パソコンの前で文章を読んでいたはずが、ふと気づいたら濃厚な木々の匂いが鼻をつく。そういえば蝉の声もする……短編を読みながら森林浴できる一作です。俳句を詠んだことのない人間にとっては、俳人の頭の中をのぞけるのも今作の楽しさのひとつ!
武蔵野を語るに、作者様の取材旅行(恐らく日帰り)となりました。そのときに感じた多々の事柄を、パウンドケーキのように美味しく仕立ててくださいました。先ず、作者様の得手とする俳句を絡めて、更には、人生の縮図のようなムシ達の事柄にユニークさも欠かさず、想いを馳せるこの地に立ちて、歴史的に振り返りつつ、作者様の感じたお気持ちを綴っておられます。勉強になる側面は勿論のこと、つるっと喉越しのいいお蕎麦で読み易く、最後に海老の天婦羅をどこから行くか、考える一幕となっております。是非、旅をご一緒になさってください。
湖がある。湖の下に村がある。湖の上に「私」はいる。「私」は句を詠んでいる。惜しいのは何か。句か、それとも――わずか四千字、されど四千字の中で、惜しいのは何かを考えさせられる、と思わせつつ、その湖の情景を目に、耳に、飛び込ませてくる、そんな小品です。惜しいのは何か。そう考えた時点で、あなたはもう、引き込まれています。ぜひ、ご一読を。
今回も味わい深い武蔵野作品の登場です!賑やかなツクツクホウシの声に、作者お得意の俳句を添えて。そこで出逢った不思議な老人との一幕。読者の心にも、水と緑の涼やかな情景が浮かんできます。しみじみと、共に武蔵野散歩に出かけているようなひとときを過ごしてみませんか。
“欲に任せて「俺はここだ!」と繰り返す”ある意味、猛々しさを感じさせるのに、どこか染みるような穏やかさをか抱かずにはいられない、ツクツクボウシの鳴き声。作品の全編に、その特異な清々しさが染みている。人間の都合で作り上げられた人工湖。それでも自然はそこに、傲慢でいてけなげで、したたかな根を降ろす。そんな武蔵野の大地の北辺を鮮やかに切り取った、文字で綴られた風景画。
もっと見る