそうではないというのだから、一体僕たちは誰に似たのだろう。


 寺の入口を脇に逸れ、背の高いまきの木の生け垣の間を進んで行く。

 やがて小学校の校庭の半分くらいといった広さの広場が見えてくる。

 中心には紅白幕で覆われた櫓が立てられており、その周囲にはこの村にこれほどの人間がいたのかと驚かされるような大人数――とはいっても大人と子供を合わせても五十人にも満たないが――が、盆踊りに興じたり、それを眺めて手拍子を打ったりと、いま始まったばかりの夏祭りを楽しんでいた。

 昨夜は寺の境内に出店していた夜店も、今日は盆踊り会場の隅へと場所を移して商いに勤しんでいる。

「ナツくん! うちらも行こっ!」


 櫓の上に取り付けられたスピーカーから大音量で流れる炭坑節に合わせ、腕を左右に小気味よく振りながら摺り足で前後する。

 毎年ここの盆踊りに参加しているうちに、もっともらしい動きこそ身についていた僕だったが、その正式な作法はといえば今以て知るところではなかった。

 僕のすぐ前に入った彼女も、団扇を片手に一生懸命に手足を動かしていた。

 後頭部で纏められた髪の先端が、その動きに合わせてヒョコヒョコと上下し、浴衣の襟から見え隠れするうなじには薄っすらと汗が浮かんで見えた。

 普段の彼女が向日葵ヒマワリ蒲公英タンポポだとすれば、今の彼女は石楠花シャクナゲ菖蒲ショブブのようだった。

 要するに和の美しさを感じるということだ。


 次々と変わる音楽に、微妙に振り付けや手足の振り幅を変えたりしながらしばらく踊っていると、いつの間にかやってきた親族おとなたちがこちらに手を振っていた。

 父と祖父に至っては、「よ! 若大将!」や「見返り美人!」などと声を上げている。

 これも毎年のことなので、僕も彼女も慣れたものだった。

 互いに眉ひとつ動かすこともなく、声援とも野次ともつかないそれらを完膚なきまでに黙殺する。

 子や孫らに無視を決まられ興を削がれた彼らは、それ以上追撃することなく家から持参したビールを開けると、この場所で宴会の続きを始めたようであった。

「あんたらより明日那と夏生のほうが二枚も三枚も上手だわ」

 呆れ顔で指摘する祖母の言葉に、父と祖父が面目なさげに頭をボリボリと掻き、その様子を見ていた周囲の村人たちから大きな笑いが起こっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る